中年とオブジェ

美術館・街で見かけたオブジェ 旅先で手に入れたオブジェ オブジェの視点で世の中を楽しむ中年の日常。

藤森照信

composition 2





採集地 茅野市

composition 1





採集地 茅野市

藤森照信の神長官守矢史料館

神長官守矢史料館
御柱
庇
背面
史料館内部

茅野駅前の茅野市美術館から車でしばらく。藤森照信の建築家デビュー作「神長官守矢史料館(じんちょうかんもりやしりょうかん)」(1991)が、静かな集落の中に佇んでいる。諏訪大社の成立以来、筆頭神官をつとめ続けたという守矢家に伝わる古文書・史料を収蔵するための施設で、祭事の再現展示・史料の展示をするスペースも設けられてる。

藤森はこのデビュー作においてすでに木・石・土壁などの素材を用い、日本の伝統的民家の形式におさまらない、荒々しく縄文の古層にいたるような造形を生み出している。農耕開始以前の信仰にまでさかのぼるという守矢家の史料館に、まさにふさわしい。

私は茅野市美術館「藤森照信展 諏訪の記憶とフジモリ建築」の関連イベント、「藤森照信が案内する高過庵&神長官守矢史料館 見学会」に参加したのだが、この資料館についても興味深い解説をうかがった。

見かけはワイルドで、素朴で、手作り感にあふれるこの建築。構造的には鉄筋コンクリートで本体を構築し、仕上げだけを天然の素材で演出しているのだ。

「建築すべてに伝統工法を取り入れている建築家はいるけれども、新しい工法の建物を、伝統的素材で仕上げるということは誰もやっていなかったんですね」と語る藤森先生。

たとえば、鉄平石で葺かれた荒々しい大屋根も下地は亜鉛のドブづけのデッキプレートで、雨漏り対策は万全な上でのプリミティブ表現なのだ。

木造の伝統町屋に、モルタルや銅板で洋風の意匠をまとわせる看板建築。学問的にこれらを検証し、「看板建築」と名づけたのはほかならぬ建築史家藤森照信である。建築家藤森照信の仕事は、新しいのものに古いものをまとわせるという、いわば看板建築の逆転の発想ではないか。

※資料館内部の祭事の再現展示では鹿の頭がずらり。前夜、茅野に1泊して入った居酒屋「みや川」で食べた鹿の焼肉を思い起こした。駆除される数が多いため、実にフレッシュな茅野の鹿肉。絶品の旅めしであった。

藤森照信展 諏訪の記憶とフジモリ建築

藤森照信展

この夏、長野県の茅野市美術館「藤森照信展 諏訪の記憶とフジモリ建築」が開催されている。

藤森照信の展覧会といえば、2007年に東京オペラシティアートギャラリーで行われた「藤森建築と路上観察」が記憶に残っている。(そのときの記事はこちら
今回の展示はオペラシティでのコンセプトをもとに規模縮小して再現した印象。終末後の東京をイメージした「東京計画2107」のジオラマ、藤森建築特有のディテールの部材モデル、木彫による建築のイメージ模型、そして藤森建築の原点を示唆する卒業設計「橋」。

新味といえば、藤森の原風景である茅野のいくつかのスポットの写真、藤森建築のためにデザインされたオリジナル家具の展示(椅子には座れる!)、2007年の展覧会以降に手がけた建築の写真パネル展示といったところなのだが、大判の写真パネルからは建築の持つ雰囲気がよく伝わってくる。藤森自身によるキャプションも興味深く、現在進行形の藤森ワールドに触れられるのがうれしい。

IMG_0195

そしてなんといっても美術館の前庭には、UFOのような新作茶室「空飛ぶ泥舟」が、茅野の鮮やかな緑を背景に、シュールに浮かんでいる。(これ、模型ではなく実物の茶室です)茅野駅前に立地する茅野市美術館から遠くないところに、神長官守矢史料館と高過庵もあるし、藤森建築を楽しむには格好の機会である。

高過庵の見学会で、樹上の茶室の中で藤森照信さんとひざを交えこんな話をした。

「藤森先生の建築には、世界が終末を迎えたあとに残された人類が生み出す世界のようなものが感じられますね」
「そうね。なにも無くなったところから萌えいずるようなというかね」
「それが本当の"ポストモダン建築”かもしれませんね」
「モダンだかどうだかよくわからないんだけどね(笑)」

建築史家藤森照信が、路上観察にのめり込み、超芸術トマソンの赤瀬川原平らと路上観察学会を結成したのは1986年。藤森が、郷里茅野に神長官守矢史料館を建て建築家デビューしたのが1991年である。路上観察学会の発足にあたり刊行された「路上観察学入門」(筑摩書房)の巻頭のマニフェストで藤森照信はこう書いている。

まず、今和次郎の場合を例にとろう。
(中略)
大正六年から十一年にかけて、柳田にくっついて農村を回り、民家の草葺き屋根をスケッチしながら、採集と観察の方法を身につけていった。しかし、五年六年とするうち、彼は、なぜか柳田民俗学に対し「すっかりニヒルな気分」に落ち込んでしまった。
その時を待っていたかのように、大正十二年、東京はまるごと壊れてしまう。焼け野原の中で、彼は二つのことを始めた。
一つは、次々に建ち上がってくるバラック建築をありあわせの材料で飾りたてる仕事で、美術学校の仲間をさそってバラック装飾社を結成し、街頭でビラをまいては依頼主をつのり、頼まれると、ハシゴを肩にペンキ缶を手に駆けつけては「野蛮人の装飾をダダイズムでやった」。
もう一つの仕事は、焼け跡で再び始まった人々の生活の即物的な面を観察することだった。板切れに描かれた看板から街往く人々の衣服の類まで、目当たりしだいスケッチし採集した。これが今日の考現学のスタートである。

「路上観察の旗の下に」藤森照信

関東大震災で壊滅した東京の廃墟に建ち上がったバラック建築。終末後の世界に、にょきにょき萌えいずるかのようなフジモリ建築。今和次郎をひとつの軸にして、建築史の研究者・路上観察家・建築家という藤森の全体像が像を結んでくるではないか。

※藤森自身によるギャラリートーク・炭鉱展で異彩をはなった美術家岡部昌生とのトーク・諏訪出身の建築家伊東豊雄とのトークなどまだまだこれからイベント盛りだくさん。ついでながら、美術館のある複合文化施設、茅野市民館は2007年日本建築学会賞を受賞したクールな建築だ。(設計古谷誠章)私が訪れた日にはなんと、茅野市民館を会場に設計者古谷氏の娘さんの結婚式が盛大に行われていた。

藤森照信の高過庵に上る

高過庵
小窓からのぞく藤森先生
見晴らし窓面

長野県の茅野市は、建築史家・路上観察学会員・建築家としてユニークな活動を続ける藤森照信の郷里である。茅野市美術館で始まった「藤森照信展―諏訪の記憶とフジモリ建築」。関連イベントとして企画された、ツリーハウスの茶室「高過庵」(たかすぎあん)と藤森の建築家デビュー作「神長官守矢史料館」 (じんちょうかんもりやしりょうかん)を藤森氏のガイドで見学するツアーに幸運にも当選し、夏の茅野へ小旅行に出かけることとなった。

茅野駅前に立地する美術館・図書館・ホール等の複合した茅野市民館前に集合。バスに乗りこみ程なく神長官守矢史料館に到着。ここは藤森氏が生まれ育った集落。緑濃いのどかな田舎道を5分ほど歩いたところに、高過庵がにょきりと顔をのぞかせた。

赤瀬川原平邸の「ニラハウス」(1997)の茶室や、細川護熙がオーナーの一夜亭(2003)などの茶室を設計してきた藤森が「自分の手がけた茶室を、引き渡したくない」という気持ちをつのらせるに至り、2004年に作ったのが高過庵。敷地は実家の農地の片隅なのである。

見学会参加者は4人づつのグループに分けられ、10分ほどの滞留時間で交代で高過庵内部に上がらせてもらった。見てのとおりハシゴがかかっていて、途中のステップ部分で靴を脱ぎ、さらにハシゴをのぼって庵の床の「にじり口」から入り込む。中では藤森先生がラフな短パン姿でお出迎えしてくださる。

高過庵を見上げる
下から
花と高過庵


内部は3畳ほどのスペース。日差しの厳しかったこの日も、開け放たれた窓からの風が心地よい。茅野の街並みや諏訪の山々の眺めもすばらしい。大窓の下には竹でできたスノコ状の張り出しがある。これは桂離宮の「月見台」という竹の縁台に想を得たしつらえだそう。月夜には、竹のオモテに月影が映えて美しいのだとか。炉も切ってあるし、これはとてつもなくユニークながらも、見事な茶室である。高過庵に上ったならではの体験といえば、やはり「揺れる」ことだろうか。客人が座っているときには安定しているのだが、ちょっと立ち上がって移動するとゆらりゆらりと揺れるのである。

藤森先生、高過庵でなにか仕事をしようと思ったこともあったそうだが、あまりの心地よさにボーっとしてしまい仕事にならないという。短い滞在時間だったが、親密でプライベートな空間を体験できる貴重なひとときであった。藤森先生のくつろぎに満ちた姿に接し言葉を交わすことができ、茶室に招かれることの何たるかの原点に触れられたような気持ちもするのだ。

※神長官守矢史料館や展覧会については、また別エントリで。

ギャラリーと街歩き

昨日は久しぶりに東京に出かけた。ギャラリーをいくつかめぐり、カメラを持って街を歩く。まずは新橋駅からスタート。SL広場の蒸気機関車の背後にタモリの看板。はまってる。

新橋

タモリとSL

新橋から資生堂ギャラリー「椿会展2010」へ。いつもながらやわらかな光を感じる伊庭靖子。やなぎみわは女性性を象徴する赤いハイヒールを、様々なサイズで作り並べている。最大のは60cmだったかな。塩田千春は映像作品。裸体の作者に絡みつく膨大な細いチューブの中を赤い液体が流動し、心音が聴こえる。このチューブが血管なら、塩田作品の「糸」は神経繊維だったのかと思えてくる。

工事中

エルメスの向かいのビルはすっかり梱包されて工事中。青い空にクレーンのオレンジが鮮やか。メゾンエルメス8階フォーラムでは「市井の山居 細川護熙展」。細長いギャラリーを外露地・内露地・草庵に見立てた会場構成がうまい。(細川氏自身の演出だそう)モダンなガラスブロックに囲まれたスペースに焼物・絵画・書・陶仏そして苔!これが不思議に響きあう。藤森照信設計の茶室「亜美庵杜」ばかりを目当てで行ったのだが、展示全体が小宇宙を形成している味わいは予想以上。茶室の縁側には腰掛けてもいいのでお試しを。心地よく包まれます。是非昼間の明るい光の中で観て欲しい展覧会。

有楽町

果物屋

ガード下

昔の猥雑さの断片を残す有楽町を通り過ぎ、日比谷へ。はじめて入った第一生命ビルのギャラリーでは「脇田和展」と「藤原裕策展」。壮大なエントランスホールの壁面に、歴代VOCA賞受賞作が展示されているのには驚いた。伊庭靖子のVOCA展'98の奨励賞作には、静謐な近作にはないエロスと過剰さが感じられる。

日比谷丸の内

整然としたビル・並木・花の彩る日比谷・丸の内をしばし歩き、高橋コレクション日比谷で「会田誠+天明屋尚+山口晃」。3人展であることが、会田の分散・増殖する作品世界の魅力を際立たせる結果となった感がある。山口の「九相図」や天明屋のグラフィティも面白いんだけど、会田誠の表現のデプスと振り幅にはかなわない。

日比谷から市ヶ谷のミズマに移動。会田誠「絵バカ」。サラリーマンの死体とOA機器が累々と積みあがった「灰色の山」のでかさと描写量は半端でなかった。遠くの山にもよく観ると小さくうっすらとした死体。死体による遠近法である。映像作品は好悪分かれるだろうな。2人目の微乳の子、動作がかわいかった。

※ミズマの「絵バカ」は6月5日(土)で終了。

加賀廣
ギャラリーと街歩きの半日、最後は護国寺のもつ焼き屋「加賀廣」で。ビルの建ち並ぶ中、ポツリと残った木造2階建ての古風な店。もつの鮮度、仕事の丁寧さ、焼酎のセレクトなど、お気に入りの店だ。

春の静岡小旅行 ねむの木と若冲

ねむの木こども美術館


4月10日から静岡県立美術館ではじまった「伊藤若冲―アナザーワールド―」展をお目当てに、先週末、静岡へ1泊2日の小旅行をしてきました。高速道路料金1000円を利用しての車旅。まだ桜の花も楽しむことができました。

1日目は東名で掛川ICまで行き、掛川の郊外の山里にある「ねむの木学園」を訪問。藤森照信設計の、ねむの木こども美術館「どんぐり」などを鑑賞。この美術館、ねむの木学園のテイストなのか、かなりメルヘンチックです。しかし手仕事にこだわったディテールの仕上げには藤森建築の魅力が発揮され、けっして甘く流されていない。「どんぐり」の名のとおりのドームの内部は、ある種の聖性をも感じさせる空間。学園の子どもたちの作品も、一段とパワーを引き出されていました。

鹿島屋


夜は、静岡の居酒屋へ。「鹿島屋」という老舗でカツオや生シラスなどを。このカツオ、一切れの厚みが2センチ以上はあろうかという重量級です。そのあとはジャズバーを2軒はしご。

翌日の朝、静岡県立美術館へ。ここは今回初めて訪問しましたが、彫刻の並ぶプロムナードからのアプローチが趣きあり。若冲展はさほどの混雑でもなく、昨年MIHO MUSEUMに行けなかった私にははじめての「象鯨図屏風」も、ゆったり鑑賞できました。常設展の加藤泉の木彫や、小西真奈の絵もよかった。ロダンの展示室の大きな空間にもびっくりしました。

静岡県立美術館


※「象鯨図屏風」は4月25日(日)まで展示。

メゾン4畳半 HERMESの藤森照信

銀座のHERMESを訪れるのは、昨年の西野達の「天上のシェリー」展以来である。8階のギャラリーに直行する。

本格的な家はむづかしいにしても、友を呼んでご飯を食べ、
寝泊りできる程度の仮設的な家なら誰にでも出来る、はずである。

かつて人類はそのようにして最初の住いを作り、
今も、子供たちは“基地”づくりを楽しむ。

さいわい日本には、自分でも作ることのできる程度の大きさの
“住まいの原型”というものがある。
四畳半である。
(藤森照信)


そんな言葉通り、藤森の監修でエルメスの社員が手作りした、3つの4畳半の小屋と、アコヤ貝張りの大きな貝のオブジェが展示されていた。

会場は、オペラシティーの藤森建築展同様、よしず張りの床で、靴を脱いで小屋の中に自由に出入りできる。漆喰壁に木の枝を積み重ねた屋根の4畳半、黒い焼杉のほの暗い4畳半、はしごで上に上がれる2階建ての4畳半。シンプルだが、それぞれに個性的。茶室のように包み込まれて落ち着ける焼杉の4畳半が心地よかった。床に敷いてあったHERMESのクッションは場違いな感じだったけれど。

平日の昼間、ほかに誰もいない会場に案内の社員が3人。4畳半制作の話を熱心に聞かされた。社員にとってもよほど楽しい体験だったのだろう。焼杉制作のためにわざわざ社員も長野県茅野の作業所まで出かけたそうである。縄文建築団は今回は制作にかかわらなかったそうだが、赤瀬川原平も会場に遊びに来たという。

公開制作していた、初期のころにも来ればよかったなあと残念。

藤森建築と路上観察 終末後の建築

藤森建築と路上観 察オペラシティーアートギャラリーで、「藤森照信と路上観察」展を観た。第10回ヴェネチア・ビエンナーレ建築展の帰国展であるこの展覧会、建築展としての奇抜な面白さでは、昨年同会場で見た「伊東豊雄展」とも通じるものがあった。もちろんそのテイストは全く異なるけれど。

天竜市の秋野不矩(ふく)美術館を訪れたのは2年前の夏のことだが、そのプリミティブで手作り感のある独特の建築は、今まで体験したことのないもの。はだしで大理石やよしず張りの床を歩き、寝そべることのできる心地よい空間だった。

今回の展覧会場でも、よしず張りの床が再現されていて、靴を脱いで会場内を鑑賞する趣向。壁や屋根の仕上げにとことんこだわる藤森建築の素材が、実際の部材モデルで再現されているのも見所。漆喰・泥・焼杉・銅板など、素人の集団「縄文建築団」が手がける仕上げには手仕事ならではの体温がある。建築模型も、いわゆるリアルな模型ではなく、木を大胆に彫り込んだオブジェのようなものが展示されている。その建物の持つスピリットのようなものが伝わってくる。

建築の発想自体もユニークだ。高い木の柱の上にちょこんと茶室がのっかった「高過庵」(たかすぎあん)、屋根に植物が生えたタンポポハウスニラハウス。近現代建築史の流れのなかでは明らかに異形の建築だ。

藤森建築の原点を示すような興味深い展示が2点あった。「東京プラン2101」と題されたジオラマは、現代の都市が壊滅した跡に、自然素材で再生した東京の姿を示している。藤森の東北大学卒業制作のプランは、仙台の市街地が廃墟になり、広瀬川に巨大な橋上建築を計画したもの。藤森は学生のとき磯崎新に心酔したというが、廃墟化した建築のドローイングは、磯崎の手法であった。

都市文明が終末を迎えたあとの新世界で、再生する建築。そう、まるで宮崎駿がアニメで描くポスト文明社会のような世界観が藤森建築には感じられるのだ。まさにこれこそが「ポストモダニズム」のひとつの表現なのかもしれない。

同展では、路上観察学会のスライドショーや写真展示も行われている。路上観察というのも、未来人が過去の文明の遺物を見て妄想を膨らませるのに似ている。「考現学」とはうまい言葉だ。このスライドショーがまた趣向を凝らしていて、縄で編まれた奇妙な空間の中にもぐりこんで鑑賞する。ヴェネチアでは、トマソンはどう理解されたのだろうかと興味がわくところだ。

建築探偵団として、かつて近代建築の面白さを教えてくれた藤森照信は、路上観察を経て、自らも建築を手がけることにより、新しい魅力を発信し続けている。今回の展覧会はそんな現在進行形の藤森に迫りつつ、心が解きほぐされるような和める世界だった。これはおすすめです。

藤森建築と路上観察サイト
プロフィール

テツ

「中年とオブジェ」とは赤瀬川原平の名著「少年とオブジェ」へのオマージュである。美術、オブジェ収集、エリック・ドルフィーを愛好する。

Archives
Subscribe with livedoor Reader
Recent Comments
Recent TrackBacks
ブクログ
blogram投票ボタン
QRコード
QRコード
アクセスカウンター
  • 累計:

  • ライブドアブログ