中年とオブジェ

美術館・街で見かけたオブジェ 旅先で手に入れたオブジェ オブジェの視点で世の中を楽しむ中年の日常。

赤瀬川原平

2014年 私のお気に入り アート

毎年恒例、今年一年の美術鑑賞振り返りであるけれど、家人の病気・介護などで外出の機会の制限された今年は、例年のように美術展に通うことがままならなかった。それでも鑑賞することのできた中から、いくつかのお気に入りを取り上げてみよう。Twitterとこのブログからの引用で構成してみる。




☆☆☆ダレン・アーモンド 追考(水戸芸術館現代美術ギャラリー)

  • ダレン・アーモンド、炭坑町出身だと知り見逃せない思いつのり、水戸芸術館に遠征することに。高嶺格以来、1年ぶりの水戸に向かう。

    ダレン・アーモンド展、映像インスタレーションとしての手応え堪能。マルチ画面を駆使して明晰な夢を見せられるような感覚。比叡山・インドなど西洋的知のフィルターを通した東洋の映像に、ケン・ウィルバーを想起。水戸芸来てよかった。明日最終日。

    水戸芸で観た「ダレン・アーモンド 追考」を反芻していて、「時間」というテーマに行き当たる。デジタル時計、数字のドローイング、映像作品におけるパラレルな時間と円環する時間。夜明け時の光をとらえた写真にも、時間を切り取る明確な意志がある。

    ダレン・アーモンドが月明かりや明け方の光景を写真で捉えるのは、それらが夜とも朝ともつかない不分明な光を見せるからであろう。その視線は単線的に割り切れない「時間」の不分明さの考察につながっている。

    『ダレン・アーモンド 追考」展の図録がようやく届いた。映像インスタレーションの構造を本というメディアに置換した6分冊は、ブックアートというべき斬新な造本による編集。6300円という高値だけのことはある。



☆☆☆佐藤時啓 光―呼吸 そこにいる、そこにいない(東京都写真美術館)

太陽光を手鏡で反射させたり、ペンライトが放つ光の軌跡を、長時間露光の大判カメラのフィルムに定着させ、その場所の風景が変容するさまを美しく写真で表現する作家、佐藤時啓(ときひろ)の個展が、東京都写真美術館で行われている。都内で彼の作品をまとめて観ることのできる充実した展示であった。

佐藤時啓の写真に私が感じるもの。それは大きくは以下の3点に集約される。

光によるランドアート・アースワークとしての試み。
クールな美しさと、うちに潜む倒錯性。
写真が「記録」のメディアとして機能すること。


  • 佐藤時啓@写美。画面に現れる幻想的美しさと、その制作過程に潜む滑稽ですらある行為。単に現実を写すのではなく、現実を変容させる倒錯性に、トーマス・デマンド等のドイツ現代写真に通じるものを感じる。彼もまた、クールな変態。



☆☆萩原義弘「SNOWY the frosty hour」(ギャラリー冬青)

炭鉱・鉱山跡の写真を撮り続けている写真家、萩原義弘さんの個展が始まった。今回は雪に埋もれた廃坑をテーマにした「SNOWY」シリーズの展示。写真集「SNOWY the frosty hour」の出版記念の写真展である。雪の白、白い日差し、月明かり、光る星、炭坑・鉱山遺構のグレートーン。モノクロームの画面には朽ちていく人工物の時間の堆積と、自然の見せる移ろいゆく時間が重層している。クローズアップで切り取られた抽象的な作品から、廃坑の構造物を俯瞰した構築的な作品まで。静かな世界だが、雪のふっくらしたフォルムが何か生命のような魂のようなものの存在を感じさせる。

萩原氏の言葉に「炭鉱や鉱山跡を廃墟だとは思っていない。人々が去り、たとえ朽ち果てようとしていても、そこには人々の存在が残っていると思う」とあるが、雪という事象を介在させることによりここには「廃墟」とか「産業遺産」といった言葉では表現できない、深い作家のまなざしが浮かび上がっている。



☆☆風間サチコ「プチブル」(無人島プロダクション) 

  • 風間サチコ「プチブル」@無人島プロダクションは19日(日)まで。会期中無休。バブル時代のくすぶりが残る頃の初期作品が、現在の状況を照射し刺激的。配布レジュメは必読の怪文&図解。

    昨日の無人島プロダクションの風間サチコさんのトーク、ディープで黒くてあっという間の2時間だった。アナーキズム・ニーチェ・植民地・縄文・進撃の巨人批判・現首相への呪詛…新年早々、濃い言霊に溢れた。



横浜トリエンナーレ2014(横浜美術館・新港ピア)

  • 横浜トリエンナーレ2014、ようやく行けた。アートフェスでは無く森村泰昌企画のテーマ展の味わい濃厚。森村自身による音声ガイドは必須と思うが、あまりに整然とした解釈には窮屈さも感じてしまう。

    横浜トリエンナーレ2014の異色のコーナー、釜ヶ崎芸術大学。興味深いのだが森村泰昌の資質とは相容れない感も。まるで太田和彦が吉田類の飲んでる店に行ってしまったかのような。森村はレーニンに扮して釜ヶ崎で作品も作っているが、どこかそぐわない印象を持つ。

    原美術館コレクション展。やなぎみわはヴィデオ作品「砂女」。私のブログの最初のエントリの個展で観て以来の再会。横トリでデコトラ舞台車のトランスフォームを観たばかりだけに彼女のこの10年の軌跡が感慨深い。自分のブログの振れ幅の小ささが情けなくもなった





そして、今年の美術界で私にとって最大の出来事は、赤瀬川原平さんの死去にほかならない。千葉市美術館の「芸術原論展」には残念ながら行けなかったが、友人に頼んで図録は手に入れ、来年の巡回先の広島市現代美術館あたりで鑑賞できればなあと願っている。

このブログでも原平さんへの追悼の記事を重ねたが、今あらためて様々な著作を読み返してみて「芸術原論展」で原平さんを回顧してみたいと思う。

梱包列車





採集地 東京

あの人について思い出すこと




高校生の時、図書室に揃っていた現代美術の全集。夏休みの一人旅で大原美術館を訪れ出会ったポロックや、フォートリエ、フォンタナ。前衛美術にむくむくと心ひかれた僕は、むさぼり読んだその全集の中の1枚のモノクロ図版にくぎ付けになった。
白衣を着てマスクをつけた若者たちが、街頭をほうきで掃き、雑巾がけし、歩道をルーペでのぞき塵を除去している。ハイレッド・センターによる銀座路上清掃ハプニングであった。
すっかり感化された僕は美術部などの仲間を巻き込みあるグループを結成した。体育祭に乗じてアクションペインティングのパネル画を校庭の隅に設置し、校内放送のサービスを悪用し架空のイベントや集会の告知を次々に放送部に依頼し、昼休みに校内の中庭を大きな額縁や石膏のデッサン像を抱えて集団で無言の行進をした。行き着く果てには、メンバーみんなでサックス・クラリネット・トランペット・手作りパーカッションなどをやみくもに手にし前衛即興集団演奏に突き進んだ。
この経験がなければ、僕はのちにサックスの演奏をするようにはならなかっただろうと思う。


白夜書房の雑誌「写真時代」に連載された「超芸術トマソン」の概念の登場は衝撃だった。そのころ日本各地を旅していた僕と友人のグループは、トマソン探索にも熱中した。観光地ではない地方の街の変な看板、街頭のオブジェ。そして九州の筑豊を旅したときに出会った、かつての炭鉱跡地に残る巨大な遺構がきっかけで全国の廃坑をめぐる旅を重ねるようになった。しまいにはドイツの旧産炭地まで探訪する始末。そう、炭鉱の廃墟に残された意味不明の建造物は僕にとって巨大なトマソンだったのだ。


数年前に長いブランクのあとサックスの演奏を再開し、チェリストのジョヴァンニ・スキアリさんと始めた即興演奏ユニット。いくつかの候補の中からユニットの名称は二人の「これしかない」という合意で決まった。
「トマソンズ」
ジョヴァンニさんも、カメラを持たせると行く先々で不審者のように思わぬ被写体を発見しては写真で採集する「路上観察」のひとだったのだ。


横浜市民ギャラリーあざみ野で最終日に駆け込んだ「散歩の収獲」展。路上観察の写真展示と愛用のカメラコレクションが公開された。最終日、閉幕を前にカメラマンと一緒に会場風景の撮影をしに来ていた赤瀬川原平さんに遭遇した。会場内のベンチに腰かけ休まれている原平さんに、展覧会カタログへのサインをおずおずとお願いした。

「どうも、ありがとう。お名前は?」
「テツです」
「東京からおこしですか」
「いえ、横浜です。近所なんです」
「ほう、横浜。わたしも生まれは横浜なんですよ」

柔和な表情の原平さん。穏やかでゆっくりとした口調でお話になる。

「僕は、今年の夏に藤森先生の高過庵にのぼることができました。茅野市美術館のイベントの抽選に当たりまして」
「ほう、そうですか。あれ、揺れるでしょう」
「はい、ちょっと怖かったです」

原平さんの顔がほころび、グッと親密な気持ちにさせられた。カメラマンから原平さんを撮影したいらしく声がかかったのだが、原平さんは「もう少し待ってて」と僕の相手を続けてくださった。

「今回の展示は、美術マニアにもウケるタイトルがありましたね。『伝・光悦』とか『階段を下りる裸体』とか」
「そうねえ…なんとなくね。あんまり美術とか思わないんですけどね」(苦笑)
「カメラのコレクション、面白いですね。ステレオカメラには驚きました」
「そうね。あれ見てると飽きないんですよ。今度の展示はカメラのほうがいいんじゃないかな」

短い時間だったが、原平さんと言葉を交わすことができた喜び。あとになってじわじわと気持ちが高揚してきたことを覚えている。それが最初で最後の原平さんご本人との対面であった。


「私淑」という言葉がある。直接に教えを受けたわけではないが、その仕事や著作をとおして師として仰ぐこと。僕にとって「私淑」という言葉はまさに赤瀬川原平さんのためにある。原平さんは僕の人生の数多くの扉を開いてくれた。その死によって、僕がこれからくぐろうとしていた門は、まるで「無用門」のようにコンクリートで塗りこめられてしまったような想いがする。

でも原平さんの死をいくら嘆いたってしかたがない。そう、岡本太郎流に言うならば「自分が赤瀬川原平になればよい」のだ。のらりくらり、気負わず、焦らず。優柔不断にいこう。

赤瀬川原平 無言の前衛


採集地 東京(テツ撮影)

赤瀬川原平が脚本を書いた映画がある。勅使河原宏監督の「利休」(1989年)。三國連太郎が千利休、山崎努が豊臣秀吉を演じている。黒人の従者をひき連れ、奇抜なファッションで耳目をひく織田信長像を映像化し、利休の茶の湯の深遠に触れ、独特の秀吉を描いた、静かだが異色の作品である。

この映画の脚本執筆がほぼ終わるころ、原平さんは岩波書店から請われて一冊の新書を書いた。

「千利休 無言の前衛」岩波新書

茶の湯とはなにか、侘びとは、千利休とは何者なのか。脚本執筆をとおして思いめぐらされた原平さんの自在で独特な考察。それはやがて、原平さん自身が駆け抜けた「前衛」の時代、そして「路上観察」という表現についての自問へとゆるやかに結びついていく。

トマソンや路上観察物件は、自分で作るものではなくすべて他人が作ったものである。その他人にしても、その自分の知らないところで出来てしまったようなものである。それを歩きながら見つけて、写真に撮って眺める、ただそれだけのことだ。すべては他力によって成されたことで、他力のエネルギー変化を見ているだけで、その解釈以外に自力による働きかけはどこにもない。
考えてみれば、そもそもは自力創作の不毛を見たところから、他力の観察発見に転じているのである。だから路上の物件を見ても、それが無意識的に作られたものほど面白い。こちらに向けて作られたものは、おうおうにしてうるさい、暑くるしい、どうしても避けてしまう。
利休の言葉に、
「侘びたるは良し、侘ばしたるは悪し」
というのがある。それは路上観察をやっていればおのずからわかることだ。人の恣意を超えてあらわれるもの、そこにこそ得がたいものを感じる。利休の言葉もそれを指している。人の作為に対して自然の優位を説いているのだ。

赤瀬川原平「千利休 無言の前衛」

原平さんの「路上観察」は、ただ単に街で変なものを見つけてレポートするという次元にはない。都築響一の「珍日本紀行」などの仕事にあるエキセントリックさとも無縁である。ではなぜ、原平さんは「路上観察」をするのか?
上記の文章の中のこの一文に、その真意はある。

考えてみれば、そもそもは自力創作の不毛を見たところから、他力の観察発見に転じているのである。

ネオ・ダダ、読売アンデパンダン、ハイレッドセンター、東京ミキサー計画、通貨模造疑惑による千円札裁判。戦後の日本美術を撹拌した「前衛芸術家」赤瀬川原平。その自力創作不毛の果ての「路上観察」。次の文章はその原平さんの実相を突きつけている。

前衛としてある表現の輝きは、常に一回限りのものである。世の中の形式の固まりを壊してあらわれ、あらわれたものは、そのあらわれたことでエネルギーを使い果たす。その前衛をみんなで何度も、というのはどだいムリな話なのである。みんなで、といったときにはもう抜け殻となっている。そもそもが前衛とは、みんなに対する犯罪的存在なのである。すでにある固まったものを壊してこそあらわれてくる。その瞬間に、世の形式を倒す毒素として、一瞬の悪役としてあらわれるのだ。
しかしいまの世の中は、そこのところを履き違えることになった。一回性をもって特権的に許される瞬間の悪、その前衛の民主化である。前衛をみんなで、何度も、という弛緩した状態が、戦後民主主義による温室効果となってあらわれている。自由と平等という、いわば戦後民主主義の教育勅語が、ふたたび私たちの頭脳を空洞化している。

赤瀬川原平「千利休 無言の前衛」

たとえば珍しいマンホールの蓋の発見を繰り返し続け、分類整理する「トマソニアン」と原平さんの「超芸術トマソン」の思想は、位相の異なる似て非なるものなのである。原平さんは、なんとなく面白い、優柔不断な好々爺という晩年のイメージをまといながら、最期まで「前衛芸術家」でありつづけたのだと私は感じる。

「千利休 無言の前衛」という一冊は、「赤瀬川原平 無言の前衛」としても読みとれる著作である。


赤瀬川原平 「島の時間」




与那国島へ行ってみると、海というのが絶対的だ。まずそれが大前提として、世の中の基本として、青一色で島を取り巻いている。それを見ていると、頭の中がぎっしりと空っぽになる。ジーンと脳ミソのノイズだけが聴こえてくるような気がする。

赤瀬川原平「島の時間」


対馬・五島・奄美・沖縄の島々など、九州から西に連なる島をめぐった旅のエッセイ「島の時間」は、数多い原平さんの著作の中でも私の好きな一冊だ。日本の最西端の離島、与那国島についての原平さんの文章は、私をこの島への旅へと駆り立てた。

「頭の中がぎっしりと空っぽになる」とは、なんというフレーズであろうか。平易な日常語彙が、思いがけぬぶつかり合いをして明快なイメージを提示する。柔らかでさりげないが、深く凄みがある。

原平さんは自分の眼球カメラで観たものを言語化することの達人だ。原平さんの文章は、難解な事象を平易な言葉で表現する、というような「達人」のレベルを軽やかに超えた境地にある。常人には観ることができないものを、誰もが知っている言葉でさらっと描出し、私たちに見えるものにしてしまう。それは単なる巧みな解釈力を超えた、新しい知覚を創出するチカラのなせる技なのだと思う。

「目からうろこが落ちる」という表現があるけれど、原平さんは私たちの蒙昧な眼(まなこ)に張りついた常識を、平易な言葉のメスで引きはがしてくれる。あまりに切れ味が鋭いので、まるではがされたことに気がつかぬほどに軽やかに。

この本に出会ってすぐに、私は与那国島への旅を実現した。原平さんの著作を読むことは読書の楽しみにとどまらず、いつだって私を直接行動に駆り立てた。路上観察へ、パフォーマンスへと。ほんとに「いまやアクションあるのみ!」


その原平さんが世を去った。私にとっての「父が消えた」。で、沖縄の伊計島で観た墓地についてのこんな文章。

墓の形は亀甲墓や破風墓など本島と変わりはなかったが、ちょっと、墓の正面入口に履物と杖の置かれているのが珍しかった。草履であったり、革靴であったり。
(中略)
墓の脇に置いてあるというのは、故人がすでに故人として死んではいるのだけど、霊界では生きているわけで、だからご不自由のないようにと、たぶんそういう心づかいなのだろう。

赤瀬川原平「島の時間」

原平さんの墓の脇には中古カメラと靴が似つかわしい。霊界をあの原平さんならではの眼(まなこ)で観察して、「宇宙の御言」を賜りたいなあ。

合掌




そういえば9周年 中年とオブジェ








そういえば、今年9月でこのブログ「中年とオブジェ」9周年を迎えたのであった。毎年、9月23日という開設の日付でエントリを重ねていたのだが、今年はすっかり忘れていた。

ここのところ、美術展鑑賞や旅行がなかなかできない事情があるので、自分の写真アーカイブから画像を選んではタイトルをひねり出すという作業が中心になっているのだが、撮影した記憶も忘れていた画像に当時の心のひっかかりを蘇らせたり、改めて自分の撮った対象について調べてみたり。

今回の画像は友人宅の近く、三鷹にある跨線橋なのだが昭和4年に造られた歴史ある橋梁なのだと、撮影数年後にして知った。かの太宰治も渡ったという場所で、玉川上水もこの橋の近くなのである。

赤瀬川原平が、街の無用の長物的物件についての本、「超芸術トマソン」を出版したのは1985年。これが後に路上観察学会の生みの親のひとつとなった。その序文は次のようなフレーズで始まる。

東京に幽霊がでる。トマソンという幽霊である。

霊能者が幽霊を幻視するように都市の中に無意識の造形物を感受する能力は、一般に古ぼけた時間の堆積した場所で発揮されることが多いだろう。古い建造物の持つひずみやほころびは、人の無意識領域に作用する磁場を発生させる。

その磁場に引き寄せられるコンパスを、なるべく自在に無意識に働かせ路上を歩く。そんな散歩を続けていきたい。

椿会展2013初心




資生堂ギャラリーで「椿会展2013初心」を観た。

赤瀬川原平は「初心」にかえって、大きな千円札作品。ピンボケで撮影して大きくプリントしているので、ぼんやりと像を結ばない。克明なタッチで千円札を模写してしまった自分自身の遠い過去の残像のようであり、考古遺物の残欠のようでもあり。藤森照信設計の赤瀬川自邸「ニラハウス」に合わせ、手持ちの椅子とテーブルの表面を荒く剥いだという家具も出品されている。元祖千円札作品のぼんやりした残像と、ざっくりと自然体の現在の日常の断片である家具に、赤瀬川原平という作家の熱く若き日と、静かで泰然自若とした現在を想い、何ともいえぬ親密な気分になる。

畠山直哉は、今回は陸前高田の風景からは離れた作品。旅先のシックなホテルの部屋の断片を切り取った静かな連作。そして、まるで赤瀬川のような路上観察の作品も。路上にチョークで書かれた古今の哲学者・思想家の名前がびっしり。いったい何者が何を思って書いたのか。ユーモラスで深遠な謎に満ちた写真だ。世界の片隅に向けた畠山のまなざしに、「写真」を撮ることの面白さを改めて思う。

青木陵子の「人と動物」シリーズも、不思議にひきこまれた。鉛筆・ボールペンでかぼそく、うっすら描かれた馬や犬やリス。そしてその動物によく似た人間たち。動物と人間の境界があいまいになり、「擬動物化」された人間たちはヴァンパイヤのように両義性を帯びたもの悲しさを感じさせた。

内藤礼はやはりギャラリーではしっくりこないのだなあ。ましてやグループ展では存在感がない。彼女のそぎ落とされた、微細でかすかな世界は、そのための特別な場所でなければ魅力を顕現させない。仏像をお寺のお堂で拝観することのように、内藤礼の作品は聖域のなかで味わうことを観るものに要求する。そういえば、今回出品されている小さな「ひと」は、まるで小さな念持仏のような霊性を感じさせた。

展示は6月23日(日)まで
椿会展、今回はグループとしての求心力はさして感じられなかったが、予期せざる作品にも出会えた。
トークイベントを体調不良で欠席されたという赤瀬川原平翁のことが、心配である。





香港行ってきます





これから、香港に向かいます。イギリスからの返還後ははじめてという久しぶりの訪問。市街地の変貌や下町散策のほか、田園の中で食事できる端記茶樓や、海鮮料理の新スポット流浮山なども攻略したいところ。牛バラソバの九記も行かねば。夜はジャズバー探索でもできればと期待してます。

旧正月を控え、歳末の賑わいを見せている最中という香港。どうなることやら。

古道具、その行き先 ―坂田和實の40年―






白井晟一設計の渋谷区立松濤美術館は、どこか内閉的で胎内を思わせる有機性を帯びた建物である。ここの展示室には、日常から我々を隔絶し作品と対峙させる独特の空気が感じられる。

「古道具、その行き先」展の会場には、ひと言では名状しがたいが明らかにある種の「美術展」、しかもコンテンポラリーなものの気が支配していた。壁の古布は抽象絵画に見え、様々な残欠は現代彫刻に見え、骨董のテーブル上に配された古道具はひとつのインスタレーションをなし、紙封筒やコーヒー用ネル布がミニマルに並べられている。

私は骨董の世界には門外漢なのだが、数寄者たちはモノに対してそれ自体の価値を越えた「美」を見立てることに長けているのだろう。それはちょうど、街角に佇む無用の長物の物件を「超芸術トマソン」として愛でる路上観察者の目線と同質のものなのではないだろうか?作ることではなく見ることで表現者になってしまった赤瀬川原平のように。

美術館に展示されると、なぜかつての生活の品だったモノがたんなる美術品を越え「現代美術」のように見えるのだろうか。このことは現在多くのアートプロジェクトで行われている廃屋での現代美術の展示と相関しているにちがいない。かつて生活の場であった廃屋が、現代美術作品を展示されると「美術館」になってしまうこと。展示されるモノが古道具や古典絵画だったとしたら、廃屋は「美術館」には変容しないのだ。骨董屋の店内では、古道具が「現代美術」に変容しないように。

古道具からモノの意味を剥ぎ取り、モノに潜在する無意識に想像力をめぐらせることで成り立つ骨董の美意識。既存の「美術」の文脈からの脱却を企て、「美術」のもつ可能性の変革を試行する現代美術。古道具と美術館と現代美術をめぐり、まとまりなくループする思考。「古道具 その行き先」展は、私にはそんな印象を残す展覧会だった。

そういえば、松濤美術館の2階展示室に並ぶ大きな黒いソファの包みこまれるような座り心地のよさは、精神分析医のアイテムであるカウチソファを思わせるではないか。古道具に潜在する無意識に耳を傾けよ、とでもいうように。

※11月25日で会期終了済

トマソンの罠



「街のインテリア」




「塗り残された空間」


採集地 東京


今は無きアートスポット、佐賀町エキジビットスペース内藤礼の個展を鑑賞した帰り道。彼女のインスタレーションに感覚が刺激され、街なかの風景がみな意味ありげに見えてきた。

バス停に並んだ舞台装置のような椅子。周囲を空気に塗りつぶされ、塗り残されたかのような再開発地のビル。

超芸術トマソンは、こんな風に自身のココロが異界へ入りかけているときに、ふっと路上にその幽霊のような姿を見せる。赤瀬川原平が、前衛芸術探求の果てにたどり着いたアートの果てのアート。ココロをいつでも異界へとコントロールできるなら、もう美術館はいらないかもしれない。美術鑑賞はその術を身につける為のひとつの修行の場なんだな。

牛のようなもの

牛のようなもの

古道具屋で、骨董市で、旅先で、ネットオークションで、いろいろなオブジェと出会う。私が自分のものにしたいと感じるオブジェにはどんな基準があるのか。おぼろげだが考えてみる。

■手作り感があること
私が手に入れるのはアートコレクターの範疇にはないものなので、いわゆる一点ものはほとんど無い。それでも、作った人の手仕事が感じられるモノにひかれる傾向は強い。海外の民芸品なども、実際には量産体制で作られているのだろうが、木・焼き物・石など素材の質感とちょっといびつな品質に魅力を感じて手にすることが多い。したがって一般的なフィギュアにはあまり興味が無い。

■役に立たないこと
私の集めているものなど、ひとの目にはガラクタであり無用の長物である。本来機能美が求められる食器などでも、沖縄の壷屋焼のコーヒーカップなど、ぼてっとして目的をはみ出た「過剰性」のある器が好きだ。部屋のインテリアを引き立てるための小物の域を超えて家中に散在するオブジェたちは、役に立つお洒落さも持ち合わせていない。赤瀬川原平は、街の中の無用の長物的物件を「超芸術トマソン」と命名したが、我が家のオブジェたちも私の無意識下の欲動が顕在化した「無用の用」のために存在しているのかもしれない。

■ナンダカよくわからないこと
岡本太郎に言わせれば「何だこれは!」と了解不能な「べらぼうなもの」にこそ感動があるという。私の集めるオブジェたちにも、ひとめ見て「美しい」とか「かわいい」と感じるモノはほとんど無い。むしろ仮面や、仏像から原爆ドームのミニチュアにいたるまで「念」がこもっていて不気味な感じのするモノが多い。言葉に置き換えられないナンダカよくわからない力の存在。水木しげるはニューギニアの精霊たちのオブジェをコレクションしている。横尾忠則は涅槃像とか瀧のポストカードとかY字路の写真とか、テーマを絞り込んで集中的にコレクションをするようだ。私のオブジェの集め方は雑駁で、コレクションと呼べるような代物ではないのだが、ナンダカよくわからないことに熱がはいってしまう点は彼らに通じる感覚があるのだ。

今回紹介するオブジェ、「牛のようなもの」はこれらの条件にあてはまる奇妙な彫刻。近所のリサイクルショップで出会った。作品名も作者も不明だが、腹部には「JAPAN」と印字されている。もちろんひとめ惚れであった。
プロフィール

テツ

「中年とオブジェ」とは赤瀬川原平の名著「少年とオブジェ」へのオマージュである。美術、オブジェ収集、エリック・ドルフィーを愛好する。

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