東北のジャズ喫茶ばかりを訪ね歩く旅をしたことがある。水戸・仙台・気仙沼・釜石・大槌・陸前高田・盛岡。当時盛岡には陸前高田ジョニー盛岡店があり、マスターのジョニーさんこと照井顕さんにお会いした。

美術の話題になり、写真家の畠山直哉氏が陸前高田ジョニーに高校生の頃通いつめていたいたことを知った。ジョニーさんは本棚から畠山の写真集「Underground」を取り出した。
「写真でこんな表現ができるなんて、もう絵を描く必要が無いですよ。」
「石灰工場の写真を撮っていたら、その果てにある都市のコンクリートに結びついていったというんだ。」

東京都写真美術館で畠山直哉の個展「Natural Stories」を観て、ジョニーさんの語った言葉が思い起こされた。畠山直哉の写真の特質はその「絵画性」にあるだろう。そのことは大画面のプリントに、より如実に感じ取られる。

炭坑のボタ山、製鉄所、コークス工場、炭鉱施設、石灰採掘場などインダストリアルな主題を扱った作品が今回の展示には多いが、それらは夕暮れにたそがれたり、蒸気にかすんだり、雪をまとったり、対象物そのもののドキュメントというよりも「○○○のある風景」として絵画的に描写される。

石灰工場から都市のコンクリートの暗渠を幻視する畠山の想像力は、目の前にあるインダストリアルな対象を超えてさらにその先にある深いところへと観る者をいざなう。大自然の生み出した氷河と、人間の作った山岳の模型を等価に描写する畠山の視線は、一片の鉱物標本から自然の造形を連想するような想像力ともいえるかもしれない。「銀河鉄道の夜」の中で銀河系の模型を登場させ、晩年に東北砕石工場技師となり、石灰の販売に奔走したという宮沢賢治のことも想起させられる。

そして震災後の陸前高田の写真。自身の郷里の惨状を目の前にしながら、畠山はあくまで冷徹に対象を見つめる。情緒的なまなざしを排し、静かな構図を示し、自らがひとつの玲瓏なレンズになったかのような写真。この風景の先にこれからどんな世界が紡ぎだされていくのであろうか。


陸前高田ジョニーは津波に流され、最近仮店舗での営業を始めたとニュースで報じられた。