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2010年10月21日

給費継続の議員立法困難に

司法修習生への「給費」、継続の議員立法困難に
自民から異論続出 11月から「貸与制」へ(2010/10/20 11:23 日本経済新聞)
http://www.nikkei.com/news/category/article/g=96958A9C93819695E0E2E2E3E18DE0E2E3E2E0E2E3E29180E2E2E2E2;at=DGXZZO0195583008122009000000



きわめて残念です。
新64期の方々は、なまじ給費制維持への期待をさせる報道があっただけに、失望も大きいのではないでしょうか。

「他の資格に比べて優遇されている」など、相変わらず的外れな批判が書かれていますが、修習専念義務を課してその間に収入の道を一切断っているような資格は、法曹資格以外にありません。(他には、近いものとして医師の研修制度が挙げられるぐらいではないでしょうか。)給費制は、法曹資格者を優遇するために設けられていた制度では断じてありません。

このブログでも何度も主張してきたとおり、貸与制の下では修習専念義務を維持することは難しくなっていくことでしょう。これからは緩やかに修習制度が変質して、将来的には任意制・選択制といったものに変わっていく可能性が高いと思われます。あるいは、修習自体が廃止され、現行の弁護士資格認定制度のようなものに変更されるかもしれません。
「貸与制への移行は、修習制度、ひいては法曹養成の根幹にかかわる問題である」という危機意識を国会に浸透できなかったことに対して、私は敗北感にも似た空しさを感じています。この「政治的敗北」の原因には、日弁連にも責任の一端があると私は考えます。

裕福な人しか法律家になれない、という主張を日弁連は全面に押し出したわけですが、たしかにそれはそのとおりではあるんですが、問題の本質はそういうことではなかった(!)のです。
裕福な人しか法律家になれないことが問題であるなら、ロースクールの学費負担のほうが、はるかに問題なんですから。
そうではなくて、これは国にとって法曹養成の在り方の問題なんだと。どこまで国が法曹養成に責任を持って取り組むべき問題なのかと。そういう王道の問題提起を、日弁連はすべきだったんじゃないでしょうか。

それにもかかわらず、「裕福な人しか法律家になれない」と言ってしまったがために、世間にはこれが日弁連による既得権の維持の主張だと映ってしまったのでしょう。
本当は弁護士の既得権でも何でもありませんよ。給費制が維持されたからと言って、弁護士には何もメリットはないのです。私をはじめとして、給費制維持を訴えている弁護士は、自分の既得権のために言っているのではなく、これが結果的に国民のためにならないことだから言っているのです。法律家の養成のために修習制度は絶対に必要なものであって、これを維持するためには給費制が不可欠だと考えているんですよ。

これはもう、取り返しのつかない失敗であったと思います。もはや後戻りのできない坂道を転がり出してしまったかもしれません。あとは奈落の底へ落ちていくのみでしょう。私は新しい法曹養成制度に絶望しか感じません。

schulze at 22:20│Comments(3) 司法修習 | 司法制度

この記事へのコメント

1. Posted by 草食系ホークスファン   2010年10月22日 00:11
schulzeさん。こんにちわ。いつもブログを読ませていただいており、大変勉強になります。さて、貸与制の問題の本質は、国家が責任を持って法曹養成を担うことを放棄することだと思います。では、何故国が法曹養成を担うべきかが問題となります。そもそも民主主義は万能ではなくて、少数者の権利侵害を犠牲にすることもしばしば起こりえます。そのときに、個人の人権を守る人を担う人が必要です。個人の人権を守る人材を育成しないというのは、国家のために人権侵害を正当化する独裁国家とやっていることが変わらないですよね。ポピュリズム化した民主主義国家日本では、短絡的な判断のもと人権侵害が正当化されやすい状況にあります。そんなときこそ民主主義から少数者の権利を守るために法曹を要請する必要があって、国家がそれを担わない国はもはや文明国とはいえないわけなんです。駄文失礼しました。
2. Posted by kosz   2010年10月22日 07:49
初めまして。先日メールでご挨拶させていただいたものです。

僕はその医療の世界にいるわけですが、医師の研修制度が義務化され、しっかりと収入が保証されるようになった背景には、国民の「プライマリケアをしっかりできるような医師を養成して欲しい」という希望があったわけです。果たして研修制度が軌道に乗っているかどうか…というところの議論も本来はあるべきですが、自分たちの生活、特に健康にかかわる問題については、マスコミ含め、お金が多少かかっても国民から異論はあまり出ないんですよね。素人には自分の健康を守ってもらいたくない、と思っているでしょうし。

一方でこの法曹に関する問題は、僕は裁判員制度や検察審議会の問題も含めて、素人が人を裁くということの問題に、あまり言及されておらずとても違和感を覚えます。健康な人であっても、法律で間違った判断をされてしまえば一生を台無しにされる可能性があります。病気に例えて極端なことを言えば、医師の診断を素人が多数決で変えられるようなものです。

ちょっと話がそれましたが、他人の人生を左右できてしまう、そういった非常に重要な仕事をするためには、他の仕事と比べて優遇…ではなく、より研修に専念し、国民に貢献してもらわなければいけないという大きな理念のもと、お金が支払われていると解釈すべきです。

確かに絶望的な状況ですが、Schulzeさんのようにこうやって情報発信し、国民に少しでも問題提起することはとても大事だと思いますので、これからも頑張ってください。応援しています。
3. Posted by schulze   2010年10月23日 17:49
kosz様、コメントをいただきありがとうございます。
国民からすると、病院にお世話にならない人はいないので、医師の仕事に対するイメージが沸きやすいと思うのですね。医師の質が自分たちの身に関わってくる問題だとも認識しやすい。だから「国が医師の養成に責任を持つべき」という主張は納得されやすいし、医師の養成に税金が使われることも許容されやすい。
それに対して、法律家というのは一般の国民にどうしてもイメージがしにくい。弁護士に相談したことがない人は山のようにいますし、どういう仕事をしているのも分からない。だから自分たちの自由や財産・権利に関わる問題という意識が出てこないのだと思います。「国が責任を持って法律家を養成しなければならない」と言っても、理解できない人はたくさんいると思います。そうであるなら、なおさら日弁連が世論に問題点を訴えないといけなかったんだと思いますが、それが出来なかった。本当に情けなく悔しい思いがしますが、私が心底疑問に思うのは、マスコミがこの問題に気付いていないことです。これは本当に謎なことで、不思議で仕方がないです。貸与制の問題に限らず、ロー制度や裁判員制度を含めて、一連の司法制度改革にはあまりに問題が多すぎる。それらに目をつぶって、マスコミが司法制度改革路線を支持する限り、遠くない将来に主張の撤回と反省を迫られる日が必ずや来るはずだと私は信じています。

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