cancer_epigenetics前編からの続き)というわけで、前置きが随分と長くなってしまいましたが、後天的なエピジェネティック変異が遺伝するメカニズムを明らかにするというのが、いかに重要なことなのか、うまくお伝えできたでしょうか?で今回、理研基幹研究所・石井分子遺伝学研究室の成 耆鉉(ソン キヒョン)協力研究員と石井俊輔主任研究員らは、『Cell6月号に掲載された論文の中で、その遺伝メカニズムの一端を明らかにしたのです。その詳細は、ここでは詳しく述べませんが、ご興味のある方は、私がメディカル・トリビューン誌に寄稿したこちらの記事をご覧ください。ただ、残念ながら閲覧には登録が必要で、さらに医療従事者しか登録できないようです。でもご安心を。ここから、簡単にその内容をご紹介します。

ソン氏らは、エピジェネティック変異が起こると眼の色が赤く変化する、通常は白眼のショウジョウバエを用いて、エピジェネティック変異を検出しやすく工夫しました。そのハエに対して、受精卵の時に通常の飼育温度よりも10℃以上高い、37℃という高温ストレスを与えると、エピジェネティック変異が誘導され、成長したハエの眼が赤く変化します。ここでソン氏らは、dATF-2と呼ばれるタンパク質が、このエピジェネティック変異の誘導に重要な役割は果たしていることを突き止めました。

つまり、高温ストレスのない通常状態でdATF-2は、眼の色を制御している遺伝子に巻きついているヒストンタンパク質からなる構造(クロマチン構造)を堅く維持し、その遺伝子の活性を抑制しているのですが、高温ストレスによりdATF-2がリン酸化されると、そこからはずれ、その結果、クロマチン構造がゆるみ、眼の色の遺伝子が活性化するというメカニズムを明らかにしたのです。ただしこれは、エピジェネティック変異が生じるメカニズムであって、それが遺伝するメカニズムではありません。

次にソン氏らは、高温ストレスを与えたハエを、高温ストレスを与えなかったハエと交尾させ、生まれた子バエの眼の色を観察しました。すると、子バエには高温ストレスを与えていなかったにも関わらず、赤い眼の色の個体、すなわちエピジェネティック変異が、高温ストレスを与えていない両親から生まれた対照群の子バエよりわずかに多く(1.2-1.3倍)、しかし統計的には有意に生じていました。

さらに同様のことが、高温ストレスの代わりに、浸透圧ストレスを与えたときも生じることが確かめられました。また、1世代限りより、長い世代に渡って継続的に高温ストレスを与えた方が、その後高温ストレスを与えなくても、変異が継承される世代数は長くなりました。高温ストレスによって誘導された後天的エピジェネティック変異は確かに遺伝したのです。

ではその遺伝のメカニズムは何なのでしょうか。ソン氏らがその解明のために行った実験はこうです。dATF-2タンパク質を通常の半分の量しか作れないハエでは、眼の色を制御している遺伝子の活性を完全に抑制できないため、高温ストレスを与えなくても、エピジェネティック変異が起こります。ところが、掛け合わせて生まれた子バエのdATF-2タンパク質量は正常だったにもかかわらず、親のエピジェネティック変異を受け継いでいたのです。

つまり、親の世代でdATF-2タンパク質がはずれることによって生じたエピジェネティック変異は、子供の世代でたとえ正常量のdATF-2タンパク質があっても、元に戻らず変異したままであることがわかったのです。一度はずれたら戻らない、これがエピジェネティック変異の遺伝するメカニズムのようなのですが、どうして一度はずれたdATF-2タンパク質が元に戻らないのか、その詳細は今後の研究により明らかにされることでしょう。

さらに遺伝のメカニズムを示唆する興味深い結果が得られました。高温ストレスを与えられたハエと与えられなかったハエを掛け合わせて生まれた子バエの中には、眼の色を制御する遺伝子が乗っている染色体(正確にはX染色体)を、高温ストレスを与えられなかった親から受け継いでいる、つまりdATF-2ははずれていないにも関わらず、エピジェネティック変異を示すものがいたのです。これは、高温ストレスを与えられた親から受け継いだ別の染色体によって、高温ストレスを与えられなかった親から受け継いだ染色体に対し、エピジェネティック変異が誘導されたことを示唆しています。

先の結果と合わせて考えると、一度はずれたdATF-2タンパク質を元に戻させない何らかのメカニズムは、dATF-2タンパク質がはずれた染色体とは別の染色体により制御され、これまで一度もdATF-2タンパク質がはずれたことのなかった染色体にも積極的に働きかけて、dATF-2タンパク質をはずしているということになります。う〜ん。ちょっと複雑すぎて手に負えなくなってきたのでこの辺で止めておきましょう。

最後に、ここでひとつお断りしておかなくてはならないことがあります。先に体細胞に生じた後天的エピジェネティック変異が遺伝するメカニズムは想定しがたいと書きましたが、今回の研究では、眼の細胞という体細胞に生じた後天的エピジェネティック変異が、同時に生殖細胞でも起こっていることが確かめられていたのです。受精卵の時に与えられた高温ストレスの影響は、将来的な生殖細胞を含む身体全体に及んでいたのですが、眼の細胞でしかその効果を見ることができなかったというわけです。

したがって、今回の後天的エピジェネティック変異は、厳密に言うと体細胞ではなく、生殖細胞に生じた後天的エピジェネティック変異の遺伝をみていたことになるわけです。今後、厳密に体細胞にだけ生じた後天的エピジェネティック変異の遺伝とそのメカニズムが明らかになれば、生物学界で長らく論争となっていた獲得形質の遺伝が、後天的エピジェネティック変異の遺伝によって証明される日が来るかもしれません。