1945年 に広島と長崎に投下された原子爆弾は、被爆放射線量と健康リスクに関する、世界的に類を見ない膨大な疫学データを提供しました。その結果、放射線量と健康 リスクは直線的に比例し、健康リスクがゼロになる放射線量の閾値は存在しないというのがこれまでの通説になっていました。ところが、独ヘルムホルツ環境保 健研究センターのTeresa Neumaier氏らは、全米科学アカデミー紀要1月10日号(PNAS, 109:443-448, 2012) の中で、その通説を覆す結果が得られたと発表しました。低線量と高線量で放射線に対する細胞の応答が異なることを発見したというのです。福島原発の事故以来、低レベル放射線による健康リスクに人々の関心が集まっている今、低線量放射線によってもたらされる健康リスクを再評価するいい時期なのかもしれません。
放射線は移動するエネルギー粒子として働きます。細胞の核1個当たり1個の粒子が通過する放射線量がおよそ1ミリグレイと言われています。この数値に、放射線の種類によって異なる放射線荷重係数と細胞の種類によって異なる組織加重係数を掛け合わせ、生物に対するダメージを加味した単位がシーベルトです。例えば、放射線の種類を放射線荷重係数が1のX線やガンマー線として、組織加重係数を全身である1とすると、1ミリグレイ=1ミリシーベルトとなります。
放射線に害があるといわれるのは、それが細胞の核を通り抜けたときに、DNAの2本鎖を切断(DSB)するからです。このDNAへのダメージは、放射線量に比例するため、高線量になるほど細胞分裂に異常を起こし、細胞分裂を止めたり、あるいは分裂を制御できないガン化を誘導したりして、被爆者の健康リスクを増大させます。一方、DSBを受けると、数秒から数分のうちに、それを修復するタンパク質がDNAの損傷箇所に集まり、放射線誘導フォーカス(RIF)を形成します。この形成も放射線量に比例することから、DSBを評価する良い基準として用いられてきました。
しかし、最近になってDSBとRIFの間の相関に疑問を呈する結果がいくつか報告されるようになりました。Neumaier氏らは、この問題を解明するために、RIFの形成から消滅までをリアルタイムで観察できる手法を開発し、放射線量とRIF形成の動力学的解析を行ったのでした。その結果、世界で初めて、複数のDSBが集まってひとつのRIFにより修復されることを見出し、DSBとRIFの比率が実験条件によって変りうることを明らかにしました。
中でも重要な発見は、放射線量によってDSBとRIFの比率が変化するというものでした。例えば、高線量(2グレイ)のときのRIFの形成数が1グレイ当たり15個だったのに対し、低線量(0.1グレイ)のときは、1グレイ当たり64個も形成されたというのです。つまり、放射線量が高いときには、多くのDSBがまとめられ、少ないRIFで修復されるのに対し、線量が低くなると、逆に多くのRIFが出現し、こまめにDNAの修復を行っているように見えるのです。DNAの物理的損傷は線量に比例しても、それに対する生物的な修復応答能力は単純に線量に比例しないことが示唆されたというわけです。
この結果が、直ちに低線量での修復効率の増加、あるいは健康リスクの低下と判断するのは早計との専門家の意見(PNAS, 109:351-352, 2012)もありますが、低線量被爆時に細胞の中で何が起こっているのか、今後より詳細に評価される必要があることは確かなようです。
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