東十条無頼

東十条の夜を彷徨い続けるオトコ独り、その妄想ロンド

2013年04月

フジヤ/捻って咲いて4

<H25.4.26 日本橋室町>
中央通りと昭和通りに挟まれた路地を南下していた。
蒼天。夕方から荒れ模様になるらしいが、今はまだ爽やかな風が、道往く女性のスカートの裾に、軽やかながら深いヴィブラートをかけていた。

神田から日本橋へと、突如表情を豹変させた街並み。好天の下に戸を開け放ち、手持ち無沙汰で物欲しそうに客待ちしているような、そんな表情のこじんまりと草臥れ果てた店が、同じく草臥れ果てた男独りを、まるで慰めるかのように呑み込んだ

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「インドカレー フジヤ」

私は人種差別主義者ではないが、インドカレーと名乗った店の敷居を跨いでインド人、もしくはそれに準ずる外国人の姿がなかったことは昨今、逆に希少であって、何かそこはかとなくほっとした。
何もかもがアンバーに染まった熟成の店内。潔くカウンター席だけに絞り込まれた空間。入り口と共にカウンターの向こう、厨房の戸も開放させて店内の空気を爽やかに循環させ、店の雰囲気と相まって、ともすれば淀みがちになりそうな空気を巧みに交換させていたが、寒暖厳しい季節に、果たしてこの手は使えるのであろうか。

などとまたしても余計な心配を……

ランチはシンプルなA、少々リッチなBの二系統、それぞれ数種のカレーから選択する形としているようである。連夜の酒に萎れた躯が汁物を要求したが、豆スープの“豆”という言葉に何故か前進力を削がれて、シンプルにスープの付かないAでいくことに決めた

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“Aランチ キーマ” @800也。
ライス・サラダ付き

ルーがたっぷり目で、先ず心が満たされた。
色合い、ルーの緩さ(固さ)具合も好みの通り。珍しく、福神漬けやらっきょ、または玉葱の赤いやつ(正式名を私は知らない)が見あたらなかったので、一抹の物足りなさを抱えていたが、スパイシィ、且つこういった言い方が正しいものかどうかは知らないが、適度な“カレー感”を纏って飽きを感じさせ難いものであったので、軽快に食べ進むことが出来た。

最初、サラダとご飯の境界が隔てられていないことに、少なからず違和感を覚えた。フレンチドレッシングの白米への浸透がもたらす影響について、しかしそれは皆無とは言えないまでも、マイルドさとパンチ力の共存するこのカレーの前では、ネガ部分も最小限にマスキングされていたような気がしないでもない

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30°ほどであろうか。
口先を柄の延長上のストレートとせず、かなりこちら側に向けてオフセットされたスプーンに、非常に興味をそそられた。ユリ・ゲラーにでもディザインさせたものであろうか。協調するように、フォークの歯の入れ方も独特な美しいもので、一等地の中にひっそりと咲いた庶民の空間に、アクセントとして一点の華を添えていた。

この見たまんまの、ある意味捻ねた美学は、フランス流でもイギリス流でも、まして小笠原流でもないのだろうなと、私の中の何者かが直感したが、その正体は掴めぬままである……

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三好弥/不協和音のLOUDNESS2

中央通りを銀座方面に南下していた。
バックミラーに映りこむ空はそれでもまだ明るさを保っていたが、目の前の空は、白い絵の具に墨汁を垂らしたように、濃淡が強調された低い雲が流れていた。

とうとうフロントウィンドゥにか細い雨粒が舞ってきたが、ワイパーのスウィッチを入れることは、未だ何となく憚られた……

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<H25.4.24 pm1:00 新富町>
「街の洋食屋さん 三好弥」

錦糸町の同じ屋号の店<http://blog.livedoor.jp/scotch_fishman/archives/53917671.html>は、質実剛健のがっつり&濃い味レストランであった。まあ、蕎麦屋でも、例えば“藪”の名を語る店がすべて同じ方向を向いているとは、間違っても了解していない私であるので、ここでもニュートラルな気持ちを以て、各々の個性を尊重しようという精神の構えである。

小さな店だった。
プッシュ式の自動ドアの内側、重なるように下げられた厚手のビニールシートに行く手を阻まれるが、構わず突破する。五席ほどのカウンターに一人、テーブル席側に二人連れがそれぞれ着いており、私もカウンター側に着いた。斜め上方、テレヴィジョンから上沼恵美子司会の料理番組が流れて落ちて、壁と向き合う形となるカウンターながら、それほどの圧迫感はなかった。

――それにしても上沼恵美子って、いったい幾つになんだろ。相当昔からやってるような気がすんだけど、この番組……

目の前にあった品書きに目を通したが、文字の羅列だけで、どうもイメイジが沸いてこない。諸々コンビネイションされた弁当の類が、単品もののメニュウより、字面だけをとってみると、かなり割安な気がする

「この弁当というのは、持ち帰りだけですか?」

お母さんに訪ねたら店内のメニュウだというので、それを注文することにした

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“サービス弁当” @800也。
ハンバーグ'(目玉焼き付)・カニクリームコロッケ・帆立フライ

味噌汁が付き、箸でいただく洋食。
それぞれがよくいえば可愛らしく、悪くいえば貧相と感じさせる大きさ、というか小ささ。帆立フライは特に身が痩せている気がしたが、ハンバーグ含め、味付けは悪くないと思った。
また、小さなハンバーグをフルカヴァーする目玉焼きであるが火の通り方が絶妙で、ハンバーグと上手く相乗していた。黄身があまりにもトロトロだと、ドミソースを薄めるだけになってしまうし、完全に火を通してしまえば、その時点でハンバーグにマウントさせる意味は無くなるだろう。その意味で、この目玉焼きの仕上がりは適切なものだと思った

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二人連れが食事を終えて席を立った。
私の横の男性客は、食事を終えて、世間が昼休みを終えて午後一からフル稼働に加速しきったあたりのこの時間、平和に競馬新聞を読み耽っていた。私も同様に、食事の間だけでもゆったりとした時間を享受したかったところだが、どうも厨房が“ノイズィ”なのが気になった。
包丁を叩いたり鍋を振るったり、また洗いもの等、そんな活気溢れる厨房からの“サウンド”は当たり前のことだが、どうも私に今降りかかっている音の正体は、サウンドというよりノイズの領域に位置し、まったく“リズム”の感じ取れぬヒステリックなものであった。

おわかりであろう。
従業員同士(親子風だが)の良好でない関係が、その“音楽”に悪影響を与えているようである。
仮にハードロックにおいては、メンバー同士の不仲ということは時として作品にスリルや緊張感を与え、結果的に不朽の名盤となる例が多々あるが、こと飲食店においては、やはり客商売、皆仲良くやってもらった方がよろしいかなと……

まあ、大きなお世話だが……

それにしても、或る意味異様な状況をまるで意に介さず、ゆったりと競馬新聞に耽る隣の男性客の生き様が、何ともいえず神々しかった

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味乃一番/レッドベルベット2

まずおっぱい、ミニスカート姿であれば脚、そして躯全体、それから顔を、下手すれば見ず終い、どうも自分はそんなプライオリティで、道往く女性に視線を這わしているのだということを、突如自覚させられた。

目移りしながら自動車を運転するのは、危険である。
依って、路上パーキングに即座に車を停めた。兎も角、性欲か食欲、今すぐにそのどちらかを満たさなければならない

<H25.4.23 日本橋馬喰町>
穏やかに晴れ渡った空の下を泳いだ。
スカート姿で自転車を漕ぐ女性達が、私とすれ違う度、太股にある布切れの裾に手をやった。まさかパンツが見えるのを防御しているのであろうか。

それほどまでに、“見ている”ということを“見られている”ものなのか……

「一番」
店内に足を踏み込むなり、「二階席へどうぞ!!」 と促された。その言葉に従って、途中で口を開けた二階フロアへ飛び込んだが、階段はその先まで一直線、更に三階まで駆け上っているようだ。奥にカウンターが見えたが、通り側の明るいほうで、どこでもお好きなところへと誘われた。席について間髪を入れず、卓上の品書きの一番上のものを注文した。商品カタログでもなんでも、一番お奨めのものを一番上位に持ってくるというのは、これは商売の常套であるからだ。

と、ここまでは非常に軽快なテンポであった

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“麻婆豆腐・辛口” @800也。

「辛いですけど、いいですか? 山椒が利いていて……」

麻婆豆腐を注文したら、辛いが大丈夫かと念押しされた。そんなこと言われても、こちらの辛さの基準が分からない。もし辛さにも絶対音感で示せるような、CDE~(ドレミ)のような絶対値が設定されていたとしたならまだ……

――いや、それでも分かんねぇだろうな。まず絶対音感もね~やつが、“絶対味覚”なんか持てるわけね~もん。味覚のほうが更に複雑怪奇、いろんな要素絡まってるし。音なんか所詮、12音しかないんだから、よほど前衛的なやつ以外……

“辛過ぎてまともな人間には絶対に食べることが不可能ですが、いいですか?”
そこまで言われたのならあきらめて注文を変更したかも知れないが、そんな言い方でもなかったので、心の中で武士に二言無しと格好をつけて、それでいくと頷いた。

先ず黒いおひつに入った大盛りのご飯が差し出され、心の中に暗雲が立ちこめた。が、ほどなくしてやってきた麻婆豆腐は、心配した“大皿料理”というほどのものでもなく、残る不安は辛さのみとなり、別に用意される茶碗にご飯をよそって、恐る恐るその茶褐色を口に運んだ。
豆腐はほぼ崩れ果て、片栗粉が強めに利いてねっちょり。私の好みの、さらりと鮮烈なロッソとは別路線のもの。山椒の痺れは確実に伴うが、食べれないほどではなかった。

また、補足だがスープが非常に濃厚、且つ旨みを伴ったものだと思う。と思う、というのは、舌が痺れてニュートラルな評価が不可能であったからだ

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そんなこんな麻婆豆腐と格闘中、女子二人連れが私の目の前に着いた。
内一人の胸元が、大きく大気解放されていた。自分自身に課した標準作業に基づき、先ず胸を見て、そして脚を見て、それから顔を見た。顔を見たら、自分の中の何者かが、少しだけ後悔した。二人は揃って煙草に火をつけた。内一人に、私と同じ容量のおひつが出された。一人は麺系である。二人とも、喰らうということにつき、自信満々そうだった。

気付けばテンポが落ちていた。
私はさりげなく、静かに自分の額の汗を拭った。目の前で、女子が煙草をふかしながら脚をくんで太股あらわ、その状態を維持しつつ、獣のように飯を喰らっていた。何か途轍もなく屈折した、まるでデヴィット・リンチの映画を見ているような気分に陥ったが、その気分は同時に私自身の、自分からの逃避行動でもあった。

――もしかしたら俺、これ全部喰えないかも知んない……

辛さは兎も角、量的にも……

女子達が、目の前の大盛り料理を余裕で消化していく光景が、ひどく遠くの景色に思えた。汗が薄い頭のてっぺんからも吹き出しはじめ、本来空冷の筈の私が水冷、リキッド・クールドに進化しはじめた。

“俺たちは進化しているのかも知れない……”

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「このまま帰ったら俺の負けになる!!」

私の人生の中で交錯したある漢の、大根役者ながらも捨て身で放った一世一代の名科白だけが、満身創痍の私を支えていた。人類はどこから来て、そしてどこへ行くのか。そんなリドリー・スコットのようなことを考えながら食べ進んだ。

「ご飯お代わり如何ですか?」

限りなく悪い冗談が頭上から降り注いだが、丁重にお断りした。意識朦朧とする中、ふと、麻婆豆腐の色に変化が顕れ、マゼンタが強調されて鮮明な赤味を帯びてきた。自分が養老孟司のいう、臨死状態の人が“お花畑”を見ている時に近い脳波の状態となっていることを、人生で初めて体感した。

人類がどこから来てどこへ向かうのか、ということと平行して、この麻婆豆腐が、辛い、というか痺れることは分かったが、果たして美味いのか? ということを延々考え続けていたが、まあ、結論的にまともな店の中での中の下、かな……?

お前ここまで引っ張っといて……

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愚か者、霞んで揺れて……

「充電器は、今度はこちらでないと使えませんので。ポイントから引いておきますね♪」

よく分からなかったので、そこでは頷くしかなかった……

<挿入画:池袋~飯田橋遊泳>

<H25.4.21 池袋>
ビッグカメラに携帯電話のストラップを物色しにやってきたが、一昔前のようにフロアの多くの面積を席巻するほどの勢いでは取り揃えていないようだ。というか、首から吊すタイプ以外、ほとんど置いていない。
あきらめて売場を去ろうとすると、従来の充電器をスマートフォンに応用することの出来るアダプターを見つけた。

――やっぱりな……

先日携帯電話をスマートフォンに買い換えたとき、担当となった若い女の子がこれでないと使えないからと差し出してきた充電器を、千数百円だして新規購入しまったが、僅か五百円ほどでそんなものが用意されていたのである。

――あんな可愛い娘が人を騙すなんて……

また少し人間不信を深めつつ、職場用に使えるなと、こちらもひとつ入手した

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東急ハンズでパンチラか胸チラでも拝もうと意気揚々と移動してきたが、四月も後半にして如何せん気温が低過ぎ、日頃肌を出すしか脳のないノーテンホワイラー(久しぶりに聞いたな、ノーテンホワイラーって言葉……)の女子達も、さすがに今日は露出を押さえているようである。

そしてここでもまた、携帯のストラップを見つけることは出来なかった。昔は塗料やら接着剤やら木材やら、工具やら筆記具やら靴クリームやら、諸々物色し、フロアを見て回るだけでもワクワクしたものだが、エスカレータを再び上りかけて何か気分が乗らず、そのまま地上に下りた。

兎も角人が多すぎるのもあったが、最近自分の中から、何か知的好奇心のようなものが削がれつつある気もする。もしそうであれば、それは由々しき問題であるが

2013-04-21-003
ふと、忘れかけていた昔の営業コースを歩いてみる気になった。
サンシャインの裏の区画整理された辺りから、一方通行で斜めに春日通りに接近していく小路を順方向に往った。数カ所の更地をくぐり抜けて、昔の客先の変わらぬ建屋をみつけて瞬間、幾ばくか安堵したのも束の間、どうやらこの辺りまで区画整理の波が押し寄せているのか、それとも勝手に朽ちつつあるのか、馴染みの社屋にも建て替え予定の看板が……

やがて小路は対向二車線の通りへと、少々の格上げを経て不忍通りへとぶつかり、オフセットされるように春日通りへと侵入。お茶の水女子大を越えたところで再び一方通行の小路を遡行した。

滞りは一切なかった。滞っているのは、常に私の人生だけだ……

2013-04-21-039
坂を上って下りた。
当時、私が駆っていた富士重工製の四気筒エンジンを搭載した軽快な軽自動車は、この坂道を蝶のように上り蜂のように下ったが、ショートストローク(その実、短足ということだが)ながらも鈍重なレスポンスしか持たぬ自身の脚力という不安定なパワーソースに拠って、じれったい行程を余儀なくされている。

坂を下りきったところの信号を越え、外堀通りに出る前に、またしても小路を左折。
細いほう細いほう、蕎麦じゃないんだから……

2013-04-21-041
「マッハ」

娘さんが美人だったかどうかの記憶が無い。
電話の受け答えでお父さんより愛想がいいことは明確に記憶に残っているが、このお父さんより無愛想というのも見たことも聞いたこともないので、案外普通だっただけなのかも知れない。

タイヤを安価で入れ替えてくれる店はいろいろあるが、シャフト駆動という特殊性を持った私のモーターサイクルの、“リヤ”タイヤを入れ替えてくれるという意味において、こちらの店は希少である。

その昔、現在では到底放送出来ないであろうが、なんとかスペシャルと銘打った番組で「ワニ対サメ」というのを見たことがある。御存じのとおり、ワニは淡水に住み、サメは海水魚である。例外もあるかも知れないが、その番組でもってきたのは紛れもなく、そんな普通の種類のものだったと記憶している。要は、そこそこ釣り合いのとれる大きさのワニとサメを川と海でとっ捕まえてきて、それを磯の、タイドプールではないが、石を積んで区切ったプールの中で戦わせる訳だが、沖で釣ってきたサメを遠々引き擦ってきてもはや這々の体、川で捕まえてきたワニは海水でグロッキー。もはや戦意喪失の彼らを無理矢理ダイバーが鼻っつら突き合わさせて、それでも戦わない。

結局番組の巧みな“演出”により、ワニの腕がもげたりサメのヒレがもげたりするのだが……
聞くも涙、語るも涙の話になってきたので、もうやめよう。私が言いたかったことは、この「マッハ」のお父さんと、東十条の焼きトン屋、「埼玉屋」のマスターをどっか無人島でもどこでも連れてって、共倒れになるまで闘わせてみたら面白いかなと、ふと思っただけである。
そうすれば少しだけ、地球が平和になる気がする。

――絶対夜道で背中から刺されんな、俺……
でも“報道”には常に危険が伴うもんだから、これは仕方がない。朝日新聞並の客観報道だからな……

2013-04-21-043
外堀通りに出た(と思ったら目白通りって書いてあんじゃん)。
昨日から今日午前中までの雨で、神田川は醜く濁っていた。おもむろに精霊流しが華やかに、はじまった

――だからかぐや姫とグレープ一緒にすんじゃねぇっつ~の……

約束通りにあなたの嫌いな 部長と一緒に流しましょ
そして田中の 尻のあとを 憑いていきましょ

――かなり酔ってきた…… 誰に見られても恥ずかしくないくらい。いや、その状態を世の中では、恥ずかしいというのかも知れないが……

2013-04-21-045
「荒井貿易」

エレクトリック・ギターという、人類史上においてまだまだ歴史の浅い弦楽器があるが、実は諸々の各ブランドが、“メイカー”という言葉に到底値しないということは、一般には案外知られていない事実であろう。

分かり易く言うと自動車であればトヨタならトヨタ、日産なら日産の工場が存在し、それを各々のディーラが販売している。突き詰めれば昔から、それも随分と怪しいものであるのかも知れないが、それでもまだ、ということである。
しかしことエレキ・ギターといえば、例えばフェルナンデスという“メーカ工場”は存在しないし、グレコという“メーカ工場”も存在しない。工場を持っているメイジャーな国内エレクトリック・ギターブランドは、細かなところを除いて私の知る限り、“ヤマハ”と“トーカイ”だけである。

トーカイ、東海楽器製造は御存じのとおり、ギブソンとの訴訟問題、及びアルミボディ採用の前衛ディザインを持つ“タルボ”の失敗(後に人気バンド“GLAY”のギタリストの使用により、図らずも再び表舞台に引き擦り出されることになる)に拠って……

――収拾が付かねぇな、ここから先に踏み込むと……

“Aria Pro Ⅱ”

アリアは当時の社長の荒井さんの語感から。プロは、プロ使用にも耐える品質の高いギターを目指した、ということであろうか。それは分かる。分からないのが、“Ⅱ”である……

2013-04-21-050
飯田橋にたどり着いて旅の終わり、最後に何かクライマックスを与えなければならないと思ったのは私の傲慢、はたまたエクスキューズか。
何れにしても、蕎麦くらい喰ってもいいはずだ。私にはその“権利”がある。艦長には船と運命を共にする“権利”があるように。そう自分に言い聞かせ、立ち喰い以外の暖簾を探したら、それはすぐ目の前にあった

「神田尾張屋 飯田橋店」

午後五時。
親子、といっても私より年上の男性とお婆ちゃんの後ろの卓、窓際の席に陣取った。
最後まで分厚い雲のとれぬ日曜、しかしまだその光量落ちぬ中、息子さんのほうは早くも芋焼酎をやりはじめているようだ。

そのほのぼのとした姿をみて、いつか自分も小さくなった母親を連れて二人、こんな静かな夕方に佇むのかと物思いに耽ったが、なんとしてもそんな自分の姿が思い浮かばない。
独り勝手に気恥ずかしくなって、要もないのに品書きを手にとりその動揺を誤魔化そうとしたら、意外に酒の肴が充実しているようだ。息子さんの背中越し、芋焼酎の銘柄を読みとったが、ウィスキィ党の私にはよく分からなかった

2013-04-21-051
“ざるそば” @600也。

“尾張屋”のざるそば特有の、手でちぎった大判のスクエア気味の海苔ではなかった。が、蕎麦そのものの素性は、明らかに“神田”尾張屋を凌駕していると思う。
まあこの辺り、こと日本蕎麦を一度切りの訪問で結論付けることの危うさを、私は了解する者であるが……

兎も角、通常の東京蕎麦の唸る“細身”を具現化する、そんな“大人”の蕎麦を水切りながら、まるで子供のように弄ぶ夕方。お婆ちゃんに鍋焼きうどんが出された。その幾ばくかは息子さんの肴になるのか

2013-04-21-011
おもむろに汁を湯で割った。
私の画の中で、母と子が、遠く湯気に霞んだ

じゅらく 浅草店/お子様の流儀3

曇天の下。
少し冷えてきた風に吹かれ、唯独りさすらった。
いつもどおり、精神に幾ばくかの支障をきたした男を、ほったらかしつつその一方、何も言わずに許容してくれるこの街の優しさが身に沁みた

<H25.4.19 浅草>
地道な活動を継続し続けて、さすがに新規のドラマを見つけるのに苦労する状況となってきた。アーケードの下で途方に暮れて、いつも自動的に素通りしていたファミリーレストランに、今日は何故か目がいった

“東京名物”という、本来ひどく胡散臭さを纏う筈のキーワードも、この街では何故か悪意が削がれてほのぼのと、何故か親しみさえ湧いてくるから不思議だ……

2013-04-19-030
「レストランじゅらく 浅草店」

看板に“総本店直営”と謳ってあったが、この“じゅらく”というフーズチェーンの経営体系を、私は知らない。大昔、高校の頃の同級生から、今度是非会おうとしつこく懇願され、特に仲良くもなかったのに今更何をと、しかし余りの情熱的な態度に根負けし、のこのこと出掛けていったのが、上野のじゅらく(聚楽台)だった。

半信半疑で再会してみれば、当時のトレンド、結局教科書通りの新興宗教の勧誘であったのだが、しかしこのことはうぶだった私の芯を非常に憤らせ、同時にひどく寂しくさせた……

まあ要は、じゅらくという店は宗教の勧誘活動場所にも選定出来るくらいに間口広き店だったということが言いたかっただけである。足を踏み入れて、この界隈の飲食店としてはかなり広大なフロア。地に足のついた壮年男性の給仕の方の洗練された誘導に、安心しきって四人掛けの卓を一人、独占させて頂いた

2013-04-19-026
お得な平日限定/お昼のお品書き
“ミックスセット” @880也。
(ハンバーグ・メンチカツ・海老フライ)

和洋折衷、他のお勧めランチと同価格で“天重とそばセット”なるものもラインナップしていたが、まさかこんなところでそれをやるわけにもいかないだろう。例に依って得意の“お子様ランチ”的メニュウを、恥も外聞もなく注文した。
漂う独特のフルーティーな酸味は、これはBull Dogのとんかつ用有機ソースと銘打たれた、卓備え付けの見たことがないソースに拠るものか。奇を衒うところのどこにも見あたらない、悪く言えば平凡、良く言って安心感のあるランチを、浅草のど真ん中にて呼吸した

2013-04-19-031
目の前の卓にカップルがあって、向かってこちら側に着いていた男性がお手洗いに立ったのか、私の視界に突如、淡いイエローのスカートから伸びた、すらりとした膝下が炸裂した。衰えた視力をカヴァしようと、ほとんど怨念に近い気合いを込めた視線を這わせたが、それをもってしてもパンツが見える確率は絶望的に低いと、即座に判断。人生何事も即断即決を、下町育ちの人間は特に要求されるものである。
希望無きものに拘り続けても、それは新規の“希望”をチャンスロスすることに繋がる。

“木を見て森を見ず”

そんな格言を思いだし、前向きな気持ちで自身のポリシーに従って、一歩引いて広く画角をとった。ウィークディの、ラッシュタイムをとうに過ぎた浅草の大衆レストラン。閑散としつつも蠢くは、疎らに広がるそれぞれのヒューマンドラマ。はたと気付けば壮年男性の背中越し、目の前の卓ですらりとした膝下を見せつけていた女性は……
どうみても完成されたおばちゃん

2013-04-19-024
空恐ろしくなって伝票を握りしめて立ち上がった。
いやらしい視線を這わせてしまったことを、後悔はしていない。人間として当然のことをしたまでだ。

そう繰り返し自分に言い聞かせたが、私の中に巣食う何者かだけが、最後までその呼びかけを拒絶し続けていた……

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プロフィール

Jackie

元シーナ・イーストンfanclub 会員№1467番
脱会した覚えは、未だ無い

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