東十条無頼

東十条の夜を彷徨い続けるオトコ独り、その妄想ロンド

2013年05月

ロワゾー・ド・リヨン/続 魅惑の漆黒4

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<証言 其の二>
「あれは、“神”ですよね!!」

未だティーンエイジャーの娘が私の前で今まさに“神”という言葉を発したが、それは私の知る神、白と黒のツートンカラーのV字形エレクトリック・ギターをぶら下げた西ドイツの“鬼神”のことでは、どうやらないようである……

そして日本が如何に“八百万の神”の国と言えど、まさかただの“パン”が神様になれるものなのかどうかを、私は知らない。時々このクロワッサンを差し入れる十条「かぶら屋」の女の子の言葉であるが、私は彼女の味覚をしかし、実はかなり信頼している

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当初、“ケーキ屋”でパンを買うということが何か憚(はばか)られた私だが、もうその状況は忘れたが、何かの拍子で買い求めたこちらの、ケーキ屋にとって畑違いと言ってよいかどうかは知らないが、その漆黒のクロワッサンは、明らかなインパクトを私に与えた。

パンを買うと言ったが、カミングアウトすれば正直、私はパンを買う能力を有してはいない。
私のようなむさ苦しい男がプラスティックのトレイを持って、あのスパゲッティトングのようなやつで選んだパンをおっかなびっくり及び腰で掴みとる姿を、客観的に想像しただけでも、空恐ろしくなる。

しかしこちらの店でパンを購入する限りにおいて、私はそんな不安を抱く必要は皆無である。パンを前に物欲しそうな顔をしていれば、こんな場違い野郎を不憫に思うのか、女の子のスタッフが滞りなく近寄ってきて「お取りしましょうか?♪」と優しく声を掛けてきてくれるのである

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その表情、漆黒にして艶たっぷり。
黒く香ばしく、そして甘い。甘く、バターが尋常でなく織り込まれている。端っこはかさっとして美味く、真ん中はもちもちして美味い。

続く

引っ張るな~、お前

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因みに、前回冒頭の悩ましき「う~ん、これこれ♪」は、東十条のと或るスナックの女の子の言葉である。美人が幸せそうに食べ物を頬張る姿をただ眺めるという行為が、まさかこれほどまでに素晴らしいことだということに、初めて気付かせてくれた私だけのヴューナスだった。
が、その女の子も誠に残念ながら、ご多分に漏れず、ママに辞めさせられることになるのである。どの店も同じだが、良い娘から、女の子が去ってゆく。これは実に由々しき問題である

「ママ、なんで○○ちゃん辞めさせたの?」
「そんなことないよ! 仲良しなんだから、私達。その後もずっと、メールやりとりしてるし!!」
「いつも、いい娘から辞めてくじゃん! 昔っからそうじゃん……」
「違うの! ○○ちゃんは昼間の仕事が忙しくなって……」
「みんなそう言うんだよ、どの店のママも!  そんなことやってっからメガネ婆って言われんだよ……」
「お前が言ってるだけだろ、それ!!」
「違うって。前に誰かが言ってたの聞い……

                           fade out

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Gioire/夜に叫ぶ4

約二十年前。
小岩から錦糸町に流れたか、秋葉原から錦糸町に流れたのか、もう忘れた。男四匹、いい加減酔っ払い、今度は歌える場所を目指していたのだと思う。先頭を風切って歩くヤクザ者が、心逸ったか、更にその脚を加速させた。刹那、軽蔑はしていなかったが、特に尊敬もしていなかった当時の店長が、大通りを歩道もないところで突っ切って私に向かって「こっち! こっち!」 と喚き散らすではないか

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看板だけは華やかな、時間幾らの店の詰まったビルの下、先頭を切って歩くヤクザ者の紛うことなく一直線に進む方向に、場末スナックの婆の姿が思い当たってふと恐怖に支配されたか、機転を効かせてそのパーティを離脱し、今まさに私を共犯者に仕立て上げようとする男の悲しみが、それでも敢然と仁王立ちしていた。

エレベータに二人して乗り込んだ時、私達の共犯関係はそこで成立した。このビルの、二階だったと思うが定かではない。当時「マガンダ」というロシアンパブであったと記憶している。ドアを引いた瞬間、目に飛び込んできたカウンターにもたれて整列した夥しい数のスラブ系美女軍団に、即座にノックアウトされたことはもう言うまでもないだろう

<H25.5.24 錦糸町>
私はこの街を往くとき、殊更その場違いさに居たたまれぬ思いをすることもないし、かといって諸々しっくりきて、心地の良い感覚に包まれるわけでもない。
ルノーのファミリークラスの群れの中に、一人フィアットの同クラスで紛れ込んでしまったような、そんなそこはかとない違和感を覚える程度である。

「イタリア食堂 Gioire」

三年振りくらいであろうか。
実はこの店の利用は、はじめてではない。だから、ある程度勝手は分かっていたが、単独潜入は、今日がはじめてのことだった。
フロアに足を踏み入れて人差し指一本立てたら、喫煙の有無を問われたのでやらないと返した。すると一直線に最奥の、一段高くなったフロアへと通されたが、特別優越感が満される席でもない。その頃よく着いていた、京葉道路に面した入り口付近の明るさが、妬けに魅力的に映えてみえた。
天井はフレイムだけを残して取り払う形でリフォウムされたものか、抜けていて圧迫感は感じない。ムーディな女性ヴォーカルの洋楽バラードが、耳に優しかった

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“ジョイーレ特製 ミートソース” @890也。

ドリンクが付く。だからアイスカフィを食前に、とやった。で、ガムシロップとミルクをたっぷりとやるのが、繰り返しとなるが、これがハードヴォイルドの常套である。間もなく白いスクエア、前菜的な皿がやってきた。グリーンサラダと、粉ふき芋の洋風みたいなやつとガーリックトーストを高級にしたみたいなやつ(だからちゃんと言えねぇのかっつ~の)が、そこそこのボリウムで搭載されていて、結構ハートが満たされた。前もって準備されていたもののようで、サラダが若干シズル感に欠けているような気もするが、サーヴィスランチとして、これは全く合格点に達したものだと云えるであろう

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ほどなくして、繊細さと庶民感覚が同居したような、同じく純白ながら、今度はラウンドの皿がやってきた。フェデリーニであったことに少々落胆したが、ラグーソースが、きめ細かなソフリットを纏った、トマト感の弱いさらりとしたものであったので、案外これでマッチしているのかも知れない。挽き肉が、塊でゴロリとした存在感を、それはそれとして力強く醸し出していた。

他、給仕の若き男性のフロアに対する神経の配り方も、別段何の要求もしなかった私ながら、適切なものであることが手にとるように分かった。何より、錦糸町という、この国内において最も庶民的な地においてボロネーゼ、ボローニャと呼ばずに“ミートソース”とやる潔さが気持ちよかった

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還って、約二十年前。

野郎二人に対し、女の子が何故か三人となったが、私は未だ納得していなかった。全員、スラブ系美女である。しかし私は我が人生、女性を年齢やルックスで判断したことなど、金輪際ない。だから、半分不貞腐れていた。それを店側が察知したのか、ついにもう一人のRussianが、満を持して我々のボックスに投入された。

彼女は日本語が、ほぼ理解出来なかった。中国人ではないので、筆談も不可能だった。すらりと背が高く、躯の全ての造りが途轍もなく華奢にみえた。大きく露出された肌が、限りなく透明に近いほど、白かった。碧の瞳が、吸い込まれると抜け出すことがとても不可能に思えるほどに、深かった。言葉は通じなかったが、この娘なら、言葉以外の何もかもが、全て通じるような気がした。私の腕がまるで別の生き物のように、すぐそこにある限りなく透明に近い太股を、もう探検しはじめていた。向かいの店長も自己完結で楽しんでいたようで、ボーイに自動的に延長を告げる姿が、遙か遠くに霞んだ。

ナターシャ……
今でも心が夜にその名を叫ぶ

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CoComo/そいつが俺のやりかた3

“男の中に女が一人”というのは女の立場からみて案外耐えられるが、逆に“女の中に男が一人”というのは、男の立場からしてけっこうに耐え難いものではないかと、そんなふうに私は常々思っている

<H25.5.16 日本橋掘留町>
水天宮通りを、人形町から小伝馬町に向かう途中で車を停めた。通りを東側に渡って暑いくらいの陽射しの中、裏路地を漕ぐ中年男。午前11時40分。どこからともなく沸いてくる、界隈の、夢の中で夢を忘れたワーキングマン&ワーキングウーマン。
ランチ・ラッシュアワーまで、迫るリミット。突如視界に飛び込んで靡くトリコローレ。自動的に吸い込まれる、悲しみの中年男……

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「Oriental Dining CoComo」

こちらも夜の部主体のお店のようである。
入店時に先客の姿は無かったと思ったが、それから僅か15分ほどの間、みるみるうちに美脚がそろそろと流れ込み、七割方の席が、見事なまでにLadyのみで埋まってしまった。
そしてこういった状況の中、やはり男は概ね借りてきたネコのように、所在無げに肩をすぼめてただ耐えるのみである。

メインとサイドか何か知らないが、兎も角組み合わせをチョイスできる、選ぶドキドキ感が隙無く演出された、計算されたランチである。
ドリンクとスープはセルフ。
食後にそれをやる勇気もなし、またその辺りに対する拘りもないので、未だ空いているうちにまんまとスープと同時にアイスカフィを奪取することに成功した。
スープは、何かラーメンのつゆのような風味を纏っていたが、それはそれで面白かった

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日替わりランチ
“イタリアンハンバーグ&ツナとコーンのシーザーサラダ&マカロニグラタン” 850也。
ドリンク・スープ付き

「グラタンは焼いてますので、あとからお持ちします!!」

広大ではないフロアを一人で切り盛りする若い女性の、特徴的なイントネイションが一言添えられて、その純白真円の皿が舞い降りた。“イタリアン”と謳われたそれほど大きめではないハンバーグには、トマトとチーズがしっかりとマウントされていたが、それを以てイタリアンを名乗る資格を得るものであるのかどうかは、私にはよく分からなかった。トマトソースは無論、ソースの類の一切省かれた、こちらも下味の織り込まれた“ネイキッド”スタイルのようである。
私にとって最も不安だったことは、共用の皿に盛られたご飯が怪しげな色彩を放つ雑穀米だったことだが、恐る恐る口に運べば、それほど抵抗感なく食べ進むことができた。

ふつうの白いご飯より、多少不味い程度である

おいおいおい!

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「器、熱いですから気をつけて下さいね!!」

グラタンがやってきた。こちらもガツンと塩分一発でゴリ押しするような乱暴なものではなく、優しい味付けであった。気付けば正午には、見事に全て女性で充填された店内。その全てがリピーターのようである。

スタッフの女性の、独特な響きを放つ受け答えが軽快に木霊し続ける空間。然りとて、恋には墜ちていない。言うまでもなく、徐々に居たたまれなくなってきたこの私。念の為に一通り、下方に浅い角度の視線をフロア全体に這わせたが、パンチラの期待も薄であること明白。

太股の筋に、再びいやいや指令をかけて立ち上がった。
内装、スタッフ、料理、客層、その全てが爽やかな空間からの“離脱”を敢行する為に、永遠にむさ苦しくあることを自分に課した中年男の悲しみひとつ、さりげなく立ち上がった。

そう、ギンギラギンにさりげなく
それが俺のやりかた

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雷門 丸屋/果たして……1

<H25.5.14 浅草>

日中、東京は28℃に届くという。
雷門通りは薄着の外国人観光客で賑わい、人力車の担ぎ手の方がきつい陽射しの下、もはや過酷そうにみえた。
街には三社祭りの提灯が頭上で四方に疾り、祭りに興味のない私でさえ、否が応にも心が舞い上がるような錯覚に陥った

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時計の針が、正午の十五分前まで接近していた。
観光地のど真ん中、喧噪を避けたい気分で歩いたが、逸がれ逸がれて結局雷門通り。路地に目をやって見つけた蕎麦屋の暖簾、観光客に揉まれてのお昼ご飯だけは避けたい一心で、足早無心に飛び込んだ

「雷門 丸屋」

暖簾を割る直前、壮年の夫婦の入店してゆく背が垣間見えたが、店内に先客の姿形なく、薄暗く、且つBGMの省かれた寂しい空間に、私とその方達との二組が着く形となった。
壁のお品書きに大盛り幾らとの表記が見えたが、既にその屋号から、それは出来ると大雑把には見当が付いていたので、滞りなく大盛り、とやった

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“ざるそば 大盛り” @950也。

大盛り分は\250である。
凝ったせいろう(器)だった。角の漆の味のある禿げ具合から、もしかしたらこの店舗より歴史のあるものなのかも知れないな、と予感した。店内に、大きな、エキゾチックな高齢樹を斜めにカットして屋号を入れた、高価、且つ年季の入っていそうな看板が飾ってあったが、それら全てが、何故か虚しく感じた。

蕎麦は製麺業者もののようであるが、水分含有率低く、東京蕎麦として極端に細身でもなく、迫力はなにもないが、しかしそれほど質の悪いものではない。汁も江戸汁として凄みのあるものではないが、汁徳利に十分注がれ、こちらもそれほど悪いものとは感じられず、所謂“街場の蕎麦屋”として、内容的には普通のものであった。

私が蕎麦をやっていると、少し前のお姉さん達、率直に言ってオバチャン二人組がやってきて、良心的にも二人揃って店頭に掲げられていたランチセットを注文したようだ。何か知らないが、昨今のお蕎麦屋さんの定番である、丼とお蕎麦のセットもののようである。その注文をとるは、私と同年代か、若干若いくらいの男性であったが、外野の私からみても明らかに素っ気なく、厨房に注文を通した。

――普通、蕎麦冷たいのか温かいのかくらい、確認するよなぁ……

「お蕎麦選べるのよね……?」

案の定その方達は直後からそわそわしだし、内一人が一旦戸を出てセットの内容の確認をして戻ってきて(客にこんな行動を起こさせること自体、既に駄目だが)、厨房まで足を進めて声を掛けようとしたが、その時は既に料理が完成された後だったようで、そばを運んできた男性と女性客が、丁度私の目の前でクロスする形となった

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「お蕎麦、冷たいの選べるんですよね? 何にも聞いてもらえなかったから」
「言ってもらえれば出来たんですけどね……」

給仕の男性は一切の感情を排した受け答えでそれだけ言い放つと、問うたお客の理解、了解を確認する間もなく即座に当該状況に背を向け、隣の卓の注文をとる作業へと移行した。
厳密にいうとこの方達は、厨房に歩いていくまでに何度か彼にその内容を確認しようとしていたのだが、彼の態度が明らかに客を“拒絶”するものであった為、声を掛けられずに前述の状況に到ったのである。逃避に利用された卓のお客の方も相当な違和感を持ったであろうし、もうこの空間全部が簡単、且つ一瞬にしてダメになったので、私も湯を貰うことを断念して(実は私もずっと声を掛けたく待っていた)そそくさと店を後にした。

久々に、凄まじく酷い接客を観賞させて頂いた。
ジャパニーズ・ヘヴィメタルバンド、DEAD ENDのヴォーカリスト、MORRIE氏は初期の頃、“観客は敵”だと思っていたことを自らカミングアウトしていたが、こちらの方は果たして……

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ロワゾー・ド・リヨン/魅惑の漆黒4

<証言 其の一>
「う~んっ!! これこれ♪」

目の前でそれを頬張った娘が直ぐ様、その整った美形を破顔させつつ、私に訴えるように苦痛とは真逆の歓喜の呻き声をあげた……

<挿入画 : 新橋 某日>

飲み屋のママという物体、いや、反物質について、それを長年に渡って数限りなく観察してきた私だが、その特性というものが、未だによくわからない。
そんな中で、これがママという名の物体においての共通仕様なのではないかというものを、私は一つだけ知っている。
ママというものはたとえ幾つになろうと、それが意識的にか無意識にか知らないが、自分より性的魅力に優る女の子について常に手厳しく、そうでもない娘にはぬるい、というか安心して協調しようとする、ということだけだ

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“腕の良いシェフを高い人件費を叩いて(はたいて)雇うということは、それは原価率を下げる、即ち利益率を上げる、ということに他ならない”

ヴァブル弾くも弾けた頃、レストラン経営に挫折し、それでも再起を賭けて奮闘する方が、私のキャメラの師匠のいた、当時の私にとってはコンペチターであった鳥越の楽器屋にアルバイトとして一時期やってきて、僅かの期間の夜ながら、そのへんに転がっている楽器を肴に酒を酌み交わしたことがあった。

ままごとのような“加山雄三”(我々の演奏がままごとという意。モズライト使いとしての加山雄三氏を、私は素直にリスペクトする者である)を一緒に演りながら、一城を築きあげながら断腸の思いでそれを空中分解させたその方の発した前述の言葉の意味は、食材を“腕”でカヴァ出来る職人を確保するということは、より単価の低い食材で纏められた料理を、そこそこの水準に値付けすることが出来、結果、粗利率をUPさせることが出来るのだ、という意味である。

もう10年以上前の話。
まだ“食”、及び“飲食業界”を体系的にとらまえることの(必要性の)なかった私だが、既にその瞬間、肌に確実に突き刺さってきたものは、そこはかとないながらも確かな、その方の柔和な表情とは真逆の、皮膚に刺さるざらついた違和感だけであった。

――飲食業界ってほんとに、完全にヴィジネス一辺倒なもんなのかな…… それにしちゃTVでもどこでも、“鉄人”や“カリスマ”が寄ってたかって拘りを息巻いてるけど、ほんとにその人たち、全部“タレント”なのかな……
だったらどこいきゃ、ほんとに美味いもん喰えんのよ……

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「ロワゾー・ド・リヨン」

そんなに歴史ある店ではない。
現在の地で開店してから、せいぜい五~六年くらいであろう、いわゆるケーキ屋である。
「ケーキ屋ケンちゃん」 「おそば屋ケンちゃん」 「洗濯屋ケンちゃん」と続いたケンちゃんシリーズには、私も子供の頃、随分と憧れた記憶が残っているが、美人のお母さんに憧れていたのか、それとも興味深い実家の商売を手伝うことができるというケンちゃんの境遇に憧れたのか、今となってはよく分からない。

――蕎麦屋はいいけど、ケーキ屋はちょっとな……

断っておくが、私は甘いもの好きでもある。
特に、社会に出てから余計に好きになった気がするが、それは日々降り懸かってくるストレスに因る影響なのか。しかしそれでも、蕎麦を毎日腹一杯喰らう自信はあるが、ケーキを毎日腹一杯喰らう自信はない。
と思う……

ほんとかお前? 案外いけんじゃねぇのか?

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まず、立地が非常にユニークである。
上野広小路から伸びる仲町通り(余談ながら、これをナカマチ通りと呼んでも地元民には通じない。“ナカチョウ通り”か“ナカ通り”と呼ばないと駄目である)を微かに逸れた程度の、ミニ歌舞伎町とでも言うべき“夜”の世界の直中に、こういった本格ケーキ屋が堂々構えているということが、ユニークだと思うのだ。
しかしこのことは、ロケイション的(画的)には確かにユニークかも知れないが、商売のメカニズムにおいては実はユニークでも何でもなく、もしかしたら緻密な計算の帰結なのかも知れない。

自分を顧みてよくよく思う。
私は甘いものが好きだが、他のほとんどの男性同様、それを自分の為に敢えて購入して持ち帰る慣習など、持っていない。男がそういった慣れぬ行動を起こすとき、ストレートに言って、男がケーキ屋などという女子供の世界の敷居を意を決して跨ぐとき、それはどっかの女の子の要求を満たす為、どっかの女の子の笑顔に出逢うため、あっさり言いきってそれのみであろう。

その意味で、甘味の持っていきどころに不自由する事なきこの界隈であり、緻密なマーケティングを経ての出店であるのかも知れない

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私はこの店の存在を知って先ず、2種の“シュークリーム”をよく利用させて頂いた。
通常のカスタードと、一方、紅茶香るシュークリームで、シュー生地が閉じているほうがふつうのもの、開いているほうが紅茶のやつである。

子供の頃、アサリの御付けが好きだった。今でも好きだが……
中に捻くれて、根性で貝殻を閉じたままのアサリを見つけると、キチガイのようにそれをこじ開けて身を食べようとしたが、お婆ちゃんの言葉がいつも私を制止した

「殻閉じてんのは、死んでんの。死んでっから食べちゃダメなの……」

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「何で? だって元々全部茹だって死んでんでしょ?」

私は今、シュークリームの蓋が開いているかどうかと、浅蜊の貝殻が開いているかどうかの話をごちゃまぜにしている。もしかしたら、それは私が“酔っている”ということなのかも知れないし、そうでないかも知れない。

それは誰にもわからないことだ

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“クロワッサン” @200也。

シュークリームの話はまた次の機会に譲るとして、今宵(やっぱり酔ってんだろ、俺!)、私はクロワッサンの話がしたかった。
今夜だけは……

しかし続く

おいおいおい!! 結構な伏線張っといて……

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プロフィール

Jackie

元シーナ・イーストンfanclub 会員№1467番
脱会した覚えは、未だ無い

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