「現在、車内の空調は冷房中となっております ♪」
外は肌寒いくらいなのに、上野から銀座を繋ぐ運命のメトロの車中は冷房運転中ときた。
確かに、上野で地下に下りたときから、もうホーム上っから何かおどろおどろしい醜悪な熱気が纏わりついてくるのを感じてはいた。
11月ももう終盤のこんな時、潔く冷房を効かせてくれる車掌さんには心から敬意を払いたい。
―― というか自動調整なんだろうけど ……
<H27.11.22>
午後一時半近くになっているというのに、次々とお客が入ってくる。少々狭っくるしいが二人席にすんなり着くことが出来たことを、素直に感謝すべきであろう。
花番さんは完全に手一杯なことに間違いないが、それでも洗練された動きの客あしらいで、ストレスを感じない程度に事態を収拾させてくれている
失礼ながら、大したお蕎麦が出てこないということは分かっていた。
しかし人生、分かっていながらそれをやっちゃうということばかりだということを、私は了解している側の者である。
立ち食いでもなく、現在のフードビジネスという利益至上主義からも逃れた[注]ふつうの蕎麦屋であれば、ふつうに浅草の「尾張屋」くらいのお蕎麦を出してほしいし、「尾張屋」のように、海苔は手でちぎったものをかけて欲しいと幻想しながら蕎麦を手繰った。
そんなのそれほど高望みなことではないんじゃないじゃないかと短絡的に思ってしまうのは、果たして客の立場の傲慢というものか ……
注) お蕎麦屋が儲けちゃいけないなんてことを言っているわけではない。寧ろ、お蕎麦屋は儲かった(過去形を使わなければならないことが激しく悲しいが)と思う。或るお蕎麦屋のご主人からの横聞きの昔話だが、天麩羅なんか品書きの賑やかしで仕方なくやってるんだけど、ほんとうは素のそばが一番利益率が良くって、おそばだけ売っていたいのだと。たしかに、昔っからふつうに営っているお蕎麦屋さんには、持ちビルのところを多く見つけることが出来る。
ところが現在、飲食業界で利益追求の為に組織だった動きをしているところの多くに、そこに従事する方々の絶望的な“不利益”ばかりが垣間見えてしまうというところには、そのパラドックスに面白がってばかりもいられない深刻さを孕んでいると、決して他人事じゃなくいっつも憂いてしまう
尚も続く客足。
お酒をやっていた隣のお父さんが〆の“もり”をやり終えて、近接して腰を据えている私に、「ごめんなさいね、」と声を掛けて席を立った。
ごめんなさいという美しい言葉を、金輪際、こんなふうにスマートに使いこなせない男も続いて立ちあがり、再び中央通りに滲み入った。
―― いい歳ぶっこいてどっからが中央通りでどっからが銀座通りかも、そんなことさえも知らない永遠のチョンガーが ……