「この村のやつは誰もほんとうのこと言わない ! 俺はもう帰る !!」
「アイス買ってきてあげようか ?」
いつもの居酒屋でウィスキィをふたつくらいやった頃、女の子に言ってみた。
女の子は嬉しそうな笑みを浮かべつつ、早速横に立つもう一人の女の子に何を買ってきて貰おうかという視線を送ったが、そのもう一人の女の子がなんと、今お腹がすごくすいてるからアイスじゃなくってご飯ものがいい、とゴネはじめるではないか
途端、もう片方の女の子が私に向かって囁いた。
「私はアイスでもいいよ !♪」
―― 無理だよ、そんな複雑な注文 ……
<H28.6.12>
「銀座 シシリア」
タルガ・フローリオ再び。
ちょうど、目の前の男性にピッツァが運ばれてきて、ああ、ここがあのマスターの言ってた四角いピザのお店なんだなと、遅蒔きながら発見してしまった。
再びメニュウを広げてみれば、ミックスピザは @750とある。スパゲッティを注文した直後だったが、特に後悔はしていない。ただ純粋に、その値段を確認してみただけだ。というのは、ピザという食べ物は私にとって永遠に食事ではあり得なく、“おやつ”であるという確固たる信念に基づいてのものである
“具だくさんミネストローネ” @580
まずミネストローネがやってきた。
確かに具だくさんではあったが、それほどの量ではなかった。値段が値段なので、中華屋のワンタンくらいのものが丼で出てくると思っていたが ……
(思ってない思ってない)
シシリアでボローニャを。
それはあらかじめ麺をソースを絡めるスタイルで供された。図抜けて美味くはないが不味くもない、ミルキーなソース。チーズを多く織り込んでいるようで、ソースを残したまんま冷たい水を含むと、口中でチーズの凝固する複雑な食感を堪能することが出来る
べつに水をぶっかけられたわけではないが、エリザベス女王からナイトの称号を受けたスコットランドの、尋常でなく厚い胸板の映える大男のように、俺は今日はキルト穿いてないけど、心で呟いた。
「マティーニはドライだ ……」
―― マティーニなんか飲んだことないけどね
【 以下映画の話 】
出演 : 萩原健一 小川真由美 山本陽子 山崎努 渥美清 中野良子
監督 : 野村芳太郎
音楽 : 芥川也寸志
1977年 151分 日本
東銀座、晴海通り沿いの「東劇」にて、渥美清さん没後何年だかの特集上映番組。
過去にもこの映画の感想を軽く記したことがあったが、観返して矢も盾も堪まらずにふたたび。落ち武者たちが這々の体、戦火を逃れ逃れて重く、そしてまた動きずらそうな甲冑をひき摺りながら深山を逃げていた。
もはや垂直に近い滝の断崖絶壁を這い上る武者たち。力尽きて、何人かが落下してゆく。おもむろにキャメラが引いた。巨大な滝の横っちょに、ちっぽけで滑稽な生き物が、まるで虫のようにしがみついていた。
―― 何なんだこの画の凄みは ! それは現代の邦画が完全に失ってしまった、凄まじ過ぎる“本気”の画だった ……
先週、佐藤浩市主演の「64」という映画を観た。
最初っから前編、後編に分離された前編のほうを。レヴュウに目を通すとかなりの高評価が連なり、実際に観てもそのとおりにテンションが高く、且つ面白い。レヴュウの中のひとつに、このテンションを後編まで維持出来れば、これは「砂の器」に成り得る、という感想を見た。
でもね、まさか ……
今私の眼前で繰り広げられているこの壮絶な落ち武者のサバイヴァルの画だけでもう、「64」という映画が「砂の器」はおろか「八つ墓村」にさえ遠く及ばないと一瞬で了解してしまえるということが、ただの一映画ファンとして寧ろひどく寂しい ……
【 登場人物 】
- 寺田辰弥 (萩原健一) : 母の手ひとつで育てられるも、その母とも早くして死に別れ、しかし成人して立派に空港で旅客機の誘導員をしている天涯孤独の若者。新聞の人探し欄をきっかけとし、弁護士に依る本人確認を経て、自分の意向のまったく無視されるままに、或る山村の名家の後継ぎ候補として村へ招かれる
- 森美也子 (小川真由美) : 街に下りれば切れ者経営者の顔を持つ、現代的で洗練された美女。夫と離婚した為、分家に出戻っている。村へ向かう辰弥のエスコート役となり、丘の上へと並んで立って村の呪われた歴史を物語るとき、風のいたずらが巻きスカートからスパークさせるその艶めかしくて白い太股は、男の魂そのすべてを吸い尽くす恐ろしい力を秘めている
- 多治見久弥 (山崎努) : 多治見家現当主。肺病を患い病床に伏せる日々だが、眼光なおも鋭く、遺産を狙って自分をとり巻いている親類縁者にほとほと嫌気がさして、会ったこともない腹違いの弟、辰也にその莫大な全財産を譲ろうとしている
- 多治見春代 (山本陽子) : 久弥の妹。一度は嫁いで家を出たが、不幸にも筋腫で子宮を摘出して子供が産めない身体となってしまった為に離縁されてしまい、出戻って双子の大伯母たちの世話をしている。現代的で派手な美しさの美也子に対し、それとは正反対の、あくまでも謙虚な、しかしこちらも恐ろしいまでの日本的美しさを纏う
- 多治見要蔵 (山崎努) : 多治見家先代当主。山崎努が二役で演じる。辰弥の母、鶴子(中野良子)の美しさに目を奪われ、妻子がありながら暴力で犯して妾とするが、隙をつかれて生まれた子供と共に鶴子に逃げられてしまう。そのことに依ってか発狂し、一晩で村人たち32人を大殺戮し、そのまま姿を消す
- 金田一耕助 (渥美清) : ただの車寅次郎。生まれも育ちも葛飾柴又。帝釈天で産湯をつかう
並行するように、小川真由美演じるセクシーなモダンガール、美也子と、全編着物姿で古風な、しかし触れれば切れるような研ぎ澄まされた美しさを放つ山本陽子演じる春代との、ぶつかって激しく拮抗しあう動と静の美。
そんな美女たち、言い方を変えて“魔物”たちに左右から、まったく反対方向に腕を引っ張られたときに男というものは、斯くも為すすべ無きか弱き生き物か。
辰弥が村へ戻ることをトリガーとするように開始された、止まらない連続殺人。それは四百年前にこの村に這々の体で訪れて、しかし暴力を振るうどころか、友好的に村の開拓にも尽力してくれた侍たちを落ち武者狩りの褒美に目が眩んで虐殺してしまった村人に対しての、現代科学では決して解明不能の、得体の知れぬエナジーの強烈なる発現なのか。
―― 言い方を変えて、これが“祟り”というものなのか ……
莫大な財産に、興味なんか無い。
ただ、人間誰でも、殊更孤児(みなしご)同然であったなら当然想いを馳せるであろう、自分自身の出生のルーツ。図らずも辺境の山村で今まさに連続殺人事件の犯人に祭り上げられようとしている辰弥は、知る人誰もが美しいと認めた母親の面影を村に追い求め、同時に自分の父親の呪われた素性を、心底嫌悪していた。
“人間には二種類ある。バイクに乗るものと、バイクに乗らないものだ”
という格言があるが、それが正しいかどうか、またその格言がもたらす教示的価値というものを、私は知らない。ただ私にも確実に言える事がある。
―― 男には二種類ある。中野良子の美しさに激しく心を揺り動かされるものと、大してそうでもないものと
無論、私は前者だが ……
「人殺し ! そいつは人殺しなんじゃ !」
迫りくる村人たちの殺意から、村の下に無限に広がる美しい鍾乳洞に逃れる辰弥。
地上の人間どもの垂れ流すおどろおどろしさ、業という得体の知れないダークなエナジーを代々すべて飲み込み、なおも浄化能力微塵にも衰えぬ、フルスペックの舞台装置の調ったこの圧倒的な大ホール。大自然が何万年もかかって創作したこの劇場の主は、無論人間ではないだろう。その隅っこに謙虚に、こないだまで空港で汗を流して一所懸命働いていたまったく場違いな若者が今、衰弱し、横たわっていた。
暗闇の洞窟の巨大な反射板に、にわかに足音が響く。
恐怖で若者の身体がこわばった。近づきつつある恐怖の対象を認めた瞬間、それはおにぎりとお茶を手にした限りなく美しい人だった。お腹がすいているときにご飯を持ってきてくれる人というのは、それは間違いなく天使であろう。その天使の肌は限りなく白く、艶めかしかった。辰弥はおにぎりでお腹を満たし、水筒のお茶で渇いた喉を潤したあと、その艶めかしい天使と一緒に、自分が生まれたという“竜のアギト”を手をとりあって探した。
誘うは無論、芥川也寸志「道行きのテーマ」。これっぽっちもケチっていない極上のフルオルケストラが、そのうら若き男と女を広大な鍾乳洞の芯へと、一直線に導いた
「あなたっ ! ここで生まれたのね ……」
美しい人の子宮が、ついにその源(みなもと)を捜し当てたようである
自然、因果、怨念。
普段は現代社会の雑な吐息にマスキングされて謙虚に息を潜めているが、現代人に決して飼い慣らすことのできない圧倒的なパワーを秘めたそれらのものが、この上なく美しく怪しき美女を媒体に一斉に牙を剥きはじめたとき、美女は白塗りとなって血の涙を流しながら、今の今愛し合った男を全力で殺しにかかる !
美しさと哀しみの合成がハードロックであったとしたなら、美しさと恐怖の合成とはいったい。なんて、俺はその答えを知ってるけど。“美と恐怖の合成”、おそらくその正体の代表者がダリオ・アルジェントの「サスペリア」あたりだと。そして本作「八つ墓村」も、間違いなくそれと同じところにいるものであろう
白い鬼が、なんにも知らずに山奥の村にやってきた都会の若者をとうとう追い詰め、その為す術なく頭を抱えて怯えうずくまる頭上につらら石を高く振り翳した。クローズアップされる、血の涙の哀しきアクセント。その鬼の眼が一瞬、何かを懇願しているように見えた。
と、蝙蝠たちがいっせいに洞窟の外へと飛び立ってゆく。つぎの瞬間、フルスペックの巨大な舞台機構が全力で稼働し始めた。若者を守るために、祟りとは異なるまったく別の、しかし慈愛に満ちた強力なエナジーが発動している。これが母が子を守るときに発動する、“愛”というエナジーなのか。人を恐怖させるほどに凄まじい、愛という名の ……
洞窟はがらがらと音をたてて崩れ始め、白い鬼を潰した。
地上では多治見家の屋敷が、オレンヂ色の炎を激しく吹きあげている
奇妙にも美也子の祖先は島根、尼子一族の流れと判明していて、また事後、私的な興味で調べはじめたか、辰弥のほんとうの父のルーツもまた島根にあったというところまで辿り着いた探偵は、もうそれ以上の調査をやめる。それはおそらく、客観事実、客観証拠に基づく捜査を信条とする現代の探偵なり刑事なりが、よもや“祟り”なんてものを認めてしまったら、それこそ自分の存在そのもののが否定されてしまうと直感し、もう本能的に忌避することしかできなかった、ということであろう
若者はふたたび空港に還り、前の生活をとりもどす。
彼は天涯孤独だと思っていた自分に、この忌まわしい出来事の最中にあっても、一瞬でも兄妹が出来たと思っただろうか。
灼けたアスファルトの陽炎の中、力強く旅客機を誘導する若者。
孤独に還った若者が、汗を流しながら力強く、まるで自分の未来を切り拓くかのように ……
Fine