今日の話は、以前投稿した
【 ここまで根深い 「ダメだし子育て(文化)」 】
の続編的な位置づけです。

先日、マスターファシリテーターとして、
ファシリテーターを育成する為のトレーニング講座を
担当させていただいた時の事。

帰り支度も終わり、会場となっているビルのエレベーターに
4Fから乗ったのですが、すぐに3Fで止まったんですね。

ドアが開くと、エレベーターを待っていたのは西洋系の外人さんでした。

わたしは、ちょっと脇によけて「開く」のボタンを押しました。
すると、その外人さんなんて言ったと思います?

「スイマセン」

なんです。
二度見する位驚きました。(笑)

「いやそこはやっぱり、 [Thank you]でしょ!」

と、心の中で思いっきり突っ込みました。(^^;
たしかに、「郷に入っては郷に従え」って言葉もありますけど、
そこは変えないでほしかった所です。

逆のパターンもあります。
海外旅行でなにかサービスを受けた時、日本人の多くは
「Sorry」と言ってしまうんだそうです。

英語圏の方からすると、「なんで謝ってるんだ?」となる訳です。

非常にややこしいのですが、辞書を引いてもなんと
「すいません」には、「感謝」の意味も含まれてるんですよね。

「お手数かけてすいません」
「わずらわせてすいません」

という、まさに日本人ならではの奥ゆかしさというか何というか…

そう捉えると、日本的な文化とも言えなくもないのですが、
すこしへりくだり過ぎというか、卑下し過ぎと言った感じもなきにしもあらずです。

わたしはコーチングで非常に「言葉の重要性」を強調します。
なぜか?

ここでちょっと新約聖書を引用してみます。
ヨハネの福音書1章1ー3節です。つまり冒頭部分です。
あ、一応言っておきますが、わたくし特定の宗教とはまったく関係ありませんので…
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初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。
この言は初めに神と共にあった。

すべてのものは、これによってできた。
できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。

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(引用:http://ja.wikisource.org/ 「ヨハネによる福音書」

 神がどうのこうのはここではひとまずおいておいて、
重要なのは、
できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。」
って所…
つまり、「言葉があなた世界を作っている」という事なんです。

私流に意訳するならば、
「言葉ありきなんだよ、発する言葉、思考の中での言葉…
あなたの見ている世界の全ては、言葉によってできてるんだよ」
って事です。

世界を作るという事は、「自己イメージ」を作るとも言い換えられるんです。

普段何気なく使う言葉が、

「自分はどんな人間であるか?」
「どんな行動をするのか?」
「どんな判断をするのか?」

を規定しているのです。


「スイマセン」には、謝罪の意味がある事から、
どうしてもネガティブなイメージがつきまとうのです。

謝罪という事は、「悪い事をしました。すいません」って事ですよね。

「スイマセン」から、明るくハッピーなイメージ湧きますか?

とまぁ、「スイマセン」に対する攻撃はこれくらいにしておきましょう(笑)

とにもかくにも、なんといっても、素晴らしい事に、
私たちには「ありがとう!」があるんですもの…

だれかになにかをしてもらった時、

「スイマセン」と言っている自分をイメージしてみてください。

どんな気分になりますか?


だれかになにかをしてもらった時、

「ありがとう」と言っている自分をイメージしてみてください。

どんな気分になりますか?


こんな偉そうな事を言っておりますが、実は、わたくし…
「すいません」って言っていました。
もしくは「どうも…」ね。(笑)

今では、謝罪の時にしか「スイマセン」は使いません。

法律の勉強をしている若きコーチと食事に行った時の事です。
わたしは、普通に「ありがとう」を使っていたのですが、
その若きコーチはその事にいたく感心してくださったようなのです。

こんな風に言ってくださいました。
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この前食事したとき、 和也さんが
「ありがとう」という言葉を店員さんに多用していましたよね。
普通に言えることがステキやなと思って、
それを僕も真似させてもらっています♪

僕も無意識に「すみません」って使ってたと思います。
 でも、これって良く考えるとすごく変だなって。

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わたしの「すいません」が「ありがとう」になったのは
実はコーチになったからではありません。

妻と出会って、食事に行ったりするようになった時、
妻はかならずお店の人に「ありがとう」と言ったのです。
コンビニとかで買い物してもね。

そのとき自分は、
「別にお金も払ってるし、[どうも]位でいいんじゃね?」
位に思ってたんですよ。(恥)

しかも、ちょっと京都弁風の「ありがとう」は
悔しいくらい、様になっていたのです。

なので! 変えました! わたくし…(笑)

「ありがとう」に…

するとどうでしょう?(って、ちょっと大げさですが…)

「ありがとう」と言っている自分のイメージができるのです。
人に感謝している自己イメージが出来るのです。
そして、それによって人が笑顔になってくれる自己イメージができるのです。

この事の度が過ぎて、
「ありがとう」をマントラや念仏やお題目のように唱える様な
事になったりしますが、「ありがとう」はそういう事じゃありませんよね。

自分の気持ちを伝える事です。
そして、それが自分の見ている世界を作る事になるのです。

という事で、実は、ここまでが前ふりです。(笑)
ここからが本題!

だって、ここは「ママにこにこコーチング」のブログなのですから、
これだけじゃ終われません。

さて、この事を子供について考えてみます。

子供は自分で言葉を話して、自分の世界を作るより先に、
親の言葉で自分の世界を作ります。

いかに、親の言葉がけ、親の言葉遣いが子供の「自己イメージ」に
深い関わりがあるかおわかりいただけると思います。

大人だってそうなんですよ。
他人に言われた事を受け入れた瞬間に、それは自己イメージを形成します。
もちろん「ネガティブな事」を含めてです。


最近強調している事に、
「単純な叱る/叱らないというパラダイムから脱出してください」
というのがあります。

「ありがとう」は、一番手っ取り早くこれを実現できる方法の
ひとつであると思っています。

子供がなにかしてくれた時、はっきりと気持ちを込めて
「ありがとう!」と言えばいいのです。

叱るでもなく、褒めるでもなく、「ありがとう!」と…

「ちゃんと手をつなげたんだね。ありがとう」
「小さな声でお話できたね。ありがとう」
「時間どおりに、家を出られたね。ありがとう」
「全部食べてくれたんだね。ありがとう」
「我慢できたんだね。ありがとう」




そして、子供の存在自体に「ありがとう!」と…

tomodachi

親が「ありがとう」と言えば、子供も「ありがとう」と言います。

そして、子供は「じぶんは「ありがとう」と感謝が言える人間なんだ」
という自己イメージを作ることができるのです。

これこそ、【本田圭佑選手に学ぶ「自尊心」のあり方】でも書いた
「自己肯定感」「自尊心」を育むのです。

息子に向かって、「やさしいなぁ、ありがとう!」と言った時の
息子の照れ笑いは、ほんとたまらんですよ。(笑)


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