http://www.markrothko.org/seagram-murals/


少し前に、ブリジット・ライリーの企画展を観るのにdic川村記念美術館に行ったのだけれど、ここはレンブラントや印象派などの西洋油絵の名画からコンテンポラリーアートのコレクションが充実していて、建物はかわいらしいし、庭の池には白鳥がいるし、なかなかなレストランもあって、カフェもあり(茶室)と、とてもよきところでした。

(DICってなんだろと思ってたら印刷カラーチップで有名なインキのあのDICでした!)

実はブリジット・ライリーはとりあえずおいておいて、常設にあった作品のことをちょっと書きます。

本を読んでいたら、冒頭にマーク・ロスコー(Mark Rothko)のテート・モダンにあるロスコ・ルームのシーグラム壁画(The Seagram murals)のことが描いてあり面白かった。しかしそれがどうも川村記念美術館にもあるそうなのだ。残念ならがテート(Tateには名前がギャラリーの頃とモダンになってからそれぞれ1回は行ったはずなのだが)で観た覚えがなかったので、これはよい機会と今回観てきました。

「このシーグラム壁画は、ニューヨークのシーグラムビルの中に入居するフォーシーズンズレストランの壁面を飾るために1958年に制作を依頼されたものだった。
 ロスコは精力的にこの作品群の制作に取り組んだにもかかわらず、前払いされた金を返却して、作品を手放すことをしなかった。シーグラム壁画の依頼を受け、さらに断った理由についてロスコ自身はっきりとは述べていない。その謎を明かすことは本書の範疇にはないが、彼の絵で埋め尽くされるはずだったレストランのダイニングルームの、完成した空間が気に入らなかったことは明らかだ。
 薄暗い室内で、大きなキャンバスに描かれた彼の絵をぼんやりと眺めると、絵の背景の色が中央にある四角形に浸食したり、逆に中央の絵が絵全体に広がるように感じてしまう。キャンバス自体が統一された暗い色にぬり潰されているように見えたかと思うと、ふと、また絵の全体像が現れる。その繰り返しだ。そこに見られる不思議な体験がゆえにその部屋から離れられなくなる。」
(川畑秀明『脳は美をどう感じるか』「ロスコ・ルームにて」の節より)

とある。 著者は、この効果は中心視と周辺視の効果によるものだろうと指摘している。おそらく画家が直感的に人間の視覚の特性を捉えて作品の効果へと利用しているのだろう。また、もうひとつの重要な指摘として、作品の空間を特定して鑑賞者の閲覧環境をコントロールすることで作品と鑑賞者を分かちがたいものとする(作品の一部となり、作品は閲覧者によって完成する)、といったこともあるだろう。

行ってみればわかることだが川村記念美術館のロスコー・ルームはかなり暗めの照明に設定された、天井の高い少し幅の広い長方形型の部屋だ。左右の入り口のどちらからから開口をくぐると壁四面に大きな絵が数枚かかっている。7枚。どれも同じような赤と茶色でかかれた面と四角やコの字の抽象画で色合いなどはそれぞれ違う。中央には大きなベンチがあって、まばらな平日客がじっくりとそこに座り眺めているようすだ。少しだけ洞窟にはいりこんだような気分になり、壁画(教会のよりも洞窟の?)という作品名にしっくりくる場所だった。

シーグラム壁画は見ているとぼんやりと視界がずらされる。それはトリックアートやブリジット・ライリーのストライプ作品のようないかにもなものではないのだが、それでも、ぼんやりと線や枠が外側にはみ出すような、中央部が拡張するような感じが誰でもあじわえると思う。これは引用した著者のいうとおり、視覚の特性で、中央に視点を合わせれば中央はぼやけ、周囲を見つめると中央がぼけてしまうという人間の視覚が影響するのだろう。ただし、巨大な絵の中心はなにもない面のため、見つめれば見つめるほど、どうも視点が中央から外側に拡散していってしまうのではないだろうか。また、壁一面を埋め尽くすようなキャンバスのサイズ感にも効果の理由がありそうだ。

この絵から感じるのはどちらかといえば「感情」というよりは「感覚」で、鑑賞者のゆらぐ感覚と存在感のようなものを楽しむ部屋なのではないかとおもった。いずれにせよ、部屋から出てくるとちょっとしたアトラクションから出てきたような、耳か頭のなかをなにかやられたような気分になる。