罪の色 夢の色 愛の色 嘘の色

あの日君は心臓の匂いがした

2017年06月

氷艶 <ちょと番外>

今から渋谷です。また手が止まってしまう気がするのでがんばります。

LOTFでも炸裂している髙橋大輔の男性と絡んだ時との強烈な背徳感。
しかし自分の中にはもっと倒錯的で書くことが憚れる、しかし強烈な負の欲求があることを知っています。嗜虐性とは違うものだけれど、それでも抱いてしまう人の科。見たいという欲求。
そんなものを垣間見るシーンが氷艶にはありました。

過去にも書いたことがあるのですが、見返す勇気がない。正直、あんなことを書いてしまった当時の自分をタコ殴りにしたい。
たしか「足場の悪い泥沼の中で自由にならない身体で、もがくように踊る髙橋大輔がみたい」というようなものだと思います。

脚を奪われた髙橋大輔程、倒錯的なものはない。奪われ裸にされるほど、魂の煌めきをみせつけてくる人。
自由に舞える身体を返してあげて欲しいと願う一方で、奪われても尽きない表現欲求が彼をどんどん純度の高い存在にし、燃え尽きる前の命のような煌めきを放たたせるだろうと妄想させる。
私の中での髙橋大輔最大のタブー。四肢がもがれてもその踊る姿が観たいと思わせる昏い欲求。

何度も泣いた。彼が再び脚を負傷した日から。
血反吐を吐くような叫びを上げた大輔さんを想えば、宮本さんのように変わってあげたいと何度も思い、自分なんかの存在が彼の脚の代わりになるもんかと自分を罵り。そんなことをファンが思うなんて彼は望んでない。自分みたいな後ろ向きで悔恨を燻らせるファンは、彼の重荷のひとつでしかないと言い聞かせ立往生した日々。

戻ってきた大輔さんの活躍を追いながら、痛みが強すぎたからか繋がりきらない感覚。なくならない空虚。
それが跡形もなく消して見せた氷艶の舞台。2015xoiから綺麗に時間が繋がった感覚。
髙橋大輔が戦い、演じることに身を投じる瞬間を見る悦び! まさに表現に身を投げ出す彼。

前置きが長くなったのですが、阿国の舞の後に正体がバレて氷上に靴を持たない義経が追われる様の生々しかったこと!
「氷の上でなら、追われてもいやらしい程逃げ切れる自信がある」と言った大輔さんの本音。彼の技術ならばどれだけ囲まれても、誰よりも自由だと。
その髙橋大輔がスケート靴を、はかずに魑魅魍魎の巣窟で身バレしたというのは、物語り中でもなかなかにスリリングな演出だったと思う。

図らずも舞台の上で自由に動くことが出来ない髙橋大輔を見ることになってしまった。実際は演技であり、彼は義経になりきっている。その上でプロジェクションマッピングに動きを合わせて走らなくてはいけない。
大輔自身が誰よりも「なんでこんなに動くのがたいへんなんだ」と思ったでしょうね。
リンクの反対側なんて一瞬でいけるのに。
思うように動かない義経の苦しみが、非常にリアルに伝わってきて、それがなんだか嗜虐的。

美しく強い存在が囚われてもがく姿は、人間が昔から好む姿ですから。
本当は羽ばたく姿を見た方って、逃げてしまうのだから仕方ない。
愛でたければ、鳥籠の中に閉じ込めるしかない。

実際には体感しないものに囚われてもがかなくてはいけないという二重、三重にややこしいシーン。
しかしけして滑稽にならず客席も固唾を呑んで高揚していたのは、彼のあの眼のせいだと思う。けして屈することのない義経の眼光。

初見の日は義経を背後からみる位置だったため、彼の表情は当然見えていません。
しかしその背中は諦めとは程遠く、隙を伺っていることがありありと伝わってきて。
実際の義経の眼差しは反発を示すものどころか、野生動物が相手の喉笛を狙うものだった。
これが演出だったのか、彼の役作りだったのか是非知りたい。あの義経の魅力を作り出したピースがここにもあると断言。しかしそれは髙橋大輔がそのまま奥底に持っているもの。

人の私欲や懊悩には汚されない。彼の優しさに隠れがちになる誇り高さが曝け出された瞬間だと思いました。
まあ、実際は彼は全力で演じて初めての芝居に尽力しているわけですが。敵方の女が自分に寄せる歪んだ願望にさらさら吹き込まれるというのはどんな心地なのでしょう。
何せ「寝所」って設定ですから。捕らえられた義経は、その場所に連れられ、身動きを奪われた状態で精神を翻弄されているわけですから。巨大な岩長姫は、義経の脳内映像なわけでして。

スケート靴をはいた大輔さんはホームレスを演じても、全てを昇華する美しさだったけれど、靴をはかない大輔さんの演技や舞は、もっと生々しい。神の憑座でなくなるぶん、更に血が通って体液の匂いがするものになるんだと感じました。
スケート靴はまさに羽根なのだと。
昇華させる美しさを取るか、地に残り続ける生々しい痕とするか。2つの可能性を今、髙橋大輔は持っているんだなぁ…なんて。

これがLOTFを見に行く前の私が思ったこと。
まさに今から舞台の上で自由に舞う大輔さんを見に行くわけですが、全く違うことを思っているかも知れません。
それもきっと悦びのはず。ただ、少し怖いです。
髙橋大輔がスケーターである必然はなくなってきていますから。その才能ゆえにね。

氷艶 <4>

「ダラダラ書こう! 氷艶、義経様の魅力」シリーズですが、今回はもうちょっとテンションをおとして進んで行きます。

髙橋大輔最大の見せ場と報じられます、独壇舞。
男装の遊女阿国に扮して潜入する義経様ですが、取りあえず自分の魅力を考慮せず決行してしまった愛すべき浅はかさぶりではなく舞そのものについて。

ぶっちゃけなぜトーンダウンかと言えば、自身がネタバレし過ぎて会場に向かったから(爆)
あれは初演を、みられた方が羨ましい。自業自得なんですけど!
ネタバレしつつ挑んだ比較としては台輔様の方が強烈でしたね。あれは見たことがない髙橋大輔でしたから。

一方阿国の舞自体はむしろ髙橋大輔らしさをかんじていました。そりゃ、あんな細かい上肢の振りを実施する髙橋大輔は見たことがありませんよ。
息を飲んで見守りつつも、どこかホッとする髙橋大輔の気配を感じていました。それだけ彼が踊ることに集中していたからかもしれませんが、強いていえばあの時間だけ、時が止まったように髙橋大輔>義経公に感じました。
それが安心しちゃうぐらい氷艶の間は「私の大輔さん、どこ行った?!」状態でしたから。

しっとりした入りにはまだぎこちなさが見えたのですが、それが不思議な初々しさ。纏められた髪が結い髪がたなびくより不思議な無防備さを醸し出し色香を漂わせていました。
そして宴会の席を氷の眼差しで見渡す義経。
このキーンと耳に響くような義経様の冷徹さと存在感が、なんともたまらない。このシーンをアップで見たい!

ここからの義経が悪党達と、いわず会場に存在する全てのひとを興奮の渦に引きずり込んでいくわけですが…
まさに渦でしたね。あれよあれよと勢力を増しながら、いつの間にか大きくなり、怪物のようにひとを引きずり込む。

東京ゲゲゲイの、キテレツで細かい手振りを操る大輔さんを、どうかしているとも思いましたが、あれを自分のモノへと咀嚼し、違う踊りをあの観衆の前へ叩きつける大輔さんはさらにどうかしている。

中日にはまだ彼の背中は緊張してように見えたのに楽日には振り切れた彼の姿がありました。音を操り見た者の内からも音をこみ上げさせる。いまだかつて見たことがない踊りを見ているのに、そこには日舞とも東京ゲゲゲイとも違う髙橋大輔の踊りがあり、やっぱり自分は髙橋大輔の踊りが好きだと思いました。彼の腹の内に持ったリズムが自分の鼓動と重なる悦びといいますか。

その彼がもつリズムが氷上より顕著になるようになった気がしました。靴を脱いでも自由になってきたということなのか

うねり。込み上げてくる昂り。
groove感とも少し違うような、日本人のDNAに刻まれた原始の拍動。まあ、それが日本人だけのものなのかは私にはわからないし、脳内では太古の、むしろジェラシックパークが展開中(意味不)

この破沙羅の舞台は、芸能が生まれる遥か昔の神代なわけですから、この泥臭い原始くささがとても合う。髙橋大輔が下す神は「天」存在するものではなく、自然や「地」に宿る非人格的なモノ。屍が還る土の匂いがするような気配。

昔何かの雑誌で「髙橋大輔の東洋の美」みたいな記事があった記憶があるのですが、西洋人が持ちえない神秘的な美に西洋の方も惹かれると。
きっとそれは軌跡が造る「流れ」であったり、間が造る「空」の概念だったり。髙橋が作る「沈黙」や「静止」には恐ろしいほど濃密な空気が詰まっている。
とめ、はらい。書道にそれに近い美とその「間」
そもそもスケートは軌跡を描く美しさを表現するものですから、たしかに書道に通じるとこもありますよね。大輔さんの舞は例えアップテンポであっても長唄に合うのは、その「魂魄」に根付いているからなんでしょうね。

舞踊の嗜みや知識のない私には個人的感覚でしかいえないのですが、大輔さんの音の取り方には西洋人とは違う「うねり」みたいなものがある気がします。民謡やそれこそ演歌が生まれるような日本人が好む韻に情感を乗せる。
それがあの早い舞の中にもあり、かっこいいとかスゴイとかいうより気持ちイイ!!
腹の底から心地よい高揚が湧き上がってくるのです。

それを感じたのは自分だけではないから、あの代々木体育館が揺れるほどの歓声が起きたのだとおもうのですが、どうでしょう?
髙橋大輔の踊りは脳にキモチいい、あらため、腹の底から躰が悦ぶ。

(1年以上も間が空いても早々に迷言を繰り出しつつ、もう少し氷艶語り続きます)

氷艶 <3>

義経様の私の一押しシーン。「殺陣」
阿国舞が1番の見せ場だったり、衝撃だったかもしれないけれど、個人的一押しは戦闘シーン。

まさに剣舞。舞うような美しさ。ずっと見ていたいと本気で思った。
今まで大輔さんが何かを持って滑るのをあまり見たことがなかったのでこれだけは心配だったのですが、なんてこたない。氷の上では誰よりも自由で制約のない男。
彼が「難しい」「変な形になってた」と初めて刀を持った時に言った時から、これはなるべくしてなった結果だったのか。
人に見せるものである以上、美しくなくてはいけない。そして血の通ったものでなくてはいけない。

ここでも結い髪と長衣が動きにあわせ翻り、いい仕事をしていました。個人的に前髪もね! 払い除ける仕種がサイコー
つか、本当によくブレード引っ掛けなかったよな大輔さん。引っ掛けて転倒してたら大惨事だよね。この公演中、見せ場で義経が転んだら世界観が崩れてしまうから、ジャンプもバタフライもプログラムよりプレッシャーがあったのでは?

それにしても義経の刀の軌跡は美しかった。まるで彼のブレードの軌跡のように、この胸に煌めきを焼きつけ、心を撫で上げるものだった。
刀の扱いがもっと拙かったり躊躇があったら、義経の魅力は半減していたと思う。何よりも敵に立ち向かう姿が美しく、危険な艶を放つ存在だったから。

敵は人外の化け物ばかりであり、助けを求め呼び出した味方すら神代の力をもつ存在。
それに比べて義経は身軽で剣技に優れた美しいばかりの存在。御大将といっても知将というよりかは無鉄砲に近い豪胆な気質で、正義感で敵に突っ込んで行くような若者なのだ。
その若者が異界の地で魑魅魍魎に立ち向かっていくから面白いのであって、義経の武器は剣技と戦さの「カン」だけ。
これで弱かったら、まじ「お前、敵に狙われるただのヒロインだろ!!」とツッコまれてしまう(笑)

髙橋大輔演じる義経の最大の魅力は、あの倒錯的欲求を掻き立てるヤバイ色香だったことは否定できない(うん。出来ない) しかしアレを創り出していたモノは、絶妙なバランスだと思う。
戦う義経の美しさと強さがなければ、あのバランスは存在しなかった(ハズ)

義経があの一瞬の髙橋大輔がもつ音のない加速力で剣を翻し斬り込んでこれば、観客はどっと湧く。
ハッキリいって、スケート漕いで斬り込んできたら迫力も半減するよ。そしてあの予備動作を必要としないターンからの動き。鮮やかとしか言いようがない。
ステップ踏むのに上体が直立するようなスケーターでは格好がつかない。
どう見てもあの氷上で、義経が誰よりも強いことに疑いはなかった。(岩長ちゃんの人外パワーと静のそりゃねーだろ愛の力は抜きにね)

大輔さんの殺陣の練習時間は他のスケーターの比ではなかったと思う。そうじゃなかったらセンスがとんでもない。義経は「フリ」ではない打ち合いが見せ場だったから。

弾正との対決シーンは相当練習もしただろうし、お互いの技術への信頼がなければ、演出する方もやらせられない。
あの躍動感は彼のスケート技術と身のこなしがあってこそ。氷の上なので染五郎さんは素早く動けないので、大輔さんが飛びかかり、または身をかわし、時に跳ね飛ばされることで、弾正が手練れであり怪物的な強者であって、それに捨て身すらいとわない義経が立ち向かって行くというシーンを創り上げていた。

怒涛の両大将対決。TAOの鬼神が如くの荒ぶりが、向かい合う2人の鼓動が荒ぶっているのを観客に伝える。ここまでの展開が全てこのためにあったといってもいい、血が湧き立つ真剣勝負の迫力。

ここからの義経こそが氷艶における髙橋大輔の真骨頂。技術は全て表現し演じる為の手段でしかない。
無双の敵に立ち向かって傷を負う程に闘志と共に立ち昇る色気。正に染五郎さんの狙い通り。
しかしここまでが想定内。
髙橋大輔が持つ、血の通った演技。義経の体から流れる血が見えそうだった。
想いの内に秘めるものを見せる歌舞伎の演技とは別の、リアルを幻視させる髙橋大輔の異才がこれでもかと発揮されて。

義経の戦い方は正に肉を切らせて骨を断つ。
血を流し、生と勝利への執着。髙橋が隠し持つ負の魅力と血…体液に由来する毒。
艶然とした義経の笑み。(実際は席的に見えてなかったと思うけれど、気配で見た気にさせられた)

これらがあの、代々木体育館の観客が見守る中で炸裂したわけです。会場自体が毎回生き物みたいに興奮していましたね。
…あれ、殺陣じゃなく戦闘シーンの話にいつの間にかなってる。
そのくらい見たものを興奮の渦に引っ張り込んでいく氷艶だったというわけです。
(まとまらないまま次に続く)

氷艶 <2>

と、ここからは氷艶義経様がいかに魅力的だったかを、ダラダラ語っていきたいと思います。

まず取っ掛かりは、そのビジュアル。
はい、いきなりそんなミハー路線から。
何度も氷艶タグで呟いていましたが、義経様の圧倒的な美形感。
頭の先から足の先、髪先から吐息まで瞬きを惜しんで見つめていたい美丈夫ぶり。
何が凄いかって、あの広い代々木体育館の天井席まで、義経が美しい見たものを虜にする魅力を持った青年であることを伝えていたことだと思う。
正直自分も3公演中、義経様の麗しいかんばせを、正面から拝む機会には恵まれなかった。
それでも彼は、その立ち姿、所作、立ち回りだけで、背中から見ても美形だと疑わない義経を演じていた。

髙橋大輔というひとは顔の造作には恵まれているけれど、身体は舞台映えするほど恵まれているとは…ごにょごにょ
しかし義経の立ち姿は本当に美しかった。
完璧な優美な姿勢というのとも違う。(義経の衣装は肩の飾りから首を引くことは物理的に難しかったと予測)少し腰の入った隙のない佇まい。
敵を前にした時は、猫科の動物が敵を見据えるような前傾になり、しかし失われない気品。少し物憂げな翳りがあるような佇まいが、孤高さを説明もなく演出していたと思う。

あのスケーターの中では誰よりも滑り辛かっであろう衣装も良かった。元の小顔と相まって、スラリとしたむしろやや長身の青年に見えるほど。しかし実際の華奢さが悪役歌舞伎役者さん側と絡む時には、あちらのバケモノ感をさらに際立たせるという美味しさ。

髙橋大輔の本来の好みからすると、弾正の黒や銀を着たかったかもしれないが、あの義経の衣装の色合いは実に似合っていたと思う。鮮やかでありながら若々しく、なのに不思議と老成も感じられる。彼がただの若武者ではなく、実戦のある大将であることに違和感がない。
それも彼の着こなしと風貌が創り上げた絶妙なバランスがあってこそだと思う。そしてやはり神がかっていたのは、あの髪型だ(駄洒落ではなく笑)
もともとずっとあの髪の長さで生きてきたかのように馴染んでいた。長髪を払いのける仕種まで、許されたものにだけある艶を滲ませて。彼が身を翻す度にたなびく結い髪を、義経に魅了された観客は瞬きを惜しんで見つめてしまった。
ちなみに髙橋ファンではない職場のコに氷艶の映像を見せた時に1番最初に言われたのは「長髪似合いますね」だった( ̄∇ ̄)

それにしたってあの説得力は、髙橋大輔が培った技術と才能によるものだと思う。さすが美しさを競う競技で世界と戦ってきたひと。「神が遣わしたようなスケーター」と言われたひと。
髙橋は持って生まれた容姿以上の美しさに魅せる技術を呼吸するかのように自然に持っている。
だからあんな息を切らし雄叫びをあげ死闘を演じながら、壮絶な色香を発することが出来るだと断言したい!
(酔っ払い加減がいい調子になり、まだ続きます)

氷艶 <1>

「氷艶.破沙羅」中日昼、落日昼夜の3公演観てきました。中日はいても立ってもいられずの追加でのチケ取りで、日帰りで新幹線往復の強行。
それでも3公演見ることが出来て本当によかったと思うものでした。
歌舞伎は未経験、アイスショーはボチボチの私からしても、初見の一部終盤ぐらいから「これは凄いことになる」と武者震いのような高揚を感じました。
こんなものが日本でやったら、今あるアイスショーはもっと改変しなければ成り立たなくなる。それぞれが特化し、もっと作り込まなければ。しかし、成り立つのか?!
そんなこともグルグル。
しかし公演が終わってみれば、予想以上のメディアの沈黙ぶり。まるであれは夢。染五郎さんといわれた生きた証人がいなければ、形には残らない予定だったもののよう…

氷艶の何が素晴らしかったなど山の様にあり語りきれないのですが、端的に言えば「わかりやすさ」だったのかなと思います。
感動のわかりやすさ。迫力が1番でしょうか。これでもかとアイスリンクの広さを活用し、スケートの魅力である「美しさ」と「流れ」そして「ダイナミックさ」がわかりやすい迫力を産んでいました。
そこにスケートがもたない歌舞伎の所作や台詞回しのわかりやすさ。それぞれが補い、絡まり、畳み掛けるようにして、実にテンポよく展開する舞台。余韻を引く幕間。
そこへDRUM TAOが温度を上げチームラボが彩りをつける。そこには五感の全てを刺激し、匂いすら感じる空間が作り上げられていました。

とにかくリアルというか臨場感があり、あの空間を共有した全ての観客が、鼓動が高鳴り息も荒くなる。高揚を共有している感覚がたまらなかった。
それには演出の染五郎さんや影の主役笑也さん、脚本、振付師など沢山のお力があってのこと。私は特に忍者部隊やアクションチームの活躍にこの舞台の成功があったと思います。プロスケーター(すら引退されて指導中心の方など)の協力がなくして、この盛り上がりはなかった。

しかし、それら成功へのキーワードを揃えても、これほど大輔ファンが「氷艶ロス」という現象を引き起こすことはなかったと思います。
LOTFをあと数日に控え、それでも氷艶に飢えるこの感覚。あの舞台を観ていない方からすれば理解しがたいものかもしれません。
なぜなのか。

自分の中では答えは簡単です。
髙橋大輔が演じた破沙羅の義経が、あまりにも魅力的過ぎたから。
芝居をする髙橋大輔が自然過ぎた。当たり前過ぎた。

髙橋大輔は台詞をなしに所作や振りつけ、滑りだけで、完全に義経を演じていた。
多分彼は、マイクがついていても演じ切っていたと思う。そのくらいリンクにいる時は義経として「生きていた」。
それが生々しくて、美しい若武者が魑魅魍魎に立ち向かっていく姿を、息遣いまで感じる距離で見守っているような臨場感。

よく大輔さんのスケートは彼と観客との物理的距離感を無効化すると私はいいますが、プログラムを演じなくとも彼はリンクに存在する間中は義経であり、その間観客と彼との距離間は消え、岩長姫のいうところの彼の吐息が感じられそうな感覚すらあった。

手が届きそうで、しかし届かない感覚。髙橋大輔がもつ距離感を支配する能力が、恐ろしく義経の魅力を観客にも伝えていたと思う。
わかってはいたけれど、キャラクターを演じることに彼のもつ「感性」と「集中力」はとてつもなく有効で、これが試合では点にならない「表現力」だなと感じました。
(続きます)
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