2007年05月29日

〜中国〜
バカ兄弟との再会

 「朋(とも)あり遠方より来(きた)る」
この言葉は、昨日のお昼のような時に使えばいいのでしょうか、大博士?

 もったいつけて書いているが、ようは久々にバカ兄弟2人と再会した。
武漢より一時帰国中の長兄熊猫Tさんと、日本に戻ってきた4男ショーゴと築地で寿司を食べた。

 熊猫さんは、武漢の雰囲気そのままだった。
武漢での雰囲気と変わらないというのではなく、僕が思い起こす武漢の街そのもののようだった。
ショーゴもまたしかり。
顔をあわせて話していると、自由だった日々の記憶がよみがえった。

 ジーンズ姿の大博士と、短パン、半袖姿の4男に対して、僕はスーツ姿。
しっかりと、ネクタイまで締めている。
「武漢の時と全然違いますね」とのショーゴの言葉通りだ。
悲しいかな、サラリーマンの現実はこれなのである。

 せめてもの抵抗として、ランチでのビールを1杯だけ楽しんだ。
2人には、少しだけだけど杯を重ねてもらった。
寿司屋のポイントカードをためているせこさも嫌になるが、2千円引きが目前になっているカードを家に置いておくわけにはいかなかった。
小さく生きている人生を象徴する気がするが、それも僕自身の選択だ。
仕方ない。

 武漢は、もう既に30度以上の気温があり、暑いという。
思い出すだけで、不愉快になるあの独特の暑さだ。
けど、そんな気候でも、武漢に戻る長兄が羨ましかった。
若くて時間があり、今夏から3年の留学に再びもどるという4男に関しては、もう言葉もない。

 まあ、20代、かなり好き勝手にやってきたのだ。
これ以上、何をのぞもうか。
職場でパチパチとキーボードをたたきながら、自分の心をなぐさめる。
「あきらめだけが人生だ」と。

 寂しいことを書いているけど、来月は久々に中国に行けるかもしれません。
今の数少ない楽しみです。

  
Posted by sdiusr054 at 00:45コメント(3)トラックバック(0)

2007年05月01日

〜中国〜
ささやかな日中友好

697274d2.JPG ゴールでウイークの前半、4月27日から30日に大阪から李先生が東京へ遊びにやってきた。
僕が武漢での留学中に世話になった総合の授業の先生だ。
クラス担任もしていたため、先生の中でも関係は深い方だった。

 先日、京都で久しぶりに再会したのを機に、東京に遊びに来るのを誘ってみた。
今年のGW、僕は海外に行く予定もなく、近場でコチョコチョと遊んでいる。
だったら、ささやかな日中友好も良かろうと考えた。

 実家の埼玉に泊まってもらえば、先生も宿代がいらない。
池袋から最寄り駅まで40分もかかるので、僕もそんなに実家には帰らない。
たまに両親に顔を見せる、良い機会にもなる。

 ただ一番の問題は、李先生が全く日本語ができないことだ。
1年生活していて、よくぞここまで出来ないと思うのだが、生活には不自由しないらしい。中国で、僕が生きるために必死に中国語を勉強したのとは状況が違うようだ。

 しかも、先生は携帯電話を持っていない。
最初の待ち合わせには、かなり気を遣った。
細かく指示をメールで出して、27日夜に先生に会社に来てもらった。

 28日は両親に車を出してもらい、世界遺産の栃木・日光へ。
日帰りで疲れたが、京都の景色を何度も見ている先生も喜んでいた。

 29日は都内観光。
浅草、築地でのお寿司、六本木ヒルズ、都庁からの夜景のコースを巡る。
カウンターで食べた寿司には、かなり満足してもらえ。

 30日は、地元の川越案内。
天気に恵まれたため、かなりの人手があった。
僕が子どもの頃よりも、観光地として整備されつつある。

 ってな3日半、久々に中国語漬けになった。
だべっているだけだが、先生からは新しい単語の紹介や、発音の修正も受けた。
使いながらの中国語の授業だ。

 先生は、日本人の一般市民の家庭に泊まり、中国語のできない普通の日本人(うちの父母)と交流したことが思い出になったと言っていた。
僕は連日、昼過ぎの起床だったので、先生は母と自転車で団地を周り、筆談などで会話をしたそうだ。
「お母さんと話して、日本人と交流する楽しさを感じた」とは、李先生の言葉。
これを機に、日本語を勉強してみるとのこと。
好影響をあたえたみたいだ。

 少し疲れたけど、僕にとっても楽しいイベントでした。  
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2007年04月17日

〜〜
春の京都観光

1a16c448.JPG 四季の変化を味わえるようになるのは、年を取る一つの特権であろうか。
子どもの頃は、ただ学期の区切りがあって、休みが来るのを楽しみにしていただけだった。
僕はギラギラした太陽が照りつける夏が好きだ。
大学生の頃の、最大の趣味がスキューバダイビングのせいだった影響が大きい。
けど、最近は穏やかな春と秋を好むようになってきた。

 特に寒くて、憂鬱な冬から抜け出す春の和やかさが嬉しい。
桜が咲き、緑に若々しい生命力がみなぎる。
転勤や持ち場替え以外に区切りのない生活を送っている分、季節の変化に敏感でありたいととも思う。

 幸い、先週の金、土と1泊で京都に出張する機会に恵まれた。
土曜日は仕事もなかったので、古都の春を楽しんだ。

 武漢の華中師範大学時代、総合の授業を教えてくれた李先生が今、大阪の大学で教鞭を取っている。
まだ28歳と僕よりも年下だが、授業のやり方は非常にうまかった。
宿題をたくさん出すスパルタの先生だったが、だいぶ力を伸ばしてもらったと感謝している。
 
 その李先生に京都に来てもらい、一緒に半日観光を楽しんだ。
僕は福島県より北と、四国にも行ったことなく、国内観光をしたことがあまりない。
チベットには行ったことはあるが、東京ディズニーランドにも足を運んだことがない。国内は老人になってからと思っている僕なので国内観光なんて、とっても珍しい。

 土地勘もないので、金曜日にも足を運んだ嵐山近辺に行くことにする。
まずはトロッコ電車に乗り車窓の風景を楽しんだ後、近辺を散策する。
天気に恵まれて、気持ちいい。
その後、世界文化遺産にも登録されている庭を持つという天龍寺を訪れた。

 さすがに見応えがあった。
手入れが行き届いた木々には、桜をはじめ色とりどりの花が咲き乱れていた。
何時間でも散策していたくなる、ゆったりとした時間が流れている。
写真はその日の青空を併せて、ここで撮った写真だ。

 武漢から大先生が京都に帰ってきたら、また足を運んでもいいと思った。
そしたら美味しい食べ物のお店にも連れて行ってもらえるだろうし。
ひそかに四国案内も期待している。

 ちょこっとおいしい出張でした。  
Posted by sdiusr054 at 20:13コメント(2)トラックバック(0)

2007年04月10日

〜中国〜
NHKスペシャル「激流中国」

 珍しく中国ネタ。
武漢から戻って、はや8カ月以上。
離れていると、やはり発信するものもなくなり、情勢にも疎くなる。
いかに現地にいることが大切かを実感する。

 当面、中国に足を運ぶ機会もないので、メディアを通して勉強するしかない。
日々、新聞を読んでいるが、たまにはテレビもチェックする。
中でも頼りになるのは、NHKだ。

 1日、2日とNHKスペシャルで、中国ものが放送された。
タイトルは「激流中国」。
初回のテーマが貧富の差で、2回目がメディアだった。
さすがに時間と人、金を掛けて取材している。
知り合いの民放の記者は「うちにはできない」と素直にできを認めていた。

 貧富の差では、劇的に金を増やす富豪と、底辺からはい上がれない出稼ぎ農民を対比させて見せていた。
かなり感情に訴える作りになっていて、ある程度の知識のある僕からすると、伝えられる情報の深さに足りない部分がある。
胡錦濤政権が進める「和偕社会」への動きなどを絡めて欲しかった。

 メディアの回では、中国での情報管理の実情が実によく伝えられていた。
登場した経験豊かな雑誌編集長には、どこまで書いたら当局から処分が出されるのか、さじ加減がよく分かっている。
その加減具合は、若い人には腰が引けて見える。
若手のうちの何人かは飛び出して新しい雑誌を作るが、結局、長く続かせることができない。

 地方を地道に取材しながら、問題を浮き彫りにする年配の記者も登場した。
今の中国メディアができること、どのような現場から情報発信しているのか勉強になった。

 中国メディアは当局の管理下に置かれている=だから使えない、という批判も時に見つける。
しかし、中国メディアの中にも良心的記者や編集者は多くいるし、ジャーナリストとしての仕事を全うしたい人もいる。
そうした思いを抱える人たちが、地雷原を踏まないようにしながら、独自に努力と工夫を続ける。
彼らが自分が信じる報道を伝えるのは、報道の自由がある日本のメディアの記者よりも大変なことなのではないか。
そうした思いを抱いた。

 何かの機会があれば、皆さんもぜひ見て下さい。



   
Posted by sdiusr054 at 23:54コメント(3)トラックバック(0)

2007年03月21日

〜〜
太く短くの人生

 昨日11月に仕事の関係で出会った人が亡くなった。
42歳。死因は腎臓ガンだった。

 破天荒に生きてきた人だった。
何の計画もなくタイに渡り、流れるままにカメラマンとして戦場に繰り出した。
お酒におぼれてアル中で入院もした。
僕が出会ったのは、やっと精神病棟から復帰した所だった。

 けど、エネルギッシュでパワフルな感じの人ではなかった。
逆に言葉を慎重に選んで話す、文学青年のような繊細さがあった。
40代の男性にしては、目がきれいだった。
10歳以上年下の僕がいうのも何だが、どこか大人になりきれていない気がした。

 たった1時間しか話をしなくても、性格や感性が合う、合わないというのは分かる。惹かれるタイプだった。
僕はレールの上をきちっと歩んでいく人生に敬意を持つが、一方、彼のような脱線型の人生にもまた面白さを感じる。
自分にもう少し自信があり、器が大きければ、きっと僕もアフリカの大地か戦場に出ていくだろう。
しかし、残念ながら僕の能力には限界があり、殻を破れないのでサラリーマンをしている。
その分、思い切った行動ができる人にはあこがれる。

 時間があれば、いつかお酒を飲み交わしたいなと思う相手だった。
これから物書きとして歩んでいきたいと話していたのに、あれからわずか4カ月で亡くなってしまった。
太く短く生きた人生だった。
そして輝きを放っていた。

 遺影には僕が出会った時の写真が使われるという。
ご冥福を祈り、哀悼の意をささげたい。
  
Posted by sdiusr054 at 11:38コメント(0)トラックバック(0)

2007年03月18日

〜〜
31歳の誕生日

 実に静かに平穏に一日が過ぎていった。
31年前の今日、僕はこの世界に生まれてきたのだ。
今日が一年の中で、最も特別な一日だ。
しかし、この誕生日は僕の記憶の中に全く残らずに流れていくことだろう。

 31歳の愚息の誕生日でも、親にも特別な日のようだ。
片道2時間が面倒で、実家に寄りついていないのだが、僕のために赤飯を炊いて父と母で食べたそうだ。
できが悪くて、愛想のない息子ですいません。

 昨年は本当ににぎやかだった。
過ごした場所も異なり、周りを大勢の人が囲んでくれた。
今は日本のマンションの一室で、たった1人パソコンに向かっている。
テレビだけが唯一の話し相手だ。

 人生には華やかでノリノリの時だけでなく、時には淡々と過ごす時期も必要だろう。
静かな時間の方が、自分の心を見つめることができる。

 思えばこの8カ月は中途半端な努力しかできなく、地に足の着かない生活を送っている。
そんな嫌な流れを少しずつ変えたい。
昨日までの自分と決別するために、今日は一日掃除と洗濯に精を出した。
身の回りの事をきちんとする。
そんなことから始めるしかない。
そして、スポージムで新しいスタジオ・レッスンに参加した。
ちょっとずつ自分を変えていくしかない。

 30歳を超えての自分のフルモデルチェンジというのは、難しいだろう。
いや、あえて大きくは自分を変える必要もない。
コアな部分はもう変わらないだろう。

 それでも少しずつマイナーチェンジのための努力は続けたい。
何も成長しなければ、生きている意味がない。
少なくとも自分で成長したと思える一年を過ごしたい。

 少々、精神的にしんどい停滞期がしばらく続くだろう。
出口の無いトンネルはない。
そして、千里の道も一歩から。
今はこの言葉を信じて、コツコツと歩みたい。
これが31歳の誓いです。

 いつも中国・武漢から気を遣って下さる、mklaoshiさん、くまねこさん、どうもです。
ブログには中国話を書いていませんが、思いは忘れてはいませんよ。
 
 来週の日曜日には、中韓の友達を実家に連れて行き、「日本の庶民の家を見学する遠足」の会を予定しています。
東アジアへの思いを心の底に持ちつつ、前向きに生活していきます。  
Posted by sdiusr054 at 22:03コメント(0)トラックバック(0)

2007年03月12日

〜〜
1カ月更新せず

 淡々と毎日が過ぎ去っている。
ゴルフ、ハングル、二胡、仕事。
上記の順番で力を注いでいる。

 仕事が4番目なんて、まあ、通常ならあり得ない。
社会人になって、最前線に出ている時は、生活の9割が仕事だった。
仕事をこなすために食事をして、仕事の体力確保のために寝た。
週末に洗濯、掃除をして生活を立て直すのも、仕事のためだった。

 そんな緊張感のある、戦いの日々から解放されている。
実に生活にゆとりがある。
しかし、心の潤いは足りず、時折、無性に寂しくなる。

 日曜日で31歳だ。
昨年、30歳のビッグバースデーをお祝いしてもらった、武漢での一日を思い出す。
良くも、まあ、あれだけの人間が集まってくれたものだ。
その時も感じていたのだが、とても幸せなことだ。

 今年は特に予定がない。
2日前には、察しの良い母親が「来週の日曜日はどうするの?」と電話してきた。
「予定無いなら実家に来れば」との誘いだった。
「まあ、淡々と過ごすよ」と答えておいたが、正月以来実家に寄りついていないため、すき焼きを食べに帰ってもいいかなと思っている。

 親とは時に、うざったい存在でもあるが、いくつになり、どこに居ても気に掛けてくれるのは、やはりありがたい。
孫の顔を見せるのが最大の親孝行と思うが、それは数年先のことだろう。
マザコンと言われようが、母への感謝の気持ちを忘れたくない。
もちろん、もう片方の父親へも。

 断食以来、1カ月で体重が3キロ減りました。
体が軽くなり、ランニングするのも楽です。
   
Posted by sdiusr054 at 23:13コメント(2)トラックバック(0)