2009年03月31日
1000日間連続「学び」のアウトプット修業・卒業
最初は、1000日間など何も考えずにblogを始めました。
気付いたら、学ぶことの楽しさを覚えました。
自ら、
「学びの天才」と名乗り、
いつの間にか、1000日間連続で「学び」をアウトプットし続けようと決心していました。
勝手に始めて、勝手に決めて、勝手にやり抜きました(笑)
誰からの強制ではなく、自らの意思です。
総日数:1005日
総記事数:1007
2006年7月1日〜2009年3月31日までの長く、短い、学びの旅でした。
21歳からblogを始め、現在は24歳。
人一倍、まわり道をしてきて、本日、ようやく大学卒業の日を迎えることができました。
大学卒業と同時に、このblogからも卒業します。
大学中退、ニート・・・
再入学。
ホントにまわり道をしてきました。
もしかしたら、そのコンプレックスを埋めることが学ぶということだったのかもしれません。
学ぶということに全エネルギーを注ぎ込みました。
大学の取得した単位は、合計174単位。
主専攻:経済学
副専攻:法学&心理学
3分野の認定を得ました。
大学院生の講義にも混ざり、大学院の単位も取得しました。
宅建、ファイナンシャルプランナー(AFP)をはじめ、取得した資格は30種類以上になりました。
ホノルルマラソンやNPO活動、異業種交流会、各種セミナー巡りなど自らの幅を広げようと積極的に行動もしました。
読んだ本が何冊になるのかは自分でもわかりません。
大学と専門学校のWスクール。
振り返れば、
本当に学びのアウトプット修業でした。
人一倍、学ぶということに力を注ぐことが、果たして本当に良いことなのだろうか!と疑問を抱いたこともあります。
学ぶことで、不要なプライドが構築され、人間関係形成のデメリットになってしまうのではないかという違和感も感じました。
やればやるほど自信はつくが、その自信が不要なプライドとなり、まわりからの理解を得られない孤立した人間になっていくのではないかという不安。
学び=成長
という安易なものではないのではないかという誰にも言えない葛藤がありました。
学び続けようとはまったく考えず、バカな発言を繰り返していた自分と比較すると、
出会いの幅は広がったにも関わらず、深い人間関係の構築がまったくなされない自分に「なんのために学ぶのだろう」というクエッションを何度も投げかけました。
むしろ、学びの少なかった自分の方が友達が多く、心を開いた深い付き合いをしていたのではないかと情けなくなる自分もいました。
知識も知恵も要領も、
礼儀、マナー、言葉遣い・・・
トータルスキルは格段にアップしたはずなのに、
可愛いげのない生意気な人間になっただけなのかもしれないと正直思いました。
人は賢くなると、優位に立ちたがります。
自らのスキルや実績などを示して、軽視されないように誇示します。
そして、人は、自らが優位に立てる部分がない人からは距離を置き、去っていきます。
「あのことに関しては、○○さん。これについては、私が優れている」
というバランスが成り立たなければ、対等な人間関係は成立しないのかもしれません。
上司と部下。師匠と弟子。
そのような関係は、友達との関係とは違い距離間のある関係です。
距離間のない関係を構築していくためには、
お笑い芸人のようなボケとツッコミの成立なのかもしれません。
ツッコミを入れてる瞬間は、ボケた立場の人間よりも精神的な優越感があります。
ボケた人間も笑いを誘うことによって、評価されているという気持ちになります。
ボケもツッコミも成立しない人間関係は表向きに過ぎません。
相手の心を開いてもらうために、自分からボケて、ツッコミを誘うこと。
そこが相手からすれば居場所になります。
ボケとツッコミの関係は、相手の居場所を作っているのです。
学んで、学んで、
たどり着いたこと。
どんなに学んでも、
バカな面、ボケは作らなければならないということ。
意識して、作るものなんです(笑)
欠点(スキ)のない人間は、孤立しますっ!
欠点(スキ)こそが、人間的な好きという感情に繋がるのだということに気付きました。
完璧を求めて、学び、自らを磨き、
相手が付け込むスキを作らなければならないという
真逆の視点に至りました。
長所が少なく、欠点が多いときは、
欠点を少なくしようと自らを磨くが、
それが改善されると
近寄りにくい存在になってしまうため、
あえて、スキを意識して作らなければならないというスパイラル。
別に、客観的な評価を重視して、身近に心の寄り所がなくても構わなければ、わざわざ欠点(スキ)を作る必要はないのかもしれないけどね。
当然、そのスキは、庶民的な感覚を意味するため、
政治家など客観的評価を重視せざるを得ない道を志すのであれば、逆効果になってしまいかねないのだろうけど(>_<)
あちらを立てれば、こちらが立たず。
学んだ結果・・・
これがベストだ!と言い切れるものは何もない!!
ということが分かっただけでした(笑)
なぜ、人間社会は、こんなにも選択が自由なのか。
それは、
ベストだ!と言い切れるものがないから自由なんだと思いました。
1000日という期間を続けてこれたのは、たった一人でも見に来てくれる「あなた」という存在がいたからです。
「あなた」に役立つ何かがあるならば・・・
blogを継続させる原動力になりました。
胸を張って言えるのは、記事にした学びにたったひとつの妥協もしなかったことです。
どんなに世間受けする良い切り口でも、記事を作るときの自分が納得のいくもの、満足のいくものでなければ、記事にはしませんでした。
一日に三冊の本を読んでも、満足がいかなければ記事としては一切取り上げませんでした。
blogで取り上げた本は、読んだ本の中の一部です。
どんなに短い学びも、長い学びも、妥協なしの「学び」です。
裏を返せば、
これが現段階の全力のレベルです。
明日になれば、blogによる学びの1000日修業は、過去のものとなります。
blogを通して、成長させていただきましたが、
大学と同時に、
キッパリ卒業し、
新たなものを積み上げていこうと思っています。
これまで積み上げたものは、すべてゼロ。
これからイチから積み上げていきます。
「夢実現日記」を卒業し、言葉ではなく、背中(結果)で夢を語っていきたいと思っています。
1000日間、お世話になりました。
ありがとうございますっ!
せっかくのご縁ですので、ご意見・ご感想・ご指導・ご鞭撻・ご不満・ご指摘・アドバイス等から愛の告白まで(笑)
なんでも構いませんので、
未熟な若造にパワーを下さいm(._.)m
↓↓
toga_masa@yahoo.co.jp
☆ヨロシクです☆
待ってま〜す!
一生懸命、全力で、
読ませていただきます。
また会う日まで、
お元気で(^^)
2009年3月31日
24歳、冨樫 正義
気付いたら、学ぶことの楽しさを覚えました。
自ら、
「学びの天才」と名乗り、
いつの間にか、1000日間連続で「学び」をアウトプットし続けようと決心していました。
勝手に始めて、勝手に決めて、勝手にやり抜きました(笑)
誰からの強制ではなく、自らの意思です。
総日数:1005日
総記事数:1007
2006年7月1日〜2009年3月31日までの長く、短い、学びの旅でした。
21歳からblogを始め、現在は24歳。
人一倍、まわり道をしてきて、本日、ようやく大学卒業の日を迎えることができました。
大学卒業と同時に、このblogからも卒業します。
大学中退、ニート・・・
再入学。
ホントにまわり道をしてきました。
もしかしたら、そのコンプレックスを埋めることが学ぶということだったのかもしれません。
学ぶということに全エネルギーを注ぎ込みました。
大学の取得した単位は、合計174単位。
主専攻:経済学
副専攻:法学&心理学
3分野の認定を得ました。
大学院生の講義にも混ざり、大学院の単位も取得しました。
宅建、ファイナンシャルプランナー(AFP)をはじめ、取得した資格は30種類以上になりました。
ホノルルマラソンやNPO活動、異業種交流会、各種セミナー巡りなど自らの幅を広げようと積極的に行動もしました。
読んだ本が何冊になるのかは自分でもわかりません。
大学と専門学校のWスクール。
振り返れば、
本当に学びのアウトプット修業でした。
人一倍、学ぶということに力を注ぐことが、果たして本当に良いことなのだろうか!と疑問を抱いたこともあります。
学ぶことで、不要なプライドが構築され、人間関係形成のデメリットになってしまうのではないかという違和感も感じました。
やればやるほど自信はつくが、その自信が不要なプライドとなり、まわりからの理解を得られない孤立した人間になっていくのではないかという不安。
学び=成長
という安易なものではないのではないかという誰にも言えない葛藤がありました。
学び続けようとはまったく考えず、バカな発言を繰り返していた自分と比較すると、
出会いの幅は広がったにも関わらず、深い人間関係の構築がまったくなされない自分に「なんのために学ぶのだろう」というクエッションを何度も投げかけました。
むしろ、学びの少なかった自分の方が友達が多く、心を開いた深い付き合いをしていたのではないかと情けなくなる自分もいました。
知識も知恵も要領も、
礼儀、マナー、言葉遣い・・・
トータルスキルは格段にアップしたはずなのに、
可愛いげのない生意気な人間になっただけなのかもしれないと正直思いました。
人は賢くなると、優位に立ちたがります。
自らのスキルや実績などを示して、軽視されないように誇示します。
そして、人は、自らが優位に立てる部分がない人からは距離を置き、去っていきます。
「あのことに関しては、○○さん。これについては、私が優れている」
というバランスが成り立たなければ、対等な人間関係は成立しないのかもしれません。
上司と部下。師匠と弟子。
そのような関係は、友達との関係とは違い距離間のある関係です。
距離間のない関係を構築していくためには、
お笑い芸人のようなボケとツッコミの成立なのかもしれません。
ツッコミを入れてる瞬間は、ボケた立場の人間よりも精神的な優越感があります。
ボケた人間も笑いを誘うことによって、評価されているという気持ちになります。
ボケもツッコミも成立しない人間関係は表向きに過ぎません。
相手の心を開いてもらうために、自分からボケて、ツッコミを誘うこと。
そこが相手からすれば居場所になります。
ボケとツッコミの関係は、相手の居場所を作っているのです。
学んで、学んで、
たどり着いたこと。
どんなに学んでも、
バカな面、ボケは作らなければならないということ。
意識して、作るものなんです(笑)
欠点(スキ)のない人間は、孤立しますっ!
欠点(スキ)こそが、人間的な好きという感情に繋がるのだということに気付きました。
完璧を求めて、学び、自らを磨き、
相手が付け込むスキを作らなければならないという
真逆の視点に至りました。
長所が少なく、欠点が多いときは、
欠点を少なくしようと自らを磨くが、
それが改善されると
近寄りにくい存在になってしまうため、
あえて、スキを意識して作らなければならないというスパイラル。
別に、客観的な評価を重視して、身近に心の寄り所がなくても構わなければ、わざわざ欠点(スキ)を作る必要はないのかもしれないけどね。
当然、そのスキは、庶民的な感覚を意味するため、
政治家など客観的評価を重視せざるを得ない道を志すのであれば、逆効果になってしまいかねないのだろうけど(>_<)
あちらを立てれば、こちらが立たず。
学んだ結果・・・
これがベストだ!と言い切れるものは何もない!!
ということが分かっただけでした(笑)
なぜ、人間社会は、こんなにも選択が自由なのか。
それは、
ベストだ!と言い切れるものがないから自由なんだと思いました。
1000日という期間を続けてこれたのは、たった一人でも見に来てくれる「あなた」という存在がいたからです。
「あなた」に役立つ何かがあるならば・・・
blogを継続させる原動力になりました。
胸を張って言えるのは、記事にした学びにたったひとつの妥協もしなかったことです。
どんなに世間受けする良い切り口でも、記事を作るときの自分が納得のいくもの、満足のいくものでなければ、記事にはしませんでした。
一日に三冊の本を読んでも、満足がいかなければ記事としては一切取り上げませんでした。
blogで取り上げた本は、読んだ本の中の一部です。
どんなに短い学びも、長い学びも、妥協なしの「学び」です。
裏を返せば、
これが現段階の全力のレベルです。
明日になれば、blogによる学びの1000日修業は、過去のものとなります。
blogを通して、成長させていただきましたが、
大学と同時に、
キッパリ卒業し、
新たなものを積み上げていこうと思っています。
これまで積み上げたものは、すべてゼロ。
これからイチから積み上げていきます。
「夢実現日記」を卒業し、言葉ではなく、背中(結果)で夢を語っていきたいと思っています。
1000日間、お世話になりました。
ありがとうございますっ!
せっかくのご縁ですので、ご意見・ご感想・ご指導・ご鞭撻・ご不満・ご指摘・アドバイス等から愛の告白まで(笑)
なんでも構いませんので、
未熟な若造にパワーを下さいm(._.)m
↓↓
toga_masa@yahoo.co.jp
☆ヨロシクです☆
待ってま〜す!
一生懸命、全力で、
読ませていただきます。
また会う日まで、
お元気で(^^)
2009年3月31日
24歳、冨樫 正義
2009年03月30日
積み上げたものをゼロに
この前、90歳近いじいちゃんと3時間近くも語り合いました。
「積み上げてきたものが邪魔をする」
「今までやってきたことが邪魔になる」
「むしろ、何もやっていないくらいのほうが育てがいがあるから可愛いげがある。やってきたことの自信が生意気さに繋がり敵をつくる」
じいちゃんからの教えです。
90歳近くになって、全体像から合理的な視点で鋭く見抜く先見の眼は頭が下がりました。
ボケるどころか鋭い切り口のオンパレードで、
いまだに現役で活躍している人と変わらないような情報を収集して、世の中の動向を分析しています。
クルマの運転もバリバリ続けていて・・・
スイミングに通い、泳いでくるのが毎日の日課です。
スイミング先では、米寿のお祝いとなる年齢なのに、「90歳近く」とは言いません。
「70歳過ぎ」と言って、自分より若い人たちに張り合って泳いでくるのです。
確かに、70歳を過ぎてることは間違いないのでウソではありません(笑)
そんなじいちゃんからいろんなことを教えてもらいました。
「ゼロにして考えなければならない」
「これまで積み上げてきたことに縛られてプライドばかりが高くなると誰もついてこない」
「どんなに積み上げても、その度にゼロにして謙虚に取り組んでいく姿勢があるかどうか」
じいちゃんからの教えです。
………………………………………………………………
やってきたことなんてどうでもいい。
ゼロの気持ちで謙虚に取り組んでいけるかだ。
By じいちゃん
………………………………………………………………
これまではこれまで。
歩むのは過去ではない。
これからはこれから。
未来に進むうえで、過去が邪魔することにも成り兼ねない。
過去は一切関係ない。
未来には、
ゼロから謙虚に歩んでいく。
「積み上げてきたものが邪魔をする」
「今までやってきたことが邪魔になる」
「むしろ、何もやっていないくらいのほうが育てがいがあるから可愛いげがある。やってきたことの自信が生意気さに繋がり敵をつくる」
じいちゃんからの教えです。
90歳近くになって、全体像から合理的な視点で鋭く見抜く先見の眼は頭が下がりました。
ボケるどころか鋭い切り口のオンパレードで、
いまだに現役で活躍している人と変わらないような情報を収集して、世の中の動向を分析しています。
クルマの運転もバリバリ続けていて・・・
スイミングに通い、泳いでくるのが毎日の日課です。
スイミング先では、米寿のお祝いとなる年齢なのに、「90歳近く」とは言いません。
「70歳過ぎ」と言って、自分より若い人たちに張り合って泳いでくるのです。
確かに、70歳を過ぎてることは間違いないのでウソではありません(笑)
そんなじいちゃんからいろんなことを教えてもらいました。
「ゼロにして考えなければならない」
「これまで積み上げてきたことに縛られてプライドばかりが高くなると誰もついてこない」
「どんなに積み上げても、その度にゼロにして謙虚に取り組んでいく姿勢があるかどうか」
じいちゃんからの教えです。
………………………………………………………………
やってきたことなんてどうでもいい。
ゼロの気持ちで謙虚に取り組んでいけるかだ。
By じいちゃん
………………………………………………………………
これまではこれまで。
歩むのは過去ではない。
これからはこれから。
未来に進むうえで、過去が邪魔することにも成り兼ねない。
過去は一切関係ない。
未来には、
ゼロから謙虚に歩んでいく。
2009年03月29日
地に足着け、頭雲抜け
古い歌だけど、
Def Techの「May way」の歌詞にあるように、
地に足着け、
頭雲抜け!
そんなふうに人生を歩んでいきたい(^^)
地に足をつけたうえで、可能な限り上限へチャレンジしていきたい。
そんな理想的な生き方をイメージし、突き進もうとしてきました。
その結果、
常に壁となって現れたのは・・・
「前例にない」
という壁でした。
何度、この壁に阻まれたかわかりません。
第一人者として受け入れてもらえるか、前例にないと拒絶されるか、
そんな極端な道を歩んできました。
いや、
そのような道を
これからも歩んでいくのかもしれません。
自分の中で、効率や合理性を追求し、人として生きるうえでのよりよい人生設計を描いたとしても、
今までにないから・・・
という理由で受け入れられない経験はたくさんしてきました。
未来のための現在
という思考よりも、
過去あっての現在
という思考が重視され、
ゼロベースで考えることにはならず、歴史的なものが重要とされていることを学問とは別のナマの経験を通じて学んできました。
ゴール(未来)を先に想定して、そのための過程を落とし込んでいくトップダウン思考。
現在から可能なことを少しずつ積み上げていくボトムアップ思考。
トップダウンもボトムアップもどちらにも大きな問題があるため思考の展開方法としては注意が必要というのが持論としてあります。
言葉を恐れることなく使えるとしたら、
トップダウン思考やボトムアップ思考を駆使して成功者と呼ばれる地位にのぼった人たちに対しても、
本音をいえば、
成功者にはほど遠い、初期段階の思考展開で失敗しているという評価をくだしています。
・・・なんて、エラソーなことを言っても、自らが考える生き方としては「前例がない」と受け入れられにくさがあり、それが生きにくさへと変化してしまう可能性が高くあるため、オススメできるほどの計画設計のための思考展開ではないんで公言もできないんですよね(笑)
前例を覆して、新たな例を作り上げることができるのか。
一度、前例ができてしまえば、それは後に続く道になる。
頭の中で描く理想と直面する現実のギャップの差を埋めて、
理想を現実に落とし込んでいける社会を作るキッカケとなるような・・・
道を開きたい!
ボトムを固めたうえでのトップダウンの生き方。
自分の人生を通じて、見てみたい世界ですね(^^)
それが、いま1番の生きる楽しみです。
Def Techの「May way」の歌詞にあるように、
地に足着け、
頭雲抜け!
そんなふうに人生を歩んでいきたい(^^)
地に足をつけたうえで、可能な限り上限へチャレンジしていきたい。
そんな理想的な生き方をイメージし、突き進もうとしてきました。
その結果、
常に壁となって現れたのは・・・
「前例にない」
という壁でした。
何度、この壁に阻まれたかわかりません。
第一人者として受け入れてもらえるか、前例にないと拒絶されるか、
そんな極端な道を歩んできました。
いや、
そのような道を
これからも歩んでいくのかもしれません。
自分の中で、効率や合理性を追求し、人として生きるうえでのよりよい人生設計を描いたとしても、
今までにないから・・・
という理由で受け入れられない経験はたくさんしてきました。
未来のための現在
という思考よりも、
過去あっての現在
という思考が重視され、
ゼロベースで考えることにはならず、歴史的なものが重要とされていることを学問とは別のナマの経験を通じて学んできました。
ゴール(未来)を先に想定して、そのための過程を落とし込んでいくトップダウン思考。
現在から可能なことを少しずつ積み上げていくボトムアップ思考。
トップダウンもボトムアップもどちらにも大きな問題があるため思考の展開方法としては注意が必要というのが持論としてあります。
言葉を恐れることなく使えるとしたら、
トップダウン思考やボトムアップ思考を駆使して成功者と呼ばれる地位にのぼった人たちに対しても、
本音をいえば、
成功者にはほど遠い、初期段階の思考展開で失敗しているという評価をくだしています。
・・・なんて、エラソーなことを言っても、自らが考える生き方としては「前例がない」と受け入れられにくさがあり、それが生きにくさへと変化してしまう可能性が高くあるため、オススメできるほどの計画設計のための思考展開ではないんで公言もできないんですよね(笑)
前例を覆して、新たな例を作り上げることができるのか。
一度、前例ができてしまえば、それは後に続く道になる。
頭の中で描く理想と直面する現実のギャップの差を埋めて、
理想を現実に落とし込んでいける社会を作るキッカケとなるような・・・
道を開きたい!
ボトムを固めたうえでのトップダウンの生き方。
自分の人生を通じて、見てみたい世界ですね(^^)
それが、いま1番の生きる楽しみです。
2009年03月28日
地方のスピードはけた外れに遅い
表現する行動で重要なことは、スピードです。
地方が遅れているのは、このスピードです。
皆さん方は遅いと感じていないのでしょうが、けた外れに遅いのです。
自分が遅いと分かっていたら、いいのです。
都会の人がせっかちなのではなく、地方が遅いのです。
都会のお客さまはイライラして、「ここ、やる気ないよね」と言われます。
そう思われても仕方がありません。
サービスとは、
「やる気あります」と口で言うことではないのです。
早くやってくれることがサービスです。
大切なことは、
「すぐやってください」
と言われないことを、いかにすぐにできるかです。
………………………………………………………………
お客さまの「すぐ」より、
自分の「すぐ」を速くしよう。
By 中谷彰宏さん
………………………………………………………………
【出典:せつないサービスを胸きゅんサービスに変える/中谷彰宏 著】


実家が山形なので、地方のスピードがよくわかります。
個人的には、東京のスピード感が好きで、それが当たり前になった感覚で帰省すると、とんでもないギャップに悩まされます。
ホントに遅いのです。
言い回し次第で、
「落ち着く」、「のんびりできる」、「リラックスできる」
などという言葉を使用することもできるかもしれません。
ただし、
田舎のサービスは、サービスではありません。
これでサービス?
これで仕事?
これで給料がもらえるの?
あらゆるクエッションが頭の中を埋め尽くすほど、
ノロマです。
スピード感がオカシイのです。
新幹線までの時間が十分あるからといって、極端にのんびり運転をする感覚です。
自分の乗る予定の新幹線「上り」までは時間があるからと、自分本位になるのです。
自分が急いでいないからといって、まわりも急いでいないとは限らないのです。
後ろを走っている車が新幹線の「下り」に乗る予定かもしれません。
あまりにのんびりすぎて、苛立ってる可能性もあります。
駅という目的地に向かう中で方向が同じということは、後ろの車を自分の極端に遅いスピードで妨げている可能性が十分に有り得るのです。
通常の速度を計算し、間に合うはずの計画が予期せぬスピード感に邪魔をされ、取り返しのつかないことになる可能性もあります。
車には制限速度がありますが、サービスに制限速度はありません。
ノロマ過ぎるサービスで、間に合うはずのバスに間に合わないということもあるのです。
スピードは時間です。
時間は命です。
お金でもあります。
ノロマであることは、
時間を奪い、
命を奪い、
お金を奪い、
計画を奪い、
予定を狂わせます。
スピード感がないことは、犯罪です。
地元は生まれ育った愛着があるため好きですが、
スピード感、サービス精神は、はっきり言ってキライです。
地方にサービスマンは存在しないとすら考えています。
地元だから・・・となんでもかんでも「好き」とすることはありません。
良いものは良い、悪いものは悪い、冷静に判断できなければ進歩がないと思っています。
本当の意味でのゆとりを持つためには、スピード感が不可欠だと思っています。
地方が遅れているのは、このスピードです。
皆さん方は遅いと感じていないのでしょうが、けた外れに遅いのです。
自分が遅いと分かっていたら、いいのです。
都会の人がせっかちなのではなく、地方が遅いのです。
都会のお客さまはイライラして、「ここ、やる気ないよね」と言われます。
そう思われても仕方がありません。
サービスとは、
「やる気あります」と口で言うことではないのです。
早くやってくれることがサービスです。
大切なことは、
「すぐやってください」
と言われないことを、いかにすぐにできるかです。
………………………………………………………………
お客さまの「すぐ」より、
自分の「すぐ」を速くしよう。
By 中谷彰宏さん
………………………………………………………………
【出典:せつないサービスを胸きゅんサービスに変える/中谷彰宏 著】

実家が山形なので、地方のスピードがよくわかります。
個人的には、東京のスピード感が好きで、それが当たり前になった感覚で帰省すると、とんでもないギャップに悩まされます。
ホントに遅いのです。
言い回し次第で、
「落ち着く」、「のんびりできる」、「リラックスできる」
などという言葉を使用することもできるかもしれません。
ただし、
田舎のサービスは、サービスではありません。
これでサービス?
これで仕事?
これで給料がもらえるの?
あらゆるクエッションが頭の中を埋め尽くすほど、
ノロマです。
スピード感がオカシイのです。
新幹線までの時間が十分あるからといって、極端にのんびり運転をする感覚です。
自分の乗る予定の新幹線「上り」までは時間があるからと、自分本位になるのです。
自分が急いでいないからといって、まわりも急いでいないとは限らないのです。
後ろを走っている車が新幹線の「下り」に乗る予定かもしれません。
あまりにのんびりすぎて、苛立ってる可能性もあります。
駅という目的地に向かう中で方向が同じということは、後ろの車を自分の極端に遅いスピードで妨げている可能性が十分に有り得るのです。
通常の速度を計算し、間に合うはずの計画が予期せぬスピード感に邪魔をされ、取り返しのつかないことになる可能性もあります。
車には制限速度がありますが、サービスに制限速度はありません。
ノロマ過ぎるサービスで、間に合うはずのバスに間に合わないということもあるのです。
スピードは時間です。
時間は命です。
お金でもあります。
ノロマであることは、
時間を奪い、
命を奪い、
お金を奪い、
計画を奪い、
予定を狂わせます。
スピード感がないことは、犯罪です。
地元は生まれ育った愛着があるため好きですが、
スピード感、サービス精神は、はっきり言ってキライです。
地方にサービスマンは存在しないとすら考えています。
地元だから・・・となんでもかんでも「好き」とすることはありません。
良いものは良い、悪いものは悪い、冷静に判断できなければ進歩がないと思っています。
本当の意味でのゆとりを持つためには、スピード感が不可欠だと思っています。
2009年03月27日
本物のやる気とは?
やる気のある人は淡々としています。
でも、やっていることはすごいのです。
いかに徹底的なことを淡々とできるかです。
徹底的なことを必死にやっている人は続かないのです。
徹底的なことを「何もやっていません」と淡々とやれる人が続きます。
これが超一流であり、プロであり、やる気のある人です。
見るからにやる気満々に見える人は、その時点でNGです。
本当にやる気のある人は、サラっとしています。
やる気のない人と本当にやる気のある人とは、見た目は紙一重です。
見た目だけやる気のある人は、必死で悲壮感が漂っています。
ハチマキを締めたり、丸坊主にしたり、汗をかいています。
でも、それはやる気があるとは言わないのです。
ムリをしています。
習慣化していないのです。
本当にやる気のある人は、「特に何もやっていません」と、涼しい顔でやっているのです。
………………………………………………………………
「徹底的」を習慣化して淡々とやる。
By 中谷彰宏さん
………………………………………………………………
【出典:なぜあの人はいつもやる気があるのか/中谷彰宏 著】


コレは、まさしくおっしゃる通りという感じです。
税理士試験一年目の挑戦で、簿記論と財務諸表論の二科目ダブル合格した友人も、長時間の勉強の継続に苦しい顔ひとつせず、淡々とこなしていました。
当たり前でいつも通りに、そして、物凄い集中力で電卓を叩く姿。
これこそが本当のやる気です。
その日限りのやる気は、やる気ではありません。
昨日のモチベーションで、今日も、そして明日も・・・
目指したところに向かって歩み続けていくことこそが、本物のやる気です。
本物は、
やる気を出せ!と言われても何も変化しない人です。
既に十分なやる気があるから、極端に続かないムリなやる気を出すことが意味のないことだと知っています。
そのため、「やる気がないのでは?」と思われがちかもしれません。
それは、見る目がないだけです。
行動を見ていれば、常に変わらない一定のリズムで目標に邁進している高いやる気を感じることができます。
繕ったやる気にごまかされる人のレベルも、本物のやる気を知らないだけなのです。
そんなレベルが人事をしている企業は、下降急落真っ逆さまでしょうね(^^)
でも、やっていることはすごいのです。
いかに徹底的なことを淡々とできるかです。
徹底的なことを必死にやっている人は続かないのです。
徹底的なことを「何もやっていません」と淡々とやれる人が続きます。
これが超一流であり、プロであり、やる気のある人です。
見るからにやる気満々に見える人は、その時点でNGです。
本当にやる気のある人は、サラっとしています。
やる気のない人と本当にやる気のある人とは、見た目は紙一重です。
見た目だけやる気のある人は、必死で悲壮感が漂っています。
ハチマキを締めたり、丸坊主にしたり、汗をかいています。
でも、それはやる気があるとは言わないのです。
ムリをしています。
習慣化していないのです。
本当にやる気のある人は、「特に何もやっていません」と、涼しい顔でやっているのです。
………………………………………………………………
「徹底的」を習慣化して淡々とやる。
By 中谷彰宏さん
………………………………………………………………
【出典:なぜあの人はいつもやる気があるのか/中谷彰宏 著】

コレは、まさしくおっしゃる通りという感じです。
税理士試験一年目の挑戦で、簿記論と財務諸表論の二科目ダブル合格した友人も、長時間の勉強の継続に苦しい顔ひとつせず、淡々とこなしていました。
当たり前でいつも通りに、そして、物凄い集中力で電卓を叩く姿。
これこそが本当のやる気です。
その日限りのやる気は、やる気ではありません。
昨日のモチベーションで、今日も、そして明日も・・・
目指したところに向かって歩み続けていくことこそが、本物のやる気です。
本物は、
やる気を出せ!と言われても何も変化しない人です。
既に十分なやる気があるから、極端に続かないムリなやる気を出すことが意味のないことだと知っています。
そのため、「やる気がないのでは?」と思われがちかもしれません。
それは、見る目がないだけです。
行動を見ていれば、常に変わらない一定のリズムで目標に邁進している高いやる気を感じることができます。
繕ったやる気にごまかされる人のレベルも、本物のやる気を知らないだけなのです。
そんなレベルが人事をしている企業は、下降急落真っ逆さまでしょうね(^^)
2009年03月26日
全体的に考えることで見失うこと
歳を重ねるごとに、
全体的な視点から物事を把握しようとする。
ミクロ的な視点よりもマクロ的な目線が強くなる。
「いま」というミクロから
「将来」というマクロの視点への変化。
「目先のことだけを考えるのではなく、トータル的にどうか」
大人になればなるほど、
歳を重ねることによって、
全体的にみること、
トータル的に考えること、
それらが合理的であり、
ベストであるという錯覚を起こす。
ほとんどの人が気付かずに、大人になればなるほど引き起こす、可能性潰しの全体的視点。
全体的な視点を客観視することによって、
見失う熱量というエネルギーがある。
今だから頑張れる。
今だから本気になれる。
そのようなエネルギーを見失ってしまうことによって、
頭で冷静に描く、
将来的な道筋は成り立たなくなる。
いったん引いたら、終わりなんだ。
二度とあのエネルギーに満ちた世界には戻れなくなる。
だから、ギリギリの崖っぷちに追い込まれても勝負を賭ける。
どんなスポーツでもそうだろう。
自らの体験でも、
どんなに追い詰められても引き下がらずに、自分を追い込んだ経験がある。
高校時代の新人戦だって、
一度限りのワンチャンス。
高校最後の高校総体も譲るわけにはいかないラストチャンス。
だからこそ、引き下がれないエネルギーがある。
どんなケガを背負っていても、「将来を考えて諦める」という選択をせず、「今に生きる」という本気のエネルギー。
大人は全体的にばかりみて、失うものの大きさばかりに焦点がいってしまうが、
取り戻せないエネルギーの大きさを見落としてしまう。
がむしゃらにしがみつくことをせず、一度引き下がるとラクになる。
ラクになることによって、生きやすくはなるが、
熱いエネルギーを燃やしたもっとも輝いた場所には戻れなくなる。
なによりもの犠牲だ。
ひとつ言えること。
いま、現実に直面しているものから目を背けた瞬間、
次はもう戻れない。
いったん退いた人が戻れる場所は、退いたレベルで成り立つ世界まで。
その差は大きい。
気持ちとは骨だ。
いったん折れるとまた折れる。
一度、脱臼してしまうと癖になると言われるように、
いったんハズれてしまうと、そこは踏ん張りの効かない逃げ道になる。
ほとんどの人が、
熱いエネルギーの世界から一度踏み外した人で占めることになる。
だから、選手より観客が必然的に多くなる。
一方で、
どんなに失敗を繰り返しても、熱いエネルギーの世界から引き下がらずに粘っている人もいる。
選手と観客の温度差。
逃げた者には、辿り着けない世界がある。
中途半端に分かった気になった大人には、理解することができない、いや、気付くことのできないことだらけ。
一度目を背けて退いたら、
二度と戻れない。
まだまだ熱いエネルギーの場所で生きていたいと心から思うよ。
だから、
退いちゃいけない。
全体的な視点から物事を把握しようとする。
ミクロ的な視点よりもマクロ的な目線が強くなる。
「いま」というミクロから
「将来」というマクロの視点への変化。
「目先のことだけを考えるのではなく、トータル的にどうか」
大人になればなるほど、
歳を重ねることによって、
全体的にみること、
トータル的に考えること、
それらが合理的であり、
ベストであるという錯覚を起こす。
ほとんどの人が気付かずに、大人になればなるほど引き起こす、可能性潰しの全体的視点。
全体的な視点を客観視することによって、
見失う熱量というエネルギーがある。
今だから頑張れる。
今だから本気になれる。
そのようなエネルギーを見失ってしまうことによって、
頭で冷静に描く、
将来的な道筋は成り立たなくなる。
いったん引いたら、終わりなんだ。
二度とあのエネルギーに満ちた世界には戻れなくなる。
だから、ギリギリの崖っぷちに追い込まれても勝負を賭ける。
どんなスポーツでもそうだろう。
自らの体験でも、
どんなに追い詰められても引き下がらずに、自分を追い込んだ経験がある。
高校時代の新人戦だって、
一度限りのワンチャンス。
高校最後の高校総体も譲るわけにはいかないラストチャンス。
だからこそ、引き下がれないエネルギーがある。
どんなケガを背負っていても、「将来を考えて諦める」という選択をせず、「今に生きる」という本気のエネルギー。
大人は全体的にばかりみて、失うものの大きさばかりに焦点がいってしまうが、
取り戻せないエネルギーの大きさを見落としてしまう。
がむしゃらにしがみつくことをせず、一度引き下がるとラクになる。
ラクになることによって、生きやすくはなるが、
熱いエネルギーを燃やしたもっとも輝いた場所には戻れなくなる。
なによりもの犠牲だ。
ひとつ言えること。
いま、現実に直面しているものから目を背けた瞬間、
次はもう戻れない。
いったん退いた人が戻れる場所は、退いたレベルで成り立つ世界まで。
その差は大きい。
気持ちとは骨だ。
いったん折れるとまた折れる。
一度、脱臼してしまうと癖になると言われるように、
いったんハズれてしまうと、そこは踏ん張りの効かない逃げ道になる。
ほとんどの人が、
熱いエネルギーの世界から一度踏み外した人で占めることになる。
だから、選手より観客が必然的に多くなる。
一方で、
どんなに失敗を繰り返しても、熱いエネルギーの世界から引き下がらずに粘っている人もいる。
選手と観客の温度差。
逃げた者には、辿り着けない世界がある。
中途半端に分かった気になった大人には、理解することができない、いや、気付くことのできないことだらけ。
一度目を背けて退いたら、
二度と戻れない。
まだまだ熱いエネルギーの場所で生きていたいと心から思うよ。
だから、
退いちゃいけない。
2009年03月25日
サゲマンの歩む道
あげまんは、第二集団には入ろうとはしません。
それでは永遠にオンリーワンになれないからです。
男性の場合も、「いい友達」とか「ボーイフレンド」とか、フワフワしたことを言われる男性は第二集団です。
そこそこルックスがよい女性は、第二集団の男性を大勢引き連れています。
でも、本当に運命の男をつかまえられるあげまんにとって、第二集団はめんどくさいだけです。
第二集団なんていなければいいのにと思っています。
オンリーワンがいれば第二集団はいらないと思える女性は、迷わないのです。
ヤキモチをやくのは、さげまんの女性です。
さげまんの女性の彼は、誰でも彼でも行く男なので、ヤキモチをやかざるを得ないのです。
ところが、あげまんの女性の彼は運が強いから、誰でも彼でも行きません。
誰でも彼でも行ったら、さげまんちゃんにかかわってしまうから、行かないのです。
ヤキモチやき、嫉妬は、さげまんの特徴で、独占欲が強いのです。
さげまんちゃんにかかわってしまっている運の悪い男も、ヤキモチやきになります。
面白いことに、ヤキモチやきはヤキモチやきと付き合います。
ヤキモチをやかない男は、ヤキモチをやかない女性と付き合います。
チョロチョロ浮気している人は、相手もチョロチョロ浮気しています。
浮気しない人は、浮気しない人と付き合います。
浮気している人は、浮気している人と付き合います。
世の中はうまいぐあいにできているものなのです。
………………………………………………………………
どんなに成功した男でも、「さげまん」に感染すると、一気におかしくなる。
By 中谷彰宏さん
………………………………………………………………
【出典:あげまんになる36の方法/中谷彰宏 著】
キープなど引き連れているうちは、所詮はサゲマンということ。
別れたときの逃げる場所やもっとイイ男と出会うためになど、
そのような発想は、
自分が選んだ男をしっかりと見ていないこと、信じていないことを意味します。
つまり、
自分で自分の眼を曇っている!と言ってるようなものです。
眼だけが曇っているならまだしも、心まで曇っているのです。
どうしようもない完全なサゲマンです。
アゲマンは、
別れたときに孤独になる、ひとりになる、寂しさと戦う、本気でその覚悟をしているからこそ、アゲマンなのです。
常にまわりに誰かを置いているようでは、愚痴りたいときには愚痴れる環境です。
愚痴をこぼす相手もいない気持ちがわかりません。
のぼっていく男は、のしあがっていく男は、
誰しもが孤独と真っ正面から向き合い、目を背けずに、突っ切る選択を経験します。
温度差があるため、サゲマンを避けていく傾向にありますが、万が一、サゲマンに捕まった瞬間、可能性は失われます。
サゲマンは、オトコの運を低下させ、幸せになれない道を歩むだけです。
それでは永遠にオンリーワンになれないからです。
男性の場合も、「いい友達」とか「ボーイフレンド」とか、フワフワしたことを言われる男性は第二集団です。
そこそこルックスがよい女性は、第二集団の男性を大勢引き連れています。
でも、本当に運命の男をつかまえられるあげまんにとって、第二集団はめんどくさいだけです。
第二集団なんていなければいいのにと思っています。
オンリーワンがいれば第二集団はいらないと思える女性は、迷わないのです。
ヤキモチをやくのは、さげまんの女性です。
さげまんの女性の彼は、誰でも彼でも行く男なので、ヤキモチをやかざるを得ないのです。
ところが、あげまんの女性の彼は運が強いから、誰でも彼でも行きません。
誰でも彼でも行ったら、さげまんちゃんにかかわってしまうから、行かないのです。
ヤキモチやき、嫉妬は、さげまんの特徴で、独占欲が強いのです。
さげまんちゃんにかかわってしまっている運の悪い男も、ヤキモチやきになります。
面白いことに、ヤキモチやきはヤキモチやきと付き合います。
ヤキモチをやかない男は、ヤキモチをやかない女性と付き合います。
チョロチョロ浮気している人は、相手もチョロチョロ浮気しています。
浮気しない人は、浮気しない人と付き合います。
浮気している人は、浮気している人と付き合います。
世の中はうまいぐあいにできているものなのです。
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どんなに成功した男でも、「さげまん」に感染すると、一気におかしくなる。
By 中谷彰宏さん
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【出典:あげまんになる36の方法/中谷彰宏 著】
キープなど引き連れているうちは、所詮はサゲマンということ。
別れたときの逃げる場所やもっとイイ男と出会うためになど、
そのような発想は、
自分が選んだ男をしっかりと見ていないこと、信じていないことを意味します。
つまり、
自分で自分の眼を曇っている!と言ってるようなものです。
眼だけが曇っているならまだしも、心まで曇っているのです。
どうしようもない完全なサゲマンです。
アゲマンは、
別れたときに孤独になる、ひとりになる、寂しさと戦う、本気でその覚悟をしているからこそ、アゲマンなのです。
常にまわりに誰かを置いているようでは、愚痴りたいときには愚痴れる環境です。
愚痴をこぼす相手もいない気持ちがわかりません。
のぼっていく男は、のしあがっていく男は、
誰しもが孤独と真っ正面から向き合い、目を背けずに、突っ切る選択を経験します。
温度差があるため、サゲマンを避けていく傾向にありますが、万が一、サゲマンに捕まった瞬間、可能性は失われます。
サゲマンは、オトコの運を低下させ、幸せになれない道を歩むだけです。
2009年03月24日
さげまんにモテて満足するな!
モテモテと言っている人のほとんどは、さげまんからモテているのです。
あげまんばかりからモテモテということではないのです。
さげまんの女性は、付き合う男がみんな、次から次へとダメ男です。
それだけでなく、
普通の男もダメ男君にしてしまいます。
………………………………………………………………
「さげまん」にモテモテの男は、運のない男。
By 中谷彰宏さん
………………………………………………………………
【出典:あげまんになる36の方法/中谷彰宏 著】


あげまんとさげまんは、同じ割合ではないと思います。
さげまんがほとんどを占めます。
さげまんは、男の成長を邪魔します。
フツーを基準にして考えるからです。
「フツーなら○○なのに、私は・・・」
「まわりは○○している・・・」
フツー、一般、
ドコにでも溢れている人を対象として考えてしまうため、
オトコがどんなに伸びようと思っても伸びることができません。
上がろうというオトコを押さえ付けるのです。
そのうち、上がろうというエネルギーが薄れていき、下がっていきます。
これが、個人的な「さげまん論」です。
もちろん、これ以外にもさげまんならではの特徴はたくさんあります。
たくさんあるからこそ、ほとんどがさげまんなのです。
さげまんと付き合うくらいなら彼女はいらない。
さげまんと結婚するくらいなら独身でいる。
それくらいの覚悟がなければ、あげまんに選ばれるオトコにもなれないと思います。
さげまんと交際してる時点で、将来性はないと確信しています(^^)
あげまんばかりからモテモテということではないのです。
さげまんの女性は、付き合う男がみんな、次から次へとダメ男です。
それだけでなく、
普通の男もダメ男君にしてしまいます。
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「さげまん」にモテモテの男は、運のない男。
By 中谷彰宏さん
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【出典:あげまんになる36の方法/中谷彰宏 著】

あげまんとさげまんは、同じ割合ではないと思います。
さげまんがほとんどを占めます。
さげまんは、男の成長を邪魔します。
フツーを基準にして考えるからです。
「フツーなら○○なのに、私は・・・」
「まわりは○○している・・・」
フツー、一般、
ドコにでも溢れている人を対象として考えてしまうため、
オトコがどんなに伸びようと思っても伸びることができません。
上がろうというオトコを押さえ付けるのです。
そのうち、上がろうというエネルギーが薄れていき、下がっていきます。
これが、個人的な「さげまん論」です。
もちろん、これ以外にもさげまんならではの特徴はたくさんあります。
たくさんあるからこそ、ほとんどがさげまんなのです。
さげまんと付き合うくらいなら彼女はいらない。
さげまんと結婚するくらいなら独身でいる。
それくらいの覚悟がなければ、あげまんに選ばれるオトコにもなれないと思います。
さげまんと交際してる時点で、将来性はないと確信しています(^^)
2009年03月23日
消極的試練と積極的試練
消極的なものをどれだけ乗り越えたかよりも、
積極的な試練をどれだけ乗り越えてきたか。
人間的な魅力の構築は大きく異なってくるだろう。
ニート、引きこもり、いじめ・・・
そのような苦悩との戦いは、ほとんどが自らの意思ではない消極的ものです。
消極的なものをどんなに乗り越えても、
自らが目標を設定して邁進していく積極的に取り組む過程で乗り越える挫折や困難には勝てません。
自ら望んだうえで向きあわざるを得ない試練と望まなかった試練には、
大きな違いがあります。
あくまでも個人的な見解ですが、
消極的な試練をどんなに乗り越えても、夢や目標を実現するために切り開いていく力にはなりません。
消極的な試練で磨かれるのは、耐え忍ぶ力です。
それに対して、
積極的な試練で磨かれていくのは、
切り開いていく力と耐え忍ぶ力の両方です。
また、積極性から派生してくるコミュニケーション能力などあらゆる能力が磨かれます。
消極的な試練から磨かれるものと積極的な試練から磨かれるものを比較すれば後者のほうが遥かに成長します。
シビアな言い方をするならば、
消極的な試練(困難)は、
試練とは言わないのです。
消極的な試練は、どんなに乗り越えても評価に値しない!!
積極的な試練をどれだけ乗り越えてきたか。
人間的な魅力の構築は大きく異なってくるだろう。
ニート、引きこもり、いじめ・・・
そのような苦悩との戦いは、ほとんどが自らの意思ではない消極的ものです。
消極的なものをどんなに乗り越えても、
自らが目標を設定して邁進していく積極的に取り組む過程で乗り越える挫折や困難には勝てません。
自ら望んだうえで向きあわざるを得ない試練と望まなかった試練には、
大きな違いがあります。
あくまでも個人的な見解ですが、
消極的な試練をどんなに乗り越えても、夢や目標を実現するために切り開いていく力にはなりません。
消極的な試練で磨かれるのは、耐え忍ぶ力です。
それに対して、
積極的な試練で磨かれていくのは、
切り開いていく力と耐え忍ぶ力の両方です。
また、積極性から派生してくるコミュニケーション能力などあらゆる能力が磨かれます。
消極的な試練から磨かれるものと積極的な試練から磨かれるものを比較すれば後者のほうが遥かに成長します。
シビアな言い方をするならば、
消極的な試練(困難)は、
試練とは言わないのです。
消極的な試練は、どんなに乗り越えても評価に値しない!!
2009年03月22日
待たされた人こそ「すみません」
待ち合わせに遅れた相手に言う最初の一言は、たいてい「遅い」です。
ムッとした顔で「遅い」と文句を言うと、遅れてきた相手がどういう状態だったか説明のしようがありません。
その後は気まずい空気になってしまいます。
事情説明は、二通りに分かれます。
・いいわけになる時
・正当な状況説明になる時
どちらになるかは、待たされた側の最初の一言で決まります。
いきなり「遅い」と言うのは、待たされても、「すみません、お忙しいところ」と言えるかの違いです。
言われた側は、ただダンドリが悪くて遅れていることもあれば、十回のうち一回はやむを得ず遅れている事態もあるのでし。
大人は、遅れて来た相手に、事情を聞く前に「遅い」と怒らないのです。
………………………………………………………………
怒っていい相手ほど、怒らない!
By 中谷彰宏さん
………………………………………………………………
【出典:大人のルール/中谷彰宏 著】
待ち合わせに遅れて来た人が「すみません」と言うのではなく、
待たされた人が、
「お忙しいところ、すみません」
この一言が言えるかどうか。
・・・大人の深さを感じさせられました。
大変勉強になりました!
大人のオトコになれるように、ひとつひとつが勉強ですね。
ムッとした顔で「遅い」と文句を言うと、遅れてきた相手がどういう状態だったか説明のしようがありません。
その後は気まずい空気になってしまいます。
事情説明は、二通りに分かれます。
・いいわけになる時
・正当な状況説明になる時
どちらになるかは、待たされた側の最初の一言で決まります。
いきなり「遅い」と言うのは、待たされても、「すみません、お忙しいところ」と言えるかの違いです。
言われた側は、ただダンドリが悪くて遅れていることもあれば、十回のうち一回はやむを得ず遅れている事態もあるのでし。
大人は、遅れて来た相手に、事情を聞く前に「遅い」と怒らないのです。
………………………………………………………………
怒っていい相手ほど、怒らない!
By 中谷彰宏さん
………………………………………………………………
【出典:大人のルール/中谷彰宏 著】
待ち合わせに遅れて来た人が「すみません」と言うのではなく、
待たされた人が、
「お忙しいところ、すみません」
この一言が言えるかどうか。
・・・大人の深さを感じさせられました。
大変勉強になりました!
大人のオトコになれるように、ひとつひとつが勉強ですね。
