前回「寄り切り」についての話を書いたので、今回も「決まり手」の話で。

9月場所、豪栄道が得意手(?)の1つである首投げで日馬富士に勝利し、優勝を大きく手繰り寄せたことは記憶に新しい。捨て身の技であり、実際首投げに行き負けてしまうケースもよくあるが、豪栄道の首投げはよく決まる。

「土俵の上でも、土俵の外でも首投げ大好き豪栄道」(下ネタごめん!)とまで言われてしまう豪栄道ではあるが、豪栄道の通算561勝中、首投げでの勝利は23勝。豪栄道が出したことがある決まり手33種(不戦・非技含む)の中では8番目に多い決まり手である。

では、この首投げで23勝という数字はどの程度のものなのだろうか。

ちなみにこの首投げ23勝はすべて幕内。とはいえ、新入幕だった平成19年より、毎年首投げが繰り出されている。それをグラフにすると下図のようになる。



平成27年と28年が5回ずつと多くなっており、単純に大関に昇進することで勝利数も増えたということもあるのかもしれないが、大関にあがってから「首投げ」で勝つケースが目立っている。もしかしたら、首投げをすることが勝利につながるようになったのかもしれない。

少し前の時代になると、安芸乃島も体制が悪くなったりすると、首投げに行くイメージがあった。大関になる以前の豪栄道もそうだったが、首投げに行くというのは、もう負けフラグみたいな印象で、特に安芸乃島の場合は、安芸乃島が首投げに行くというのは安芸乃島の負けを意味しているくらいの思いだった(それでも安芸乃島も首投げで16勝しており、そのうち幕内では13勝)。

ちなみに、この豪栄道と安芸乃島が、首投げ勝利回数の1-2である。
1位豪栄道23回。2位安芸乃島13回。

そして特にこの2年で10回の首投げでの勝利がある豪栄道は急速に首投げでの勝ちが増えているといえるのだろう。10回以上、首投げで勝利したことがあるのも、この2名と昭和30年代に主に平幕でとっていた金ノ花(11回)のみなので、やはり幾度となく首投げで勝てるというのも、その力士のスタイルなのだろう。

だが、首投げが比較的多い力士の中には意外な力士もいる。
昭和40年代に活躍した「最後の幕内での引き分け力士」でもある二子岳(8回)なんていうところは、なんとなくイメージできそうだが、元横綱隆の里(8回)なんていうところは隆の里の現役時代をあまりよく知らない私なんかにとってはかなり意外な感じがする。隆の里は元横綱ではあるが平幕在位もかなり長い力士ではあるが、8回の首投げのうち2回が関脇在位時、2回が大関在位時、2回が横綱在位時なのだ。潜られやすい力士であるようには見えないのだが、潜られてしまうケースが多かったのか。それとも攻め込まれての土俵際での逆転なのか。なかなか意外である。

とはいえ、幕内で10回首投げで勝った、という力士が3人しかいない。
技としては比較的よく見るような印象だが、決まり手としては、この程度なのだ。
そもそも決まり手が記録として残されるようになってから、首投げは幕内では375回しかないのだ(すなわち言い換えると豪栄道だけで6%を占めることになる)。

ただ、この首投げの記録で興味深いのが、豪栄道は大関に昇進してからのほうが首投げで勝っていることを示したが、首投げでの勝利が5回以上ある元横綱は5人いるのだが、
 ・栃錦 6回…小結1・大関1・横綱4
 ・日馬富士 6回…小結2・大関3・横綱1
 ・北の富士 7回…大関2・横綱5
 ・隆の里 8回…平幕2・小結2・大関2・横綱2
と、4名は上位に上がってから首投げで勝ちだしているのだ。この理由はわからないが、豪栄道がこの2年で首投げが増えたのも、これらの元横綱と一致するようなところがある。相手が強くなってきているから首投げに行くケースが増えているからなのか。それともほかに理由があるのか。

だが、この4名とは違う横綱が1人だけいる。
幕内で首投げで勝った回数は5回。だが、この5回すべて「平幕時代」に経験し、三役昇進以降は一度も首投げで勝つことはなかった横綱がいる。完全に、他の横綱の逆を行っている。それは誰か。

それは双葉山である。
双葉山は上に上がることで首投げのような技を出す必要はなくなった、ということなのだろうか…。