フェルメール探訪

このブログは主に、フェルメール鑑賞記、美術関係の本の紹介、美術館の見どころ紹介、美術展の感想でできています。

動物たちの西洋絵画

動物たちの西洋絵画その17:シーシキン「松林の朝」

その17:イヴァン・シーシキン「松林の朝」
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シーシキン「松林の朝」
イヴァン・シーシキン「松林の朝」 トレチャコフ美術館(ロシア、モスクワ)

 19世紀後半のロシアを代表する画家シーシキンの一枚。描かれているのは、朝の松林で遊んでいる黒熊の親子。三頭の子熊が折れた松の巨木で遊んでいるのを母熊が見守っている。二頭は根元の方によじ登り、一頭は折れた木の上で立っている。もこもことした子熊たちはとても愛らしい。朝の森の静けさを舞台にユーモラスな熊が描かれており、まるで熊の鳴き声が聞こえてくるかのようである。

 シーシキンは風景画の名手であり、松林とそこにたちこめる霞、そして降り注ぐ朝日の表現が非常に素晴らしいことも本作を魅力的なものにしている。自然の美と雄大さをリアリティたっぷりに描いているからこそ、そのなかで遊ぶ熊の親子の存在感が際立ってくる。

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動物たちの西洋絵画その16:スタッブス「ニルガイ」

その16:ジョージ・スタッブス「ニルガイ」
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スタッブス「ニルガイ」1769年
ジョージ・スタッブス 「ニルガイ」 ハンタリアン美術館(イギリス、ロンドン)
George Stubbs, 'Nilgai', 1769.

 描かれているのは、ウシ科の動物ニルガイ。角が生えているので、雄のニルガイであることが分かる。インド原産のこの動物を描いたのは、18世紀きっての動物画の名手ジョージ・スタッブス。自然の中、右向きに描かれているというのは、彼が描いた「シマウマ」と同じテイストである。

 スタッブスは生きた動物を描くことにしていたため、このニルガイも、どこかの金持ちか貴族が飼育していたのを描いたのだろう。この絵が描かれた1769年には、東インド会社を通して、イギリスとインドは強く結ばれていた。ニルガイも東インド会社の船に乗って、喜望峰を超えてやってきたに違いない。

 ただし、ニルガイの立っている風景はイングランドの田舎の風景であり、そのそばに生えている巨木はカシである。スタッブスはインドに行ったわけではないので、背景は見慣れたものを用いたのだろう。仕方がないとはいえ、ミスマッチである。


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動物たちの西洋絵画その15:アガセ「アルパカ」

その15:ジャック・ローラン・アガセ「アルパカ」
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Jacques- Laurent Agasse, 'Alpacas' Victoria Gallery & Museum
ジャック・ローラン・アガセ 「アルパカ」 ヴィクトリア・ギャラリー・アンド・ミュージアム(イギリス、リヴァプール)
Jacques- Laurent Agasse, 'Alpacas' Victoria Gallery & Museum

 19世紀後半のイギリスを代表する動物画家アガセの一枚。「ヌビアキリン」をはじめアガセは数多くの動物を描いている。本作に描かれているのは、4頭のアルパカ。南米原産のこの動物も、19世紀後半にはイギリスの画家が描いていたということにまずは驚かされる。ロンドンで画業を営んでいたアガセが南米まで出かけたとは思えないので、おそらくはキリンと同様に、ロンドンの動物園でこの絵を描いたのだろう。どことなく背景が想像上の産物っぽい。

 「ミラバケッソ」、ようはクラレのCMのせいか、アルパカは白いものだという漠然としたイメージを持っていたが、この絵に描かれたアルパカはどれも黒い毛並みである。アルパカの毛並みも白、茶、黒と様々なものがあるなかで、描かれているアルパカのどれもが黒いということは、ロンドンには黒いアルパカしかいなかったのかもしれない。そうなると、ロンドンっ子は「アルパカ=黒」という感じで捉えていたのだろう。今の日本人とは逆だ。

 一番右のこちらを向いているアルパカの表情はどことなく人間っぽくて面白い。


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動物たちの西洋絵画その14:ハント「われらがイングランドの海岸」

その14:ウィリアム・ホルマン・ハント「われらがイングランドの海岸」(「群れるヒツジ」)
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ハント「われらがイングランドの海岸」(「群れるヒツジ」)
ウィリアム・ホルマン・ハント 「われらがイングランドの海岸」(「群れるヒツジ」) テート・ブリテン(イギリス、ロンドン)
William Holman Hunt, ‘Our English Coasts, 1852 (‘Strayed Sheep’)’, 1852.

 ラファエル前派の中心人物の一人ハントの一枚。ラファエル前派を支持した評論家であるラスキンが「自然に忠実にあること」を求めたことで、ミレイの「オフィーリア」における植物の描写に見られるように、ラファエル前派の画家は緻密な自然描写を行うようになる。ラファエル前派のメンバーの中でもハントは特にラスキンの思想の影響を受け、ミレイやロセッティがラファエル前派的な作風から離れていってもなお、細密な自然描写を画面に盛り込んだ作品を制作していく。

 イングランド南東部フェアライトグレンの海岸にいるヒツジの群れを描いた本作も、ハントの細密な自然描写という作風が強く出ている。ヒツジの毛のニュアンスもそうだが、一頭一頭の表情も異なっている。どのヒツジも可愛らしい顔をしている。さらに、赤土、芝、岩場と変化にとんだ地面の描写や、前景の草花の表現もまた緻密で美しい。


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動物たちの西洋絵画その13:スタッブス「シマウマ」

その13:ジョージ・スタッブス「シマウマ」
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スタッブス「シマウマ」 1762-3年
ジョージ・スタッブス 「シマウマ」 イェール大学イギリス美術センター(アメリカ合衆国、ニューヘイブン)
George Stubbs, ‘Zebra’, 1762-3.

 森の中にたたずむシマウマの絵。描かれている種類はケープヤマシマウマ。シマウマの中では最も小型の種類である。シマウマを紹介したいという思いがダイレクトに伝わってくる絵となっている。どちらかというと、シマウマは森ではなくサバンナにいるのではないかと思わなくもないが、細部にまでこだわって描かれたシマウマの絵である。描いたのは「ホイッスルジャケット」をはじめ数多くの動物画を手掛けたジョージ・スタッブス。

 スタッブスは実際に見た動物を描くことを信条としていたので、シマウマも実際に見たのだろう。1740年代から50年代にかけてはフレデリック皇太子がキューでシマウマを飼育し、ジョージ3世の妻シャルロット妃はバッキンガム宮殿にてゾウとともにシマウマを飼育していたように、18世紀のロンドンにはシマウマはいた。皇太子や王妃に飼育されていたことで、シマウマは王室のマスコットとして注目され、1777年には「ゼブラ」という名の軍用艦が建造されることになる。

 スタッブスが描いたのはシャルロット妃に送られたシマウマである。1762年に喜望峰からでイングランドに到着したシマウマはスタッブスの関心を引き、彼はこの絵を制作する。そして、本作はスタッブスが野生動物を描いた最初の一枚となる。


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動物たちの西洋絵画その12:ジェローム「水飲み場のラクダ」

その12:ジャン=レオン・ジェローム「水飲み場のラクダ」
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ジェローム「水場のラクダ」
ジャン=レオン・ジェローム 「水飲み場のラクダ」 カナダ国立美術館(カナダ、オタワ)
Jean-Léon Gérôme, ‘Camels at the Watering place’, 1857.

 19世紀フランスアカデミズムを代表する画家ジェロームの一枚。「母トラと戯れる子トラ」を描いたドラクロワもそうであったが、ジェロームも東方に魅せられた画家の一人である。当時のフランス芸術界には「ヨーロッパの外側」へのあこがれと関心が強かった。ジェロームは1856年にエジプトを訪れ、アラブと北アフリカに魅せられた。以降の彼の作品では頻繁にこれらが題材となっていく。

 本作もジェロームのアラブと北アフリカへの関心の所産であると間違いなく言える。ジェロームのエジプト初訪問の翌年制作されたこの作品の主題は、エジプトを代表する動物ラクダである。ラクダはアラブ圏では重要な家畜であり、古代エジプトのレリーフでも荷物を運ぶラクダが描かれるほど昔から、物資輸送のために用いられてきた。北アフリカ、アラビアでの物資輸送には欠かすことのできない存在がラクダであり、東方を象徴する動物の一つであった。

 本作は、背に荷物を載せたラクダがオアシスにて一心不乱に水を飲んでいる風景を写実的に描写している。画面中央にて白い布を被っている人物がラクダの隊商を率いているのだろうか。しかし、彼の印象は薄い。この作品の主役はラクダたちである。

 エジプトへと赴いたジェロームは、実際にこのような光景を見たのだろう。もしかしたらジェロームが利用した隊商を描いたのかもしれない。本作が描いたものはエジプトでは一般的な光景であっただろうが、この絵を前にしたフランス人はラクダと強烈な陽光の組み合わせに、未知の世界を想像したに違いない。

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動物たちの西洋絵画その11:ランドシア「計画は人にあり、決裁は神にあり」

その11:エドワード・ヘンリ・ランドシア「計画は人にあり、決裁は神にあり」
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Edwin Henry Landseer, 'Man Proposes, God Disposes'
エドワード・ヘンリ・ランドシア 「計画は人にあり、決裁は神にあり」 ロンドン大学、ロイヤル・ホロウェイ・カレッジ(イギリス、ロンドン)
Edwin Henry Landseer, 'Man Proposes, God Disposes', 1864.

 珍しいホッキョクグマを描いた作品である。描いたのは、19世紀イギリスの動物画家ランドシア。氷の上に残された探検隊の残骸を二頭のホッキョクグマが荒々しく漁る様子が描かれている。

 本作は、1845年のフランクリン隊による北極圏探検が題材となっている。フランクリン隊の北極圏探検はとても興味深い話なのだが、これについて説明するととても長くなるので、概要だけ。詳細に興味がある人は角幡唯介の『アグルーカの行方』を読んでください。フランクリン隊の足取りを著者が実際になぞることで、フランクリン隊について詳細に語っている、とても面白い本です。

 大西洋からカナダの北側を抜けて太平洋へと至る北西航路の探索がフランクリン隊の目的だった。19世紀のイギリスはアジアへの近道となる北西航路の開拓に熱心であり、北半球の高緯度に位置するイギリスにとって、理論上はマゼラン海峡ルートよりもずっと短期間の航海で済む北西航路は魅力的であった。

 しかし、北極圏の厳しい環境と情報不足が、イギリスの北西航路開拓を阻み続けた。フランクリン隊も遭難し、100名を超える隊員が全滅することになる。しかも、14年の長きにわたって、その消息がつかめなかった。隊長の海軍大佐ジョン・フランクリンは著名な北米探検家であったこともあり、フランクリン隊の行方はヴィクトリア朝の人々の間で大いに話題になる。ちなみに、当時流行していた交霊術なんかも、フランクリン隊の行く末を探すのに用いられていた。

 本作が描かれた1864年にはフランクリン隊が北極圏で全滅したことは知られていた。それゆえに、ランドシアはフランクリンたちを飲み込んだ厳しい北極の自然を描いている。ホッキョクグマは「しろくま」などという可愛らしいものではなく、北極圏最大の肉食獣の迫力に満ちており、タイトルと相まって、自然の力の強大さを象徴しているかのようである。




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