Lingua furanca.
Project::Logistica.を髣髴とさせる作りで、一ブロガーとしては絡みやすいネタをありがとう、という所です。
Project::Logistica.には色々とトラバした思い出もあるので、今回のlinguafuranca.にも参加させていただきます。

さて、第一回目のお題である「サイトをやって得たもの」です。
これまでに投稿されたものを見ていくと、共通して挙げられているのが「他人とのつながり」です。
やはりそれに尽きるのでしょうね。
ただ、そうは言ってもそのつながりは人それぞれです。
違いはサイトの規模やスタイル、各人の人格から来るものでしょう。
このお題は、その辺に着目して読んでみると面白いかも知れません。
まあ、上手いこと言っているようで何の中身もない前置きはこの辺にして、「私がサイトをやって得たもの」「私にとっての他人とのつながり」に移りましょう。

私がサイトをやって得たもの、それは私の意見を理解し私とは違う意見を提示してくれる人、私には思いつかないような意見を述べてくれる人の存在です。

私は子供の頃から本が好きだったので、同年代の子供より多くの知識を得ていました。
そして、それをひけらかす衒学趣味がありました。
今でもそういう傾向はありますし、その頃集めた知識は今になっても生きていますから、一概に悪かったとは言えませんが、それでも褒められたものではありません。
嫌がられてるな、と気付いてからは控えるようにしましたが、それでもつい口を出したくなることはあって、そんな時は極力噛み砕いて簡潔に喋るようにしていました。
その後もずっと本は読み続け、色々と知りました。
そのうち、喋っていると「こいつは理解していないな」という感触を覚えるようになりました。
それが相手にとって理解できないような内容だったのか、私の喋り方が悪かったのか、単純に聞く気がなかったのかはもうわかりませんが、私はその時「頭がいい」と「賢い」とは全くの別物だと理解しました。
小学校高学年の頃でした。
当時そこまで明確に捉えていたわけではないでしょうが、その時から私は「頭が悪い」人間に加えて「愚か」な人間を軽蔑するようになりました。
結果、尊敬できる人は本の中にしか存在しなくなりました。
今なら、近くで見ていれば愚かな部分もあるのが人間だと妥協できるのでしょうが、当時の私はまだ純粋で、人に応じた人格の使い分けなど思いもよりませんでした。
そんな自分も含めて愚かだと気付けない辺り、子供だったということでしょう。

それからもうしばらくして、そんな勘違いを引きずったままブログを始めたのが二年半ほど前。
色々書いて、褒められたり叩かれたり。
自分より賢い人の文章を目にして、感動したり触発されたり。
今の自分が他人からどう見えているかはわからないけれど、沢山のことを学んで、以前よりずっとマシになった。
それもこれも、私の意見を理解し私とは違う意見を提示してくれる人、私には思いつかないような意見を述べてくれる人の存在があってこそ。


そういう意味では、「サイトを始めて、そこにあったもの」という言い方がより近いかも知れない。
そんな人たちがいる限り、私はブログをやめない。
そしてその人たちへの恩返しとして、私自身が誰かにとってのそういう存在でありたい。

(一部訂正。本筋は変更なし。憶測でものを言うのはよくないですね、と)