打ち返すのは得意だが
>ボールを打ち返すバッタ型の人間が多い、ということだろう。つまり、ピッチャ型が少ない。

>手持ちのネタがゼロであるところから、何を作るのか、何を語るのか、何が問題なのか、何をすべきか、という問いを発することが大切だと思う。
>もちろん、まったくのゼロではない。過去のどこかで自分に飛び込んできた球を打っているのだが、その球がすっかり自分の中で静止し、自分のものになるまで時間をおくことで、表面的には少なくともオリジナリティが生まれるような気もする。

頭の回転が遅い自覚があるのなら、頭の回転が速い人より早く考えればいい、というのが私の持論。
これに限らず、私の考え方は森博嗣の影響を受けて被ってる部分が少なくない。
森氏の考え方はシンプルで綺麗だから好き。

引用後半に書かれているけれど、相手の意見がもともと構築してあったものか、それともその場で構築したものか、なんてことは大抵わからない。
それに、日常会話レベルの考えをその場で構築したって大抵は車輪の再発見に過ぎない。

いつか誰かが通った道。
そこに道があるなら、そこを通る人々の違いはどこにある?
違い、それはその道を誰かに聞いて見つけたのか、自力あるいは偶然見つけたのか、それくらいの些細な違い。
その差は個々人の価値観に大きな影響を与えるけど、あくまでそれは個々人の中でのことであって、他者から見れば同じ。
目的が道の果てにあるのなら、道に辿り着くことは手段。
道の位置を事前に知り確実に辿り着くのと、自らの能力と偶然とに任せて辿り着くのと。
私は、前者を選び、そのように行動している。

一般人レベルで賢く見えるというのはそういうことだ。
独創性なんてかけらもない。
本当にただそれだけ。
だから賢い人間を特別視する必要なんてない。
よく知らないことに対しては、生来の天然っぷりを発揮する人もいるから。

言葉はキャッチボール、という言葉。
この言葉は、言葉をコミュニケーションとして捉えるから出てくるもの。
私は、できるなら受けたボール以上のものを返そうと思っている。
そういうことができない人に、投げたボール以上のものを返してくれるとは思わないから。
他人よりも早く考えるのは、そのため。
素手でボールなんて受けられないし、投げてもそんなに飛ばせない。
だったら、グローブで受けて、バットでかっ飛ばす。
大事なのはボールを飛ばすこと。
相手が徒手空拳で道具を使う自分と同じレベルだったとしても、気にしないでいい。
相手は、自分と同じレベルでボールを飛ばしてくれる人がいるだけで嬉しいはずだから。

単なるコミュニケーションに留まらない言葉を使い、読み取る。
私の使いたい言葉は、使っている言葉は、そういうことを意図している。
別に、他人にそんな言葉を要求するわけではないけれど。
そうしてくれる人に対して、私は好意を抱くのです。