まなめはうすが更新されなくなってはや一週間。
数日間は信じられませんでしたが、ようやくまなめさんのご逝去を現実の出来事として受け止められるようになりました。

まなめさんと私の出会いはいつ、どのようなものだったでしょうか?
まなめさんが私の書いた文章を紹介して下さる、という形であったのでしょうが、思い出せないということは私にとってどうでもいいことだったのかも知れません。

私にとって重要だったのは、まなめさんが私の文章に、私の考え方に興味があるということでした。
今となっては思い出すのも恥ずかしいような、頭のいいフリをした稚拙な文章を好きなのは、まなめさんが私以上に幼稚だったということでしょうが、ともかくその時の私は「私を認めてくれる人がいた」と嬉しかったのです。
自分の考えたことを受け止めてくれる人の存在は、ありがたかったのです。

そんなまなめさんは、ニュースサイターであるだけでなくラノベ作家ともなり、ごく限られた一部の集団の絶賛を受けてネットでの交友関係を広げていきました。
私は相も変わらず好き勝手書き、たまにまなめさんに言及したりしながら一定の交友範囲を維持し続けました。
まなめはうすは以前の弱小サイトから大手サイトに成り上がったにも関わらず、私信や馴れ合いのようなコメント、リンクをするまなめさんは、いくつかのブログを炎上させたりもしました。
その時まなめさんが取ったのは、サイトを元の通り小さくする、という選択でしたね。
そんなものは、狙ってするものではないでしょうに。
結局は中間で収まり、またまなめはうすらしいまなめはうすになりました。
まなめさんが姿を消したのはそんな時でした。
一日休んだだけで死亡説が囁かれるまなめさんのこと、数日も経てばネット上では「死んだ」とする意見が大勢を占めました。

でも、わかっているのですよ。
まだ寿命でもあるまいし、まなめさんが自分から引退なんてことはありえないのです。
一週間姿が見えないのなら、それは一週間姿を出せない突発的な用事が起きたというだけのことなのです。
でなければ、こんな追悼文を書けたもんじゃありません。

まなめさんにこの一言を捧げるために、私は死亡説など口にしないのです。
おかえり、まめなさん。