雑記

2007年06月16日

修羅の道・・金魚の繁殖

z070614hansyoku ただいま金魚の繁殖の季節。ナンキン増産のビッグチャンスだというのにウキウキした気分になれない。管理人がナンキンの繁殖に躊躇するのは面倒なだけが理由でないことを語るのは、ただの怠け者ではない証になるのでは?と考えた・・(ただの怠け者でもいいけどね)。

 金魚は子沢山である。一度の産卵で数百、数千の稚魚が生まれる。本気で育てれれば、無限に増やすことが出来る。出来るが、同じく無限の池や水槽と無限の気力・体力が必要となる。現在、この世に生存している多くの金魚が人の手によって行なわれる優良魚(生き残る魚)、不良魚(生き残らない魚)の選別から勝ち残った魚達である。我家のナンキンも愛好家からは「ナンキンに似た金魚」と呼ばれるかも知れんが、勝ち組には違いない。負け組の魚は処分(抹殺)される。実は管理人は金魚だけでなく、幾らかの植物も育てている。花が咲かない、実が成らない、姿が悪い、邪魔、以上のいずれかに該当すれば容赦無く胴体真っ二つ、或はバラバラ、日干し、火あぶり、生き埋めなど、今ではどんな非道な国家でも採用されない残虐な刑に処すことがある。世間では金魚は、植物よりは、高級?な生命を持っていると評価されているらしいが、人間からは、かなり格下の下等動物として扱われる生物であるので、上記の刑に処しても、評判が落ちたり、後ろ指を差されることがあっても、犯罪者として拘束されることはない。ブツクサと金魚ウンチクをたれる管理人が、飼い切れない稚魚の処分にビビってるうちは、まだまだ修羅の金魚道の入り口にも達っしてない証。

 一つだけ、これをやらずには瓢箪池物語は完にはできん・・という想いを持っている事がある。ホテマクリ繁殖・出雲ナンキンバージョンである(ホテマクリ繁殖については、カテゴリー/魚や飼育のことなど/2004年ワキン族による単池完結型繁殖(ホテマクリ繁殖)/を御参照くだされ)。我家には現在、2つのトロ箱水槽に4歳になるナンキンが13匹いる。受精卵を採取し、別の水槽で孵化させ、孵化した稚魚を順次、池に放せば、幾らかの稚魚は育つと考えている。作業行程の合理化のため、受精卵だけを池に沈めて孵化を待ってもよい。今年も昨年も一昨年もチャンスはあったが、玄関先で家族に邪魔扱いされる小汚い水槽でせっせと3年間育てたナンキンの子孫が、飢えたワキン(ワキンの稚魚を含む)の餌食になったり、ワキンの稚魚との壮絶な生存競争に負ける姿を想像すると、ただでさえ疎ましいワキンに憎悪の刃を向ける可能性があり断念。『ホテマクリ繁殖・出雲ナンキン・バージョン』の挑戦は、現在の池の先住魚であるワキン達が、不慮の事故で全滅するか(不慮の事故を装う故意だったりして・・)、瓢箪池よりも快適な引っ越し先が見つかる事が条件。それまで瓢箪池物語は半冬眠状態になりまするので池の様子が気になる方は、年に一度、春先にでもポチッとアクセスしていただければ十分かと思うしだい(無駄なアクセスは人生の無駄遣い)。いつの日か・・出雲ナンキンの子孫が舞い踊る池を見ることができたら・・自分の金魚道楽は、成就した・・と、思いたい。

追記
ホテマクリ繁殖を採用した場合、生き残る魚(ナンキンの子孫)は、鮒尾のナンキンだったり、背鰭のあるナンキンだったり、あるいはワキンと瓜二つだったりと、いろいろ楽し気な想像が湧いてしまう(ワクワク)。「そんなん出雲ナンキンじゃねー。」とおっしゃる方々が、いるはずだが管理人も賛成。もしも、その中に磨けば光る魚がおれば、新名称を付ける予定(瓢箪金とか・・)。

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2006年09月25日

瓢箪池物語2周年記念の雑記

z0609dentyuu 金魚を飼い始めて3年、瓢箪池物語を初めて2年、長い人生の中では短い期間であるが、この3年の間は、金魚の事は、野望リストの上位を維持していた。3年の間に数回、テーマが変化しサイトのサブタイトルが変更された。ちなみに・・

2004年8月21日(瓢箪池物語、初稿)から9月26日までは、『6坪の庭池で金魚が自然繁殖する豪華絢爛系ビオトープのお話』
それから2005年1月16日までは、『6坪の庭池で金魚が自然繁殖する豪華絢爛系ビオトープのお話と・・ 野望と欲望に燃える管理人とそんなことは知ったことではない金魚のお話』
それから現在までは、『出雲ナンキンが舞い踊る庭池構築に燃える管理人と・・そんなことは知ったことではない魚のお話』(これらの経緯はカテゴリー・雑記を参照してくだされ)

金魚のことでさえも、これだけ野望が変質するので、その他の野望も目まぐるしく変化する。とりあえず一般公開出来る2006年9月末現在の管理人の野望リストは以下の通り。

No.1 ・・征服
No.2 家族(自分も含む)が元気で悩み無用なこと。
No.3 非公開
No.4 ・・征服
No.5 80歳まで元気に生きて、ある日ポックリ死ぬ。
No.6 非公開
No.7 2010年ワールドカップ(サッカー)、二ッポン優勝。
No.8 地元の伝説のリフティング・キングになること(サッカーボールでのビジュアル系の妙技)。
No.9 ・・征服
No.10 もう少し経済力をUPしたい。

 金魚のことは現在、ベスト15の辺りをウロウロしている。管理人は野望に忠実に生きる男なのだが、野望でパンク状態が春から続いており、今回、無理矢理、オチを作って、瓢箪池物語とうとう最終回・・と、考えていた。しかし、遠くの知人へは管理人の『生存の証』にもなっているので季節のお便り代わりに有効利用する手はあるな・・と、思い直した。星の数程ある金魚物語の中でも露天池での金魚飼育の話は超少数派なので、それだけでも存在価値・理由があるな・・とも考えた。まだ不完全燃焼の想いも残っており、野望の実現には、休んだりノンビリする時代はあっても諦めずに続けることが一番、とも気がついた。

 昨年の予定では、今頃は既に『出雲ナンキンが舞い踊る庭池』が実現していた筈だった。今春は我家で初めて産まれたナンキンの稚魚の世話で大忙し・・夏には大きくなったナンキンが瓢箪池でウヨウヨ・・という光景を想定していたが、何一つ実現せず、いつになったら、瓢箪池で出雲ナンキンが泳ぐ姿を紹介できるのかは現在、全く不明。この池に死なせたくない魚(ナンキン)を放すことには苦痛が伴う。日常的にフリーパスで訪れる数々の天敵に襲われて魚が餌食になっている。「天敵撃退のバリケードを、早く、こさえろよっ!」と、いう声が聴こえるが、その気力と体力を他の野望に投資しなくてはならん個人的な時代なのである。瓢箪池物語、愛読者の方々に見捨てられるのは覚悟の上で今後の投稿は気侭な不定期便となる予定(以前から既に気侭だし、愛読者が存在するのかも不明)。現在上位の野望を一つづつ片付けて(野望ナンバー5以外)・・いつか、我家で生まれたナンキンと共に出雲の品評会に参戦し・・初出場初優勝という快挙を成し遂げる・・という、絵に描いた様な見事なオチにたどり着ければええのー・・と、考えるしだい。「そんなことは絶対にありえんっ!」と、おっしゃる方が沢山いらっしゃるのは承知だが、なにが起るか分からんのが世の中。(絵に描いたような楽天自信家)

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2005年11月20日

瓢箪池ピンチの話

z0511kawa 水中の穴は池に注ぐ川の水の引込み口。家の中に川が流れる世にも不思議な家に住んでいる。で、上のパイプは我家よりただ一軒上流にある隣家の生活排水パイプ。台所、風呂、洗濯、トイレの浄化槽、その他諸々の生活廃水が、ここから排出される。間一髪で池に汚水の混入が避けられている。隣人はわざわざこんな細工をする義務はないのだが瓢箪池前オーナー時代から池の鯉に気を使い面倒な造作をして頂いている。この気遣いをしていただいている方は御老人で一人暮しをしている。普段は軽く会釈する程度の仲だが、池の魚の命の源を守って下さる方なのでイザとなれば役に立ちたい気持ちはあった。昨年、この方が梯子から落ちて血まみれになった時に発見し、救急車で病院まで同伴したのは管理人であった。「借りは返したぞ!」と、思う程のことではないし、この先も仲良くして頂きたい御老人である。
 最近、我家付近でも下水道の埋設工事が行なわれた。新築の家では、この下水道の管に生活廃水管を直結し川に汚水は流れないが、まだ多くの古い家では配管工事費が勿体ないので昔風に川へ直接流している。管理人の子供時代は、近所で庭に池が無い家の方が少なく、瓢箪池前オーナーは、それが悔しくて庭池を造ったのではないかという疑念は消えていない。しかし、文明の発達と比例して生活廃水が濃厚で未知の化学物質が混じる様になると、鯉が全滅・壊滅という話を時々聞いた。そして下流の家から順次、庭池を埋めていって今では池を維持し魚を飼う家は上流地域に住む数軒になった(我家はその数軒の中の一軒)。
 いつか必ず瓢箪池物語は完となる日が来るが、それは、どういう日か?・・と考えたことがある。候補として以下の日がリストアップされた。

(1)瓢箪池で30センチの巨大ナンキンが現れた(管理人は巨大金魚好き)。
(2)瓢箪池で10年目の誕生日を祝うナンキンが現れた。
(3)ナンキンが我家で初めて生まれて育った。
(4)絶世のナンキンが我家で生まれた。
(5)ナンキンが全滅した。
(6)管理人が死んだ。
(7)ライブドアー(当サイトの影の管理者)が潰れた。
(8)飽きた。

 実は最近、上記以外の事態が発生したのである。川沿いの道を拡幅するために池の源泉であるこの川を暗渠(コンクリートで塞ぐ)にしてしまう計画が出され、我家にその話が来たのである。この提案を飲めば我家が失うものは川の水、夏の涼しい風、川に迫り出す風流な杉の生け垣、新設する塀の工事費・・一軒の家族が泣けば、川をコンクリートで塞ぎ、道が広くなることを喜ぶ人間がいることは明らか。それは素直に認める。認めるが『屁理屈をこねて税金の無駄遣いを嗜める』、『村八分覚悟で抵抗する』ぐらいの権利はあると思う。役人や政治家(勿論、役人や政治家だけではないが・・)が、どれほど既得権益を守るのに必死か、良〜く解った。
 我家界隈は古い農家の家が立ち並ぶ集落なので昔はリヤカーや大八車が通れれば十分という道しか無かった。そして現在でも消防車、救急車、宅急便などの車両が進入できない狭い道が沢山あり、それらの道に隣接する家では自家用車のチョイスにも制限がある。不可解なのは、どうしてこの川の道が優先拡幅工事対象なのか?と言うこと・・この道は以前に一度拡幅され大型ダンプも通行可能で、近所では車が走り易い快適道路の部類である。そして「あそこの狭い道に救急車が通れる様になったら、この川は好きな様にせんかい。」と言うのが管理人の返答。苦々しい思いで我家を見つめる方が、おるかも知れんが、本人が知らないだけで人から恨まれるのは誰にとっても日常の事であることを知っているので、気にするのは人生の無駄使い。
 以上、優しいお爺さんの話と既得権益せめぎ合いの話でした。

『追記』
「川の水が使えなくなったら水道の水を使えば?」と、おっしゃる方もいらっしゃると思うが水量約7トンの池を水道水で維持管理する気力は管理人には無い。

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2005年05月24日

出雲ナンキンエレジー

 以前、瓢箪池物語愛読者の方に「いつも焼酎飲みながら投稿記事を書いとるでー。」と語ったところ「まぁ暴走して、後日後悔しないようにねっ。」と忠告された。今回の投稿タイトルは「出雲ナンキンエレジー」・・エレジーには酒は付きもの、暴走も付きもの・・。

z0505kirisima ランチュウとナンキン。両者とも世間では高級金魚の扱いとなるが人気の点ではナンキンは遥かおよばない。「ランチュウは金魚の王様」と讃えられる記述を目にすると、一国(アメリカ合衆国)の野球のチャンピオンチーム決定戦がワールドシリーズと呼ばれ、それに異議を唱える骨のある者(その他の国の野球愛好家)が居ない事と同質の寂しさを感じる。管理人は、毎日一度は覗く自宅の庭池で美しい魚が泳いで欲しいという願望と欲望が出雲ナンキンを我家に呼んだ全ての理由なので、金魚業界の発展や出雲ナンキンの普及には全く興味がないが、出雲ナンキンが過小評価されることには「日本人の審美眼は大したことないのー。」とシミジミとした寂しさを味わう。・・出雲ナンキン・・なぜこの美しい金魚が世間でこれほどまでに人気が無いのか?(飼育者の数が非常に少ないということ)人気が無いどころか名前を知っている人間を探すだけでも大変なことで、実際に飼育している人間なんかは希少人種の範疇に入る。個人的にはホームセンターのランチュウ水槽の隣にナンキン水槽があるのが定番になっても良さそうなのだが、ホームセンターどころか金魚の専門ショップで手に入れるのも実に困難。「なんでだろ〜。」(死語か?)と、いまだに不思議でチョコッと原因を考えてみた。

(1)飼育が難しく、すぐ死ぬ。
(2)美しいナンキンの出生率及び生育率が低く生産性が悪い。市場に出る数が少なく世間に広まらない。
(3)所詮、大した魚ではない。
(4)ナンキン飼育者には偏屈が多く、ナンキンの魅力が世間に広まらない。

まず、初めてナンキンを飼育してみた経験から(1)が原因ではないことは明らか。嘘だと思うなら一度飼ってみて下され。(2)が一番正解に近いかも?と考えているがナンキンの繁殖は経験が無いので真偽は不明。しかし日本は需要と供給でビジネスが成り立つ経済システムを採用した国家なので需要あれば必ず供給をモクロム者が現れ、なんとかするのである。よって、これも不正解。(3)これは真実でもあり間違いでもある。「解る奴には解るし、解らん奴には解らん」と、言うよくある話なので、この事を長々と語るのは時間の無駄だが、指摘されれば認めざるを得ないことが一つある。横から見る姿が、上から見る姿より平凡で地味な印象を与える魚が多いということ。人通りで後ろ姿にシビれた女性を追い抜きざまに横顔をチラッと覗きシュンとした経験は、男なら「アルアル。」と頷いてもらえる筈。日本では金魚はガラスあるいはアクリル水槽で飼われることが多く、横からや正面からの生々しい魚の姿を見ざるを得ない環境ではナンキンはチョイスから外れる可能性が大いにありえることは、ちょっと悔しいが管理人は素直に認める。それでも絶世のナンキンと絶世のランチュウを人類65億人で人気投票したらナンキンが勝つ方に20万円賭ける。勝つ自信はある(「勝つ自信があるならモッと賭けろ!」と言う貴方は身を滅ぼす傾向があるので注意されたし)。(4)は笑いを取ろうと冗談で書いたつもりだったが、もしや真実ではないか?と思わせる事実がある。一時、この出雲ナンキン不人気論を出雲ナンキン発祥の地「出雲人偏屈論」に繋げることが可能か?と考えた。管理人は現在、2名の出雲産の知人・友人がいる。一人は近所の友人の奥さん、もう一人は仕事の都合で近所に越して来たフットサル仲間。彼等はゼンゼン偏屈ではなく、とてもステキな人達である。近所の土着の人間にはイヤッチューほどの偏屈者が沢山いて瓢箪池界隈は偏屈者の巣窟ではあるまいか?と考えたこともある。この事実から出雲の人が偏屈であるというのは間違い。それでは出雲ナンキン愛好家が偏屈である可能性が多いにあるのでは?というのが現在の推測。今はインターネット時代。管理人のような憂さ晴らし目的のド素人が銭も使わず(ありがとうライブドア)飼育指南を簡単に発信できる世である(迷惑の可能性は否定しない)。瓢箪池物語に異議・反論があればカカッテコイなのである(やはり暴走してるか?)。そんな時代にネットで発見できるランチュウなど、いろんな金魚の情報を調べようと思えば気が遠くなるほどのページが現れ、その中の幾らかの発信者は惜しみなく飼育法などを披露され、質疑・応答もきめ細かく対応されるサイトが多数存在する中で出雲ナンキンの飼育情報は極めて少ない。管理人は出雲ナンキンの飼育奥義や秘伝の技などを惜しみなく披露したいのだが、何も持ち合わせていないことが淋しい(実際にそういったものが生物学的根拠ある事実として存在するのかは現在調査中)。まさか「出雲ナンキンを知りたければ愛好会の会員になって出雲の先生のとこに挨拶に来んかい。」というのがナンキン愛好家社会の流儀では無いと思うし、神秘の幻の金魚として付加価値を高めるビジネス戦術でもないと思うが、何にしてもこの情報の少なさは怪しいと感じる(「それは違う!」と思う方がいらっしゃればドシドシ、コメント下され)。

 我家で出雲ナンキンが泳ぐのは『出雲ナンキン振興会』という一つの素晴らしいサイトがキッカケだが、そのサイトは、いつの間にか閉鎖された。もしや閉鎖せざる得ない事情があったかも知れないし、近くまた復活が予定されているかも知れないが、更新などしなくても存在するだけで管理人のような出雲ナンキンファンが生まれるのである。既に瓢箪池物語の存在で人類65億人の中で約5名もの方が新たに出雲ナンキンの存在を知り、いつか彼等が金魚を飼う暁の日には出雲ナンキンを家に迎える魚として選択するかも知れないのである。その頃には、検索サイトで「出雲ナンキン飼育」と検索すれば、飼育自慢のサイトがズラズラ現れる日を待つのは管理人だけなのだろうか?ペットオークションで出雲ナンキンとは思えない不可解な魚が出品され、「我がナンキンを見よ!」と名乗りを上げるナンキン侍は居ないのだろうか?『なんとか池物語』というサイトでド素人がデカイ面してナンキンを語られるのに怒りを覚えるナンキン愛好家はいないのだろうか?出雲のナンキン侍が覚悟を決めて絶世のナンキンの姿や飼育の奥義をネットで披露される日を待つのは管理人だけでは無い事を人類を代表してお伝えしたい。

『追記1』
 時々、瓢箪池物語を読み返すが、管理人も出雲ナンキン飼育者の一人として偏屈者のDNAがかなり濃い事に気が付いた。そして今回もちょいと暴走していた。

『追記2』
2005年5月現在、管理人が知りうる限りで、唯一、充実した出雲ナンキン情報サイトが『出雲ナンキン』である。瓢箪池物語に掲載している写真は我家の平凡(平凡以下かも?)なナンキン達なので、この魚の真の美貌・魅力を伝えるためには本当は掲載を控える方が良いと思うこともあるが、紹介したサイト『出雲ナンキン』では品評会での美しいナンキンの写真が数多く掲載されており、管理人が何故、瓢箪池で出雲ナンキンが舞い踊る姿に憧れを持つのか理解して下さる方もいらっしゃると思われるので興味ある方は是非訪れて見て下され。

『追記3』(2005年12月7日)
 出雲でナンキンを飼育する方が、サイト『出雲ナンキン観察日記』をオープン。羨ましいばかりの美しいナンキン・・信頼出来る飼育アドバイス・・等々が掲載されている。何故このようなサイトが、これまで存在しなかったのが不思議中の不思議。素晴らしい出雲ナンキン・サイトに発展されることを祈願。

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2005年05月10日

近所の溜め池

z0505tameike  写真は瓢箪池から1キロほど離れた所にある溜め池。以前、出雲ナンキンパラダイス構築のためには邪魔者だったワキン族の処分先として放流を検討したことがある。数カ所の溜め池を回り、この池が一番こじんまりしており、鯉も泳ぐ池なので、あわよくば生き延びて幸せな魚生を送れる魚が数匹はいるのではという期待と希望が邪魔者処分の罪悪感を薄めるのである。社員の首を大量に切る会社が対象者に次の仕事を斡旋するのと全く同じ心境。次の仕事が首を切られる本人にとって明るい未来なのか悲惨な未来なのかは関知しないのも全く同じ。近くには灌漑用の溜め池が幾つかあるが、この池を含めブラックバスが泳がない池は存在しない。何センチ以上の金魚ならブラックバスの口に入らないか検討したことがある。根拠は無いが25センチという数字を弾き、25センチに到達した魚から順次、溜め池に放流する計画もあった。社員の首を切る会社が年寄から処分するのと全く同じ。何でここまで金魚如きに気を使わなくてはならないのか?と思うこともあったが、これも社員(あるいは選手)如きが・・と考える社長(あるいは球団オーナー)と全く同じ。幸いにもこの冬(2005年)にアオサギが殆どのワキン族を処分してくれたのだが、生き残りの数匹のワキンが春に子孫を残して、どうしても管理人はワキンとの縁が切れないらしい。

 地元の小学校では溜め池でのブラックバス釣りには厳しい禁止令が出ているらしいが、天気の良い休日には子供がルアーを投げて遊んでいる(こういう子供達がいつか国家のピンチを救う)。池に落ちて水死しても誰も恨めないのは世の定め。時々、日本の池や湖に放されたブラックバスの存在の賛否を耳にしたり目にすることがある。もし誰かにこの問題を問われても「人類を頂点とする人類の満足のための生態系の保護」を世を欺く正義に擦り換える事に極度に警戒する人間なので、この事をテーマに人と語ることはない。世で語られる「土着生物優先の生態系の保護」なら管理人は人類が一番の害獣であることを知っているし、子供を作らず人類の繁栄に貢献しない人間には環境大臣賞を与えてもいいと考えている。なんにしても人類や自然生物のことより我家のナンキンの生存の方が心配な人間が語れるテーマではない。ブラックバスもおらず、金魚なら生息可能な大きな池が近くにあれば、縁を切りたい金魚を放しても心傷まないと思うが、結局はこれも「自分の欲望を頂点とする自分の満足のための生命の保護」という世を欺く正義に擦り換えるワガママには違いない。

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2005年01月16日

『ビオトープ』の看板、撤収。

z0501sabutaitoru  当サイト「瓢箪池物語」開設当初、管理人は魚の飼育についてはド素人ではあるが「そんじょそこらの庭池とは一味違うぞ!」という気概と、なにやら自然科学の香りのする『ビオトープ』という言葉が気に入り『植物や魚が入り乱れた生態系の構築』を瓢箪池の大きなテーマにしようとした。ビオトープという言葉の定義・概念は漠然とではあるが理解していたつもりだったが(「人為的に自然環境を造り自然の生態系を再現する施設」と理解していた)、投稿を繰り返し時間が経った今では「オレの趣味とは違うな」と違和感を覚えるようになる。管理人は人並み以上に自然や生物を愛している訳でも大切にしている訳でも興味がある訳でも無く、日常的に、都合で自然や生物を破壊したり排除したり殺したりている「そんじょそこらの人間」である。「魚を頂点としたビオトープを構築する」ということは「魚に害を与える自然・生物と敵対する」ことに気が付いた。どんな天敵生物も自分が生き延びるのに必死で「瓢箪池のキンギョには手を出すな!」などと管理人に気を使ってくれるジャングル大帝レオのような殺しの嫌いなボスは鳥や猫やカエルや虫の中には存在しない。
 今春には魚の生存を最優先し池をネットを覆い、ついでに池を干しての大掃除を予定している。ヤゴ、カニ、その他水生生物、瓢箪池をネグラとする全ての生物が消滅あるいは死滅する事態を予期するに至り、ビオトープを看板にするのはもう止めようと思い至った。実はビオトープという言葉自身にも変化自在な解釈を許す「うさん臭さ」があり、世間ではビオトープとは「生物を絡めたひとつの庭造りの手法」というガーデニング用語として理解している方々も多い。こういう解釈でなら、この瓢箪池も数多くのビオトープと呼ばれる施設の中のひとつの姿と言い逃れることも出来そうだが、やはり語り心地の悪さは変わらず、このたびサブタイトルから『ビオトープ』という言葉を削除。検索サイトで上位を独占した栄光(雑記『うさん臭いサブタイトル』参照) を捨てるのは非常に辛いが、ついでに『自然繁殖』という言葉も削除。サブタイトルを『6坪の庭池で金魚が自然繁殖する豪華絢爛系ビオトープのお話と・・ 野望と欲望に燃える管理人とそんなことは知ったことではない金魚のお話。』から 『出雲ナンキンが舞い踊る庭池構築に燃える管理人と・・そんなことは知ったことではない魚のお話。』に変更。これで心置きなく野望と欲望に邁進できる。人間、正直に生きるのが楽である。過去の投稿記事でこれらの言葉(ビオトープ・自然繁殖)が頻繁に使われているが、「若気のいたり」ということでお許し下され。実はそれほど若くはないが・・。

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2005年01月15日

ナンキン至上主義者を斬る!

 以前、ランチュウ至上主義者を斬ってしまった(雑記『ランチュウ至上主義者を斬る!』参照)・・新年早々、人を斬るのは気が引けるが、ナンキン至上主義者も一度は斬らねばなるまい・・。

z0501nankin2 ランチュウほど全国的ではないし規模も小さいがナンキンも魚の美貌を競う品評会が行なわれる。現在、我家には21匹のナンキンが居るが、その中に参戦資格を持たないナンキンが半数以上いる。それは頭が赤い魚と尾鰭が三尾の魚である。ナンキンだけではなく金魚の品種には人間(極少数の人間)が決める品種の基準・規定がある。その基準・規定の範疇に入らないと、親が子に「人様の前ではパパママと呼んじゃいけないよ。」と言うような状況が生まれる。別に魚はそんなことでイジケたりグレたりはしないが幼魚時代に生きたまま生ゴミにされる確率が高い。こういったことは、あらゆる生物の品種の維持保存には付きまとう付加価値増進行為なので、個人的な賛否善悪は語らないし語るのは時間の無駄。
 自分の審美眼や価値観に忠実であることを残された人生のテーマにしている恐いもの知らずの管理人には品評会参戦資格が与えられないことや、ナンキン至上主義者から「そんな魚、ナンキンと呼ぶなよ。」と嫌みを言われようが「ナンキンモドキを飼って喜ぶ男」と嗤われようがゼンゼン平気。管理人が、もし「ナンキンを語れ!」と問われた場合「ナンキンは頭や顔にプヨプヨした肉瘤のない魚らしい精悍な顔つきを持ち、それでいて下半身がムッチリふくらんだグラマラスボディライン。背鰭がないことにより、このリッチボディを簡素で切れ味鋭いシルエットに仕立て上げる。尾鰭は平付けで小振りで慎ましく、白地の肌が白銀のような輝きを見せる美肌を持つ。野生の凛々しさと人工的な華やかさを絶妙なバランスで保つ希有な金魚である。水の中でもゴテゴテキンギョよりスマートに泳ぐぞ。」というのが答え。頭が赤くても尾が三尾でも美貌が台無しになるほど軟弱な造形美ではないと考えている。
『頭が赤いナンキンはどうしてダメなのか?』を考えてみた。
ナンキンは下腹部の膨らみが重要なチャームポイントであり、頭部が白いことはこのチャームポイントを引き立てるためには有効なカラーバランスであることは理解できる。しかし「頭が赤いと下品」というのはどういうことなのか未だに理解出来ないし、脱色してまで頭の赤を剥がなくてはならないほど重要なことなのかもよく解らない。
『なぜ四つ尾でなくてはならないか?』を考えてみた。
三尾より四つ尾の方がヒラヒラ効果があるので金魚らしい華やかさの演出のためには有効であることは理解できる。しかし、しゃがみこんで尾鰭を凝視しないと判らない。より優雅にしなやかに泳ぐことの方が遥かに重要であり、四尾に執着を持つ事は生ゴミにされるナンキンの幼魚を増やすだけと思う。
 以上が我家で暮らすナンキンの応援演説であるが、もし、これら以外に重要な意味があれば頭を下げてでも教えて頂きたいし、もし理由がこれだけの事だとすればナンキンにおいて頭が赤い魚や三尾の魚がハネの対象魚になることについては、価値観の硬直と了見の狭さを指摘されても仕方が無いと思うのは管理人だけであろうか?保存すべきは強く美しい魚であり既成概念や既得権威ではない。素人にイチャモンを付けられるのは玄人には腹立たしいことらしいが、美を語ることに権威・素人・玄人という要素は必要無い・・と思う。ランチュウをご指名NO.1の座から追いやる可能性がある美貌の出雲ナンキンを狭い規定に閉じ込めるのは惜しい・・とも思う。
 まあ、思ったことをズラズラと書いただけで、この投稿記事は管理人にとっても誰にとってもたいして意味があるものではない。
 拙者・・もう人を斬ることは控える。人を斬る者、いずれ人に斬られる。

『追記1』
「オマエはナンキン至上主義者じゃないのか?」と問われれば「ワタシはただのナンキンを愛する変なオジサンです。」と答える。

『追記2』
 出雲の方々がこの美しい品種を何百年も保存してこられた永い努力に心から敬意を表します。

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2004年12月20日

恐るべきメール

 当サイトを開設してより2回、コメントをいただいた(メールではなく、投稿記事の下のCommentsをクリックすると書き込めるスグレモノ)。「貴方のサイト、とっても興味があります。これからも時々、遊びに来ますね!」とか「ワタシのマンションは狭くてキンギョは飼えません。エ〜ン…シクシク。これからもサイト楽しみにしてますね!」の様な内容だったと思う。なんにしても「こりゃ絶対、女だぜ。」と管理人は喜んだ。両コメントとも続く文章はhttp://www.・・・とある。勿論アクセス。なんのことはない・・淋しい男の銭を奪う目的で制作された風俗業者のサイトであった。あまりにガックシきたのでただちにコメントを削除した。今思えばこの投稿記事のツマに残しておけば良かったかも・・と思う。驚いたことに先日、以下の文面でコメントではなくメールが来た。
メールタイトル・・『アドレス変更しました』
内容・・「覚えてくれてる?さて…誰でしょう?写真アップしたから確認してくれる?
http://www.・・・・・・・・・」
例の狭いマンションでエ〜ン…シクシクと泣きながら淋しい男の銭を狙っている組織からであった。管理人はサイトにメールアドレスを公開していない。それなのにナゼだ?
 メールアドレスなどは本人が隠したつもりでも漏れているらしい。

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2004年11月03日

予期せぬ魚来たる

z0411yokisenu2 2004年10月23日、地元の秋祭り。甥っ子二人が我家に遊びに来た。なんと3匹の小赤と一匹のデメキンと共に・・。祭りの出店の金魚掬いで手に入れ、これから瓢箪池に放すのだと言う。出雲ナンキンパラダイス計画が進行中の池にナンキン以外の魚の入居を許すはずはない。密放流の禁止を諭し「今度は出雲でナンキンを掬って来い。」と嗜める。
 なにはともあれ狭い袋の中で苦しむ金魚が気の毒なので養生設備を準備する。0.5%の塩水を20リットル作り発砲スチロールの容器に入れる。隣のナンキン水槽のエアーチューブを分岐させ空気を送る。水温水質合わせの後、容器に移す。「なぜそんなことをするのか?」と質問攻めにあう。「玄人の秘伝の技」と、いうことにした。二人の子供から尊敬の眼差しを受ける。その眼差しが軽蔑の眼差しに変わらないように、次回の来訪までこの4匹を生存させることが任務となるが、2匹の腹に大きな擦過傷がありちょっと自信がない。玄人の秘伝の技?を駆使しても生かす自信がないのに子供に掬われ飼われる金魚は殆ど哀れな運命を辿る。哀れではあっても、この金魚掬いというイベントが日本の金魚業界の繁栄に多大な貢献をしている事実がある。金魚掬いで金魚を持ち帰った多くの人がすぐに死なせるが、その内の何人かはまた新たな金魚を購入する。そしてまた死なせ金魚は懲り懲りとやめてしまうか、あるいは飼育極意を発見し末永い楽しみとなるかは人次第なのだが、金魚掬いという「金魚飼育のキッカケを与えられる機会」が日常的に存在することは短期的、長期的な飼育者を継続的に生み出している。ただこの金魚掬い、国が違えば動物愛護団体からの抗議ぐらいでは済まず動物虐待禁止法で警察の世話のなるかも知れないイベントなのである。わざわざ網で追い回さなくても、飼育のシオリでも添えて一匹100円で売ればよいのではと考える人も多い。個人的な賛否は語らないが幼少の頃からギャンブルを体感させるこの風習そのものは気に入っている。自分も子供時代は祭りや縁日にはウキウキギャンブラーモードで徘徊し、一度あのチリ紙のウチワで金魚を掬った感触が記憶に残る。(掬った金魚をどうしたのかは記憶にない)現在、キッカケは違っても「死なせては購入し、また死なせる」という道を管理人自身が現在進行形で歩んでいる。  
 甥っ子が次来た時に数匹でも生きていれば、魚の入った容器とエアーポンプごと「持って帰れ。」と言うつもりである。これがキッカケとなり甥っ子が金魚ファンになるか、ならないかは関知しない。ただ、また我家へ金魚を持って来るようなことがあれば「強制金魚飼育強要罪」として焼酎1本を徴収予定・・子供に酒をたかるのは違法ではない。

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2004年10月27日

ランチュウ至上主義者を斬る!

z0410ranchu2 長年の疑問と言うほど長くはないが不思議に思うことがある。世の中のランチュウ人気のことである。現在、日本金魚界ではランチュウが覇権を握っている。より正確にいうとランチュウという魚ではなくランチュウ飼育者という人間が金魚道楽の頂点として君臨していると言うべきか。ランチュウという魚の魅力とランチュウ飼育者の組織力、広報努力の結果であり君臨していることに文句は無い。しかし金魚には何十もの品種があり、それぞれが人に愛される姿と生き様を持つ中でランチュウだけがあまりに突出した人気なのが不可解なのである。ことあるごとに金魚の王様と讃えられ、全国各地で美の完成度を競う品評会が開かれることは、道楽者の血が流れる者なら熱くなることは理解できる。管理人も一度、短い期間ではあったが「ランチュウを飼わねば金魚を語る資格がないのでは?」というところまで追い詰められた経験がある。(03年飼育観察記『ランチュウ飼育記』参照)僅か金魚飼育歴3ヶ月の管理人を簡単に追い詰める恐ろしい洗脳世界であった。普通なら、これほど極端な一極集中があれば別の流れができるムーブメントが起るほうが自然な感じがするが、そういう気配は現在ない。
 このランチュウ人気は管理人にとっては野球界の巨人人気と重なる。読売グループという強力な広報メディアを持ち、シーズン中にテレビで見られるのは巨人の試合だけ。経済力でスタープレーヤーを獲得。その他の数あるチームを応援する明快な動機がない野球ファンはいつのまにか幼年時代から巨人至上主義者となる道を歩む。勿論、選択の自由と権利を行使したに過ぎないことでありこれにも文句の付けようがない。しかし、この野球界にも一極集中の弊害とつまらなさを感じる人達の新たな蠢きがある。
 なにやら業界を憂う大物のような語り口で気恥ずかしいが、多くの金魚飼育者は自分の魚が一番可愛くて他人の魚には興味がなく、世間の人気など気にしない。当投稿はランチュウ至上主義者に不愉快な気分を与えることは承知のうえだが、ド素人の恐いもの知らず斬りということで気にしないでいただきたい。人気者の鼻をちょっと摘んでみたかっただけなのである。ちなみに管理人は「日本産・黄色モンゴロイド系極東亜種」という本来なら「群れて泳ぐのが好きで大きな魚に極度に気を使う品種」に属するのだが、なぜか群れを避けて泳ぎ、大きな魚に睨まれた経験を多く持つ。

seebee at 20:13|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!