魚ファイル
2006年12月07日
赤ずきん姉妹
『ザ・出雲ナンキン』のポートレート撮影のついでにこちらの魚も撮影した。この手の作業は一度に行なうに限る。
2匹とも春にオスに追いかけ回されたのでメスと断定。生産者も同じ・・我家へ到着した日も同じ・・魚体の天然の入墨にも共通点が多いので血の繋がった真の姉妹である・・と、断定・・と、いうわけで『赤ずきん姉妹』と名付けた。我家には白いナンキンが多いので、管理人には、この赤ずきん姉妹は大変嬉しい存在である。水槽が艶やかな感じなんである。特に頭が赤いとこがお気に入り。どうして頭が赤いナンキンはダメなのか?いまだ謎。どこかのサイトで「頭が赤いと頭に肉瘤が発達する遺伝的な傾向がある」との記事を読んだ記憶があるが、真偽は不明。もし、真実なら、「このナンキンは、頭の赤い所を無理矢理脱色しましたので、種魚には不適当です。」と、但し書きを一筆入れるのが、商売人の良心だと思う。真実でないとしても「このナンキンは、商品価値を高めるため、頭の赤い所を無理矢理脱色しました。」と、但し書きを一筆入れるのが、商売人の良心だと思う。
(来年は一言多い性格を直そっかなー)
追記・・
写真下の妹は三つ尾、上の姉さんは桜尾で出雲ナンキン市場での商品価値は下の下の下らしい。
2匹とも春にオスに追いかけ回されたのでメスと断定。生産者も同じ・・我家へ到着した日も同じ・・魚体の天然の入墨にも共通点が多いので血の繋がった真の姉妹である・・と、断定・・と、いうわけで『赤ずきん姉妹』と名付けた。我家には白いナンキンが多いので、管理人には、この赤ずきん姉妹は大変嬉しい存在である。水槽が艶やかな感じなんである。特に頭が赤いとこがお気に入り。どうして頭が赤いナンキンはダメなのか?いまだ謎。どこかのサイトで「頭が赤いと頭に肉瘤が発達する遺伝的な傾向がある」との記事を読んだ記憶があるが、真偽は不明。もし、真実なら、「このナンキンは、頭の赤い所を無理矢理脱色しましたので、種魚には不適当です。」と、但し書きを一筆入れるのが、商売人の良心だと思う。真実でないとしても「このナンキンは、商品価値を高めるため、頭の赤い所を無理矢理脱色しました。」と、但し書きを一筆入れるのが、商売人の良心だと思う。
(来年は一言多い性格を直そっかなー)
追記・・
写真下の妹は三つ尾、上の姉さんは桜尾で出雲ナンキン市場での商品価値は下の下の下らしい。
ザ・出雲ナンキン
昨年までは平凡な魚に思え、「猫に食われるならコイツから・・」とまで考えていた魚が写真のナンキン。ところが今では「ナンキン品評会に連れて行くならコイツしかおらん。」と考えている。我家のナンキンは頭が丸い傾向があるが、この魚の頭はキリリと締まり端正な顔立ち。頭に赤もなく、尾は四つ尾。尾立ち良く、横見の背なりもなだらか。ついでに尾鰭を閉じてしなやかに泳ぐ。文句の付けようのない、『ザ・出雲ナンキン』である。かつては、細く痩せた感じがあったが、今年になって太鼓腹になった。太鼓腹のくせに、その太鼓腹が、ウエストをギュッと締めたナイスバディに見せるところが出雲ナンキンの不思議。この魚はドシロートがテキトーに育てても秀麗な姿に育つDNAを持つ。こういう魚が真の種魚になると考える。(今年の繁殖期にオス・メスの判定をした記憶があるが、思い出せん。)
2005年12月07日
天狗のウチワ
このナンキンは太く短い体躯を持ち、管理人好みのコロコロムチムチのナイスバディである(背は小さいのに胸もお尻もでかい・・・ちゃんの面影を思い出す)。管理人はナンキン(ナンキンだけではないが・・)の色気の殆どは頭の先から尾の先までのボディラインに関わると考えている。だから尾鰭の仕様や赤い入墨のレイアウトデザインは神様の気まぐれの仕業と思い、グリコのオマケ程度に考えている(グリコのオマケと言われたら神様は泣くかも知れんが・・)。上から見ると尾鰭が天狗のウチワに似ているので仮称ではあるが「天狗のウチワ」と、名付けた。横から見てもウチワの様で平べったい。ウチワを水平に扇ぐ様なものなので推進力は小さく、鈍足をカバーするために遊泳時は腰を激しく振る(これがナカナカ色っぽい)。しかし、仲間の群れが移動すると「待ってくれー」と、トコトコと追いかけるが、いつもビリである。魚として生まれたが、この足(尾鰭)のハンディキャップのせいで『生延びる力』は、弱いであろうことが推測できる。今の仲間と同居する水槽では、1メートル走れ(泳げ)ば、行き止まりになるので、ちょっとハアハア言うぐらいかも知れないが、いつか必ず訪れる瓢箪池での生活・・・広さ6坪(畳12枚分)もある池に放すと、どうなるのか?・・いつしか仲間の群れに追い付けなくなり・・追うのを諦め・・池の隅で孤独に過ごし・・いずれ衰弱して一番早く死んでしまうのではないか?という懸念が消えない。しかし、取り越し苦労の可能性もあるので「こりゃアカン。」と思えば、その時はその時。
2005年11月27日
一匹のナンキン
我家の1匹のナンキンをご紹介。
鱗並びは荒々しく、おまけに猫に鱗を剥がされ美肌からは遥か遠い。締まりの無い頭にはデザインセンスの欠片も無い赤い天然の入墨が施されている。辛うじてナンキンらしく腹は出ているが、そのボディラインは骨太筋肉質の体育会系のシルエットである。その上、ナンキン業界では忌み嫌われる三つ尾の尾鰭を持つ(なぜ嫌われるかは不明)。頭は白くなくてはならない・・尾は四つ尾でなくてはならない・・と、言われる出雲ナンキン規格からは逸脱しており、愛好家の評価ではオゾマしい姿の魚である。本来ならば幼魚時代に削除され、もう、この世には居ないはずだが、生産者の情けと物好きな管理人のおかげで今日に至る。我家には規格に沿うリッパなナンキン達も居るが、この魚ほど泳ぐ姿が優雅で力強い魚は居ない。尾鰭の縁が土佐錦の様に微妙にカールしており、可憐にヒラヒラと反転させながら泳ぐ。それでいて、筋肉隆々の魚体がしなれば、推進力も十分で、他のナンキン達は「マッテくれー!」と後を追う。思わず「見事じゃ!」と唸るのは管理人だけではあるまい(管理人だけの可能性は否定しない)。2歳になってやっと10センチを超えたチビナンキンだが、いつか瓢箪池に放し、無事成長し、猫もたじろぐ巨艦金魚となり、その頃でも野太い体をふてぶてしく揺らし・・百万匹に1匹が持つと言われる絶妙にカールする反転尾鰭(百万匹に1匹は言い過ぎかも知れん)で水を切り・・・ガラの悪いヤンチャが風雅な裾さばきで広い池を回遊する風情や存在感は、より別格の姿であろうと思う。その日が来るのが実に楽しみ。この野性味とゴージャス感を併せ持つ瓢箪池仕様の魚を死なせるワケにはイカン!と、つくづく想うのである。
以上は、残された人生に自分の価値観と審美眼に忠誠を誓った男の親バカ・マイ金魚自慢でした。
『追記』
未だに、出雲ナンキンの規格から外れたこの魚を何て呼んで良いのか分からない。自分の愛魚を「ナンキンモドキ」などと自虐的に呼ぶナンキン飼育者が後を絶たない。もし、出雲ナンキンの命名権を所有する団体組織が存在するなら、こういう魚をどう呼ぶべきかキチンと呼び名を決めて頂きたいと思う。名を付ける価値も無い魚であれば、「金魚のクズと呼ぶべし。」とかでも良いので正式表明して頂いた方が個人的にはサッパリし、当サイトのタイトルも『金魚のクズ、飼育記・・金魚のクズが舞い踊る庭池構築に・・・・・・』に変更する。もし、その様な団体組織が存在しないなら、この先も出雲ナンキンと呼ばせて頂くしか無いのである。既に、この呼び名の問題は解決されている可能性もあるが、出雲からは遠い所に住んでおり、断片的なネットでの情報のみが全ての管理人なので、ご存知の方がおり、コメントなど下されば感謝・・。
鱗並びは荒々しく、おまけに猫に鱗を剥がされ美肌からは遥か遠い。締まりの無い頭にはデザインセンスの欠片も無い赤い天然の入墨が施されている。辛うじてナンキンらしく腹は出ているが、そのボディラインは骨太筋肉質の体育会系のシルエットである。その上、ナンキン業界では忌み嫌われる三つ尾の尾鰭を持つ(なぜ嫌われるかは不明)。頭は白くなくてはならない・・尾は四つ尾でなくてはならない・・と、言われる出雲ナンキン規格からは逸脱しており、愛好家の評価ではオゾマしい姿の魚である。本来ならば幼魚時代に削除され、もう、この世には居ないはずだが、生産者の情けと物好きな管理人のおかげで今日に至る。我家には規格に沿うリッパなナンキン達も居るが、この魚ほど泳ぐ姿が優雅で力強い魚は居ない。尾鰭の縁が土佐錦の様に微妙にカールしており、可憐にヒラヒラと反転させながら泳ぐ。それでいて、筋肉隆々の魚体がしなれば、推進力も十分で、他のナンキン達は「マッテくれー!」と後を追う。思わず「見事じゃ!」と唸るのは管理人だけではあるまい(管理人だけの可能性は否定しない)。2歳になってやっと10センチを超えたチビナンキンだが、いつか瓢箪池に放し、無事成長し、猫もたじろぐ巨艦金魚となり、その頃でも野太い体をふてぶてしく揺らし・・百万匹に1匹が持つと言われる絶妙にカールする反転尾鰭(百万匹に1匹は言い過ぎかも知れん)で水を切り・・・ガラの悪いヤンチャが風雅な裾さばきで広い池を回遊する風情や存在感は、より別格の姿であろうと思う。その日が来るのが実に楽しみ。この野性味とゴージャス感を併せ持つ瓢箪池仕様の魚を死なせるワケにはイカン!と、つくづく想うのである。
以上は、残された人生に自分の価値観と審美眼に忠誠を誓った男の親バカ・マイ金魚自慢でした。
『追記』
未だに、出雲ナンキンの規格から外れたこの魚を何て呼んで良いのか分からない。自分の愛魚を「ナンキンモドキ」などと自虐的に呼ぶナンキン飼育者が後を絶たない。もし、出雲ナンキンの命名権を所有する団体組織が存在するなら、こういう魚をどう呼ぶべきかキチンと呼び名を決めて頂きたいと思う。名を付ける価値も無い魚であれば、「金魚のクズと呼ぶべし。」とかでも良いので正式表明して頂いた方が個人的にはサッパリし、当サイトのタイトルも『金魚のクズ、飼育記・・金魚のクズが舞い踊る庭池構築に・・・・・・』に変更する。もし、その様な団体組織が存在しないなら、この先も出雲ナンキンと呼ばせて頂くしか無いのである。既に、この呼び名の問題は解決されている可能性もあるが、出雲からは遠い所に住んでおり、断片的なネットでの情報のみが全ての管理人なので、ご存知の方がおり、コメントなど下されば感謝・・。
2005年01月16日
ワキン族
写真は2004年11月に池の縁に立ち、餌を求めて寄って来る姿を撮影したもの。ちょっと不審な素振りを見せるとさっと逃げるが、ここまで懐くには長かった。当時、サクラもランボーも元気で健在。瓢箪池生まれ瓢箪池育ちという歴史的快挙を成し遂げた当歳魚も写っている。どれが父ちゃん母ちゃん、伯父さん伯母さんだか、ただの近所のオジさんだかオバさんだか判るはずもないのだが2歳魚と仲良く暮らす風景である。間もなく、この当歳魚は明2歳と言われる小娘、若造に、2歳魚は明3歳という堂々たる成魚になるはずだったが、この冬、殆どアオサギに食われた。
このワキン族がナンキンであったらと疎ましい感情を持つことが何度かあったのは事実。かつて近所の溜め池に捨てようと考えたこともあった。しかし、身売り価格25〜30円の素赤のワキンでも1年半つき合えば情が移りブラックバスの餌にするには惜しくなった。管理人の寵愛がナンキンに移ったことを察して潔く鳥の胃袋に消えてしまったと思うことで、このワキン族をずっと記憶に留めることが管理人の償い。
このワキン族がナンキンであったらと疎ましい感情を持つことが何度かあったのは事実。かつて近所の溜め池に捨てようと考えたこともあった。しかし、身売り価格25〜30円の素赤のワキンでも1年半つき合えば情が移りブラックバスの餌にするには惜しくなった。管理人の寵愛がナンキンに移ったことを察して潔く鳥の胃袋に消えてしまったと思うことで、このワキン族をずっと記憶に留めることが管理人の償い。
2004年09月08日
当池のシュブンキンその二話
前回の投稿で紹介した当池のロンドンシュブンキンモドキ(長いのでこれからランボーとする)は、この春の産卵シーズン、「参加することに意義あり」が哲学ではないかと思われるほど精力的にメスを追う姿を見かけた。そして秋を迎えた瓢箪池生まれの当歳魚の中に数匹の赤白更紗の魚がいる。これまで更紗のワキンだろうと思っていたがどうやらこの数匹の幼魚、ランボーの息子か娘らしい。父親と同じフチのないドロッとした黒い大きな目と透明鱗を持っていることが分かった。3月には瓢箪池では素赤のワキン以外の異品種の魚はこのランボーだけだったのでワキンを母とした交雑種に間違いないと思われる。
金魚は大きく育つ品種でも30センチ位までと言われるが、九州の養魚場で創られたジャンボオランダシシガシラという品種は環境が良ければ50センチを超える魚体に成長するらしい。オランダシシガシラとワキンを交配してできた品種らしいのだが、このランボーの遺伝子と当池のワキンのメスの遺伝子を持つ魚は成長が素晴らしく速いのである。過酷な瓢箪池で寿命を全うできることが条件になるが、もしや50センチを超える巨体になるのではと楽しみにしている。体色は同じ透明燐でも父親とはずいぶんが違うのは母親(素赤のワキン)の影響かと思う。日本の金魚業界では赤白更紗の透明燐を持つ金魚の名の頭には「桜」という一文字がつけられる。(桜リュウキン、桜錦など)この業界のしきたりに沿って名付ければ、この魚達は「サクラ・ジャンボ・ロンドンシュブンキンモドキ」という新品種の始祖魚になる可能性を秘めている。今でも強引に「新品種だあ!」と叫べばそうならなくもない。「そんな新品種わしゃ絶対に認めんぞっ!」という方も多々おられるのは承知。管理人も「大それたことをしてもーた。」とは思ってないし、この魚は明日、アオサギの餌食になる運命かもしれないのである。ただのマイ・キンギョ自慢ではあるが一匹の異品種が生き延び子孫を残してくれたおかげで数匹の変わり種が生まれた。素赤のワキンだらけの池に明るい未来の光明が差した気がしたのである。千年前、金魚の故郷中国で金魚愛好家の陳さんや劉さん達が新しい姿を持った金魚の誕生を祝い一杯やった気持ちがよく解るのである。
このランボーの仔の兄弟を「大桜(オオザクラ)ブラザーズ」とし、その中でも一番のお気に入り(写真の魚)を「サクラ」と命名した。もうキンギョに名前をつけるのなど全然平気な男になる。
追記(2004年10月21日)
上記の大桜ブラザーズ、決して新品種ではなく既に「桜ワキン」という名で市場に出ていることを発見。未熟者の早トチリであった。お許し下され。ワキンと透明鱗を持つ魚を交配させれば容易く生まれるらしい。世間では見向きもされない品種らしいが瓢箪池生まれの桜ワキンは別格の美貌を誇る。(親バカ)
『追記』2005年1月16日
ワキン族NO.1の美貌を誇ったが、この正月に仲間もろともアオサギの餌となる。こいつだけは残して欲しかった。享年、明2歳。
金魚は大きく育つ品種でも30センチ位までと言われるが、九州の養魚場で創られたジャンボオランダシシガシラという品種は環境が良ければ50センチを超える魚体に成長するらしい。オランダシシガシラとワキンを交配してできた品種らしいのだが、このランボーの遺伝子と当池のワキンのメスの遺伝子を持つ魚は成長が素晴らしく速いのである。過酷な瓢箪池で寿命を全うできることが条件になるが、もしや50センチを超える巨体になるのではと楽しみにしている。体色は同じ透明燐でも父親とはずいぶんが違うのは母親(素赤のワキン)の影響かと思う。日本の金魚業界では赤白更紗の透明燐を持つ金魚の名の頭には「桜」という一文字がつけられる。(桜リュウキン、桜錦など)この業界のしきたりに沿って名付ければ、この魚達は「サクラ・ジャンボ・ロンドンシュブンキンモドキ」という新品種の始祖魚になる可能性を秘めている。今でも強引に「新品種だあ!」と叫べばそうならなくもない。「そんな新品種わしゃ絶対に認めんぞっ!」という方も多々おられるのは承知。管理人も「大それたことをしてもーた。」とは思ってないし、この魚は明日、アオサギの餌食になる運命かもしれないのである。ただのマイ・キンギョ自慢ではあるが一匹の異品種が生き延び子孫を残してくれたおかげで数匹の変わり種が生まれた。素赤のワキンだらけの池に明るい未来の光明が差した気がしたのである。千年前、金魚の故郷中国で金魚愛好家の陳さんや劉さん達が新しい姿を持った金魚の誕生を祝い一杯やった気持ちがよく解るのである。
このランボーの仔の兄弟を「大桜(オオザクラ)ブラザーズ」とし、その中でも一番のお気に入り(写真の魚)を「サクラ」と命名した。もうキンギョに名前をつけるのなど全然平気な男になる。
追記(2004年10月21日)
上記の大桜ブラザーズ、決して新品種ではなく既に「桜ワキン」という名で市場に出ていることを発見。未熟者の早トチリであった。お許し下され。ワキンと透明鱗を持つ魚を交配させれば容易く生まれるらしい。世間では見向きもされない品種らしいが瓢箪池生まれの桜ワキンは別格の美貌を誇る。(親バカ)
『追記』2005年1月16日
ワキン族NO.1の美貌を誇ったが、この正月に仲間もろともアオサギの餌となる。こいつだけは残して欲しかった。享年、明2歳。
2004年09月05日
当池のシュブンキンその一話
当池の一匹の魚を紹介したい。2003年8月からワキン以外の品種を計27匹を池に放し、そして今日までの約一年間、健気にも生残った唯一の魚が写真のシュブンキンである。ところが金魚の品種を厳しく語るならこの魚をシュブンキンと呼んではクロートからは「なんも知らんやっちゃ」といわれる代物らしい。シュブンキンはキャリコと呼ばれる斑模様の透明鱗と長い吹き流しの尾鰭を持っていなければ「デキソコナイ」として扱われるらしいのだが、この魚、完全な鮒の尾鰭なのである。その魚体の輪郭は鮒尾のワキンと全く変わらない。ホームセンターのペットコーナーで購入した魚だが隣のシュブンキンの水槽には300円の値札が付くのに対し、この魚の兄弟と思われる鮒尾のシュブンキンの水槽には一匹150円とあった。となりのエリート・シュブンキンより安かったのは店員が良心的クロートであったらしい。
市場価値はさておいて、金魚サイトを巡るうちに、この鮒尾のシュブンキン、イギリスで改良され一つの品種として固定されたロンドンシュブンキンとそっくりなことを発見。まさか遥々イギリスから150円で売られるために日本に来たはずはないので、これからはシュブンキンと呼ばず謙虚にロンドンシュブンキンモドキと呼ぶ。(デキソコナイシュブンキンと呼んだ方がより謙虚かも)
一年前に池に放した時は7センチぐらいだったが今では約17センチと瓢箪池では最大の魚体を誇る。これまでワキンの群れに混じらず別行動をとる傾向があったので、やはり唯一の異民族である自分を自覚しているのかと考えていたが、現在では群れの中心的存在になっている。ワキンよりも人慣れするのが遅かったのが別行動の原因では・・と今は考えている。
2歳になると当歳時の模様が変化した。3歳になるとまた変化するのかは不明だが、気長に瓢箪池物語をご贔屓にしてくださる方には来年も「あのロンドンシュブンキンモドキは、どうなってしまったのかっ?」という見出しでご報告したい。当歳の頃はメリハリのない斑模様と乱視になりそうな透明鱗が好きになれず、金魚は赤白くっきりすっきり模様の更紗に限ると思っていたが、この血まみれのランボーと重なる姿にいつのまにか池の辺りで「ランボーはどこだ?」と一番の生存確認対象魚となる。ご近所の中ではハードボイルド系の人生を歩んだと自負してる管理人が、まさか金魚を飼うとは思いもしなかったし、まさか「キンギョに名前を付けて喜ぶ男」にまでなるとは・・全く人生ってわからないものです。
このロンドンシュブンキンモドキには続きの話があるので次回の投稿にて・・。
『追記』2005年1月16日
上記のランボーの体表の柄はその後あまり変ることはなかった。透明燐の柄は2歳でかなり固定されるというのが観察結果。ランボーはアオサギと共に天高く逝った。享年、明3歳。
市場価値はさておいて、金魚サイトを巡るうちに、この鮒尾のシュブンキン、イギリスで改良され一つの品種として固定されたロンドンシュブンキンとそっくりなことを発見。まさか遥々イギリスから150円で売られるために日本に来たはずはないので、これからはシュブンキンと呼ばず謙虚にロンドンシュブンキンモドキと呼ぶ。(デキソコナイシュブンキンと呼んだ方がより謙虚かも)
一年前に池に放した時は7センチぐらいだったが今では約17センチと瓢箪池では最大の魚体を誇る。これまでワキンの群れに混じらず別行動をとる傾向があったので、やはり唯一の異民族である自分を自覚しているのかと考えていたが、現在では群れの中心的存在になっている。ワキンよりも人慣れするのが遅かったのが別行動の原因では・・と今は考えている。
2歳になると当歳時の模様が変化した。3歳になるとまた変化するのかは不明だが、気長に瓢箪池物語をご贔屓にしてくださる方には来年も「あのロンドンシュブンキンモドキは、どうなってしまったのかっ?」という見出しでご報告したい。当歳の頃はメリハリのない斑模様と乱視になりそうな透明鱗が好きになれず、金魚は赤白くっきりすっきり模様の更紗に限ると思っていたが、この血まみれのランボーと重なる姿にいつのまにか池の辺りで「ランボーはどこだ?」と一番の生存確認対象魚となる。ご近所の中ではハードボイルド系の人生を歩んだと自負してる管理人が、まさか金魚を飼うとは思いもしなかったし、まさか「キンギョに名前を付けて喜ぶ男」にまでなるとは・・全く人生ってわからないものです。
このロンドンシュブンキンモドキには続きの話があるので次回の投稿にて・・。
『追記』2005年1月16日
上記のランボーの体表の柄はその後あまり変ることはなかった。透明燐の柄は2歳でかなり固定されるというのが観察結果。ランボーはアオサギと共に天高く逝った。享年、明3歳。
2004年08月22日
ランチュウブラザーズ2003
2003年の秋、池に泳がす魚をどんな金魚にすべきか?と、インターネットの金魚サイトを数々訪れるうちに「ランチュウを飼わなければ金魚のことを語る資格がないのでは?」と、いう想いが能に巣食い始める。ランチュウ界に見事に洗脳されたのである。そして当時のテーマだった『豪華絢爛系ビオトープ』の生態系の王者としてランチュウは相応しいのではと考えるようになる。
11月、ランチュウ3匹をインターネットオークションにて購入。この3匹のランチュウ飼育は、それまでに培われた飼育技術の総決算(と言っても僅か3か月のキャリア)、持てる技術・知識の全てを駆使し、あわよくば来春は産卵・繁殖、瓢箪池はランチュウが群れ泳ぐサブタイトルに偽りのない『豪華絢爛系ビオトープ』を目論んだ(サブタイトルは2004年に変更。雑記『ビオトープの看板、撤収』を御参考下され)。ワクワクする数日を過ごした後に宅配にて我家に初めてのランチュウが到着・・飼育開始・・これで金魚を語る資格を得たのか?
到着時から3匹の中の一匹が傾いて泳ぐ。片鰓が閉じている。まさかシロート相手にいきなり鰓病か?!と動揺する。なにはともあれ「培われた知識」とやらを元に初期飼育必須である0.5パーセントの塩水での飼育と絶食。数日後、真っすぐに泳ぎ始めた(「培われた知識」もまんざらではない)。早く池で泳がせたい誘惑はあったが、オランダシシガシラが小赤ブラザーズに小突き回され死んでいった観察経験があったので、池の一部をネットで仕切りワキン族と隔離。猫が出没するので上部にネットも張った。2週間程かけて池の水での換水を繰り返し、ゆっくりとタライのランチュウ水槽と池と同水質の状態にする(金魚の移動はソフトランディングが基本・・「培われた知識」より)。晴天の休日を見計らい池に放す。赤い芋虫が水中を進む風景だったが、鮫の様に泳ぐ愛想無しのワキンだらけの池なので「やっぱキンギョはヒラヒラ泳ぐに限る。」と、つくづく思った。ただ、このランチュウ達はヒラヒラと言うよりはヨタヨタと表現した方が適当なのがちょっと気になった。
当時、池の水温は10度から12度。数日後、ランチュウ達は池底で動かなくなる。水温のせいか?とも考えたが、例の1匹が、またもや傾く。そのまま様子を見るか?再度、タライ水槽に移すか?で悩む。そして数日後、その1匹が水面に背を出す。空気に触れてる背中が乾いて充血している。再度、3匹ともタライへ移動。ランチュウに付き物の鰓病と判断し、水温を上げるためにヒーターを購入。水温20度を維持、0.5パーセントの塩水浴を続ける。1匹が直ったと思えば、次の魚が病気になる。たった3匹のランチュウが入れ替わり立ち替わり体調を崩す。もし50匹のランチュウを飼育したらどうなるのか?・・ヒーター、エアーレーション完備の別館ヒョウタン池クリニックを設立、毎日、病魚のチェックで院長さん大忙し・・と、いう悲惨な光景が浮ぶ。この虚弱な体質、運動能力の低さ、視界の狭い顔付きで、管理不行届きの池でフリーパスで侵入する天敵、水中に潜むオゾマシイ魑魅魍魎の攻撃に耐えられるのか?・・ランチュウを王者とした豪華絢爛系ビオトープが霞み始めた。
到着時より調子の悪かったランチュウが水面に背中を浮かせたまま2004年1月に死亡。その後、もう一匹が死亡。残った一匹も同じ症状をみせていたが回復。こいつはタフな奴だと思いきや、その後、現在の2004年8月までに鰓病らしき症状2回、水カビ病3回発症。治療を施し全て回復。これはこれでタフな奴なのか?
タライで一匹で暮らす姿を見ると連れを増やしてやりたくなるのだが、いずれどれかが死に、またどれかが一匹になる。いっそ、池に放すかとも考えるのだが、寄生虫まみれのドーベルマンの群れ(池で泳ぐワキン族のこと)に箱入りチワワが一匹という風景は、なにやら凄惨すぎる。このままタライ水槽で一生を送る魚となる。しばらくの飼育でも、この魚が人に愛される訳は理解できた。
『追記』2004年10月3日
兄弟らしい2匹が先に逝き、残された一匹暮らしのランチュウが9月に死亡。片鰓が閉じる鰓病の症状を見せ、塩水浴と餌切りで対処したが悪化。2週間ほど底で傾き動かない日が続き、ある朝、水面に浮いていた。むっちりボディでひょこひょこ泳ぐ愛くるしい姿が居なくなって淋しさはあるが「病気はどうだ?生きてるか?死んでるか?」と気掛かりな毎日が終わったことには内心晴れやかな気分もある。
たった3匹のランチュウの少しばかりの飼育経験ではあったが長寿を願い飼育法を調べ、病気の症状を見せるたび治療法も調べたことが結局は金魚の初期飼育、給餌、換水、塩水浴治療などの金魚飼育の基礎を学ばさせてもらったことになり、現在、28匹のナンキンの幼魚が3週間経っても一匹も落ちることなく育っているのは、この経験によることは間違いのない事実。
遅くなったが名前を付けたい・・「ラスト・ランチュウブラザーズ2003」・・遺影が残せた。享年2歳。
11月、ランチュウ3匹をインターネットオークションにて購入。この3匹のランチュウ飼育は、それまでに培われた飼育技術の総決算(と言っても僅か3か月のキャリア)、持てる技術・知識の全てを駆使し、あわよくば来春は産卵・繁殖、瓢箪池はランチュウが群れ泳ぐサブタイトルに偽りのない『豪華絢爛系ビオトープ』を目論んだ(サブタイトルは2004年に変更。雑記『ビオトープの看板、撤収』を御参考下され)。ワクワクする数日を過ごした後に宅配にて我家に初めてのランチュウが到着・・飼育開始・・これで金魚を語る資格を得たのか?
到着時から3匹の中の一匹が傾いて泳ぐ。片鰓が閉じている。まさかシロート相手にいきなり鰓病か?!と動揺する。なにはともあれ「培われた知識」とやらを元に初期飼育必須である0.5パーセントの塩水での飼育と絶食。数日後、真っすぐに泳ぎ始めた(「培われた知識」もまんざらではない)。早く池で泳がせたい誘惑はあったが、オランダシシガシラが小赤ブラザーズに小突き回され死んでいった観察経験があったので、池の一部をネットで仕切りワキン族と隔離。猫が出没するので上部にネットも張った。2週間程かけて池の水での換水を繰り返し、ゆっくりとタライのランチュウ水槽と池と同水質の状態にする(金魚の移動はソフトランディングが基本・・「培われた知識」より)。晴天の休日を見計らい池に放す。赤い芋虫が水中を進む風景だったが、鮫の様に泳ぐ愛想無しのワキンだらけの池なので「やっぱキンギョはヒラヒラ泳ぐに限る。」と、つくづく思った。ただ、このランチュウ達はヒラヒラと言うよりはヨタヨタと表現した方が適当なのがちょっと気になった。
当時、池の水温は10度から12度。数日後、ランチュウ達は池底で動かなくなる。水温のせいか?とも考えたが、例の1匹が、またもや傾く。そのまま様子を見るか?再度、タライ水槽に移すか?で悩む。そして数日後、その1匹が水面に背を出す。空気に触れてる背中が乾いて充血している。再度、3匹ともタライへ移動。ランチュウに付き物の鰓病と判断し、水温を上げるためにヒーターを購入。水温20度を維持、0.5パーセントの塩水浴を続ける。1匹が直ったと思えば、次の魚が病気になる。たった3匹のランチュウが入れ替わり立ち替わり体調を崩す。もし50匹のランチュウを飼育したらどうなるのか?・・ヒーター、エアーレーション完備の別館ヒョウタン池クリニックを設立、毎日、病魚のチェックで院長さん大忙し・・と、いう悲惨な光景が浮ぶ。この虚弱な体質、運動能力の低さ、視界の狭い顔付きで、管理不行届きの池でフリーパスで侵入する天敵、水中に潜むオゾマシイ魑魅魍魎の攻撃に耐えられるのか?・・ランチュウを王者とした豪華絢爛系ビオトープが霞み始めた。
到着時より調子の悪かったランチュウが水面に背中を浮かせたまま2004年1月に死亡。その後、もう一匹が死亡。残った一匹も同じ症状をみせていたが回復。こいつはタフな奴だと思いきや、その後、現在の2004年8月までに鰓病らしき症状2回、水カビ病3回発症。治療を施し全て回復。これはこれでタフな奴なのか?
タライで一匹で暮らす姿を見ると連れを増やしてやりたくなるのだが、いずれどれかが死に、またどれかが一匹になる。いっそ、池に放すかとも考えるのだが、寄生虫まみれのドーベルマンの群れ(池で泳ぐワキン族のこと)に箱入りチワワが一匹という風景は、なにやら凄惨すぎる。このままタライ水槽で一生を送る魚となる。しばらくの飼育でも、この魚が人に愛される訳は理解できた。
『追記』2004年10月3日
兄弟らしい2匹が先に逝き、残された一匹暮らしのランチュウが9月に死亡。片鰓が閉じる鰓病の症状を見せ、塩水浴と餌切りで対処したが悪化。2週間ほど底で傾き動かない日が続き、ある朝、水面に浮いていた。むっちりボディでひょこひょこ泳ぐ愛くるしい姿が居なくなって淋しさはあるが「病気はどうだ?生きてるか?死んでるか?」と気掛かりな毎日が終わったことには内心晴れやかな気分もある。
たった3匹のランチュウの少しばかりの飼育経験ではあったが長寿を願い飼育法を調べ、病気の症状を見せるたび治療法も調べたことが結局は金魚の初期飼育、給餌、換水、塩水浴治療などの金魚飼育の基礎を学ばさせてもらったことになり、現在、28匹のナンキンの幼魚が3週間経っても一匹も落ちることなく育っているのは、この経験によることは間違いのない事実。
遅くなったが名前を付けたい・・「ラスト・ランチュウブラザーズ2003」・・遺影が残せた。享年2歳。