私はユニセフなど募金箱をもって募金集めをした経験がありますが、
ある時から募金すること自体を止めてしまいました。

街頭に立って募金活動をやった人は分かると思いますが、募金を訴える立場の葛藤、
またその前を通り過ぎる立場になったときの葛藤。

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かたちはだいぶ違いますが前々回書いた、カンボジアの物乞いをする母親の姿と同じなのです。
このような場面に出くわしたとき私達は様々な思いがこみ上げてきます。

・・財布の中身が・・・
・・こんな時に・・・
・・なんでこんな所で・・・
・・分かっているけど他でやってるから・・・
・・無視・・・
・・無視するのは心が痛いから100円だけ・・

募金しない言い訳のオンパレード・・
一番いい方法はすばやくその場を立ち去る(笑)

自己チュウな人に針でチクリと刺して、目覚めてもらう・・
目の前を通り過ぎるほんの何秒かの時間だけ効果があるかもしれませんが、10分も経てば忘れてしまいます。


 また、募金を集める側に立ってみると最初は純粋に被災者や不幸な人たちを何とかしたいと言う気持ちでやるのですが、世間はそんなに甘くないことを痛感します。そしてそれが社会に対しての怒りに変わっていく可能性が高いのです。

なんで・・・ 分かってくれないの・・・ 国の政策が悪い・・・ 社会が悪い・・・ システムが悪い・・・ そして募金もできないあなたが悪い!となっていきます。

そしてその矛先を自分に向けてみると、全財産を募金できるの?
すべてを放り出して活動し、被災地に飛んで行って不眠不休で頑張っても、自分の家族が路頭に迷ってしまったら・・・・

必ずどこかで線引きをしないといけない自分に向き会わざるを得ないのです。

募金を募る側も募金をした側も「偽善」と言う言葉が頭をもたげてきます。
そして、一番大切な「誰かのために役立つ喜び」がいつしか失われ行くのです。

このような活動は、ますます人間の心に閉塞感を生み出し、功罪を測ってみれば罪の方が大きいのではないかと私は考えています。裏返せばこのようなことをしないでも良い社会システムを作る、もしくは人間教育をしていくことが大切ではないかという事です。

偽善者にならなくても良い方法・・・その一つが、フェアトレードの活動だと今は考えるようになりました。
ただ「お金を下さい!」ではなく、社会貢献と言う付加価値の付いた「商品を買ってください!」だから。



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