来るべき、大いなる正午

宇宙の底に生息するゲジゲジ、K・スィーガーがその瞬間に考えた生の思考を書き留めておく。

プログレ大好きスィーガーさん

私たちの音楽の好みは14歳の時に聴いた音楽によって形成されていることが、新たな研究により明らかになった。

『NY Times』によると、リスナーの生まれた年が音楽の好みを左右しており、14歳の時に聞いた音楽が私たちの音楽の好みに最も重要な影響を与えるとのこと。
FNMNL

自分がプログレの存在というのを知ったのは恐らく14の頃。某雑誌の特集で大仰な文言に惹かれてしまった。それでもその麗しき14の頃は音楽を聴く耳を持ってなかったので、リスナーとは至らず、高校に入ってJPOPを聴くようになって下地ができてから、音楽を趣味にしようと思いたった時、プログレというアイデンティティを選ぶに至ったのである。自分にとっては恐竜時代の話しみたいなものだが。ともあれ、そこからプログレリスナーという苦行を選ぶことになったのである。

やがては背伸びしてスノッブ気分で聴くようになったが、耳も成長して自分にとって本当に聴く価値のある音楽へとなったのはまだほんの数年だと思う。

複雑な(かったるい)曲展開、計算された(躓きそうな)変拍子、御大層なコンセプトもお約束と思いながら耐えて耐えて聴き続けた結果でもある。

プログレ=素晴らしき崇高なる音楽という訳でもないというのが結局の結論。音楽に対しては、自分は八方美人だから酔わせてくれるものは何でも聴く。現代音楽もフリージャズも。そして僅か少数のプログレバンドが価値あるものとして心に響いてくれる。残りのプログレ残党は今ではノスタルジーを喚起する音にしかなってくれない。

ボードレールじゃないが、酔いが全て。本も音楽も。酔わせてくれるものに、区別なんてものはしたくない。音楽の様な思想を求めていると小林秀雄は書いていたが、また音楽も時に思想を求めている。だがゴタクの多い音楽こそナンカイと感じ苦手である。音は音とした楽しませて欲しい。

あまりプログレに深追いするより、今自分の心を捉えるバンドを掘り下げることに集中しているが、これからもプログレリスナーであることに変わりはない。世間一般とズレようとプログレシッブ(先進的そして反対的)な音を求める音楽人生に終わりはないから。


スィーガー氏、正気を取り戻す

~それに課せられた条件は、生きながらにして埋められていることである。この意味で、象徴とは、それが表わすものによって表わされた、それ自身の象徴である。つまり、生にほかならぬ死であり、生き残るやいなや死となるような死である。
(M・ブランショ『カフカ論』から)

読まれざる習作に、むごたらしく絶望しながら、自己を見失い続ける。実在しない言葉、心、剥き出しとなった骨、鉄屑以下の自我。

締め付けられるような苦しみ、窒息によって、過剰によって。

最期の最期、心の平安を願って。椅子にもたれ、外の穏やかなる光景がとけてゆく。トレーンの遺作に最期の平安を見出しながら。不佞は狂人ではない。不佞の頭はおかしくない。あらゆる幻覚にとらわれたように、腐肉と縁を切ることにした。どういうことだろう?どういうことだろう?何か一つのものがあり唯一のものがあり、何かであろうとし、現存であろうとする。

言葉が苦しみを生み、押し出す。それでも自分はいる。狂うことは容易なり。ただおしゃべりするだけだ。自分はもう黙っていよう。習作も鍵をかけるのが聡明だろう。ただ自然と全てが閉じられていく。

こうして、冷静な自分を取り戻した自分は8.5Kする楽聖のチケットを注文したのであった。
 

赤茶色の手帖 〈第2回〉

 春になれば、もう互いが顔を会わす機会もなくなってしまうだろう。今が皆で集まられる最後かもしれないだろうと考えられるが、全員いたって感慨もない。

 「余計なことかもしれないけど……」

 春から工学部に進む田村が口をはさむ。

 「大学の文学研究なんてものは、どこにも人を導かせることは出来ないよね。大体の学生を役立たずに仕立て上げる機能を果たす制度だよ。」

 周囲はそれでも静かだった。

 「文学なんてものばかりやってもしょうがないかもしれないね。」

 牧原も追随するようだった。

 否定も肯定もこの雰囲気では大した意味は無かった。議論は言葉の空しい空中戦であった。

 「それでもここにいると気が鎮まる。」

 「ええ、気分は昂らないけれど、落ち着く環境は重要よね。」

 各々が口を開いてきた。意味がありそうでない会話が続く。無意味の為の意味をもたせようと。

 それぞれが払う努力は竹中氏にゆっくりと視線を送ることだった。だが、竹中氏は我関せず周囲の会話を楽しんでいるだけのようであった

「これからさ……これから始まるんだ……」

そして、周りなぞ気にせず独り言をつぶやいているようであった。

「ああ、明日こそ晴れたらなあ。」

 思いっきり伸びをして、リラックスする田村。

 「そろそろ母さんが迎えに来る時間かな。」

 “時間”という概念が全員にふっと、やって来た様であった。確実に一切は過ぎ行く。時計を見つめていようがいまいが。言葉に言葉を重ねてさらなる付け足しは必要であろうか?

 会話は次第に途切れ途切れになっていく。将来への展望、明るい話題も逸れて、全てが不安につながることを暗示していた。訳の分からぬ非現実感、罪の意識、自己韜晦、人生を占めるのはこれくらいである。あらゆる出来事は非現実感の中の薄れていく存在にこそある。熱に浮かされた夢として語り継がれよう。

 もう寒さは気にはならなくなってきた。感覚が麻痺してしまったのだろうか。テーブルの上の手帖の使いこんだであろう、汚れも。

「手帖ですか?これを手に入れるのには苦労してね。」(つづく)

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