「好きな事を仕事にしよう」とか「仕事もプライベートも充実した生活を送ろう」という主張が多い。特に賛成するわけでもないし、しかめっ面して「何を甘いことを言っている」とも思わない。

人はそれぞれだからだ。

そういう生活を送れるような運とエネルギーがある人はどんどんやればいい。歴史は勝者が書く。「めだたなかった者」「主流になれなかった者」あるいは「敗者」の歴史は、稗史に残るだけだ。

勇ましく、元気の良い主張を聞く時、心臓が悪く若くしてこの世を去った友人や、やはり心臓が弱くて、すぐに横になっていることの多かった祖母を考えてしまう。

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自分はどうなのか?と問われると「好きな事」を仕事にしているのかもしれないし、時によっては学習指導が「好きな事」でもなく、むしろうっとうしいこともある。

ミスを指摘すると、自覚がなく、精神的にも幼い、若い人を不愉快にさせることも多いし、そういう彼らの顔を見ていると、こちらが悪いことをしているみたいで、面白くないので「この仕事はいやだな~」と思う時もある。

もっと日頃から保護者や学校の先生が口やかましく言えよ、と毒づきたくなることもあるし、褒めて育てる、が主流の時は「どこのお調子者が主張したんだ?」と不愉快に思った。

やってはならないミスをした時に、厳しく注意しなければ、次にまたやるかもしれない。
 
「厳しく」には色々やり方があるだろうが、この場合、出すべきカードは「褒める」ではないはずだ。褒めて育てる「だけ」だと、片肺運転だ。勘違いしないようにしたい。

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話が少し逸れた。

大きく分けて、世の中は個人的な「好き」と「嫌い」、社会的な「必要」と「不必要」に分かれて、前者と後者の組み合わせでできていて、4つのものにどう対応していくか、が子供でなくなっていく過程ではないか、と私は考えている。

「好き」で「必要」ならどんどんやればいい。むしろ体を壊さないように気を付けるべきだ。
「好き」なことを仕事にできた人はこれにあたる。

「好き」で「不必要」なものは、つまりは個人の趣味だ。社会に悪影響を与えなければ、「勝手にやれば」のレベルだろう。

「嫌い」で「必要」なものが一番困る。
勉強がその最たるものだ。
どう折り合いをつけていくか、日頃の態度がそれを決める。夏休みの宿題のように貯めると大変なことになる。


「嫌い」で「不必要」なら、手を出すことはない。人生は短く芸術は永遠だ、君子危うきに近寄らず、と嘯いていればよい。

こういう話をたまに生徒にする。

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自分はどうか、というと、完全にこの仕事が好きなわけではなさそうだ。前述したように、嫌なときも多い。

でも向いては、いるみたいだ。だから長続きしているのだろう。

仕事持つ人たちは、どうなんだろうか?

「好きを仕事に」が理想だけど、たいていは「向いていることを仕事に」で、逆に言えば「向いていないことはやめておいた方が良い」が生きていく基準か。

時々「好きでその仕事に就いたけど、向いていなくて、他人に迷惑をかける」ことが多いのが、教育者かもしれない。適性テストはやっぱりちゃんと受けた方がよさそうだ。

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では今日はこのへんで失礼します。

夏休みもちょうど、中日ですな。
ツクツクホウシが「宿題しろ~」と鳴いています。
ヒグラシは気温が落ちてくれないと鳴かないので、最近は少しさびしい。

 m(_ _)m