1989年に定められた「新学力の定義」によって教育現場は大きく変わった。
これは数回に分けて書きます。

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テストを受けて点数が高い→成績が良い、がそれまでの普通の考えだった。
それが授業への関心・意欲・態度が評価項目の一番上に来て、
それまで重視されていた「問題を解く技能」や「得点力」が一番下になった。

「得点の良かった人より、先生受けする人が良い成績を取るようになったから、当時の塾の先生たちは、内申点を上げるには、とりあえず手を挙げて、当たったら『(やっぱり)今、考え中です』って答えれば、意欲がある、態度がいいと評価される、と指示した」
 
「中学生、小学生の授業では、いかに先生にいい子と思われるかという“ショー”になった。授業中に「ここの問題わかる人?」って聞くと、みんな『はい!はい!はい!』と、いきなり手が挙がり始めた」
と識者は言う (尾木ママです 記事のリンクは  ここ )

経済的には、1985年には日本の製造業の勢いを止めるためにアメリカが「円高ドル安」へ誘導する「プラザ合意」が締結され、バブルが始まり、日本人は働き過ぎだ、もっと休め、遊べ、日本の労働時間を短縮=時短が主張され、バブル崩壊後の1992年から移行的に週休2日、1994年には「学校5日制」になった。(これについてのリンクは「1985年 海外 9月 プラザ合意」「 1990年 日本 8月 バブル崩壊 」)

加えて「ゆとり教育」の導入だ。
「ゆとり教育」はそれまでの詰め込み教育の弊害をなくそう、として決まったことで、ライン的には以上2つのこととは無関係だったが、結果的には「とどめの一撃」になってしまった。当時の教科書の様変わりは、ハル・ノートを見た東郷外相のセリフのように「目も眩むばかりの失望」に襲われた人も多かったと思われる。

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その当時、私は何をしていたのかというと、なぜか高校生の大学受験指導に力を入れていた。
 
なぜか?というと、本当になぜかはわからないが、やたらと優秀な生徒ばっかり集まり、中学を卒業しても、そのまま「まだ教えろ」と、それこそ強要する人が、各学年に10~5名前後いたからだ。

実際に極めて優秀だった。
1980年代後半から1990年代前半の大学入試というのは、今と全く違っていて、有名どころでは倍率が10倍なんて当たり前だった。さらにセンター試験が導入された(リンクは 「1990年 日本 1月 センター試験導入」 )。

なのに、あの5年間は、大阪大学を始めとして地方国立大にも合格し、関関同立完全制覇なんて軽くやってのけた生徒たちだった。

今でも、なぜ私なんかに寄ってきたのか全く分からない、優秀な30人ぐらいの生徒たちだった。彼らのうちの数人は今でも付き合いがあって、結婚式に呼ばれたこともあるし、各省庁や大企業、ひいては自衛隊などで、重要な地位に就いている。

彼らへの学習指導は本当に楽しく、今から考えても夢のような時間だった。その指導経験は、私の一生の財産で、あの4年~5年の経験で今の私がいる、と言っても良い。

平凡な塾講師にすぎない私にとって、まさに「キセキの世代」で「伝説の若きヒーローとヒロインたち」だ。
幼い中学生から、多感な高校生へと成長し、見事な合格実績を残して去り、大人になっても色々と報告してくれる彼ら彼女らと、過ごした期間のことを思い出すだけでも、自分の人生は無駄ではなかった、と思えるのだ。

彼らはあれからも大事な場面で協力してくれた。

今作っているもの その4


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だからまさにその期間、実は中学生のことに、少し気が回らなくなっていた。
もっとも気が付いていても、崩壊を私ごときが防げるはずもなかったが。
 
彼らが去って、もう大学受験指導はいいや、あんなのは彼らだからできたことだ、それに人件費もものすごくかかるし、と、見切りを付けて、また中学生を教えることに専念することにした。

そして「あれ?」と思った。
 
あまりできないのに=解き方を覚えていない=問題を解き切れていないのに、なんでこの程度の人が、学校の成績がいいの?というケースがたくさん見られたからだ。

世紀末の戦いの如く、知識の正確さと、結果の数字だけが勝負の大学入試の指導世界から、いきなり仲良しこよしの幼稚園の世界にワープしたみたいで、戸惑ったことを覚えている。

そして、1989年の学習指導要綱の変化の「からくり」がわかったときには、びっくりした。
このまま行けば学力は形骸化するな、何を考えているんだろう、国を滅ぼす気か、日本は人間だけが売り物なのに、と思っていたところに、週5日制、最後はゆとり教育である。

あ~もうだめだ、彼ら「キセキの世代」の思い出だけ大切にして、もう塾はたたもうかな、と考えまでした時期だった。
 
しかし自分の取り柄はこれしかないし、まあ行くだけ行くか、と考え直した時期でもあった。
同時に、今現在、まとめにかかっている「最終プロジェクト」を始めた時期でもあった。 

この風潮は、もって10年~15年というところか、必ず、ひどい反動が来るのが日本人だし、その時の反撃のためにも、また自分の生きてきた証を残すためにも、と思ったからだ。 
 
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とは言うものの、「悪い知らせでも、酒を飲む良い口実になる」ではないが、そもそも「学力」とは何だろう?と、あの時から、ガラにもなく考え続けている。

それを次回書こうと思う。

では今日はこのへんで失礼します。
またダブル台風ですね。

m(_ _)m