つまるところ精神的な成長がカギをにぎる。
 
これが難しい。英語や数学の勉強などこれに比べれば簡単すぎる。
しかも精神的成長は「これ」という形がなく、どのようなものを目指せばよいかわかりにくく、博物館に行っても「精神的成長」の彫刻とか絵画が置いてあるわけでもないから、参考にするのはやはり日々の言動でしかない。

無茶苦茶な話、毎日毎日、5時間以上数学でも英語でも、たった1科目だけを勉強することが可能ならば、普通の能力を持つ人ならば、ある程度の成績を上げることは可能になるだろう。
でもまさに机上の空論だ。

学校にも映画にもカラオケにも行かないといけないし、漫画も読まねばならず、お菓子も食べなければいけないし、たまには友達とケンカもしてよいのが青春だ。
大体5時間も勉強できるわけがない。

では効率良くやるしかない。
「効率良く」とは
必要なプリントやテキストが「さっと」取り出せて、
先生の言わんとするところを「さっと」察し、
今の部分はかなり大切だと「さっと」メモを取り、
テストの時は「さっと」知識を引き出して、
「さっと」書けないと点数はあがらない。

全部「さっと」である。
日頃のアイテム管理でもたもたしている人に、できると考える方がオメデタイのではないか。

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しかし世の保護者の方はそういう日常の生活活動を疎かにして、勉強だけできるようになれ、とおっしゃる人がここ20年ぐらいで増えた。でも30年前はそうでもなかった。

私が駆け出しのころ、当然私より年上の人たちが中学生の保護者だった。
まあ怖いこと怖いこと。
ある日、髪を濡らして現れた生徒がいたので、どうしたのと訊くと、部活で疲れて寝ていたら水をかけられて起こされたとか、頭にこぶができたと女子生徒が言うので理由を訊くと、今日宿題を忘れて学校で怒られたとお母さんに言ったら掃除機のパイプの部分で叩かれたとか。
 
あるいは部屋を片付けないからと言って、勉強道具以外は、すべてを捨てられてしまった生徒もいた。

こんなことはそれこそ日常茶飯事だった。
一見乱暴に見えるが、芯は違う。つまり不器用だが、真の愛情にあふれていたのだ。
そういう人たちに、塾の講師として私は育てられたのだろうと感じる。

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別に過ぎた日を「あああのころは良かった」と繰り言を述べているのではない。環境が変わることは受けいれている。自分が子供だった昭和30年代~40年代を懐かしむ気持ちはあるが、戻りたいとは思わない。今から考えれば不潔でごみごみしていたし、空気も悪かったからだ。漫画もスポ根か、いわゆる少女漫画ステレオタイプだらけだったし、ビデオもないからタイムシフトもできない。新聞も他にメディアがないから「オレ様」でエラソーだった。
 
まだ若かった昭和の終わり、平成の最初にも、別に戻りたいとは思わない。仮に戻っても、その時にできたこと以上のことができるとは思わないからだ。今でも精一杯のように、あの当時はあれで精いっぱいだったのだ。

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だが、残念なことに親子関係は肝心なところを外している人たちが多くなったようだ。
手をかけるべきところを放置し、手をかけてはいけないところに手を突っ込んでいる。

幼稚園や保育所に通う段階でも、安全のために手をつないでいくのは良いが、重いだろうからとかばんを持ってあげてはいけない。かばんの中には半日自分が生活するための重要アイテムが入っている「貴重品袋」という感覚を幼いころから植えつける必要がある。

まだわからないだろうから難しい話はしないというのも、やめておいた方がいい。
話す時は話し、きちんと聞かせることだ。大人の言うことがわからないからと、こちらが話している最中に勝手にペラペラ話しかけたり、話しに耳を全く傾けない子供は制して、まず言うことを聞け、と諭すことが必要だ。
 
意味がわからなくても、記憶は残る。脳は不思議な器官で、どこかに記録しておき、何かの拍子にフイと思いださせる働きがあるということは証明されている。

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あるいは小学校の間ぐらいは自分の好きな事をさせてやりたい、という保護者も多くなった。
海外留学ができるぐらい裕福なら何も言うまい。
 
しかしそんな親の姿勢で、中学校に入ってから、急に嫌な事でも積極的にする人になるのだろうか。むしろ逆だろう。好きな事しかしなくなる傾向が強くなってしまう。

小学校4年生ぐらいから算数や国語が怪しくなってくる人が大半だ。ここで適切なケアをしておかなければ中学の数学でつまづくこと必至な例もたくさん見た。
その点は甘やかしてはいけない。
 
結局損をするのは保護者とその子供である。また下の拙稿で述べたようなことになる。

なかなか自分の解答や考えを言わない人 




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嫌な事をするのに一定時間、一定期間向き合わせ、慣れさせるのが一番精神的成長を伸ばすものだ。

例えば英語が嫌いで、単語を覚えない、覚えられない人がいたとする。
このような人には英単語が今の自分にどれだけ重要かをアピールするために市販され、定評のある重要単語集を買ってきて、その索引と教科書の単語との連結をさせるのが一番だ。

でもこれにはものすごく時間がかかる。最低でも1週間はかかるだろう。その後すぐに覚えることを強制しなければいけない。そして如何に自分が自分を甘やかしているかを実感させなければならない。これが「苦痛」を与える方法だ。

それも毎日させるのだから、普通の時には無理だ。
一番いいのは、定期試験から定期試験までかなり日にちのある時、1学期期末が終わって夏休み中とか、2学期期末の終わったあたりから、3学期学年末までの間が有効だ。
 
また春休みも有効だ。しかし1学期や学期が始まっていては「投入」してはいけない作戦カードであることは胆に銘じておく。その間は学校の勉強だけで手一杯だろうから。

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精神的成長は1日で成し遂げることはできない。
意識的にならとっかかりで100日はかかり、完全に向上したなと思わせるレベルには500日はかかると思って始めた方が良い。

そして行き着いた結論がこれであった。

非認知能力を自己流で解釈すると

前記事だが、成績の上がらない人には誰にでもあてはまると思う。

これも大切だと思う。


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では今日はこのへんで失礼します。
しかし暖かすぎる。いよいよ大地震が来るのか。
阪神大震災の前の年1994年も、東日本大震災の前の年2010年も暑かったから、いや~な予感がする。

m(_ _)m