ここ2か月ほど、高校入試問題ばかり解いているので、食傷ぎみなのは事実だ。しかしこれほど問題を考え出すな、と感心するほど、よくできているものが多い。特に高偏差値の学校で私立高校はそうだ。どんなスタッフがいて、どこの外注組織なのか、とても興味がある。

前ブログ「試合は続行中ですよ」で紹介した、近辺で人気の学校の中で雲雀丘学園というのがある。国立大約60名、私立も東京、京都、大阪を総なめで、のべ500名合格する学校だ。すごいね。

でも私立高校なので、学費が高い。行く人は限られている。そこで当塾は高レベルの公立高校を狙う人たちの「練習台」として、雲雀丘学園の過去問を利用させてもらっている。

2012年の出題で数学の大問5は補助線が必要なので、中々秀逸なものだった。図形問題で補助線には色々レベルがあるが、たいていは「自分たちが知っている形」にもっていくためのもの、というのはある意味「常套手段」だ。

雲雀丘学園の問題を解き、説明しながら、ここで「学力とは何か」をまた考えてしまう。
前ブログ「『学力観』の歴史的背景を考えてみる」の続編かも。ただしまだ結論は出ていない。


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よく「型にはまった考えを押し付けるな」とか「型にはまった考えでは役に立たない」と言われる。
 
で、「型」って何だ?と考えてしまう。「型」を教えることは悪い事なのか?とも考える。

英語でも理科・社会でも、あるいは国語でも同じだと思うので、とりあえず数学を例にあげる。
数学の問題の解き方にはある程度パターンがある。
一番最初は、それがモロ出しの問題、つまり教科書の例題の次ぐらいにある練習問題はそのパターンを使って解けるようになっている。これは英語でも理科でも同じだ。

あくまで経験から言うので、根拠はないのだが、約60%~40%の人たちはまずここができない=覚えていないので「問題が解けない」という。
 
これに対処するには「覚えなさい」しかない。
 
覚えるためには時間をかけて=時間を作って=時間を捻出して、何回も解き直すしかない。普通の能力を持った人どうしなら、そういう時間を持てる人がぐっと有利になるだろう。なるべく平等の方がいいが、世の中の「果実」には数に制限があるからだ。

「覚える」作業を強いることを「型にはめた教育だ」というのだろうか。
私にはどうもそこをはき違えてきたことに、昨今の教育の混迷がある、と考えている。

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数学がよくできる人が最終的にたどり着く問題集がこれだ。

数学オリンピックに出た問題も収録されているので、完全に「グローバル」なレベルだ。
いきなり表紙から「挑戦状」が始まる。
 
「数学問題精講―高校入試」
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旺文社は「オタク」的な問題集を出すのが好きみたいで、他にもこんなものを出している。
 
「受験生の50%以下しか解けない差がつく入試問題数学」
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当塾でも、数学ができて、好きな人に最終的に渡すのが上の2冊だ。
「むっちゃ難しいぞ~」と言いながら、喜んで読んで解いたり考えたりしている姿を見ると、こちらも嬉しいのだが、後はもう本人が勝手にやっていくだろう、私の役目は終わったのだ、と思うと少し寂しい。

でも「型」を覚えることができたから、ここまで来たのだ。 
こういう人は高校数学でもまずコケたりはしないどころか、どんどん進んでいく。

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同時に6年生になっても、割り算ができなかった人のことも思い出したりする。
 
彼女は6年の途中から「中学校の準備のために」とのことで目の前に現れた。英語は喜んで単語を覚えたり、文を和訳したりするのを見ていると普通の能力を持った人のようだが、算数になると何かぎこちなく、特に「引いて求めるパターン」に弱かった。

そこでよく観察していると、どうも割り算になると、ガクンとスピードが落ちる。
落ちるどころか止まってしまう、と言った方が良い。
どうやら割り算が全くできないみたいだと判断した。女の子でもあるし、あまりキツク言うのは良くない、まずは情報収集だ、と家の人と連絡を取ることにした。

割り算が全くできないようです、と報告すると、母親は実はそうではないかと思っていた、でも親が教えると、叱るのが怒るのになってしまいそうで、塾に預けることにした、先生にすごく負担をかけてしまうかもしれないから、言いだせなくて申し訳なかったと逆に謝られて、こっちが恐縮したことを覚えている。

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世の中には「塾は金を出せばいけるところ、金を出すこちらが強い」と考え、その姿勢で訪問してくる失礼な人もたまにおられる。初めて電話をかけてくるのに、いきなり値切る人もいる。

世の中が商売で成り立っているのは、どこでもだ、ということがわかっておられないのだろう。報道関係や出版関係なども同じで、売れないものを誰が作るのか。

この親御さんはその点をわきまえておられていて、大変好感が持てた。そもそも子供を見ただけで、もうわかっていたが、つつみ隠さず報告してくれたので、肩入れすることになった。

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割り算は普通は小学3年生ぐらいで学習する。今の彼女を見ていると、そんなに能力が低いわけではなさそうだし、向こうも欠点報告をしたことで気がほぐれたのを見計らい、3年生ぐらいに何かあったのではないか、と思い切って質問してみた。

すると彼女がまさに3年生の時に、父親がいわゆるリストラに遭い、職探しに奔走していた、それで、家計を助けようと、自分もパートに出た、でも下の子の送り迎えや面倒を彼女に押し付けた形になってしまい、あまり勉強、特に算数が疎かになったようだと、報告してくれた。

今は父親も再就職をして仕事も確保し、自分も3年近く続けたパート職場で頼りにされるぐらいになり、家計が安定してきたから、塾に入れたとのこと。

事情がわかってしまうと、話は楽だ。いじめが原因などでなくてよかったですね、それなら「割り算練習」の特別枠を組んで、早くできるようになりましょうと決定した。

「巻き返し作戦=オペレーション・ニューディール」の指揮を任されたわけで、3年生の教科書レベルから始めて、3か月で6年レベルに達し、不安の解消に成功し、本人もはきはき発言するようになった。

後はトントン拍子で、偏差値55~60ぐらいの高校に入学を果たした。 
やはり「その学年で勉強して身に付けるべきことは、その学年で済ましておく。欠点は早めに是正する」のが大戦略の基軸である。

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後で色々聞いてみると、前ブログで説明したのと同じ行動を、彼女は取っていたことを白状(?)してくれた。

なかなか自分の解答や考えを言わない人

あれは自分でも嫌だった、でも恥ずかしくて「割り算がわかりません」と言いだせなかった、と少し涙を浮かべている様子を見ると、苦しかったのだな、とかえって同情した。さらに彼女はまじめで、他の勉強はよくできたから、誰も気が付かなかったようだ。もちろん担任の先生もである。でも私の目は誤魔化せない。

若い人が悪いことをするのは、反発心からすることもあるので、仕方がない部分もある、だけど少なくとも若いうちは、学生の間は、狡くなってはいけない、それは自分をごまかす行動で、成長を止めるので、人生においては一番やってはいけないことだ、と諭すと、納得してくれたのは嬉しかったことを覚えている。

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このように児童・生徒=学童というのは「できないこと」を隠そうとするのである。室内での排泄を怒られた犬が、次は見えないところに排泄物を隠して貯めておき、なんだか部屋が臭いな、と調べてみたら、テレビの後ろが…というのと良く似ている。

学校の先生は、この「演技」に騙されてしまうこともある。親・保護者はしっかり見ていなければならない、良い例だろう。

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割り算を教えこむことは「型にはめる教育」ではあるまい。

発展して、また今上げた難問題集をよく読めば、たまに奇抜な発想もあるが、基礎から発展して方程式に持ち込む「型」が結構あったりする。

これは高専=高等専門学校(4年制の高校で、卒業時には、たいていその地域にある国立大学への2年生編入が可能な学校でもある)の問題でも同じだ。一見すると変な問題なのに、実は…ということが多い。今高専は「高専オリンピック」「高専ロボコン」がテレビで取り上げられるぐらい人気の学校でもある。あの生徒さんたちは「型」にはまった悪い類型なのだろうか。

「現場」にいる私としては、何をもって「型にはめる」と言うのか、「型」を教え込むことは悪い事なのか、でも世界数学オリンピックに出る問題も「型」がわかっていないと解けないよ、と考えると、よくわからなくなることが多いこの時期でもある。


では今日はこのへんで失礼します。

m(_ _)m

追記

午前中にアップしたとき、「高専オリンピック」としましたが「高専ロボコン」の間違いでした。ここにお詫びして訂正します。なんだかおかしいなぁとは思っていたのです。以後気を付けます。でも初めて訂正線を使ったので、嬉しかったりして。