最近多いのだが、英会話を習っているが英語のテストの成績は良くない、という人だ。
時々塾にも来る。
 
当塾は、英語だけが指導科目ではないから、それも通塾の理由の一つだ。英語と数学ができるようになって、理科や社会を教えてもらっても、塾の費用に変化はない。これは高校進学の事情を考えてのことでもある。大学進学と違って、高校進学は5科目すべての勝負だ。できる限り不得意科目を減らし、苦手をなくすのが大戦略で、これを損なうと、後で取り返しがつかない。

それに中学レベルのことはできるようになって当然、ということもある。
もちろん渦中にいる中学生にとっては「御代官様、そんなご無体な」と言いたい気持ちはよくわかる。
でも本当の事だからだ。高校に行けば実感するはずだ。

--------------------------
話は元に戻る。

考えられる原因は2つある。

以前の記事に


があったが、この中で「意見を言ったり、討議することで理解が進む」と少し言及した。この原理は、一人の人間の内部でも当てはまる。
 
諺に「聞くと見るでは大違い」がある。これと似ていて、思う・考える→自分の意見を言う→自分の意見を書くは、全然違うもので、相互に影響していて、中々思い通りにいかない時があるはずだ。

ある外国語を話す、というのも同じだ。それには日本語も英語も中国語もない。考えていても、それを口に出したり、書いたりすることは別物だ。口にするのも、書くのも練習や訓練が必要で、日々鍛錬しなければ、すぐに錆びついてしまう。
 
数学でも同じだ。
中学2年後半で図形の勉強ばかりしていた人が、急に計算問題を復習すると、間違えてばかりを最初は繰り返す現象が起きる。スポーツでも勉強でも「フェイント」には誰でも弱いのだ。

だからいくら英会話だけを練習しても、書く練習をしなければ、点数は取れるはずがない。「わかっていたのに~」というレベルは all or nothing で、「わかっていない」のと同じだな、オレは(あるいは私は)まだダメだな、と認識するしかない。

------------------
原因の2つめが、ネイティブ・スピーカはネイティブであるがゆえに、「日本人がなぜわからないか」がわかっていない、ということだ。

これは数学の先生が、数学のできない人のできないところにピンとこないのと、似ている。数学の先生は数学が好きだから数学の先生になれたのであり、できない人=発想が身につかない人のことは、頭では理解できても、心では理解できないのである。

私自身は、中学の時、英語が面倒な科目だな、と思っていた。単語を覚えたり、英文を覚えたり書いたりするのがとても面倒だったからだ。そして間違えても、どこが間違っているのかわからないので、イライラした。その点数学は答が合わなければ、どこかで考え違いや、計算ミスをしているに決まっているのだから、それを探せばいいので、数学は好きだった。

--------------------
英語のできない人に一番最初に共通していることは
 
英語は「主語→述語→目的語」の順番に並べないと、いくら単語が正確に書けていても、点数は全く取れない、という大原則をはずしていることだ。

え、そんなこと当たり前じゃないか、と思う人は「数学ができて数学の先生になった人」と同じである。
わかっていない人はわかっていないのだ、こんな根本的なことが。

ネイティブ・スピーカーは、この順番に並べることを、それこそ細胞レベルでわかっているから、日本人スピーカーがそこを間違うことに理解できず、注意をする仕方もわかっていない。中にはそこまで指導できる人もいるかもしれないが、指導できない人に当たったら、何年やっても書く英語の点数は取れないだろうし、身にはつかない。
 
-----------------
指導者を見分ける目安は、自分の弱点を指摘してくれるか、しないか、だ。
指摘しないな、と思ったら、さっさと指導者を代えた方が良いだろう。パチンコ屋に貯金するのと同じで、お金を無駄に使うだけになるから。
 
こちらも取り返すのに半年かかるので、時間も無駄である。
親・保護者は英語のテストの点数が悪かったら、そっち専門の指導者を探した方がいいだろう。

-----------------
なんだか広島で中学3年生が自殺をしたのですが、その原因が「中1の時に万引きをしたこと」で、しかもその記録が間違っていたことを確認していなかった、と報じられています。

私は教育者でもないし、教育の専門家でもないので、大きな顔で言う資格も気もないのですが、それでも2点、普通人として「変だな~」と思う所があります。

1つは中1の時のことを中3の受験の時に問題にする、ということ。
中1なんてはっきり言って「小学校6.3年生」ですよ?
オバカと言ってもよい。いくら賢い子でも、です。

仮にその子が万引きをやっていたとしても、それから2年近く経っていて、今は真面目にやっているなら「お前は偉い!」とむしろ加算点になるんじゃないでしょうか?私がこの学校の教師なら褒めます。
You are top! とかなんとか言って。

生徒の、子供の可能性を信じる、って、よく教育者が言っているのはウソなのかな?
「人格の可塑期だから」と言って、悪いことを本当にやらかした人でも、少年法で守っているのと矛盾しませんか? それとも教育と司法では違うものなのか?

一度「罪人」「ダークサイド」に落っこちると、もう「リベンジ」できないんですか?
私がスター・ウオーズをあまり好きでないのはそこです。
真のジェダイなら、一度ダーク・サイドに堕ちても、そこから這い上がって…とならないのかな?

この「制度」にはものすごく疑問を感じました。

-------------------------
2つめは記録が残っていたことは、まあ仕方がない、とします。ヒューマンエラーは防ぎようがないこともある。
 
でもそれを確認にするのに「廊下」でやるかなぁ?
良い知らせの相談ごとではないのに。もしこれがホントのことなら、あまりにも無神経で雑すぎないか?
 
その後、何回も懇談したらしいが、親・保護者同伴だと生徒=子供は口をつぐむ現象は、嫌というほど私は見ています。

1986年の2月に起きた「お葬式ごっこ」をやった担任を笑えないです。
それとも教師生活という閉鎖空間が長くて、良識という肝心な神経系統が磨滅していたのかな?
 
----------------------
それでも担任の先生は責任を取らないでしょう。
いや周囲、特に上層部が取らせまいと必死になるでしょう。誰かが責任を取ったら、今度自分がそうなった時に責任を取ることになるので、全力で「かばう」のがあの業界の「ポリシー」です。
 
また「面倒見」も良いので、教壇には立てないでしょうが、しばらくは教育委員会で事務でもやるんじゃないですが。そしてホトボリが冷めたあたりに…という流れになるでしょう。
そんな例は、私はたくさん見て、聞いてきました。

---------------------

こうなると、ご本人の担任先生は、どうするでしょう。
恐らく、十中八九「私は悪くない…」と思い込むことによって、事実や真実から逃げます。逃げないと生きていけませんから。防衛本能は生物である限り、誰でも何でも持っている正当なものです。野々村元議員と同じです。

でもそれだと、呪いを受ける可能性が高くなる。これは心霊現象ではありません。
 
誰もいない教室に、その子が1人でじっと座っている夢を見たりします。放課後、廊下を歩いていると、誰もいないはずなのに、誰かが後ろから付いてきている気配がしてならなくなります。授業をすると、廊下側の窓を、彼に似た影が、横切るのを見たような気がします。
 
呪いとは、ありもしないことを、あると感じる「安楽性の破壊」にあります。
そして自然に壊れていく可能性が高い。人間は弱い存在で、「人が死んだ」と言う事実は大き過ぎる。もはや自信を持って指導することはできません。

二番目の被害者はこの担当の先生が、もしかするとこれから担当される生徒たちです。
 
教育委員会はこの先生が、ノイローゼなどの精神疾患に陥って、病気理由の依願退職をしてくれるのを、じっくり待つでしょう。組織にとって、緊張感なく大失態をやらかしたメンバーは、もう使えませんが、むげに排除するのも考えものです。「窮鼠猫を噛む」行動に出られたら面倒なので、それを避けようと、時間を味方にするでしょう。
 
これなら責任を取って辞めることにはならないし、この先生ももらえる年金はそんなに減額されないからです。
壊れなければ、それはそれで良い事ですから、特にフォローもしないでしょう。
大人の世界って汚いな。
 
---------------

でもね、名前はわからないけど、緑ヶ丘中学3年の男子生徒君、死ぬのは止めて欲しかったな~。
私の記事を読んで欲しかったな~。
君の親・保護者はこれから一生後悔するのですよ。
可哀そう過ぎます
 
とにかく、ご冥福を祈ります。彼の親・保護者の方はご無理なさいませんように。

では今日はこのへんで失礼します。

m(_ _)m