相当優秀そうなこの塾生K君が、そんなになぜ古典関係が「だめ」だったのであろうか?
 
彼は日本人ではなく、朝鮮学校の小学部から中等部に通っていた、在日韓国人の男の子だったからだ。
落語ではないが、オチまで付いてるんです。

知っての通り、あの学校の内部は、「韓国」だから、朝、登校して、夕方に下校するまでの約8時間は、韓国語だけを使う。数学も理科も社会も、授業も授業中に使うプリントも、全部韓国語。単純には小学校1年の時に、年50週×1週5日で40時間 =2000時間、これでようやっと、韓国語で会話ができるようになる。中にはストレスで「10円はげ」になった子もいた、というから壮絶なもので、これが小学校6年+中学3年=9年続くわけです。

日本の英語教育がいかに「お花畑」で、甘っちょろいか、おわかりだと思う。「話せる」ようになるには「書くこと」も「覚えること」も、「血反吐吐くまで」は言い過ぎとしても、やらないといけないわけだ。むしろあれぐらいの授業を受けた後で、「英語がんばるぞ」とまだまだ自己研鑽をして、英語でコミュニケーションができる人がたくさん出現する日本の現状は称賛するべきレベルだ。

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話は戻って、中学ぐらいになると韓国語には不自由しなくなるし、今後の学歴、就職のためには、日本の高校・大学へ進む、あるいはアメリカ等への留学や移住などの、選択肢の増加のために、K君のご家庭は決断をしたわけです。韓国本国は、格差社会が日本よりも激しく「進化」していて、「ソウル大学出身でないものは平氏にあらず」、みたいになってきて、とても息苦しいとのこと。あの時決断して良かったです、と後々感謝されたのは、手前味噌だ。

とにかく、あの学校空間では日本は「外国」で、この学校の「国語」は、韓国語だし、習う歴史も韓国のことだ。だから彼には、小学校から日本の古典文および歴史は「全然だめ」以前の話で、ほとんど触れたことのない世界だったのだ。
 
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でも、彼の身の周りには、現代の日本語があふれている。
近所の人は全員日本人、見るテレビも読む本も全部日本語。おとぎ話も日本のものを日本語で知ったし、韓国のおとぎ話の方が、彼には縁が遠い。夢だって日本語で見ている。
 
韓国語は学校でだけ話し、帰り道で朝鮮学校の友人と話す時は、日本語で話す。ちょっと笑ってしまうが、学校の先生といっしょに帰る道々でも、日本語だった、とも教えてくれた。その先生自身も日本のテレビドラマのファンだったり、阪神タイガースのファンだったりする。

そんな彼が、特にテレビの中で日本の昔話が出てくると「ああ、歴史が長い国だ」と実感し、戦国時代や鎌倉、平安時代のことを知ることに憧れていた。またお正月になると注連縄を付けるが、それはなぜか。門松をなぜ立てるのか、鏡もちはどういう意味があるのか、知りたかった。
 
自分は日本で生まれ育っているが、日本人ではない、でも日本のことはわかるようになりたい、特に時々見かける「歴史的かなづかい」を扱う古典文は謎に満ちたもので、読めると嬉しいな、和歌ってなんだろう、作ってみたいなあ、と切に思うことがあったらしい。この「切に思った」ことが大切なのだ。

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でもそれを解決する機会は中々来なかった。日本人の友達に訊ねても知らなかったり、表面だけだったりする。大人でもそうだった。憧れて古典の解説本を買ったことはあるけど、どこから始めていいかわからず、挫折していた。

で、半分、古典なんぞ忘れていた私自身が、数年前に基礎からやり直し、さらに発展して、日本の風習の「真」の意味まで追求していたところに、彼は入塾してきた。偶然にしてはできすぎている、と思うのは変だろうか?私自身が取り戻した古典文法を彼に教え、いっしょに「竹取物語」「土佐日記」などを読んで、そして一石二鳥で入試問題まで解決することになった。

同時に「平安時代と藤原氏」の歴史の勉強のために、「承和の変」と藤原良房と在原兄弟との関係や惟喬親王という存在なども教えてしまった。 するとK君が、学校で習ってきた李氏朝鮮の宮廷内の王位争奪事件に、似たようなものがありますよ、といくつか教えてくれて、思いもかけず「国際交流」の場になり、大変面白かった。これは「歴史嫌~い」を連発する日本人の生徒が多い中で、非常に印象に残った。

古典の例題に「童のころから」で始まる伊勢物語の八十四段から八十五段が出ることは、頻繁にあるし、そもそも「伊勢物語」の内容ぐらいは知っていないと、偏差値65以上は狙えない。このように厳然たる「ライン」というのは存在し、評論家さんたちの「偏差値教育が日本をゆがめて」云々というセリフは、現場を知る者には、空虚な響きしか残らないのだ。
 
彼には弟がいるが、弟も兄を追いかけ、同じように努力をしてやはり関西学院高等部に合格したことから、ウチの塾の「お得意様コース」になったと言ってもよい。ただし誰にでもできる、というものではない。

また「古典の道」を切り開いたのが日本人でなかった、というのは私にとっては印象的な話だ。この在日韓国人兄弟も、「私にとってのキセキの世代」のうちの2人で、国際色豊かでいいなあ~と思っている。

実は似たような体験を、大学の時に私はしている。大学で知り合ったドイツ人の教授は、松尾芭蕉を生涯の研究対象にしていた。「君たちは、自国にすばらしい文化が眠っていることに、気がついていない」と、普通の日本人よりなめらかな日本語で、忠告を受けたことを今でも覚えている。

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さらに話は続きます。
しかし、地震の後は雨が多いですね~。

阪神淡路大震災の時も、数日たったら雨だった。
偶然と言えば、そうなんでしょうけど、冬でも春でもこれだから、夏や秋でも同じなんでしょうか?

学校が避難所になっている=勉強する場所を占拠されている子供たちにとっては大変なことです。学校は彼らにとって「生活の場所」なのになあ~。

県外に出てもいい、という人を募って、少しでも早く、多くの人を周辺の県に移送する=避難所の人数を減らす方が合理的ではないのかな?と、つらつらと考えてしまいます。

まあ誰かすでにやっていて欲しいですね。

では今日はこのへんで失礼します。

m(_ _)m