世の中は英語英語と草木もなびくのだが、この時点まで来ると、高校入試、特にレベルの高い公立高校
の入試の成否を決めるのは数学だな、と痛切に感じる。

逆に言えば、今の時期に英語や他の科目に手間取っているようでは、かなり危ういことを示す。
以前述べた「エースと対決できる状態にまで試合をもって」行かなければならない。

で素朴な疑問として「なんで数学を勉強するんですか、こんなん難しいのに、ブツブツ…」とよく生徒に質問(文句や愚痴に等しいけど)されるのだが、私なりに2つの解答を用意している。

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そのうちの1つが、今までに存在した偉人は、優れた人ほど本業以外に数学ができたから、だ。
少し世界史の知識が必要だけどね、と前置きするのが恒例になっている。

古代ギリシヤ、中世ヨーロッパ、近代ヨーロッパ、そして日本にも偉人はいた。彼らは各方面で名を遺したから偉人なのだが、多少の例外はあるにしても、たいていは数学ができた、という事実がある。むしろ数学は彼らの業績の基礎になる一つの要素だった、と言っても良い。

で、教育の目標は何か、となると簡単に言えば、成長した後、世の中の役に立つ人間になってくれ、できる限り世に害する人間になるな、である。

世の役に立つ人の代表が偉人である。彼らの勉強具合を調べると、語学、音楽、自然科学の分野で秀でただけでなく、数学もできたから、現在の生徒さんたちも、偉人さんたちに習って、数学ができるようになってね、というのが理由なのではないか、と説明している。

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ただ偉人というのは、同時に変人・奇人が多いのも事実で、トルストイやイプセン、あるいはルソーなどの日常生活や根本思想を知ると、「この人、大丈夫か?」とびっくり仰天すること間違いない。まともなのはレンブラントやガウスぐらいだ。

日本人の偉人も例外ではない、例えば葛飾北斎は一生のうちに100回引っ越したというぐらいの「引っ越しマニア」だった。もしアートやサカイなどの引っ越しセンターが江戸時代にあれば、御得意先になったことだろう。実の娘が一人いたようだが、こんな父親を持った彼女は大変だったはずだ。

とにかく、そういう変な点はあまり真似て欲しくはないので、彼らの日常生活を学校で教えることはあまりない。知りたい人だけ知ってください、の態度で隠している。

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閑話休題。

数学を課す、あるいははずせない、もう一つの理由は高校に入ると、数学の勉強量が増え、極端に難しくなるからだ。特に高校一年生の場合、数学Ⅰと数学Aに分かれて、それぞれが独立した科目で両方で週に7回あるいはもっとある。数学嫌い・苦手の人にとっては高校1年生は「地獄」であろう。

これについて行くには、公立中学校の定期テストで、最低でも80点取れる人であることが必要条件だろう。70点前後ではちょっとしんどいし、50点代ではかなり論外になる。もし保護しているご子弟が「公立高校に行きたい」と担任の先生に訴えても、あまり良い返事がもらえない場合は、たいてい数学が悪いのが原因だ。ただし国語は良い場合なら、大丈夫かもしれない。

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又、国立大学の2次入試科目で、理系は当然として(数学の出来ない理系は「肉の入っていない牛丼」であろう)、文系でも数学はまずはずれることはない(数学のできる文系は「卵とみそ汁が付いた牛丼セット」である)。

これは大変大きい。
多分、新形式の大学入試問題になっても数学はなくならないだろう。

なんとか期末試験も終わって、いよいよ次は入試である。毎年のことながら、一般入試を受ける人は、最後は数学ばっかりやっている、という事態になる。

不安を消すには、不安の元と対決するしかない、という唯一・随一の解決策しかない。

親・保護者はこの時に、この期に及んで腰がひけている状態にならないように、日頃から保護するご子弟を、学力的には当然として、精神的にも鍛えておく必要がある。

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実は中学校での「先生のポジション」が入試の重要性に関連して反映しているなあ、といつも考えているのです。

一般的な中学校で、校長・教頭先生や学年主任さんから、一番信頼を受けているのは、恐らく、国語担当の先生ではないでしょうか。そうでなければ社会担当の先生です。一番の「基礎」を創る担当ですから、逆の事態になると、ホントウにまずいわけです。

次に生徒から案外ウケが良いのは理科担当の先生でしょう。理科は「おお!!すごいな~」と思えることを知ることができる教科だし、色々な分野があって「ここなら頑張れる!」ということが多いから。

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その点、英語担当の先生は微妙な立場です。

英語は人生において確かに必要になる可能性があるのですが、中学ぐらいでは可能性でしかないから本腰を入れるところまでいかない。

また必要と不必要と、好き嫌いを混同する年頃である中学生は、単純に「できないから嫌い」とか「できるから好き」の場合もあるし、「できないけど好き」「できるけど嫌い、あるいは関心がない」という人もいる、玉石混交のカオス状態ですから、特に英語の先生はやりにくいだろうな、と思うのです。

また英語の教える内容そのものも、入試に出る・出ないと機械的に振り分けて良いものでもないから、その点でも大変だな~と私なんかは思います。英語の歌を覚えても、入試にはあまり影響ないですもんね。

で、孤高の態度で、人によったり、時によったりして、冷たく見える数学担当の先生ですが、なぜかいつでも「最後は、俺 あるいは 私 でしょ?」の余裕の表情であるのは、以上述べた高校や大学入試の実情・高校での数学という教科の「地位」があるからではないでしょうか?

「数学ができる・教えることもできる」というのは、NARUTOの「血継限界」、血界戦線の「血闘術」、ヒーローアカデミーの「個性」に等しい「特殊能力」ですから、貴重な存在です。塾の先生でも同じで、多くの生徒が苦手にするのが数学ですから、入試前にやっていることと言えば、ほぼ数学ばっかりで、数学をうまく教えることができる担当者は、おそらくひっぱりだこに違いない(私もそうですけど)。

英語や国語の先生は入試前になると閑な事が多い。単語や漢字は自分だけでも覚えることはできますけど、ムズイ・あるいは苦手な分野の数学の問題は、自分1人で解決するのは無理だって。

では今日はこのへんで失礼します。
ああ、今年もあと一か月か…、と去年も思っていたなあ~。

m(_ _)m