教育改革が「また」行われる。戦後これで7回目になる。
賛成も批判も多数あり、毀誉褒貶がはなはだしいが、うまくいくところもあるだろう。でも全体的にはだめだろうな、と私は考えている。

今から述べることは、前回のブログで「その3  国語力≒読解力がない人は数学ができない」のところに追記するつもりだった。でも教育改革のレポートを読んでの関連ができたので、ここにまとめておく。
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一番大きくまずい点は「文学的教養を育む強制的なプログラム」が抜けていることだ。あるいは「教養を育むプログラム」でも良い。

私は「海外では~」と外国を引き合いに出して、日本の「悪い点」をあげつらう手法は好きではない。こういう人を「海外出羽守」と言うらしい。どうせなるなら丹波守か播磨守、あるいは摂津守の方がいいけど、それを知りながらあえて、これは中々と思う例として、イギリスでの教育方法を上げてみる。

伝え聞いたところでは、
「文学を読む」という学習活動の中で,自国の文学作品を継承するために,14歳から16歳(!)の生徒に2年間で

シェークスピアの演劇2編
その他,主要作家による演劇作品
第1次世界大戦以前の主要な作家2人の小説
第1次世界大戦以降の主要な作家の作品2編
第1次世界大戦以前の主要な詩人4人の作品
第1次世界大戦以降の主要な詩人の作品

をイギリスでは教えなければならない、となっている。
つまり「努力目標」「プログラム規定」ではなく、教師側の果たさなければならない義務であり、生徒にとっては権利であり、評価の対象になるから強制でもある。平成15年現在の情報だが、今でも特に変化はないらしい。さすがにしぶといジョン・ブルだ。

第1次世界大戦が区切れになっているのは、大戦によるイギリスの凋落とロシア革命=共産主義の影響、そしてレマルクの名作「西部戦線異状なし」に代表される、近代ハイテク戦争に駆り出された国民の意識変化がどのように文学に反映するかなどを、考えているからと推測される。


イギリスではシェークスピアの作品をはじめとした演劇や詩などが,伝統として認識され,教育の中で次世代に継承するよう意図されている。

翻って、日本では、文学作品の一部を抜粋し国語の教科書に載せているだけだ。イギリスではその文学作品全体を読ませている点が,国語教育の大きな違いのひとつと言える。今度の教育改革では、この「細切れ文学の紹介」まで消滅することになっている。

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どこで、どうなって、こういう違いが出てくるのだろう?
イギリスには、日本より厳格な国民性があることも理由だろう。アメリカの援助は得たが、第2次世界
大戦に勝利した自信もあるだろう。世界に影響を与える度合いが日本と違うこともあるだろう。

色々な原因が考えられる中で、大きな原因としてはやはり
日本には文学のことを知っている人があまりいない、あるいは、いるけどそういう人は教師はならない、さらにあるいは文学のことを知ってはいるが、他人、特に子供にわかりやすく説明できるテクニックを持っていない、あるいは伝授されていない。そしてそのような人材を養成してこなかった、つまりは文学を研究する人の地位が低い
ことだと私は考えている。長くてスミマセン。

なぜ教育に直接関係なさそうな「文学」をポイントに上げたのか?

私の狭い経験から述べるが、子供の夢を膨らませるのは、やはり空想科学小説や冒険小説だと思う。
漫画なら藤子不二雄や手塚治虫から始まって、映画の「ロストワールド」「禁断の惑星」「ミクロの決死圏」「スタートレック」、高校生ぐらいからは、アーサー C クラークやJPホーガンなどのハードSFも良かった。この性癖は今でも止まらず、最近では「マイノリティー・レポート」など、どれもこれも面白かった。

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映画で突然思い出したが、ダイハード1では、武力と知力、そして歪んだ知性を持つ「敵キャラ」テロリストを、アラン・リックマンが、演じていた。今までの映画にはなかったキャラクターだ。このテロリストたちは地対空ミサイルまで持っていたから、暴力を超えて武力と言っても良いだろう。

diehard01

diehard02

diehard03

ダイハードシリーズは一貫して同じような「敵キャラ」が登場する。
上の画像は、知力と武力、そして歪んだ知性を併せ持つ敵の不気味な恐ろしさを、ほんの数秒で表現したシーンだ。

映画の中だから、その敵は敗北するが、現実世界では、我々のような凡人はまさにイチコロであろう。
これが人間だけでなく、国家であるならノホホンとした国にとっては完全なる脅威だ。言うまでもなくノホホンとした国とは日本で、脅威はアメリカやイギリス、中国のことだ。

日本がいわゆる舐められている原因は、弱腰外交もあるし、アメリカの従属国の地位に甘んじていることもある。しかし根本は知力・知性が欠けているからだな、と私は考えている。

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閑話休題。
SF作家は専門的な科学論文も必ず読んで、それをネタに自分のお話を創る。私も含めて、普通の人は科学的論文なんか読んでも理解はできないが、それを元に膨らませたSFなら読める。そして夢を描くだろう。

恋愛小説作家は、恋愛のパターンを取材し尽くして恋愛小説を書くだろうし、架空歴史小説作家は、実在の歴史を調べ尽くして架空歴史小説を書くだろう。読者は彼らの作品を通じて、事実を疑似体験できる。

つまり文学は色々な世界と個人をつなげてくれる「回廊」みたいなものだ。その「回廊」を通らずに、材料を仕入れないで、「自己発信」をどうやってするのだろう?話のネタが少ない落語家と同じだ。そんなんで真打になれるのか?前座かせいぜい二つ目止まりだ。下手をしたら見習いのままで、高座にもあがれないだろう。

そして困ったことに、人は、子供は自分からは積極的に本は読まない。読まないうにうちに大人になってしまったら今度は仕事に追われて、読む暇など本当になくなってしまう。やはり文学的教養を身に付ける基礎は、学生のうちに強制的に付けるしかない。

アクティブラーニングと聞こえは良いが、じっと黙って文学を読む時間を作らない今回の教育改革は、また10年もたたないうちに「実はだめでした~」になる。以前に述べた「補給のない軍」と同じだからだ。結局、文学作品を読むことを個人に任せている構造は、総合授業を教師に任せていた教育改革とどこも変わりがないことに気が付いていないようだ。

しかも今度は「教育格差」は取り返しのないぐらいに開く。できる人は、今まで以上にできるようになるだろうから。ここが「部分的に成功する」ところだ。しかし「分厚い中間層の完全なる消滅」という全体の被害は甚大になる。なんとかならないものだろうか。
教育者は夢を追いすぎて、現実が見えていない。

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大変遅くなりましたが、明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い申し上げます。

なんとか冬期講習も終えて、いよいよ受験ですね。
まあたぶん今年も大丈夫です。

年末はいつも通り12月29日に完全に終業しました。
もっとも夜に1つだけ授業をしただけで、それ以外は、掃除やら買い出しやらで、ばたばたしてました。正月当日は何事もなく過ぎて、4日から始動しました。

で、問題のVITALsですが、
Chapter 14「三人称単数現在形」、 
Chapter 16「~がある、いるの文」、
Chapter 17「中学レベルの人称代名詞」、
Chapter 18「助動詞 can と be able to」,
Chapter 19「現在進行形」、
Chapter 20「規則変化過去形」、
Chapter 21「不規則変化過去形」
以上7つが仕上がって、今、電子書籍上でのリンク確認中=最終チェック中なので、確実に近日販売開始です。後2つで、1年範囲は完成ですが、まあほぼできた、と言って良いでしょう。
ふう、しんどかった。〈(^^;)

Chapter 15は? ですが、この章は「命令文・否定疑問文・付加疑問文」のつもりだったのです。でも最近「感嘆文」も再び教科書で使われるようになったので今、古いファイルを引っ張りだして、再構成している最中なのです。Chapter 22 は「前置詞」ですが、実は Chapter1~21の間に、前置詞はすでに色々説明が入っているので、22は「まとめ」でもあります。
さすがにあまり慌てたくはないですから。

これで安心してGrade 2 ≒2年生範囲と Grade 3 ≒3年生範囲をまとめることができそうです。
Grade 2 は約10 Chapter、Grade 3 は約 7 Chapterです。
如何に1年範囲が大切かが、再確認できました。

では今日はこのへんで失礼します。
恐らく追記の形で「販売始めました」となります。

m(_ _)m