外部の実用英語試験をも評価の対象にすることは延期になったようだ。やれやれである。地理的な不便さを考慮しなかったこと、補助金制度の不備、周知の不徹底などが原因らしい。大臣の失言はきっかけかおまけだ。

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当塾では、高校生は塾の「主力」の学年ではない。ただし、断れない筋から頼まれたら、できる限りの指導をする。現在、「主力」でないのは、ただ単にあまり時間がないことと、今のところ大学入試が混迷を極めているので、これまた単純に「様子見」しているだけだ。高校生を指導するのは、めんどくさいというのもある。それでも今年在籍している人たちは、英検2級や準2級、中学生なら3級などには合格できている。

別に自慢ではないが、当方は英語の指導にはいささか自信があるし、英検は毎年誰かが合格しているから「お得意様」みたいなものだ。宣伝する気にもならないから、HP上に記述もしていない。

だから新共通テスト以外に外部資格試験を導入することになっても別に困るわけではない。だが、これが学校単位だとすると、どんな進学校でも、2年生ぐらいになると、成績もばらけてくるし、ピンの方はともかく、キリの方では、学校の勉強以外に、英検まで受ける・合格する、GTECで良い成績を取る、というのはやっぱり大変だろうな、と思う。塾に来る人は、ほぼ例外なく最低限の「やる気」ぐらいは持ち合わせているし、そもそも少人数で指導しているから、学校と比較しても仕方がない。

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日本は意外と広いので「地域格差による不便」があるのは、当たり前だ。
しかし私自身や私の家族、親戚・姻戚は、阪急沿線から外に出たことがない人間だらけで、不便に対して鈍感なことは、自信をもって言える。しかし行政側がそれでは困る。
霞が関のお役人様は、当方の100倍も便利な土地にお住まいだから、当方以上に鈍感だったのだろう。

これだけ失点が続き、閣僚がすでに2人辞任し、もう1人も、となると、さすがにカッコ悪いから、外部資格試験の導入を避けるのは当然と言えば、当然だろう。

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結局は、外部資格試験導入に失敗したのだが、なんでこんなに政府側が固執するのか、その原因を考えている。ただしあくまで勝手な推測や邪推だから、軽く読み流していただきたい。所詮は教育行政や政治に関してはずぶの素人だ。

1つ目は外部資格試験団体との「癒着」かもしれない。特にベネッセグループとは、新共通テスト答案の答え合わせで、丸投げしているぐらいだから、「付き合い」が相当に深そうだ。政治献金の流れを調べたら、面白いことがわかるかもしれない。

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2つ目は学校の先生に気合を入れ、サボリ教師を淘汰して、できれば今の学校組織を「改革」するためだ。学校の先生は他人=生徒を評価するが、自分が評価されること、特に生徒の側から評価されることはあまりない。もっとも生徒からの評価をどうやるのか?が難しい。親身に相談にのってくれるとか、授業が分かりやすい・わかりにくいとか、多岐にわたるから、未成年者の感情で単純に決めることは危険だ。

しかし例えばA先生の授業を受けていれば、英検2級に受かる人が70%、B先生だと50%、C先生は面倒見が悪く「自分で勝手にやれば」なのでほぼ0%、その影響で生徒もやる気がない、となれば数字で一目瞭然になり、その方面からの評価は簡単になる。運悪くC先生が担当になった生徒たちは、サボタージュをして、結果C先生の学校内での評価が下がり、もしかすると先生は鬱病になり休職・退職かもしれない。これは漢検でも日本語検定、秘書検定、変わったところでは京都観光検定でも良いかもしれない。私も問題を見てみたが、あの検定は京都という街を通じて、歴史や文化も知ることができるからだ。

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ちょっと話は古くなる。
太平洋戦争(日本では『大東亜戦争』と呼称。しかしGHQにやめろと言われて、やめた)は1941年12月8日の日本軍による真珠湾奇襲攻撃の成功で華々しく始まった。成功の理由は航空機の集中大量使用で、その後のマレー沖海戦でもそれを証明した。

その結果「これからの戦争は飛行機=制空権の確保だ」と、敵味方が認識した。しかしその後は日本軍はグダグダで、海軍は「大艦巨砲主義」、陸軍は「歩兵主力主義」のままで、大損害を出し、敗戦する。

誰でも「なぜ海軍や陸軍は、艦船の建造計画や歩兵中心主義を止めて、その全能力を航空機製造及び搭乗員養成に注入しなかったのか?」と不思議に思う。この素朴な疑問を持ったある作家が、海軍の幹部だった人にぶつけてみた。するとその人は「誰でもそう考えていた。でも軍艦乗りに『これからは航空機の時代だから、君たちはリストラだ』とは可哀想で言えなかった」と答えた。「色々事情はあるのだろうが、組織の構成員を守るための動機から、結果的には、多くの国民が死に、あげく国が滅びかけ、その組織も滅んでしまったのか」と、その作家は内心あきれた。

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組織というのは一旦出来上がって年月が経ち、その機能を時代に合わせようと改革を考えても、なかなかうまくいかない。組織内で「既得権」を得ている者たちが、邪魔をするからだ。これは軍でも教員組織でも同じだ。特に英語は、世界で今のところ、一番パワーを持つアメリカ・イギリスに直結する大事なツールだ(できればアラビア語と中国語も欲しいけど)。しかし今までは「読むこと」に力を入れすぎて「話すこと」や「聴くこと」には力を入れてこなかった。人材がいなかったのだろう。

で、「話せるようにしろ」「聞き取れるようにしろ」と政府がいくら要請しても、教育界は居心地の良い世界から外に出たくなかったのか、方向転換してくれなかった。現に30年ぐらいこの話は浮いては消え、浮いては消えを繰り返してきた。しかしネットの普及・データーのデジタル化の浸透とともに、グローバル化が急速に進み、もう待ったが効かなくなって、それでも始めないから、政治主導で無理やり、突破を図った、とも考えられる。

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ただ個人的には、4つの観点から、「待った」がかかって良かったかもな、と考えている。微妙にずれるが、天の時、地の利、人の和を全部欠いているように見えるからだ。

1つ目の観点は、やはり金銭的負担に対する補助制度が、整っていないことだ。日本の役所は「後で渡せばいいだろう」と考えるが、「ない袖は振れない」の言葉通り、オカネはないところには、ない。受験と同時かその前に渡さなければ意味がない。高校生の子供にオカネの心配をさせたいのだろうか。高校生からも消費税を取っているのに、それで情けないと思わないのだろうか。

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2つ目の観点は、今の政権には改革する・改革できるほどの「徳」を持っていない。第1次内閣から数えると、10人近くの閣僚が健康以外の変な理由で辞任している上に、人口減少問題、モリカケ問題、拉致被害者奪還、非正規労働者の職場条件改良、皇統安定策、北方領土問題、災害対策、どれひとつ解決を成し遂げていないではないか。旧憲法下ではあるが、明治時代の桂太郎内閣の就任期間をもうすぐ上回るようだが、桂内閣は、日英同盟を結び、日露戦争に勝利し(ただしギリギリ)、日韓併合を成し遂げ(これは不要だったかも)、条約改正を達成した。

今の内閣と桂太郎内閣を同格・同等だ、と言ったら、いくらニコポン・チカメシと呼ばれた 相国 桂太郎大将でも「オレの時は、伊藤博文やら山県有朋やら松方正義なんかの『明治の元勲=小姑』がいっぱいいて、彼らのご機嫌は取らないといけないし、政敵の西園寺はしぶといし、民権運動は盛り上がるしで、本当に神経が参りそうだったんだぞ!」と怒り出すだろう。現在の政権はただ「長く」やっているだけ、と言える。

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3つ目の観点は、現在の高校生はあまりにも文法力が弱すぎることが原因で、読解力が低く、このまま会話や英作文を練習しても成果は上がらない。文法もだが、基本文を覚えることができていない、と言っても良い。文法知識だけを覚えるのは、普通は無理で、同時に基本文も覚えるのが王道だ。でも今の高校でそんな地味な作業をしているところは少ない。偏差値の高い学校なら、地頭がいいのがそろっているから、テストをしなくても覚えてしまうが、それより下だったら、強制的に覚えさせないと、覚えないだろう。日頃の地道な学習という視点が欠けているのに、派手なことばかり追うのはいかがなものか。

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4つ目の観点は、なぜ「全員に、一律に」英検とかGTECを受けさせるのか、一番最初に、それが理解できない。学校の先生ではなく、塾の講師をしていると実感するのだが、可哀想なことにいくら勉強しても、できない人は、なぜかできないのである。ただし年を取ればできるようになる。精神年齢がその問題に追いついていないからだ。人というのは「やらなければならないもの、やりたいこと」に対して、肉体年齢や精神年齢が足りない場合が多いのが人生のぺーソスだ。

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観点3に追加するが、よく言う「学校の先生に優秀な人を集めよう」は掛け声だけで、単なる幻想だ。優秀な人は学校の先生にはならない。優秀な人は一流企業に勤めたり、勤めた後、さらにその経験を生かして、起業するだろう。結局のところ、学校の先生になるのは「普通の人」であり、普通の人でなければ生徒は親しみを持てず、学校で息が詰まってしまう。

だが近年、言論界では「日本人は劣化・堕落している」とよく言われるし、私自身も含めて劣化・堕落していると思う。すると普通の人のレベルも劣化・堕落していることになり、普通の人がなるべき学校の先生も、劣化・堕落していることになる。昨今の教師がらみの不祥事件数は、他の業種に比べて、その比率は、かなり高いはずだ。

よって学校の先生の質を良くしようとしたら、日本人全体が劣化・堕落を食い止め、優秀になり、全体として「普通の人」のレベルを高めることしか方法はない。個人の問題ではないのだ。

私は今あげた1~4を解決できた時にだけ、英語教育は改革を成し遂げられると考えている。つまりまだまだ先か、永遠に来ないか、だ。結局は個人とその家庭でカバーするしかない。
今回の「騒動」は、お上や学校はあてにならないことを再実証しただけかもしれない。

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ようやっと秋らしくなったかと思うと、すぐに冬になりそうです。例の VITALsですが、今2年分野の最後に近い「五文型」のところで、うんうん唸っています。

なんとか今年中に2年分野を終わらせ、来年夏までに、3年分野も終わらせたいのです。いい加減疲れてきましたから。

とは言うものの、手は抜きたくないし、困ったところです。

では今日はこのへんで失礼します。
m(_ _)m