どこに行っても「自粛、自粛、3,4がなくてまた自粛」の風潮だ。しかし私は、元々あまり外に出ないので=VITALs編集のため出ることができないので、つまるところ「通常運転」だ。わざわざ人がいないことを確認しに出ても意味がないので、最近は、スキマ時間に、過去に出版されたり、映画になった「感染パニックもの」の話を読み返したり、見返したりしている。

-----------------------------------------
古いところでは1971年の映画「アンドロメダ」だ。

andormeda

題名だけ聞くと宇宙人が出現しそうだが、残念ながら、地球人しか出てこない。また細菌やウイルスの恐怖を描くより、コンピューターを駆使したり、推論を話し合ったりとかの科学的なアプローチを重視したストーリーで、一見の価値は絶対にある。酔っ払いと赤ン坊だけが未知のウイルスから免れているオープニングや、最後は「自爆を止める」シナリオまで入っていて、当時としてはなかなかやるなあ~のレベルだ。実はこの路線は、後で紹介する「復活の日」のパクリではないか?という疑惑がある。

----------------------------------------------------------

1970年代といえば日本は60年代の「巨人・大鵬・目玉焼き」の時代が徐々に終わりに近づき、1972年にはあさま山荘事件、1973年にはオイルショック、漫画の「あしたのジョー」の連載終了、暴走族という言葉がはやり出し、「校内暴力」「荒れる中学生」という言葉がちらほら見え始め、1979年には金八先生シリーズの開始だった。世相は殺伐としていて、思想的には「9条による平和」が主流派=バリバリ左翼系の日教組の全盛期であり、国防とか軍隊などを肯定的に話せば、それだけで「右翼!」とレッテルを貼られる。今から思えば、本来多様であるべき、価値観の存在を認めないから、「戦後」というより、「逆戦前」とも言うべき野蛮な時代だった。隔絶の感に感慨が深い。今は多様性が「ごちゃごちゃ性」になっているからもっと野蛮かも。

------------------------------------------------------------

日本がイデオロギーをこねくり回しているそんな時代に、アメリカ映画界は「細菌やウイルスに立ち向かう」ストーリーの映画を作っていたわけで、当然アメリカ国家やアメリカ軍でも同じことをやっていた。日本はこの点では50年ほど遅れていることになる。しかし現時点の「コロナショック」の結果では、もたもたしている日本が、何が幸いしているのか、死亡者数ではG7の中では一番低い、というのだから、わけがわからない。

-----------------------------------

日本からは1964年に出版された小松左京の「復活の日」だ。これも本棚になぜか残っていたので、埃をはらってくしゃみをしつつ、重要箇所だけ読み返してみた。やっぱり圧倒される。こちらは科学的な部分は当然良いが、人間を描写する部分に「酸いも甘いもかみ分けている」小松左京の深さがたまらない。

ストーリーはウィキでもわかるから、小さな場面を2つ、取り上げてみる。生徒が持っていったから、記憶だけが頼りだ。お金と本は貸すとなぜか帰ってこないが、あげるとたまに帰ってくるから不思議である。

さて一番心が痛んだのは、無敵のウイルスMM88のせいで、家族も何もかも失くした少年が、無線を通じて必死に助けを呼び掛けているのだが、誰も応答してくれないのに絶望し、拳銃自殺をしてしまう部分だ。実はこの通信を南極基地で、主人公の地質学者の吉住と、友人の男が聞いているのだが、吉住が応答しようするのを、友人が必死に止める。「俺だって応答したい。だがな、ここからの返信を聴いて世界中から感染者がこの南極に押し寄せてきたらどうする!本当に人類は滅亡するんだぞ!」「そんなことはわかっている! だが死んでいくときにたった一人なんて耐えられるか!」最後は殴り合いになりダブルノックダウンする。

-----------------------------------------------------

終盤、どうやって終わるのかな?と思っていたところ、なんと「南極自治体」は、その優れたデバイスにより、近い将来地震がワシントンを襲うことを予知した。振動を感知したミサイルは敵襲と勘違いして自動的に発射されるが、南極をタ-ゲットにしているかもしれない恐れがある。なんてこったい。人類はアホとわかっていても、ここまでくるとアホ以上である。吉住はMM88のワクチンを受け、中性子爆弾を止めるために数人の志願者とともに、アメリカ大陸へ渡る。彼もある意味やけっぱちの心境だ。

南極を立つ日の夜、女性と過ごすことを許されたが、彼のお相手は中年というより初老のロシア女性だった。南極では男:女の人口比は100:1になっていたからだ。種の存続のためとは言え、現代女性にはつらい状況だ。「こんな年寄りで申し訳ない」と謝る女性を見て、彼は煙草を吸いたくなったが、そんなものはもうとっくに品切れになっていた。今の自分のありようが、哀しくもあり、滑稽にも感じた彼は、「色々なことがありすぎて疲れている」「ゆっくり眠りたいので、子守歌を歌って欲しい」と頼み、眠りにつく。

アメリカ大統領府に突入した彼らは、残念ながら、ほんのわずかの差で、ミサイルの発射を止めることはできず、「人類は2度滅亡するのか」と絶望した吉住は仲間に申し訳なく思い、死を決意し「こんな穴倉でなく、外で死のう」とシェルターから出てしまう。そして爆弾は炸裂した。

----------------------------------------------------------

しかしこれが「大逆転」を生み出す。中性子爆弾の発する中性子線は、MM88を無効にする別のウイルスを生んだのだ。また世界の指導者も多少は理性があったらしく、ミサイルは南極をターゲットにしていなかった。MM88は南極が寒すぎて上陸できなかったので、人類は「全滅」をかろうじて避けることができた。しかし9000人強しか残っていない…。

------------------------------------------------

数年後、地球からMM88が完全に消滅したことを確認した「南極人」たちは、南アメリカに上陸する。南極で生まれた「新しい子供たち」も同行しているのだ。

そこに髪は伸び放題、ぼろぼろの服(と言うより布切れ)をまとい、別人のようにやせ細った吉住が、ふらふらと歩み寄ってくる。「南に行けば仲間が待っている」とつぶやき、ある時は空を飛ぶ鳥(生きている動物もいたのだ!)にそう叫びながら、彼は徒歩でアメリカ大陸を縦断して、最南端まで到着したのだ。

あの夜、子守歌を歌ってくれたロシア女性は、すぐに彼だとわかり、駆け寄り「ヨシズミ! 私の息子!」と抱きしめるも、彼は崩れ落ちる。残念ながら、吉住は中性子線を浴びたことや、悲惨な死を見すぎたことで精神を病み、記憶を失っていた…。

hukkatuonhi

巨匠 生頼範義 作のカバー絵は、このシーンを描いている。ちなみに小松左京が生頼範義の絵を見たのはこの時が初めて、大感動したというエピソードがある。

-------------------------------

「復活の日」では、①脊椎を持つ動物は死ぬがそれ以外は死なない、②最後は「自爆装置の発動」を止めようとする、という点が「アンドロメダが復活の日をパクった」と言われる所以だ。ただしラストシーンは「あしたのジョー」がパクっているような気がする。「あしたのジョー」が「正の意味で燃え尽きて、後は女性とともにある」のなら、「復活の日」の吉住は「負の意味で燃え尽きて、やはり後は女性とともにある」とも見える。ちばてつやが「復活の日」を読んだという記録はないので、天才は行き付く先が同じなのかもしれない。

読んだのは大学生で、駆け出しの塾講師のころだったと思う。原作の衝撃が凄すぎたので、映画は見ていない。幻滅するのが嫌だったからだが、今度改めて見てみようと思った。

----------------------------

対象はころっとかわって、漫画にも「感染パニックもの」はある。なんとゴルゴ13!題名は「レベル4」で1995年の作だ。これは「今を見て描いたのか?」と思うぐらい、発端がそっくりだ。なんと1200名が乗った豪華クルーズ船の中で「エボラ出血熱」が流行してしまい、「呪われた船」と化してしまう。船の名前は「スターホープ」で「ダイヤモンドプリンセス」ではないけど。


ストーリは密輸業者が、実験用としてのミドリ猿を不法に捕まえて、アフリカからアメリカに送るシーンから始まる。その猿たちは全部がエボラ出血熱に侵されていたので、猿に噛まれていた密輸業者の男は船内で発病し、すでに錯乱もしていたので、檻にいた猿たちを解き放ってしまう。

-------------------------------

熱で狂った猿たちを、かろうじてかわしたゴルゴも猿に唾を吐きかけられて、感染してしまう。暴走した猿たちはたちまち乗客たちに襲い掛かり、客らは時間が経つと次第に発病し始め、クルーズ船内でパンデミックが発生。ロスアンジェルス港に着くが、アメリカのウィルス研究所には大西洋を飛び越えて、「スターホープ号船内にエボラ発生!」の連絡がついていたので、アメリカ海軍によって封鎖されてしまう。

劇画中で無敵のデューク東郷ことゴルゴ13は、年も取らないから老衰で死ぬこともない「不老不死」のスーパー・スナイパーだ。そんな彼でも、エボラ出血熱に侵され、絶対絶命の危機に陥る。しかし彼は子供の頃、毛沢東に「どんな危機も乗り越えられる人間になりそうだ」と予言されたように、冷静に自分の病状を把握し、高熱と吐き気に苦しみながらも、別便でロスアンジェルス港に着いていた、密輸猿100頭の中から、エボラにかかりながらも生き残り、天然の抗体を持っている猿を1頭だけ見つけ出す。その猿から血を抜き取り、故意に横転させた車の後輪で、即席の遠心分離器を作り、血清を生成・投与し、危機を免れる。

gorugo3


しかもスターホープ号内に「後は死を待つだけ」と、神にも国にも棄てられた乗客のために、わざわざ注射器と猿と、後輪に括り付けた試験管をヒントとして残して、追跡してきたバイオハザード隊をも振り切り、逃走に成功するのだ。「ヒント」から「謎とき」をしたバイオハザード隊顧問のウィスル学者から「救世主」と称賛されながら。

ただしアイテムを残した真意は、切迫した状況だったからなのか、「俺はもう治ったから追跡するなよ」のメッセージなのかは、神とゴルゴにしか分からないが、彼は無関係なものは害さないので、乗客のため、と個人的には解したい。

格好良すぎる…。

-----------------------------------

この作品の中に「血清」が出てきたが、現実のコロナ対策でもコロナに罹患して治癒した人から血漿を採って、現実にコロナに苦しんでいる重症患者に投与する方法がカナダで検証されている。



もっともアビガンの調合者白木教授は「早めにアビガンを投与すればコロナは確実に快方に向かうので、ワクチン生成までの時間は十分に稼げる」としている。ただしアビガンは「奇形が生まれる可能性がある」と批判されているけど、どうなんだろう。


そんなこんなで、現実から目を逸らして、SFって面白いな、と思って読み返している。

=========================================

それでも死者200人余りかあ~と考えています。G7中でも世界中でも少ないですね。
中国のことわざ(?)に「上に政策あれば、下に対策あり」とありますが、日本では「上が無策でも、下が対策する」からなんとか保っているのかも。しかし危うい。司令塔のいないチームみたいです。

もし自分が牧場主で多くの家畜が病気にかかったら、全力で=できる限りのお金を注ぎ込んで家畜をできる限り救おうとするでしょう。当たり前です。家畜の死は自分の死を意味するからです。

でも現在の日本の為政者は「自分のもの」という意識がないから「お金を出す」気がないとも取れます。では日本国民の生命財産は誰のものなのでしょう?根本的な疑問でスミマセン。

まあ、法律の建前上まずいのなら、何か別の道を探るべきですね。



どちらにしてもコロナウイルスは結核と同じぐらい質が悪く、しつこいようです。自然免疫の拡大と、ワクチン生成 + 特効薬調合 の3つの方法を同時に採らないと、まずいのではないか。ワクチンも1種類ではなく複数準備する必要があるでしょう。

ただなんとなく思うのですが、仮にこのコロナウイルスが自然から生じたものであるなら、今までの自然の構造が壊れて、何かもっと大きなことの起きる前触れとも考えられます。ですからむしろ共生の道を選んだ方が、摂理にかなっているのではないか、と。俗な言い方をすれば、オープニングから中盤では「敵」だったキャラが、途中から「味方」になるというストーリー展開は「鉄板」ですよ。

現実に、5000万人が死亡した有名な「スペイン風邪」もその傾向がある。
ふと気が付いて「スペイン風邪には何か前触れがなかったか」と検索してみたんですが、1889年~1900年代初頭に、同じ型だが少し弱いインフルエンザが流行、そのウイルスを浴びた人たちは、1918年のスペイン風邪では被害が少なく済んだ。しかし1889年~1900年代初頭より後に生まれた人たちは免疫がなくて、若者でもばたばたと死亡した、という事実があったのです。つまり1889年~1900年代初頭の小型インフルエンザが生まれなかったならば、「スペイン風邪」の死者は5000万人では済まずに、下手をしたら1億人だったかもしれないことになるわけです。

くわしくはこちら。

--------------------------------------------------
だから進んでコロナに罹患しろ、とは言っていません。
ただ、科学が発達しすぎて人間は自然の一部である、という本質を忘れてはいけない、人間だから陰と陽の両方を引き受けて、初めて完全であると思うのです。現代人はデオドラント化が進みすぎて、明るいことやきれいなことや、光ばかりを有難がたく思いがちだから。

よって今こそ「けがれ思想」を撲滅し、不運にもコロナに罹患してしまったが、治癒した人たちをむしろヒーローやヒロインとして拍手で迎える風潮になるべきだと考えます。「人身御供」の役目を果たし、なおかつ生還したわけですから。三重県で起きた事件のようなことは、現代では、本当に恥ずかしい、と自覚しなければならないのです。

他にも、言いたいことはたくさんありますが…。

では今日はこのへんで失礼します。
m(_ _)m