桜をゆっくり見た記憶もないし、未だ梅雨明けもない、そしてすでに紫陽花が枯れて、向日葵が咲いている。このままだと、紅葉も見ないまま、初霜を迎え、除夜の鐘を聞く羽目になりそうだ。

コロナ禍で、3か月も休校したので、学校の夏休みがない。4月時点で予想はしていたが、本当に「夏休みがないこと」が始まると、少し茫然としている。

塾としても、本来なら朝から夕方まで、時には夜まで授業があって、8月10日まで、てんてこ舞いの日々がスタートしているはずだ。「8月10日まで」の理由だが、8月11日~8月20日は日本人はお盆休みになる。大人が休むから子供もそれについて行く。そもそも暑さの最盛期だ。休んだ方が良い。体や心を壊しては元も子もない。休める時にちゃんと休むのも「仕事のうち」だ。

お盆休みが終われば、後、始業式まで10日もないから、それまでに宿題が終わってないと悲惨だ。それゆえ夏休みは8月10日まで!と覚悟してね、と毎年言い聞かせている。今年はそれもない。

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夏休みがない、ということは具体的にどういう影響があるのか閑人は考えてみたりする。

その前に、そもそもなぜ夏休みがあるのだろうか。
①先生の研修のため。
②生徒に休みを与えてゆっくりさせるため。
③もしかすると先生もゆっくりしたいから。
④いや、夏は暑いからとにかく休もう。
残念ながら答えはない。うそではない。


わからないものはどうしようもないので、仮定を前提として、夏休みがない今の状態は①~④にどういう影響を与えているのか考えてみたい。

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①と③は、先生のレベルアップにつながらないからマイナスだ。
それでなくても大勢の生徒を見る・監督することは、すでに限界を超えている。これを機会に退職者が多数出てしまったらどうするつもりだろう。それでなくても、教職は不人気大爆発状態なのに。

もっとも学校の先生が塾の先生に転職できて成功するとは思えない。世にこれ以上、似て非なるものはないからだ。前にも書いたことがあるが、学校の先生は村にあるお寺の和尚様であり、塾講師は村にふらりとやってきた怪しげな修験者や祈祷師、つまり妖怪退治の拝み屋みたいなものだ。

④は空調設備が整った学校では「夏休み」は不要になる。これはプラスかマイナスかわからない。

多くの私立校では、空調設備があるのは当然で、「効きすぎて風邪をひく」ぐらいだし、もうすでに「40日の夏休み」などない。7月31日まで集中講座があるので学校に行き、実質の夏休みは8月1日から20日ぐらいまでだ。8月21日からは課題考査とそのやり直しに費やして、9月1日から授業開始ということが多い。

公立校で空調設備が整っているのは令和元年で、文科省の発表によれば「78.4%(前年60.2%,18.2ポイント増)で普通教室については令和元年度末に設置率は9割に達する見込み」とあるから、夏休みに授業をしても大丈夫そうだ。

公立学校施設における空調(冷房)設備の設置状況について(令和元年9月1日現在)

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さて、こうして見ると、「夏休みがない」ことの大きな影響は①以外のどれか?
実は②が一番大切な効用で、それが阻害されているのが大きい、と私は考えている。

弓は、使わない時は弦をはずして緩めておかないと、弾力性を失い、肝心なときに折れてしまう。
Good Idea はα波が出る時、つまりぐーたら・だらだら・リラックスしている時だ。ゆっくり、時にはボーっと自分を見つめなおすことが、次の伸びにつながる。これは凡人には、座禅を組むより効果的だ。その一番良い時をはずすので、おいしいところをいただけない。
後々まで悪影響を残すだろう。

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さらにどうしても日々の学習では漏れ・抜け・緩みが避けられない。
問題演習をして危険なところを点検するための勉強に関して、夏休みを利用するのは有効だ。カーレースならピットイン、マラソンなら水分補給地点、バスケならハーフタイムだ。戦闘機も帰投したらすぐにビスチェック、タービンチェックなどをして締めなおしたり、電子部品は壊れていなくても全部取り換えたりする。

しかし、今年は、まだ3年生が受験の当事者になったのだから緊張感がある。しかし1、2年はだめだろう。本当の影響が出るのは、1周回った来年の今頃だ。ただし日本政府がコロナに対する態度をきちんと持たなければ、また混乱する。
私は混乱する前提で策を練っている。


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今回のコロナ禍で浮き彫りになったのは、日本人にとっての「死生観という哲学」のある・なしではないか?と私は考えています。

私ももうすぐ還暦、初期高齢者まであと少しとなり、事故や事件や災害に巻き込まれないなら、生病老死の原則に従い、恐らく今年から20年以内に死ぬという年齢になってしまいました。

ちなみに母は86才であちこち痛いと言いながらも健在ですが、祖母は56才、父は79才で死去しています。私はその間の70~75才で死ぬだろうなと予想しています。すると後15年ぐらいですか。

だからコロナウイルスがやって来て、運悪く感染して、悪化して死ぬ確率が、塾の中で一番高いのが私、家族では2番目です。しかしそうなったときは、そうなった時だなあ、と割り切って考えています。

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ただし、面倒だし好きでもないし、30分もしていると頭が痛くなるので、マスクはしていません。しないと入れてくれないところは、着用しますけど。

自分が風邪をひいてしまい、飛沫を飛ばさないエチケットとして着用するならともかく、そもそも1枚30円ぐらいのマスクに防疫のご利益なんかないでしょう。WHOが「空気感染の可能性がある」と発表したのを聞いて、マスクをしてもますます無駄だなと考えています。

なにはともあれ、この世に用がなければ何歳でも人は死ぬ、と考え、コロナ騒動にともなう休校で遅れに遅れましたが、VITALsの完成に向けて7月から全力を挙げているところです。

とは言うものの、もし私がすることがなくて、日々だらだらと生きていたとしたら、パニックになっていたかもしれません。人間は弱いですから。私が自分を教育者だと考えない、考えたくない根本の理由はここです。ですからVITALsを作るのはしんどいのですが、あって良かったかな?と考えている次第です。

10月には、分詞~形容詞節~関係代名詞の章を残して、3年分野も含めて発表・発売できるだろうと考えています。

では今日はこのへんで失礼します。
m(_ _)m