毎年8月になると「なぜ日本はあんな無謀な戦争を始めたのか」という質問を受ける。
してくる人は、公立の中学では上位10%ぐらいで、特に社会や国語の得点が高いいわゆる「意識の高い人」で、そうでない低い人はまず絶対してこない。かなり高度な疑問だからだ。

注意しておくが、中学レベルの社会範囲ができない人は、「おバカ」に分類される。この程度は「知ってて当たり前の常識」だからだ。もはやここらあたりが「分かれ道」と言えよう。私は塾を始めた40年前から提唱してきたが、最近ようやっと塾業界も着目してきたので喜ばしいことだ。もっとも公立中学では相変わらずだけど。


しかし他人は注意してくれない。その人は「利害関係」ではないからだ。最近は学校の先生でも「こいつアホだな」と心の中で思っていても注意してくれない場合もある。特に「うるさいご家庭」というバックがあったり、生徒自身が部活ばかり熱心な「脳筋人間」の場合は、後々面倒にもなるのが原因らしい。

だから家族の人はこの点をはっきり本人に伝えて、しかるべき措置を採らないと、高校受験やら大学受験などの国語(念のため確認するが社会科目分野ではない)で大失敗をすることになる。「教養がないアホ」になっているからだ。

陰山英男「問題を解けずに悩む子には、すぐに答えを教えなさい」

数学や英語の得点が低い人ほど、早めに社会を充実させて「大人」になることを実践しなければならない。そのために厳しく鋭く指摘してくれる指導者を選ばなければ、いつまでたってもおバカのままだ。

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話は元に戻る。
「なぜ日本はあんな無謀な戦争を始めたのか」という質問に答えることは大変難しい。学者でさえ「これだ」という答えは出ていないようだし、素人の私にわかりきるわけがない。でも「答え」がない問題を考えるのは面白いこともあって、ここ10数年、暇があれば探している。

「この人は責任重大だな」という場合も見つけたりした。ただし誰それが悪いという、人間の過失を追及するのは趣味ではないし、興味もない。「なぜ日本 = 日本人は」という点に興味を惹かれる。

ある程度、考えも固まっては来たので、還暦記念も兼ねて少しまとめておく。
かなり話が長くなりそうなので、分けて投稿する。その点はご容赦願いたい。またあくまで素人の勉強だから間違っているところもあるだろう。もし各自が「ここ間違っているぞ」と気が付かれた箇所は訂正してください。

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話は明治の最初か、江戸の終わりぐらいまで遡る。

普通の近代国家は、元首の定義、政治システム、国民間の権利や義務、そして国内を治め役所などを動かす行政組織を規定する法律がある。その一番上部にある法律が憲法だ。それらに従って裁判もする。
そして、国民の考えを吸収するために国会、さらに国外の敵に備えるために軍隊を持つ。

これらを「政治と軍事の両大権」という。どちらも「~じ」で終わる部分に韻を踏んでいる。

                  |----  憲法と法律に則って政治を行う
                  |----  憲法と法律に則って裁判を行う
 近代国家-- |----  外国の脅威を排除するために軍隊を持つ
                  |----- 国民の意見を吸収するために国会を持つ


1889年に制定された大日本帝国憲法、いわゆる「明治憲法」は現代憲法が採用している国民主権とは違って、天皇が行政・立法・司法に対しての主権を持っている。これを「天皇大権」とも呼ぶ。実はここから論争が始まっているぐらいだが、旧憲法の条文を素直に読めば、そうとしか思えないし、明治憲法制定に深くかかわった伊藤博文が著した「憲法義解」にもそう書いてあるから、そのまま受け取っておく。

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ただし全てを天皇一人でできるわけではないから、国の内部の政治=内政や、外部との交渉=外交を行う場合は、内閣に所属する各大臣が、天皇を「輔弼する=補助」して行うから、政治の実質は内閣が行う。これは現憲法と変わりはない。

国会も基本的に内閣に味方する与党と野党に分かれる。ただし現在のような独立した立法権は持たず、「天皇に協賛する」形でしか参加できない。また現在の「議院内閣制」とは違って、国会で多数を占める与党の代表が、そのまま内閣総理大臣になれるわけではなく、基本は天皇が「あなたがやりなさい」と任命することで内閣総理大臣に誰かがなる。これを「大命降下(たいめいこうか)」という。なんかかっこいい。

もちろん任命前に明治までは「元老院」の推薦、昭和になると元老がいなくなったので、「重臣会議」などが「この人がいいかも」と話し合って、あらかじめ内々に決めて天皇に推薦する、という形式が次第にできあがってきた。また天皇も自分の意志を押し通すなどの乱暴なことはしない、という「決まり」になっていたところが妙に日本的だ。

時代が経るに従って、国会で多数を占める政党の代表が内閣総理大臣になることも慣例化していった。でもこれは明治中期以降から、昭和初期ぐらいまでだ。

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問題の軍事に関する大権だが、陸海軍を統率=指導するのも天皇という建前でも、やはり陸軍や海軍の首脳部が計画を立てて、天皇はそれを承認する形だ。

つまり明治憲法においては、天皇は大日本帝国憲法上の比類ない第一人者=主権者であり、かつ軍事的には軍隊を統率する大元帥(『だいげんすい』と読む。軍の中で別格に一番偉い人、という意味だ)という二重性を持っていたわけで、なかなか大変なお仕事だ。よって昭和では天皇の尊称が「上御一人(かみごいちにん)」とも呼ばれた。

中学や高校の教科書には「天皇主権」とだけ書いてあるから、天皇はなんでも自分の好き勝手にできたような印象があるが、この時点で、とんでもない誤解であることが、わかる。しかし実はもっと天皇は窮屈な立場で、私もわかってくるうちに「はぇ~」と呆れたぐらいだ。

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さらに内閣は戦争、つまり軍事となると、陸軍や海軍の行動に対して、口も手も出すことはできなかった。これを統帥権の独立という。日本が憲法制定でお手本にした当時のプロシア(≒ドイツ)憲法もそうなっている。

今何気なく紹介したが、一つの国の中で、政治と軍事の二本柱を実質的に遂行する組織が、天皇を頂点としているが、事実上は2つに分裂していたことに気が付いただろうか?

これだけでも大変なことだが、さらには、その軍事を受け持つ組織自体が、地上での戦争について指導責任がある陸軍と、海上での戦争について指導責任がある海軍の2つに独立していたのだ。この時点で「政治と軍事の両大権」の実質は3つに分裂していた。

ちなみに第二次世界大戦中も、日本には「空軍」というものは存在しなかった。カミカゼ・ゼロとか紫電改とかを飛ばしていたのは、海軍航空隊や、陸軍航空隊だった。もし「日本空軍」というのが存在して、しかも独立していたら4つに分裂しただろう。

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SFの世界にあるような、各軍の代表者が一堂に会して話し合う「統合作戦本部」とか、まとめ役である「統合作戦本部長」なんか、なかったのである。さらには仮に「統合作戦本部長」がいても「政治を取り扱う代表者=内閣」の指示に従わなければならない、というわけでもなかったのだ。

極端な話だが、各軍が天皇の承認さえ得れば、内閣の意志に反していても、明治憲法下では少なくとも「違憲」ではなかったのである。また陸軍と海軍が協力しなくても、天皇大権に反していたことにならない。「独立」とはそういうことだ。

だから調べれば調べるほど、逆に「77年間(1868年~1945年)も、国がよく保ったなあ」とまで思えたぐらいだ。

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ついでに言えばこのような「バラバラなシステムかつ中途半端」な国でも、「民主主義国」と呼べるのかどうか、現代の我々には疑問に思うだろう。

皮肉なもので、海外からの「証言」がある。
1945年7月26日発出の「ポツダム宣言」の第10項だ。そこには
「日本政府は、日本の人民の間に民主主義的風潮を強化し、あるいは復活するにあたって障害となるものは、これを排除するものとする」とある。

なかったものを、強化することも復活することもできないから、日本には「民主主義」はあったことになる。本心はともかく、連合国側は日本を「民主主義国」と認めていた。これ以上の史料はないだろう。ただし「自由主義国」まではいかなかった。「民主主義」と「自由主義」は、実は相克の関係にあることも、後で問題になってくる。

妙な喩えだが、ぼろでも「自動車」の構造をしていて、燃料を入れて点火するとエンジンが動き、アクセルを踏めば走り、ハンドルを切れば曲がり、ブレーキを踏めば止まるなら、それは立派な「自動車」であるようなものだ。

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世に「戦争は政治の延長である」とか「血を流す政治が戦争だ」と言う。

ジョルジュ・クレマンソーは、1914年に始まった第一次大戦でフランスを勝利に導いた首相だが、新聞社の社長をしていた40才ぐらいの時に、「戦争のように大切なことを、軍人に任せておけるか?」という有名なセリフを言ったと伝えられている。

またプロシア宰相 ビスマルクも、政治的にまずいと判断した戦闘行為を、皇帝に進言してやめさせたこともある。

政治と軍事は切り離すと危険だ、切り離すことは不可能だ、という認識が、1900年代初期の段階で、すでに欧米には合った証拠だ。

ではなぜ日本では、このような「国の権力=国権がそれぞれに独立した形」になっていたのか?
そしてその中心に存在する天皇が、どのように各権力機構を調整していたのだろうか?
現代に生きる我々には大いに疑問に思い、あるいは興味を呼び、やじうま的に知ってみたいと考える部分だ。

そしてこの「各大権独立と言う亀裂」が1941年(昭和16年)に起きた太平洋戦争への導火線になり、最終的には大爆発を起こして、大日本帝国の崩壊を招き、庶民にとっては悪夢と悲劇になる。さらにはそのトラウマが現代の我々を縛っている、とも言える。

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こんな固いことを話題にしたのは、生徒からの質問もあったし、最近のコロナ禍への政府、識者、国民、そしてメディアの対応の在り方が、なんだか戦前戦中と似ているなあ、と思ったからです。

どこまでできるかわかりませんが、やれるところまでやってみるか、と考えています。
さて、どうなるんでしょう?

取り敢えず、今日はこのへんで失礼します。

m(_ _)m