話は明治というより、江戸の終わりぐらいまで遡ると、この前書いた。
ただし明治の人たちが悪いのではない。
その原因をわかりながら放っておいた大正や昭和の人たち、ひいてはその原因を知ろうともしない、平成や令和の人たち(もちろん私も含む)が悪いのである。

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明治維新を数年後に控えていたころ、欧米での政治の在り方を研究し「(江戸の終わりに)明日の日本を考える人たち」は「政党」という勢力が国を動かしていることを知った。

人間は集団でいたほうが力が出るから、現代では「政党」は存在して当然のものと考えるだろう。また議会制が、それこそアプリオリに存在していることもある。

しかし江戸末期~明治中期までは、政党の存在を肯定的に考える人と、否定的に考える人がいた。意外なことにあの福澤諭吉も、否定まではいかなくても、懐疑的だった。

また維新後、政権を担当することになった側、つまり薩長政府は政党を危険視していた。例の「自由民権運動」のことだ。高校の教科書には「愛国党」とか「立憲改進党」だとか、その党首だとか、支持基盤とか色々暗記することがあって、苦労した人も多いと思う。私もそうだった。歴史を学ぶ気を失くさせているとしか思えない記述だった印象がある。

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自由民権運動とほぼ同時期には「萩の乱」とか「秩父事件」などが起きて政情不安になり、1877年・明治10年に西南戦争が起きて一段落するのだが、西郷隆盛の遺志を継ごうとする者たち=政権に参加できなかった人たちが、武力を封じられたから、次は言論で勝負だ!となったことが自由民権運動の原始エネルギーとも言える。

これら自由民権運動に対し、ざっくり言って、明治政府で伊藤博文(1841年~1909年10月26日)は政治、山県有朋(1838年~1922年2月)は軍事を担当することになる。

伊藤博文は後に政友会を立ち上げるぐらいだから、よく言えば柔軟で現実主義者、悪く言えば風見鶏みたいなところがあったが、同じ長州藩出身の山県有朋はほぼ一貫して政党嫌い・大衆嫌いだった。伊藤も山県も長州藩の下級武士(というより、農民一歩手前)出身であった点は共通しているが、なぜ山県が大衆嫌い・政党嫌いになったのか、直接の原因はよくわからない。元々「町人風情が…」と馬鹿にしていたのかもしれないし、何か事件があったのかもしれない。これはどの本にも書いていなかった。

だから勝手に推理することにする。私は長州藩の高杉晋作が編成した「奇兵隊」の軍事指揮を山県が取った時から、そのエネルギーの膨大さと、言っては悪いが「醜さ」にも気が付いたのではないかと考えている。

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明治~大正、そして昭和を語るとき、日本陸軍を抜きにしては語れないし、日本陸軍を語るとき、山県有朋を抜いては語れない。どんな会社でも、その社風は創業者の性格を反映するとされているが、明治初期~大正中期の日本陸軍も、長州藩の下級武士から槍、銃、そして大砲と武器を進化させつつ、維新を駆け抜け、2回の総理大臣、元老、元帥にまで上り詰めた創始者・山県有朋という人物の影響を大きく受けている。もっとも昭和の陸軍になると、大衆受けを狙って新聞記者を接待し、軍人なのに政治に口をさしはさむから、山県が昭和の軍人たちを見たら怒るかもしれない。

その山県を語るとき、彼が「山県狂介」の名で青春を過ごした、維新で倒幕に活躍した奇兵隊を抜きにしては語れないので、触れておく。まあこれも読んだ本の受け売りです。

何代か前の総理大臣が「私の内閣は奇兵隊内閣だ」なんて自慢気に言っていたけど、奇兵隊の運命を知らないのかもしれない。「奇」兵隊は、その名の通り、長州藩の正規の侍で編成されたのではなく、武士と町民の間ぐらいの人たちや、被差別部落の人たちで構成されていた。奇兵隊を含めて正規軍は「諸隊」と呼ばれ、後に日露戦争で活躍する児玉源太郎(1852年~1906年7月23日)も、当時17才だったが、正規軍の諸隊にいた。

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1863年5月10日・文久3年開始の「四国艦隊下関砲撃事件」(馬関戦争ともいう。下関で行われた長州藩対4か国連合との攘夷決行戦争)の時、藩の上士たち=正規兵が頼りにならず、人数も少ないので(人口の5%しかいないし、壮年の男子に限ればもっと少ない)、「命知らずの兵士」が即必要になった。高杉の呼びかけに応じて集まった人たちに、桂小五郎(後の木戸孝允)は「維新に成功した暁には正規兵として召し上げる」という約束をした。

幕臣・勝海舟は「長州兵は紙くず拾いみたいな格好でやってきた」と残しているから、軍装も下層階級的だったのだろろう。近代国家の基礎である「国民皆兵」という言葉は普及していなかった。「おらが国=長州藩を守るぞ」と意識したかしないかは不明だが、奇兵隊に参加した人たちは、その地方的な先駆けと言える。

また農家や商家の次男三男が多かったのは、長子相続社会では「先行きがない」彼らにとって、一か八か、運試しの一種の「就職先」という感覚だったとも思われる。現代なら「アルバイトから社員へ格上げ」みたいだし、当時は身分が違うと、人種まで違うから「外人部隊」かもしれない。ちなみに大ヒットしたテレビドラマ「Jin ー 仁」の主人公 脳外科医の南方仁が、江戸時代にタイムスリップした時が文久2年だ。

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実はこの「軍に就職=軍に入れば飯が食える」という感覚は、明治~昭和初期の日本では大切だ。今でこそ日本には色々な産業・職業がある。でも当時は庶民には、農業以外となると、数えるほどしか仕事がなかった。あってもそれで食べていくには長期の修業=下働き=ほぼ無給で、即、お金が稼げるわけではない。現代なら「ブラック企業」しかない感じだ。明治初期のスローガンに「殖産興業」とわざわざ命名しているから「日本には産業がない」と白状しているのに等しい。男性にもないのだから、女性にはもっとない哀しい現実があった。

1933年に起きた満州事変⇒満州開拓も、農家の次男三男以下の仕事先を、海外に求める経済的理由から始まったと考えられている。もっともそこを批判したのが、昭和の言論人で政治家・石橋湛山だ。彼は「内需をもっと拡大=新産業の創設=軍縮による人的資源の国内解放と教育のさらなる普及」を行えば、海外進出をする必要はない、と論陣を張り、当時の軍関係者や政府からは目を付けられていた。現在の日本に求められていることは株式市場への介入とか、消費税アップなどではなく、まさにこれだろう。

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さて功績抜群だった奇兵隊だが、戊辰戦争があらかた片付いてしまうと、藩にとっては経済的な負担と化してしまい、「狡兎死して走狗烹らる(こうとししてそうくにらる) 」の言葉通り、年令や傷病を理由に用無しになった彼らは長州藩から見放され困窮する者が多く出た。

不満に思い反乱した者は処刑され、あちこちに死体を捨てるかのように埋められてしまった。ある峠には村人を助けた奇兵隊員の墓があったが、悲惨な死に方をした人は慈愛深い神になるという日本的信仰の対象になり、そこをお参りする村人が絶えなかったため、長州藩は「参拝禁止」のお触れまで出さないといけなかったぐらいだ。それでも参拝者は絶えなかった。おまけに会津戦争(1868年・明治元年)の時には、女性や子供に悪逆非道なことをした、との濡れ衣まで着せられている。

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明治の三傑・木戸孝允=桂小五郎は奇兵隊を作り、最後は潰した非情な人間ということになる。イメージが壊れそう。ただ経済的負担といっても、2000人を養えないというのはちょっとしょぼすぎない?と思うのは私だけだろうか。幕末の雄藩はあまりお金なかったんだな~と変に感心してしまった。

話は元に戻る。
豊臣秀吉は無学だったが、エネルギーは人一倍以上持ち、まさに滅私奉公の精神と怖いものなしの根性で、癇癪もちの織田信長に仕えた。それと同じで奇兵隊の隊員は基本的に学がなかったが、エネルギーは無限にあったと思われる。何しろ数が多くて、命知らずだ。写真も残っているが、良い面構えをしている。無学な大衆が考えもなしに方向性を決めることの怖さを、山県は奇兵隊の指揮をするうちに実感したのではないだろうか。そう考えるほうが、後々の彼の行動に筋が通るのである。

山県有朋は約20年後の1888年~1889年にもヨーロッパを視察している。ドイツなどの国会を見学した際に、「内容のないことを大声で話す者が支持を受ける」とまで言っている。何だか現代の日本に対する感想みたいだ。山県有朋は帰国後、陸軍力の充実に力を注いだ。

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彼の活動が始まって60年後の終戦の年、1945年・昭和20年には、最終的に約550万人もの人員を抱え、日本を動かす巨大組織・日本陸軍が存在した。現在の陸上自衛隊が約22万人、日本全体の公務員数が国家公務員と地方公務員を足して約340万人、トヨタ自動車は2017年の時点で約36万人の従業員だ。

ちなみに2020年・令和2年7月1日現在で、兵庫県全体の人口が、544万6299人だ。手元にある兵庫県の広報誌「県民だより」9月号にそう書いてある。兵庫県民全員<陸軍の構成員で、私もあなたも、隣の彼も後ろの彼女も全員が陸軍兵という「団体」なわけで、どんだけ人がいたのか、想像できたり、できなかったりして。しかも武器を扱える成人男性だけで構成された「圧力団体」だ。これは恐怖である。


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すみません。1945年までかなり時間がかかりそうです。
でも自分では楽しんでこれを書いています。

なんだか台風10号が来そうで、怖いですね。
2年前に看板を壊されましたが、今度は何を壊されるのでしょうか。

台風21号に…やられた…

改めて MEGA DISASTER 第2集と第5集を鑑賞して


看板は撤去しようと考えています。そして手入れしやすい位置に、別のものをつけようかな~と。
今年の3年が卒業してからにします。

では今日はこのへんで失礼します。
m(_ _)m