私が明らかに力量を超えた話題を取り上げたのは、最近の日本社会のシステムが変になっていて、そのゆがみを改善せず「担当している人の能力や善意に頼る」ことが日常化している原因を考えていたからだ。

もちろん私ごときが考えて、意見を発表しても、恐らく変化の力にはならないだろう。でもやはり気になるものは気になるのだから仕方がない。

で、「システムの不具合を放置して、極めて多くの人間がえらい目にあった」典型例が、日中戦争⇒太平洋戦争だと気が付いて調べているわけだ。自分でもアホなことだなあ~と呆れてはいる。

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政党と自由民権運動と明治政府だった。
政党が活動する場は、当然、議会=国会だ。明治憲法下では「帝国議会」と言った。以下、帝国議会とか国会とする。

しかし明治憲法下の国会は最初はあまり力がなかった。衆議院と貴族院に分かれていたが、これも現憲法のように「2院制で審議の慎重性を期す」のが主たる目的ではないようだった。衆議院は公選つまり「国民に選ばれた人たち」だったが、貴族院は、大土地所有者、資本家、高級官僚などの特権階級、今どきの言葉で言えば「上級国民」で、天皇が任命したから「国民に選ばれた」のではなかった。しかも身分は終身だ。古今集など、天皇が命じて編集した和歌集を「勅撰和歌集」というが、貴族院の議員さんは「勅選議員」とも称された。「撰」と「選」で微妙に意味が違うが今はあまり気にしないことにする。

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また貴族院は「天皇の防塞(「ぼうさい」と読み、防ぎの意味)」のためにあり、悪く取ると、衆議院=国民の勢力を抑えるために、わざと議会を2つに分けたと考えられている。今まで述べてきたように、明治政府は軍事政権であり、薩長藩閥政府だったから、行政府の力が異常に強い。同時に国会も半分は政府寄りだ(ただし途中から、無条件で政府に賛成することはなくなり、結構、内閣に抵抗することも増えた)。

もっとも当時の日本が置かれた状況を考えると仕方がない理由もある。一番の懸念は清朝中国と、ロシアの圧迫が増大して、戦わずに負ける、という事態だ。それを早く脱し、せめて戦って負ける、あるいは引き分けるぐらいになる必要があったことは、教科書にも書いてある。

つまり「強兵」路線の強化だ。だからこそ国会という、ある意味悠長な仕組みを通り抜けないと、軍事的行動が取れないことは、できるだけ避けたかった。

特にロシアはお金がある上に「皇帝がすべての専制政治」をやっていたから、大量の兵員と兵器の投入を素早く決定できる。現代の「戦略爆撃機隊」に相当する「戦略砲兵部隊」まで持っているぐらいだった。清朝中国より、はるかにもっと強敵だ。

こんな2国を相手にするのだから、巧緻より拙速を尊べ、という軍事の原則に忠実に、軍事部門だけでも「専制主義」で行きたかった、となったと考えられる。日本に当てはまる「軍事的専制主義」は、参謀本部の独立であり、天皇大権の統帥権の独立だ。このシステムなら、陸海軍が説得しなければならない相手は、極端な話、天皇一人ということになる(明治期では、サンデーモーニングの御意見番・張本氏のような、元老院=小うるさい爺さんたちや、枢密院=理屈っぽいおっさんたちも、説得する必要があったが、あくまで極端な話、ということ)。

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もう明白になったと思うが、憲法と言えども時代の産物であり、明治憲法・大日本帝国憲法が生まれた時代背景は、植民地主義、弱肉強食、勝者の正義をモットーにした「帝国主義の世界」だ。甘い覚悟でいると、飲み込まれてしまうのである。できる限り早く軍事的に多数の兵を揃えた強国となり、同時にその軍事力を効率よく、素早く運用するシステムを必要とした。一番のモデルはプロシャ=ドイツだった。

だから伊藤博文や山県有朋を代表とする藩閥政府は、大衆の勢力の伸長=政党の力の増加を、憲法の仕組みから除外するように、1889年の制定まで10年をかけて、それに明治期は成功したと言える。憲法制定の2年前には保安条例という、厳しい、今で言うなら人権無視の「御触れ」を出して「危険分子」を「東京所払い=東京から追放」までしている。やっていることが江戸幕府と変わらなかった。

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山県はさらに「軍人は政治に関与するべからず」と軍人勅諭(天皇からの親しい説得と命令に近いものである訓示を意味する)を出し、壮年の男性が、軍籍にある限りは政治に参加することを禁止し、さらに日本政府は1925年に男子普通選挙法が成立しても、軍籍にある者の選挙権を停止し続けていた。現在の自衛隊員にはそんなことはない。

もちろん山県は、このまま日本が進展していけば、普通選挙が導入されて、大衆の力が増大することも予見していたはずだ。維新後の渡欧時にその実現を見ているから。でもそれが実現するのはなるべく後にしてほしかった、というのが本音だろう。奇兵隊の隊長をやっているときに、大衆のエネルギーが向かう方向をきっちり上位陣が決めなければいけない現実もまた見てきたから。

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山県有朋は「陸軍を作り上げた人間」であるため、昭和の敗戦時から10年ぐらい前まで、帝国陸軍=悪玉の構図が継続したため、「悪の組織を作り上げた悪の帝王」扱いをされていた。が、最近の研究により、見直しが進んでいる。

そこで多少弁護させてもらうと、明治中期~没年までの彼の行動を見ると「現場を知っている上位の人間」であるからバランス感覚は優れていたと考えている。悪名高いシベリア出兵でも「必ず外国と連携、特にアメリカと連携するように」とくどいほど軍部と政府の重要人物に進言しているぐらいだ。実際、シベリア出兵でも、アメリカ軍が先に帰国してしまったため、日本軍は「孤立」してしまい、ロシアや共産主義勢力は「危険な隣国」であるがために、帰国時期を逸したとも言える。

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現代の人間の、現在から視点や思考では「民意を反映しない国会では意味がない」と考えがちだが、「民主主義の先輩」であるアメリカの意見は、当時どうだったのだろうか?

アメリカ国内のことは中々わかりづらいが、代表者として、南北戦争で功績をあげたアメリカ陸軍大将であり、かつアメリカの18代目の大統領でもあったユリシーズ・シンプソン・グラントをあげる。

彼が、退任後、28か月の休暇旅行で(優雅なこと!)世界を周遊した。その際、日本に立ち寄り、大歓迎を受け、さらに明治天皇との会見まで果たしたのが、憲法制定まで後10年の1879年だった。グラントは57才、明治天皇は27才だった。

2人がゆっくり語りあえた日に、最初に話題になったのが、議会設立と選挙権の付与のことだった。
グラントは明治天皇に対して「政府が国民の代表者で構成された方が、強力で豊かな国になることは間違いがない。しかしその実現には時間をかけ、慎重に進めなければならない」「まだ国が未成熟の段階では、議会に立法権を与えない方が良い」さらには「戦いそのものより、それを利用して介入を狙うヨーロッパ諸国に、より注意するべきだ」とアドバイスをして、明治天皇は是とした。

まるで2人の会話は、会談というより、老練な政治家による若い君主に対してのプライベートレッスンのようだった、という記録が残っていることもわかった。

ちなみに初謁見の時、明治天皇はつかつかとグラントのもとに歩み寄り、その手をしっかりと握った。日本の天皇が外国の特使と「握手をして挨拶をした」のは、歴史的に初めてだった、とある。グラントはアメリカ国内では国の英雄の将軍としては大人気、大統領としては不人気だったが、日本では大人気の大統領だと紹介しておく。

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政党=大衆が政治を左右できるほどの力を持つのは、1920年代からだ。教科書で学ぶ「大正デモクラシー」の時代とピッタリ重なる。とにかく1889年の憲法制定前から軍事専制主義の日本が続く。結果、明治憲法制定から30年ぐらい、1910年代ぐらいまでは、なんとか国家機能を保ったと言える。

しかし最大の危機であった日露戦争を凌いでから後、ある意味日本は目標を失い、産業が発展するにつれて、貧富の差が拡大し、1920年代は、次第に国家構造がぐらぐらし始め、色々不備な点・不満な点が目立ち始める。同時にその時期は「帝国主義の終わりの始まり=形だけでも国際協調主義の始まりの始まり」でもあった。

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はあ、やれやれ、4連休が終わってほっとしました。
塾側にとっては連休ではなく、1週間後に控えている「中間テスト」の準備に追われていたので4連仕事でした。例のコロナ騒動で、試験が早くなってしまったのですよ。なんと10月1日!
おいおい、です。
オンライン授業を実行できた中高一貫の私学では普通の日程なのですが、公立はそうもいかず、11月に期末、3年ならその後の進路指導は「決定事項」なわけで、日程に余裕が欲しかったのでしょう。8月夏期休暇も短縮して、とにかく授業を進めないと間に合わないからでしょうね。
それでも10月1日はないだろ~と文句たらたらです。

幸い、例年にこの時期に襲来する台風が、なぜか来ない、あるいは逸れてくれるので、授業日程に狂いはないですけど。このまま、台風被害を免除してほしいです。

では今日はこのへんで失礼します。

m(_ _)m