残念でした


  立春を過ぎたというのにまだ寒かった2月上旬、山縣邸の有料老人ホーム建設の第1回説明会が、成城ホールで開かれたことは、ついこの間のことのような気がします。 
 国分寺崖線沿いの3千坪の山縣邸は、高木が茂り、いつも静寂でした。うばめがしの生垣、鉄柵の門からうかがえる洋館、スダジイ、コナラ、黒松、欅、紅葉などの樹木が生い茂り、あくまで静かな山縣邸は、成城、喜多見の住民にとって“聖地”のような存在でした。


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 そんな御屋敷に半世紀近く住まわれた山縣夫人がお亡くなりになった後、開発の手が入るのではないかと、危惧していた住民に提示されたのが、3分の1の敷地に老人ホームを建てるという開発計画でした。説明会を通じて何度も「価値ある建物を壊して、老人ホームを建設するという計画を再考してほしい」と要望いたしましたが、聞き入れられませんでした。理由は「有効活用する」というものです。

 4月には私たちの気持ちを少しでも多くの方々に分かってほしいと、このブログを開設いたしました。また世田谷区議会にも支援をお願いしたいと、「陳情書」を提出することにし、短期間でしたが9百人を超える方々から署名をいただきました。6月1日には就任間もない保坂区長が現地を視察してくださり、視察後「資産です」という感想を述べられていました。そのすぐ後、所有者の内外汽船社長、山縣一弘氏を訪れ、「保全してほしい」という要望をされました。

 区長アップ
          山縣邸を視察した保坂区長   

 7月5日に開かれた区議会の都市整備委員会では、陳情書は「継続審議」になりましたが、「これからも取得を含め、所有者と折衝を続けるように」とか「貴重な財産なので、“地域協定”のようなものを結んではどうか」、「議会の意思として、緑を保全する」など異例の条件が多くつけられました。

 開発側は建物の解体も終え、世田谷区による埋蔵文化財の発掘調査も先週終わり、建築確認もおりて、現地ではすでに建設工事に入っています。

 今度の開発計画で、35本の樹木が伐採されました。この場所は風致地区です。こんなに容易く風致地区の樹木が伐採されていいものでしょうか。35本です!世田谷区は区政100年を記念して、緑被率を33%にするという「みどり33」を熊本前区長の頃から、かかげていますが、すでにある緑を守れずに、この高い目標を達成できると本気で思っているのでしょうか

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 また昭和の高度経済成長期に建てられた由緒ある建物がいとも簡単に解体され、更地にされて、その後に安手の老人ホームの建物が建てられようとしている現実を目の当たりにすると、暗澹たる気持ちに陥ります。ここにも日本社会の劣化の一面を見ることが出来ます。約半世紀前、この地に夢と理想を抱いて、国際的にも恥じない家をと、多額の費用をかけて、私邸を建設された山縣勝美氏はどのような思いで、一連の開発行為をあの世でご覧になっていることでしょう。引き継いでほしいものは“不動産”ではなく、“志”、“文化”の継承ではないでしょうか。

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         解体された山縣邸

 例年うるさいほどの鶯の声も、今年の春はほとんど聞こえませんでした。家々の庭を訪れる小鳥たちも、最近めっきり少なくなりました。樹木を伐採するチェーンソウの音や、重機による解体の騒音に驚いて、野鳥たちはどこかに行ってしまったのでしょう。来年は戻ってくるのでしょうか。

「残念」の一言です。開発に携わっている人々にお聞きしたい。目先の金銭的利益のために、環境、文化を破壊して、当初の開発計画を遂行できることに、ご満足ですか。いとも簡単に長い年月この地に生きていた樹木を伐採し、美しい建物を壊して、良心が痛みませんか。こうした蛮行は今回限りにしていただきたいものです。



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 残念ながら来春には、3階建の老人ホームがこの地に建ち上がっていることでしょう。今はその建物が醜悪でないことを祈るのみです。

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         崖線に自生する”草木瓜”
 
 しかしいつまでも残念がっていても仕方がありません。今後は世田谷区が音頭をとってスタートする、行政、所有者、住民の三者による話し合いの場で、コミュニケーションを深めていきたいと思っています。新しいステージに入るのを期に、このブログをしばらく休止することにしました。

これまでブログにコメントを寄せてくださった方を始めとして、多くの方々から有形、無形の御支援、御支持をいただきました。この場をかりて御礼申し上げます。どうもありがとうございました。
 私どもの力不足で、残念ながらこういう結果に終わりましたが、これからも御支援をお願いいたします。これ以上環境を悪化させないために。

 


 



コンドルと山縣邸

岩崎廟と山縣邸

 

左;丸を基調,   右;鋭角的

しかし2つの写真の建物にどこか共通点を感じませんか?

 

左側; 三菱“岩崎家霊廟”は、お雇い外国人として明治10年に来日、日本の建築界の基礎を築いたご存知“ジョサイア・コンドル”で、明治43年の作品です。“ニコライ堂” (明治24年コンドル作、重要文化財)を彷彿するデザインです。鹿鳴館(華族会館)もコンドルの作品の一つです(明治16年)。

 

右側; 在りし日の山縣邸は昭和30年代、竹中工務店が設計及び施工したとのことです。山縣邸の実際の設計者はどなたでしょうか。丸と三角形の違いはありますが両者ともに尖ったフォルムの屋根,ともに白い壁に緑色の屋根,似たような壁面の造作,曲線を直線に又はその逆に置き換えたディテール等,私には山縣邸は,特に玄関周りのデザインは岩崎家霊廟を参考にしたと思えてならないのです。

財閥同士の人脈の交流があり、実物を見た山縣当主の意志かもしれません。或は設計者が有名なるコンドルの影響を受けた人だったかもしれません。規模の違いはありますが、いずれにしろ両者ともこの国分寺崖線の地に相応しいデザインを採用したわけです。

 

霊廟のある静嘉堂文庫は明治の中ごろの建設当時以降,地元では岩崎邸とか“岩崎別荘”と呼ばれていました。年に数回,地元の村人の招待や小学生に解放するなどしてくれたと聞いています。

岩崎邸内には、現存の天神塚や弁天塚を始め,未発掘の横穴古墳等の宗教的遺跡があると予想される地で、依頼主の岩崎当主やコンドルは当然この地の性格を知っていたでしょう。ですから邸内に霊廟を作った,そして同様の地の山縣邸もそのデザインをデフォルメして採用した,と思うのです。

霊廟+岩崎=山縣

 

これらを確かめる間もなく今回,山縣邸の方は取り壊されてしまいました。残念至極です。

 

山縣邸跡地の埋蔵文化財発掘現場の公開さえも、関係者の努力も空しく拒否され、老人ホームの建築工事が着工されました。山縣の代理人と称する業者の狭量さ、文化的レベルの低さには驚かされます。

 

山縣邸跡の美術館と称する現存建物は、華族会館(コンドル作品)の一部を移築したと聞いております。これも三菱の建物を多数設計したコンドルと岩崎家、山縣家の繋がりを示すものと思いますが、この名門山縣家の代理人が、このように文化的レベルが低いとは!

 

明治以降の何度もの国難に耐えて旧岩崎邸周辺は、今も遺跡とともに静かに時を過ごしています。そして現代の我々に「なぜこの国分寺崖線には遺跡が多いのか」と問い掛けをしてくれます。この意味においても山縣邸の残りの緑は、是非に残して欲しいのです。

美しき自然

トップページ用

谷川岳に登った。 毅然とそびえる山、それを覆う緑、青い空、射るような日差し、白く輝く雪渓、自然の美しさには息をのむ。 この自然の大切さを思わない人はいない。

山縣邸は美しい建築物だった。 取り壊されたのは残念でならない。 人間が長い年月をかけて培ったきた文化の価値は尊い。  

長く続くのぼり

しかし、ここにも美しい自然はまだ残されている。 谷川岳の雄大さとは比べるべくもないが、自然の大切さは変わらない。 人間が作ったものではないからこそ、それを守っていかなくては。 

山縣家の方々もこの地に残された、この豊かな自然の価値は十分に認めているはずだ。 だからこそ今まで守ってきたのだと思う。 

美しい花

今回の残念ないきさつは、ある。 しかし、私たちはこの先、人間としてこの自然をいつまでも守っていくことを心に誓いたい。 立場や事情は違っても、人間として力を合わせて、大切な財産を守っていきたい。

亡き山縣邸に捧ぐ

 

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今はなき山縣邸本館、

この麗しき姿はもう見られません

運命を知ってか何か悲しそう

喜多見より山縣邸の森をみる

山縣邸の森の中にヒッソリと佇んでいる洋館がある!

想像するだけでメルヘンの世界でした。

 

多くの人々の願いも空しく

この春、平成23年5月末に取り壊されました。

 

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山縣邸周辺崖線の中腹に見られる“草木爪”の花です。

春先にヒッソリと、南斜面の陽だまりの笹藪の中で、

周囲が未だ枯葉のころ咲きます。

背丈15センチメートルにも満たない小さな花木です。

k.sasaki氏提供)

 

今はなき山縣邸に”草木瓜”を捧げます

 

数万年にわたり、日本古来種と言われるこの花は、

崖線の人類の営みを見続けてきました。

愚かな人間の行為も・・・

どなたか亡き山縣邸のレクイエムを作ってください。

ともに歌いましょう。

草木爪も無言で記憶に留めているように、
私たちも山縣邸の秀麗な姿を永遠に忘れません。

成城憲章

 ゆったりとした敷地に生垣、赤松やヒマラヤ杉の高木、梅や桜などが植えられた庭などに代表される成城の街並みが崩れてゆくのに危機感を抱いた住民が、今から9年前、成城自治会が中心になって、「住まい方のルール」を定めた「成城憲章」を制定しました。
 この「成城憲章」に先立って、宅地の細分化に歯止めをかけようと、「田園調布憲章」が制定されていました。相続を経るごとに、細分化される敷地、それに伴って樹木が伐採され、住環境が悪化する現象は成城でも顕著になり、「成城憲章」誕生に至ったわけです。
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 「成城憲章」では、住宅地において遵守すべき事項として、
①低層住宅地の保全
②ミニ開発の制限と敷地規模の確保
③生垣や樹木などの緑の保全
④隣棟間隔の確保
⑤街並みや景観への配慮
⑥大規模開発と街並みの調和
⑦斜面地での地下室利用の制限
⑧駐車場の周辺整備への配慮
など細かく規定されています。これらは法令としての拘束力を持つものではありませんが、成城の環境と暮らしを守るために、住民が遵守すべき規定としています。
 今回の山縣邸の老人ホーム開発計画を、この「成城憲章」に照らしてみますと、建物の高さが気にかかります。憲章では「第1種低層住居専用地域では、高さ制限は10mを遵守する」となっていますが、計画では建物の高さが9.99mで制限ぎりぎりのところに、屋上に消防水槽等の置場や、給気排気ダクトファンなどが置かれ、2m近い防音パネルが設置されます。建築基準法では合法であっても、「成城憲章」からは明らかに逸脱しています。
 長い間この地に住まわれた山縣夫人御存命のころは、山縣邸は成城の中でも、一段と光り輝く別格の存在であっただけに、今回高さ12m近い建物が建てられようとしていることは、本当に残念です。

 世田谷区では4月から「街づくり条例」が改正され、住民同士で定めた「住まい方のルール」を「区民街づくり協定」として登録すると、区の窓口で周知させるという取り組みが始まっています。この「成城憲章」も成城自治会が近く世田谷区に届け出るそうです。「成城憲章」が「区民街づくり協定」に格上げされるわけです。

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