私が成城に引っ越して来た時はまだ幼かったのですが山縣邸はそれから数年のうちに建築工事が始まったように記憶しています。 それまでは現在建物の建っている辺りは一面草原で秋になるとうるさい位虫の声が聞こえていました。 表通りに沿って杉の木が植えられており、南側の丘の上には今でも数本残っている大きな松の木が美しい姿で立っていました。 私達は野原で走りまわって遊んだり坂になっている林の中をちょっとした探検気分で探索したりしてよく遊んだのを覚えています。 山縣邸が出来上がるまでにはいったいどんな家ができるのかと両親もちょっと心配気でしたが素晴らしい邸宅が建って一安心していたようですし、子供達にとっても林の方は柵もなくそのままだったので
今まで通り遊ぶことができて喜んでいました。 ずっと後になって山縣さんの奥様に招待されて母と一緒に邸宅を訪問したことがあります。 奥様は余り大きなお家は本当はお好きではないとおっしゃって
南側に小さなお座敷のお部屋を増築されて主にそちらで過ごしておられるようでしたが、一回り応接間なども案内してくださりました。 私はまだ中学生になったばかりの頃で詳細は憶えていないのですが、何しろ絵本で見たような大きくて素晴らしいお部屋だったのを記憶しています。 そのうちの一部屋は博物館のようにガラスケースに入った貴重な品々が飾ってあり、夏目漱石直筆の書類とかいろいろな物があったように憶えています。 あの邸宅は築50年や60年で悪くなるようなことはないと思うので残す価値は十分あると思います。 世田谷区なり財団がミュージアムとして保存して下さることができるのならそれが一番よいのではないかと思うのですが、果たして私達の声は聞き入れてはもらえないのものでしょうか?
私は今成城に住んでいないので何の尽力もできませんが成城と自然を愛する皆様の力を信じて応援しております。