2008年10月01日

第二十三話: 失敗談3

舞台は生放送と同じでやり直しがきかない。1ヶ月間毎日同じことをしていてもひょんな所から失敗はやってくる。失敗した時の対処法も人それぞれ…今回はそんな対処法の1つの例。

大阪新歌舞伎座で天知茂(沖田総司)と槍の名人新八の出合で大立ち廻りの場面。下手から出て上手引っ込みなので、兄弟子は上手袖で楽屋履きを揃えて待機。下手袖では天知さんが出番の前に舞台の袖で椅子に座り手鏡を見て化粧・扮装の確認するのを弟弟子が補佐し『先生出番です』と小道具を渡す。ある日、弟弟子が小道具の大刀を渡すのを忘れた事に気づき、舞台上の天知さんを見ると、ちょうど天知さんが大刀を抜こうと腰に手をあて、刀がないことに気づいたところだった。『しまった!』。天知さんは咄嗟に小刀で代用。槍の名人との立ち廻りに小刀では情けないやら腹が立つやら…何とかその場を切り抜けて上手に引っ込んだ途端、上手で待機していた兄弟子の頭をポカンと一発。殴られた兄弟子は何で殴られたのかも解らず目を白黒。要領の良い弟弟子は『まづった』と思った瞬間姿を消し、師匠の気持ちが落ち着くまで隠れて出て来ない。師匠が落ち着いた頃『先生申し訳ありませんでした』と謝りにきた。そんな弟弟子はその後スターになり、美人キャスターと結婚、娘も女優になり、本人は映画監督でも活躍して頑張っています。



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2008年09月12日

第二十二話: 失敗談2

自分の失敗談を語ったら切りがありませんが、ここである名脇役の失敗談を…。

大川橋蔵公演の時、踊りも三味線もうまい名脇役Oさんが、出番が近づいても袖(舞台の端)にスタンバイしていない。気づいた舞台監督が急いで\楽屋に呼びに行くが部屋にいない。本人、出番が1つ残っているのを忘れ、終わったと勘違い。舞台の緊張感も抜け、のんびり都都逸を鼻歌しながら風呂に入っていた。『Oさん出番です』の声に『え〜!!』。体もふかずに風呂から飛び出し、濡れたまま衣装を引っ掛け、帯は引きづり、着付けはバラバラ、鬘の下には羽二重のヒモが垂れてはみ出し、顔はビショビショ…。舞台上では出てこないOさんを待ちながらアドリブでつないでいた役者全員がその見事な格好に思わず吹き出してしまい、しばし芝居にならず…。その名脇役、後日談で『心臓が飛び出すかと思ったよ』



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第二十一話: 失敗談1

これまで名監督・名優のエピソードを書いてまいりましたが、長く芝居をやっていると数々の失敗もつきもので…今回はそんな失敗談をご紹介させていただきます

まだ私が新人の昭和30年代、撮影所に行きますと『岡部君、演技課長のところまで』と放送が入りました。楽屋の連中に『おい岡部、大役が付いたんだぞ』と冷やかされながら行くと、演技課長が『君は大変真面目で頑張っているから白羽の矢が当たった』と、東映の重役俳優・片岡千恵蔵先生の付き人を任命されました。付き人の経験もない私は何が何だか解らないまま『有難うございます』。当時東映東京撮影所は俳優会館も小さく、千恵蔵御大は所長室隣の応接間が楽屋でした。撮影終了後ドーラン化粧を落とし、石鹸で洗顔するにも部屋には洗面所がなく、医務室から足付きの洗面器を運び入れ、バケツにお湯を用意していました。二度洗いするにも流しがないため、使用したお湯は窓を開けて外に捨て、もう一度新しいお湯をバケツから洗面器に移し替えていました。ある日、急いでお湯を捨てようとしたら手がすべり洗面器ごと勢いよく窓の外に飛んで行ってしまいました。『しまった!』と急いで長い廊下を走り、外の洗面器を拾って戻って来ると、御大は状況がわからず『なんやなんや?』と怒りもせず、顔中泡だらけで両手を開き、かがむような中腰でじっと待っていました。、往年の二枚目にそんな恰好をさせたのは後にも先にも私だけではないでしょうか



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2008年05月04日

第二十話: 風間 杜夫

風間杜夫は東映児童劇団の第一期生。当時彼は本名を名乗っていたが彼を本名で呼ぶ者はいない。全員が『文平』と呼び付けていた。何故ならば彼の主演作『断崖の少年』の役名が文平だったからだ。文平は小学校低学年で控え目の大変大人しい少年でした。私は男の子が欲しく、文平が可愛くて良く面倒をみた。山村聡監督『鹿島灘の女』に文平も私も出演していて夏休みの一か月鹿島への長期ロケ。文平の父親が病弱のため母親が長期ロケに参加出来ず、私の所へランドセルを持って来て『岡部さん、宿題や勉強を教えてやってください』と頼まれた。参ったな、悪い遊びはいくらでも教えるが出来るかなと迷ったが、何分可愛くて仕方がないから引き受けてしまった。ロケから宿へ帰って夜は頼りない家庭教師、その後毎晩風呂に入れて文平のチンチンを洗ってやり、遊びも楽しく教えてやったりした。文平が中学に入る頃から全く逢わず、その後文平は早稲田大学に入り俳優を中断していたようだ。数年後、私が大船撮影所の食堂で隣に座ったたこ八郎と喋っていたら、その向い側にいる青年が何度も私の顔を見つめている。変な奴だな!!と思っていたら謙虚に『あの…岡部さんじゃないでしょうか』『うんそうだよ』『僕の事憶えてますか』よく見ると顔にホクロがあって『あっ文平だ!!』『はい、今風間杜夫って言うんです』あの少年がすっかり大人になって見違えたと私は大変良い気持ちになり、我が家へ帰って『今日は良い日だった。今は風間杜夫と言うんだとさ』と妻に報告すると『何言ってるの、風間杜夫って有名で人気があるんだから』とさんざん叱られた。

その後私は風間杜夫が所属していた現代制作舎という事務所に入り、文平と私の関係を知ったマネージャー達に大変良くして頂いた。それから彼の舞台『一人芝居』他ほとんど観劇した。彼の芝居は軽妙で歯切れが良くテンポが有り、アカデミー俳優ジャックレモンの全盛期に観た面影がある。普通天才子役は大人になると潰れるが、大人になっても素晴らしい演技力は高峰秀子と風間杜夫ぐらいでしょう。唯彼はすぐ太る体質なのでスポーツジムやサウナに行ったり気を付けているでしょうが、酒はほどほどに、素晴らしい舞台を何時までも観せて戴きたいものだ。



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2007年11月01日

第十九話: 太地 喜和子

東映16期ニューフェイス。美男美女の中で何故か色の黒いセーラー服の女学生が一人居る。それが志村妙子、後の太地喜和子である。高校生で学校が終わってから一人遅れて撮影所通い。たまに役がついても女高生か田舎娘。当時、鶴田浩二、高倉健のやくざ路線で女優は芸者、娼婦の役ばかりでとてもそんな役は出来ない。頭の良い妙子はさっさと東映をやめて俳優座養成所を受け、そこで三年間みっちりレッスンをする。その後文学座に入り、芸名を太地喜和子とする。もって生まれた感性と愛される人柄、何よりも頭の回転が早い。文学座の御大・杉村春子の後を継ぐのは太地喜和子だと誰もが認める程の名女優になる。

映画山田洋次作品『男はつらいよ』のマドンナの芸者。舞台では片岡孝夫(現仁左衛門)と喜和子の『十六夜清心』。尾上菊五郎と『お富、与三郎』両作品に私も出演した。新橋演舞場の『十六夜清心』では太地喜和子の演技は批評家も絶賛する程素晴らしい。東映時代出来なかった娼婦役、これが何とも艶っぽくそして可愛い。日本映画・演劇界でこの役を演じられるのは彼女をおいて他にない。毎日の舞台で太地喜和子ではなく娼婦十六夜がそこに生きている。東映時代から「おい妙子!!妙子!!」と呼びつけにしていた私はあまりの感動で或る日楽屋で「おい妙子お前がこんな良い女優になるとは思わなかったよ」「ほんと嬉しい!!」「楽屋にいる時から役作りをし、孝夫さん(清心)にすっかり惚れこんで、それが見事に舞台に出て素晴らしいぞ」「いや私は惚れっぽいのよ」とケロッとして明るく言う。それがまた何とも可愛い。その後京都南座で菊五郎さんと「お富・与三郎」。これも前作以上にぴったりと意気が合い、歌舞伎で何度も演じている菊五郎さんにひけをとらない。私は木更津のやくざ役。また菊五郎さんも酒豪だが喜和子も負けていない。芝居が跳ねてから毎晩祇園先斗町を飲み歩く。夜中の2時頃先斗町の路地で喜和子が大の字で寝てたという噂が次の朝楽屋に流れる。せまい京都だから情報が早い。朝の楽屋では完全な二日酔い、化粧しても汗が噴き出る。千秋楽まで持つかなと心配したが酔いが覚めるのも早く何と千秋楽が近づく程、彼女の演技は見事に冴え光って来る。まるで怪物だなあと呆れる。楽屋では毎朝みんな大看板の部屋へ挨拶に行くが、私が喜和子の部屋に行くと襟を抜いて付き人が喜和子の背中におしろいを塗っている。私の声で振り向き「岡部さん毎晩やってる?」「ああ毎晩飲んでるよ」「一寸待って」と化粧中だから普通は付き人や弟子に言いつけるところを自分がわざわざ立って廊下の隅に置いてある日本酒と焼酎の一升瓶2本ぶら下げて「これ飲んで」「これから菊五郎さんの楽屋にも挨拶にいくからいいよ」「いいじゃない、ゆかたの袂に隠しとけば」とケロッと明るい笑顔で可愛く言う。まさかこれが喜和子との最後の会話になるとは思わなかった。

この舞台の後、文学座『唐人お吉』の公演で全国巡業の途中、下田で酒を飲んで海に車ごと落ちて溺死。何処の劇団でも下田で『唐人お吉』は公演してはならぬとのジンクスがある。酒で失敗しなければといつも心配していたがこんな名女優を亡くして杉村春子さん始め多くの喜和子ファンはさぞかし絶望した事でしょう。誰よりも私が一番絶望して愛らしい名女優の遺影に献花した。

 



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2007年07月09日

お知らせ

8/3〜27、舟木一夫公演『銭形平次・蛍火の女』に出演することになりました。

場所:新橋演舞場(東京都中央区銀座6−18−2/電話:03-5565-6000)

脚本は銭形平次の作品の中でもベスト3に入る傑作で、私は彦兵衛という、ご隠居の役で出演しています

よろしければ是非劇場まで足をお運びください。お待ちしています。

 



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2007年06月06日

第十八話: 北村 和夫

昭和30年頃、私は文学座の北村和夫さんの大ファンで、『欲望という名の電車』『女の一生』等、杉村春子さんの相手役で出られているのを、多忙の中、撮影の隙を見つけてはよく観に行っていた。その後NETテレビ『判決』で同じ文学座の仲谷昇さんとご一緒した。仲谷さんも私も野球が好きで出番待ちの楽屋でよく話をした。その時私は仲谷さんに「北村和夫さんはどんな方ですか?」とお聞きしたら仲谷さんは「カッちゃんは名優ですよ。普段演技について話をしていると何を言ってるのかさっぱり解らない、ところが動いてみると大変具体的でよく解る。彼は自分自身をもっと名優と思った方が良い」とおっしゃっていた。

それから30年後に北村さんとご一緒できるチャンスを掴んだ。知人会、木村光一演出『夢・桃中軒牛衛門の』舞台です。東京俳優座劇場がスタートで4ヶ月の地方公演、その主役が北村さんでした。普段の北村さんは何とも子供みたいに愛嬌があり楽しい方でした。ところがお芝居になると大変シリアスな面と愛嬌のある演技がミックスして何とも言えない魅力を発揮する。私は1ヶ月の稽古の間、北村さんの役作りを盗もうと必死でした。私の役は実在の人物・北村高等刑事役で、何と北村さんの祖父。中国の思想家・孫文が日本に住んでいて、その様子を監視する役職なのに孫文に惚れこみ、孫文の家の掃除洗濯までしてしまうほど人の良い人物で大変面白い役でした。北村さんは毎日文学座の若手に細かく駄目だしをし、彼等の演技がどんどん良くなっていくのを目の当りにし、若手たちは幸せだなと羨ましく思っていました。そんなある日、九州公演の移動の車中で北村さんが私の席まで来て「この芝居は10年前に文学座で公演した作品で、あの時の北村刑事の印象は全くないが今度の岡部ちゃんは面白いねえ」と言われ私はすっかり戸惑い赤面していたら「岡部ちゃんあそこはもっとこうしたらどうだろうね、明日やってみたら!!」。尊敬する北村さんにアドバイスいただき嬉しくてその夜は眠れませんでした。

その後、商業演劇で田村正和さんの『乾いて候』でまたご一緒した。初日が開いて北村さんが私の楽屋に来て「岡部ちゃん助けて」。演出家から青黛(セイタイ・かつらの真上・髪の毛を剃った後の青い色)が汚いと駄目だしが出たので直してほしいとのこと。見れば将軍吉宗の役がなんと雲助の頭の色になっている。これは大変だと速、直してさしあげた。次の日OKが出たよと、お礼に一升瓶下げて照れながら来た時の何と可愛い表情。人間的に魅力ある人物だなあと恐縮した。昼夜の間の休憩にいつも私の楽屋に来てはお芝居の話をしてくださる。その中で一番印象に残るのは「杉村春子に、和ちゃんあんたがしっかりしないと駄目よ、あんたが悪けりゃ私も心中よ、と僕はよく苛められ怒られたよ。悔しいからある日、十和田湖で二人でボートに乗った時、彼女が泳げないのでこの時ばかりは復讐しようとボートを揺るがしたら、アレ〜と奇声、これが何とも可愛いんだよ」となんだかノロケるように楽しんで喋る。「でもね今日僕があるのは杉村春子のお陰だよ」と豪快に笑いながら自分の楽屋に戻る。

地方公演の際、降りる駅、降りる駅にそれぞれ迎えの女性がいて、改札口で北村さんに抱きつくほどの人気ぶり。私は北村さんほど人気のある役者を見たことがない。このブログを書いている最中に永眠され、演技も人生もっとたくさん教えていただきたかったのに残念。

 

 



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2007年04月10日

第十七話: 天知 茂

新東宝一期生。同期に高島忠夫、宇津井健。早くから主役をやった2人とは違い、天知茂は当時ガリガリに痩せてて人相も悪く、仕出し(通行人)を長年やらされていた。後に「岡部ちゃんは仕出しを何年くらいやった?」と聞かれ「私は1年だけでした」と答えたら「そりゃ良かったね。僕は5年間やった。それもね、嵐寛寿郎さん主演の仕出しは我慢できたが、同期生の主演映画の仕出しは辛かったね…」としみじみ言われた。その頃は役が付いてもニヒルな悪役ばかりでした。そんな或る日、大蔵社長が10人ばかり女優さんを食事に連れて行き「新人の男優で主役を捜しているのだが、君達女優から見て誰を主役に抜擢すれば良いと思うか」と問い質すと10人全員が天知茂と答えた。社長が「あんな肺病やみのような男の何処が良いんだ」と言うと「無口で格好が良く、とにかく女性から見て魅力たっぷり」と大騒ぎ。そうして三島由紀夫が絶賛した天知茂主演作品『四谷怪談』『婦系図』等が生まれる。

日頃何かとお世話になっているので、毎年盆暮れにはほんの気持ちですがと心ばかりの品を贈らせていただいておりましたが、或る12月の始め「昨日デパート行って岡部ちゃんに似合うジャンバー見つけたので、これお歳暮」まだお歳暮していなかった私は恐縮してしまいましたが「まあいいからいいから、取っときなさい」。また私の一人娘が名古屋御園座に出演中わざわざ楽屋まで立ち寄ってお小遣いを下さったり、心遣いの暖かい人でした。昔の映画俳優は庶民の夢を壊すと言って決して奥様や御家族を表に出しませんでしたが大変な子煩悩でした。人望があり、お正月や誕生日には大邸宅に入りきれない程たくさんの人がお祝いにみえました。一滴も飲めない天知さんに私が「酒も呑まずによく長時間皆のお相手して疲れませんねえ」と言うと「みんなの匂いで酔っ払っていい気持ちなんだよ」。撮影現場では監督はじめスタッフを大変大事にされ現場では文句一つ言わずに和やかな雰囲気。但しプロデューサーとは脚本の問題でとことん話し合い、信念を曲げずに時には大喧嘩していました。そして「僕は自分より上の人と喧嘩する癖があるんですよ」と笑いながら話していました。その信念がテレビ映画『孤独の賭け』『非常のライセンス』『明智探偵シリーズ』と数々のヒット作を作り出す。ところが一番好きなのは映像よりも商業演劇。テレビ映画のスケジュールの工面して明治座・御園座・大阪新歌舞伎座などで舞台に出演。長谷川一夫先生のブロマイドを何枚も持っていて絵心のある天知さんは舞台の化粧を長谷川先生とそっくりなメイクアップをし現代劇では出来ない様式美を創り出す。洋服のセンスも良く、明智探偵でもYシャツ・ネクタイなど全て自前の洋服で何ともダンディ。「声がハスキーで痺れる」と女性ファンが追いかける。映画俳優の私は20年間も天知茂公演で舞台演技を教わり修行させてもらった。そのお陰か私は現在でも舞台を主に働かせて頂いてる。

舞台終演後は毎晩ご馳走になった。必ずピアノの有るクラブに行き酒も呑まずに1人で何曲も歌う。まだカラオケの無い頃で、レコードを出したくて秘かにその店でレッスンしていたのだろう。そして『昭和ブルース』『男のポケット』などのレコードを出し自分の主演ドラマの主題歌に使用。大変な実業家で主役が出来なくなれば政治の勉強をして政界に出馬するとよく冗談で僕らに話されていた。もしかして本音だったのかも…。晩年製作会社から脇役に廻って欲しいとマネージャーを通して新企画の話を持ってきても「脇役に廻る時期は自分が一番知っている」と頑として受け付けなかった。最後にNHKドラマ『おさん茂平』でおさんの亭主で初めての脇役。ビデオ撮りが始まり「今度の天知さんは素晴らしい出来だね」と情報が入り早速本人に電話で伝えると「岡部ちゃん一度NHKに来てよ」「これから家族で旅行に行くので帰り次第お伺いします」。それが最後の会話となった。バスで旅行していた私は帰宅して夕刊を見るまで『天知茂、蜘蛛膜下出血で倒れる』のニュースを知らずにいた。すぐ病院に飛んで行ったが意識が全く無い。奥様に「岡部ちゃん起こしてあげて」と言われるがすでに脳死状態でした…。健在であれば格好良い二枚目ばかりでなく渋い燻し銀の役を演じられ、役者としてやりがいのある仕事を沢山演じて居られたでしょうとつくづく残念。



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2007年01月25日

第十六話: 室田 日出男

小樽出身の道産子。幼少の頃両親を亡くす。東京池袋でスナックのママをしている実姉を頼って上京するや否や姉の店で呑み始める。近くのカウンターで鋭い眼の男が室田をじろっと見る。酒癖が悪くて喧嘩ぱやい室田は「おう、手前さっきからガンつけやがって、表へ出ろ」「お前良い度胸をしている。うちの組に入れ!!」その男はなんと極道組のやくざだった。

長身で二枚目の彼は見事東映ニューフェース第4期生に合格。同期には佐久間良子さん、曽根晴美さん、山口洋子さん。佐久間・曽根さんは早くにデビューし山口さんは同期の佐久間さんを見て“こんな美女が居たのではとても叶わぬ”と言って、銀座のクラブのママそして作詞家として世に出る。唯一人出遅れた室田は東宝の二枚目スター宝田明さんとそっくりだったが、新聞記者AとかBのちょい役専門。たった一言の台詞が喋れなくてNG続出。仕事も無く昼間新宿アートシアターで外国の名作映画をほとんど見尽くしていた。その感想を聞きながら“こいつは映画を観る目が深くてなかなかしっかりしているな”と思ったものだ。当時の私は東映のギャング・やくざ映画ばかりに欲求不満、仲間と劇団を作り年1回紀伊国屋ホール等で芝居を発表していた。そこで私は室田に「お前うちの劇団に入れ」と言ったら「とんでもないです。一言の台詞もろくに喋れないのに舞台の長台詞なんかとても出来ません」「だから長台詞を喋れるようにグループに入って勉強するんだよ」。そして初役が福田善之助作“長い墓標の列”。3時間近い芝居で有ったが室田の役はたったの3分間。その小さい役を深く掘り下げてねばっこい役作りをする。演出家に食い下がってその役の疑問点を聞き出す。演出家に「まだ大きい役の演技を固めなきゃならないから室ちゃん待って」と言われるほど食らいついていく。

或る日、身体の大きい室田に沢島忠監督作品で用心棒の大男の役がつく。衣装合わせをした帰り、まだクランクインしていないのにもうその役になりきって新宿の安酒場で酒を呑んでいると、同じカウンターの客が室田をじろじろ見る。酒癖の悪い室田はたまりかね「この野郎!さっきからガンつけやがって表へ出ろ!」「ああ上等だ!」と二人コマ劇場の裏でまず室田が一発殴る。見事に空振り。その後室田は気を失い即、救急車。鼻は折れるし眼は紫色に腫れ上がるはで、相手はなんとボクサーだったと後で解る。当然大男の役は降ろされる。ところが良くしたもので二枚目の顔の室田は売れなかったが、メチャメチャの顔になったお陰でギャングやくざ路線の東映作品で叙々に役が付き出す。大変不器用な役者で北海道なまりが有り、その場で本番の映画よりも何ヶ月もかけて稽古する舞台の方が彼にピッタリだった。段々と自身がつき“イルクーツク物語”で舞台の主役を勝ち取る。稽古場に何度も足を運んでくれた深作欣二監督がすっかり彼に惚れ込む。そして深作作品に準主役級の役が付き出す。

映画界でNO.1に酒癖が悪いと言われる戸浦六宏さんが「室田にはかなわない」と言うぐらい何処へ行っても喧嘩するし、また喧嘩が強い。よく我が家で酒を呑みながら麻雀をやる。ところが私の前ではいくら呑んでも「おじさん、おじさん」と言って実におとなしい。年もあまり違わない私を「おじさん」と呼ぶのは、やくざの世界で「おじき」とよく言うがどうやらそのつもりで呼んでいるらしく私に懐いてくる。或る日、劇団のグループと閉店まで呑んで、その後夜中に我が家の2DKの団地にどやどやとなだれ込み朝までまた呑む。酔う程にテーブルを叩いて大声で演劇論を闘わせディスカッション。朝隣の部屋で寝ていた小学生の娘に「お父さん麻雀のお客さんはいいけどお酒を呑むお客さんは連れてこないで」と怒られる。今考えると学芸会に毛の生えた程度の演劇論、若気の至り…。

だんだん人気の出てきた室田は黒澤明監督「影武者」に出演が決まり、どれ程喜んだことか。異常興奮して大丈夫かなと思っていたら案の定…毎日鎧を着けてロケに行くが一向に室田を映してくれない、とうとうプッツン切れて天下の黒澤明監督に「俺だって命がけで一生懸命やってるんだ」と怒鳴りつけた。世界的巨匠を怒鳴ったのは室田だけかも知れない。私の将棋相手の大滝秀治さんがその場に居て、後日「気持ちは解るが監督に逆らえばあれは室ちゃんの負けだね、益々映してくれなくなったもんね」とぼそっと言っていた。それでも一流のプロデューサーや監督が一度は室田を使いたいと言う。あのキャラクターは他の俳優にはない独特の魅力を持った個性俳優で有り、若くして消えた惜しい友であった…。



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2006年11月13日

第十五話: 山形 勲

東映時代劇全盛時代に三大悪役、月形龍之介さん、進藤英太郎さん、山形勲さんの名優が活躍していらっしゃった。山形さんは元々文化座の新劇俳優であった。今井正監督の『米』に網元役で出演する際に、監督が山形さんの時代劇の演技は良く存じ上げてるが現代劇の演技を観てみたい、さりとて名優山形さんを新人のようにオーディションする訳には行かず、池袋の映画館まで足を運び高倉健主演映画の脇役で出演していた山形さんの演技に一目ぼれして起用。

『米』の撮影でご一緒させていただいた時、山形さんも私も高校野球と囲碁好きでとても懇意にして頂いた。山形さんは若い時に肺結核を患い片肺がなく片方の肩が落ちている。夏の暑い時の霞ヶ浦ロケで酒の弱い山形さんもさすがにビールが飲みたくなったらしく『岡部くん、ビールを飲みたいのだが僕は3分の1ぐらいしか飲めないから残りは飲んでくれる?』『はい頂きます』酒好きな私は結局3本のビールをご馳走になりながら囲碁を打った。

山形さんは大変な紳士で気品があり、穏やかな方だと思っておりましたが大変気性の激しい面もありました。当時数々の演技賞を取っていた山村聡さんがライバルで、『いつでも勝負するから四つに組む役を取って来なさい』と言っていたと、後日マネージャーに聞かされました。

深作欣ニ監督の『ジャコ万と鉄』で高倉健さんの父(漁場の親方)の役で出演。ニシンが来ないので我々ヤンシュが親方に何とかしてくれと攻め寄ると、山形さんは大変リアルな演技をしておられ、監督が『山形さん、そこは浪花節でお願いします』と一声。山形さんは当時時代劇ばかり出演していたので『はい、それはお得意のものです』と見事にガラッと演技を変えられた。監督の眼も鋭いが山形さんの演技には浪花節調で『みんな解かってくれ』という気持ちがよりリアルに表現され私はすっかり驚いて感心し勉強させていただきました。

私が毎年お正月五木ひろし公演(東京新橋演舞場)に出演していた頃、私の一人娘も里見浩太郎公演『忠臣蔵』(東京明治座)に出演しておりました。私は娘が心配で、或る日自分の公演の昼夜の間に里見さんにご挨拶しようと楽屋に伺いました。その時山形さんが吉良上野介役で出演されており、何年かぶりで楽屋に伺いますとNHKの囲碁番組を見ていらっしゃいました。『いやあお久し振り、まあ上んなさい』『いえ私も演舞場を抜け出してきたので…』『少しぐらいいいじゃない』『じゃあ一寸だけお邪魔します』。その短い時間に、今の俳優は可哀相だ。これじゃ役者が伸びない。それはテレビでも同じ。特に舞台は台本が遅いから直しができない。私の若い頃は毎日の稽古で演出家のダメ出しがあると次の日はそれ以上の演技を考えていく。すると演出家はそれ以上の問題点を提議してくる。なにくそ負けるものかと演出家との闘いがあり、もっともっとこれでもかで役者が伸びていく。今の演出家はベテラン俳優には『はい結構です、次行きます』。台本が出来るのも遅いし本物の演出家が少なくてこれじゃ恐くて舞台はできない…と仰っておられた。短時間の再会でしたがとても良いお話をお聞きし、それ以後商業演劇の時間がない稽古でも山形さんの教えを出来る限り守って芝居づくりを心掛けておリます。



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