desaparecer y reflejar “消える” と “ 映す”

美術家、山本聖子のBlog. 日々の中で感じたことを気ままに書いています。

先日、縁あってとある海外からやってきた男性6人多国籍バンドのライブにいった。
どのようなルートかは知らないけれど、彼らはアジアのいくつかの国を回っていたようで、釜山から福岡に入り、いくつかの公演をこなしつつ、東京へ向かっていて、そのうちの京都公演に私は立ち会うことができた。

平均年齢は30代前半くらいか、どのメンバーも、見た目はどこにでもいそうな、汚れたジーンズに大きめのシャツといった、そんなに目立ってオシャレだとかいう印象はなく、またグループだからといって特に統一感を出す様子もなく、共に笑うでもなく淡々としていて、むしろなんとなくただ居合わせたようなバラバラな感じがあった。

でも一度演奏が始まるとトランペットやサックスが中心になりジャズっぽい雰囲気も漂わせつつ、洪水のような音の束が川のように流れ出し、そこに埋もれる抽象的でカラフルな時間は、彼らの見た目からは意外なほどに心地がよかった。

その後、そのバンドのツアーのアテンドをしながら彼らの日本での生活を数日間見守ってきた男性が、

普段の彼らは全然まとまりが無くて、何度も解散しそうだな、って思ったよ

と言っていて、納得すると同時にむしろそこになんだか熱いものを感じてしまった。


共感するとか、理解し合うとか、そんなのは幻想でしかないし、あまり期待もしていない。そんな人がいたとしても、それはごく稀だと思う。

でも何かをやる上で気が合わずとも一瞬誰かと誰かがお互いの持つものが必要となるなら、
それはこのいくらでも一人で、自分の生き方を徹して生きていけてしまう社会において、他者と生きることを必要とできる/必要とされる、数少ない機会なのかもしれないと思った。

それはアートの力のひとつかもしれない。
制作を続けようと思った。


中国、台湾、韓国人の友達が増えてくると、わりと多くの人がイングリッシュネームを持っているなと思う。
これは、複雑な発音の名前を簡単に覚えてもらうためのとてもシンプルで合理的な工夫なのだけれど、自発的に縁もゆかりもない名前を自分につけるということに馴染みがなく、どうやってつけるのか、なぜその名前にしたのか、不思議に感じる部分もある。

なので台湾人に直接きいてみたら、本名との関連性は無い場合も多く、適当に自分できめることも多いと言っていた。そして90年代くらいに、海外との取引の増えた様々な企業が英語名を持つことを推進したことも話してくれた。

いずれにせよ、ポンッと簡単に「今日から僕はエリック」「私はマギー」といった具合に、全く異なる文化からやってきた名前になる瞬間を想像してみると興味深い。

*
名前と関連して思い出すのは、以前読んだ小説の中のある部分に以下のような部分があった。

…ねえ、みちこってどう書くの。「美智子よ」と従姉妹は教えてくれた。当然でしょう、と言わんばかりに。 「皇太子妃と同じだね」。そう言うと、ふふと笑った。えけいこもみちこも美智子妃殿下も、みんな名前だけで苗字を持たない。芸能人にもいる。苗字を捨てたり、最初から名前だけでデビューするひと。苗字がないって、つまり家を背負っていないということで、なんだかみていると、どこに所属しているのか、落ち着かなくって不安になる。単体の得るものであるというどこかしら残酷な感じが、名前だけの名前には漂っていて。…

この部分を読んで、自分がもしただの「聖子」だったら、と想像した。
どこか不安定な感じは否めない。
でも同時に何かいっきに解放されたような、清々しさのようなものも感じる。

*
新作のリサーチのために、日本植民地時代の台湾で、日本語で文学や詩を書いた人たちの色々作品を読んだ。
その中で日本人の名前を名乗る方が都合が良かった人も、
時の政権が変われば、あっという間にその名前を捨てざるをえなかったというその鮮やかなコントラストに、
何かに属す、ということがいかに水泡のごときものかということを思った。


私も SEIKO だけでいいのかもしれない。



もう何年も前だけど、
―聖子ちゃんの人生は、ロマンチックだよね 
と友達に言われたことがある。

その時は、なんでこの凹凸の無い日々にそんなことを思うのかよくわからなかったけど、
最近はほんの少しそうかもしれないと思う。


台南での生活も3週間が過ぎた。
昨日は朝から夕方まで少し大きなミーティングで、
終わったときにはみんなへとへとになっていたこともあり、
今同じ場所に滞在しているアーティストの台湾人のダダ、ブルガリア人のゴッシュ、アメリカ人のリン、そして私というメンバーで、街で夜ご飯を食べ、その後夜の公園でビールを飲んだ。

つたない英語で、たわいのない話をしながら、
スマホの天体観測のアプリを曇った夜空にかざして、見えない星座を観測したりして遊んだ。

昔、青森のレジデンスにいたときも同じように、
フィリピン人のアンジーがリンゴを焼いてくれたので、みんなで紅茶を持って、極寒の星空を見たことがある。

何の縁かわからないけれど、遠く離れた場所からここに集まり、別れ際に当たり前に「また明日。」と言って部屋に戻る。
みんな心に想う場所も人も全くちがうのだろうけど、少なくとも今ここに一緒に居るんだなと思う。
こういう瞬間が人生にあるということは、ロマンチックだと思う。


そんなことを酔っ払った頭で、少し感傷に浸りながら考えていたら、
台湾人のダダが、「Tonight is really good, 」というので、共感しかけたら、

「Because there is no mosquito.」と言った。

深くうなずいた。

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台南で出会う人や時間が、共通して持っている ほのかな柔らかさ のようなものが、
とても気になっている。

それをどういう風に形容したらいいのかをずっと考えていて、

お粥のようなやさしさ

という言葉に辿り着いた。

もちろんまだまだ彼らのことは知らないけれど、ちょっとした気づかいの中の感触や穏やかな時間の流れは、

乳白で
そろそろとしていて
ほどよく熱い。
決して派手ではないけれど、独自のポジションにある。


しかし、単なるの白飯のお粥というわけでもなく、
気を付けないと、梅干しの種に ゴリリ とあたる。

例えばこっちの炊飯器は、オンかオフくらいしかなく、
お米は15分も経たないうちに、ほいそれと炊いてしまう勢いを持っているし(つまり鍋で炊くのとほぼ変わらない)、南国らしい大きな葉を揺らすのどかな風景の中に、突如として立ち現れる寺院建築のスペクタクルな色や作りは、やはり少し異質に映る。人の集まる街の喧噪にも、どこか雑然としたものを感じる。

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もちろんそれをいいとか悪いと言いたいのではなく、
この「突如現れる異物混合感」が、台湾が経験した時間であり文化のでディテールであるように思えるのである。
(被植民地の歴史を持つメキシコでは、もはや異物感というよりは混ざりきっていたように思う。)



最近は、リサーチと称して、当てもなく夕涼みに自転車を走らせている。
スピードは景色に合わせて、早めたり遅めたりしている。

この前たまたま通りがかったところで、大勢の原付バイクが集まっているから何事かと思ったら、下校する中学生の子供たちを親御さんが迎えにきていたようだった。子供はそれぞれの親を見つけて、背中にしがみついてノンヘルで散っていった。
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いい風景だと思った。


この街で見る夕日はとても大きい。

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1年ほど前だったか、上野の国立科学博物館でラスコー展が開催されていて、それをある知人が必ず行くようにと勧めてくれた。
ラスコー壁画には色々な説があるけれど、その人は

「僕は、彼らは牛や鹿や馬を描いたのではなく、それらの霊を描いたんだと思うんだよね。」

と言っていて、その後なんとなくずっと、その言葉が頭の隅にあった。



台湾は台南市に来てちょうど今日で1週間。
なんだかんだバタバタとしつつも、滞在場所は大きな公園の中なので、目にする風景は柔らかい。

日差しが強く眩しがりの私は、日中はほぼ、目を細めていて、光の中の風景をうまく捉えることができない。
わずかに見るのは、ゆらゆらと木陰を拠り所に動く人々の、ゆっくりとした動作くらいで、
でもそれも、陽も傾き始めた頃、涼しさと共に少し活気を帯びるけれども、
その後すぐにやってくる闇のせいで、また彼らは見えなくなる。

幽霊か、幻を見ているような気分になる。
もちろん、それは彼らが死んでいるということを意味しているのではない。
生きている人を見て、そのままそれそのものが、霊に見える気がするのだ。

それは、もしかすると私にラスコー壁画を勧めてくれたその人の言わんとしていることと近いのかもしれない。


秋めいていた大阪からたった3時間の飛行にも関わらず、
季節が巻き戻ったように、じわりと暑く、まだ夏だと思う。

なのに、ここで出会った台湾人のアーティストは、「もう冬だよ。」と長袖のジャケットを羽織り、別の女性は、実のたわわになる文旦(グレープフルーツ)の木を見ながら「秋が来たね」と言った。

夏は暑いこと、冬は寒いことを指すもので、ずっと暑い国は、常夏の国というものかと思っていたけど、そうでもないようだ。






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