先日、縁あってとある海外からやってきた男性6人多国籍バンドのライブにいった。
どのようなルートかは知らないけれど、彼らはアジアのいくつかの国を回っていたようで、釜山から福岡に入り、いくつかの公演をこなしつつ、東京へ向かっていて、そのうちの京都公演に私は立ち会うことができた。
平均年齢は30代前半くらいか、どのメンバーも、見た目はどこにでもいそうな、汚れたジーンズに大きめのシャツといった、そんなに目立ってオシャレだとかいう印象はなく、またグループだからといって特に統一感を出す様子もなく、共に笑うでもなく淡々としていて、むしろなんとなくただ居合わせたようなバラバラな感じがあった。
でも一度演奏が始まるとトランペットやサックスが中心になりジャズっぽい雰囲気も漂わせつつ、洪水のような音の束が川のように流れ出し、そこに埋もれる抽象的でカラフルな時間は、彼らの見た目からは意外なほどに心地がよかった。
その後、そのバンドのツアーのアテンドをしながら彼らの日本での生活を数日間見守ってきた男性が、
普段の彼らは全然まとまりが無くて、何度も解散しそうだな、って思ったよ
と言っていて、納得すると同時にむしろそこになんだか熱いものを感じてしまった。
共感するとか、理解し合うとか、そんなのは幻想でしかないし、あまり期待もしていない。そんな人がいたとしても、それはごく稀だと思う。
でも何かをやる上で気が合わずとも一瞬誰かと誰かがお互いの持つものが必要となるなら、
それはこのいくらでも一人で、自分の生き方を徹して生きていけてしまう社会において、他者と生きることを必要とできる/必要とされる、数少ない機会なのかもしれないと思った。
それはアートの力のひとつかもしれない。
制作を続けようと思った。
どのようなルートかは知らないけれど、彼らはアジアのいくつかの国を回っていたようで、釜山から福岡に入り、いくつかの公演をこなしつつ、東京へ向かっていて、そのうちの京都公演に私は立ち会うことができた。
平均年齢は30代前半くらいか、どのメンバーも、見た目はどこにでもいそうな、汚れたジーンズに大きめのシャツといった、そんなに目立ってオシャレだとかいう印象はなく、またグループだからといって特に統一感を出す様子もなく、共に笑うでもなく淡々としていて、むしろなんとなくただ居合わせたようなバラバラな感じがあった。
でも一度演奏が始まるとトランペットやサックスが中心になりジャズっぽい雰囲気も漂わせつつ、洪水のような音の束が川のように流れ出し、そこに埋もれる抽象的でカラフルな時間は、彼らの見た目からは意外なほどに心地がよかった。
その後、そのバンドのツアーのアテンドをしながら彼らの日本での生活を数日間見守ってきた男性が、
普段の彼らは全然まとまりが無くて、何度も解散しそうだな、って思ったよ
と言っていて、納得すると同時にむしろそこになんだか熱いものを感じてしまった。
共感するとか、理解し合うとか、そんなのは幻想でしかないし、あまり期待もしていない。そんな人がいたとしても、それはごく稀だと思う。
でも何かをやる上で気が合わずとも一瞬誰かと誰かがお互いの持つものが必要となるなら、
それはこのいくらでも一人で、自分の生き方を徹して生きていけてしまう社会において、他者と生きることを必要とできる/必要とされる、数少ない機会なのかもしれないと思った。
それはアートの力のひとつかもしれない。
制作を続けようと思った。