2020年05月12日

英国人記者が見抜いた戦後史の正体 (SB新書) (日本語) 新書

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書店で見つけました。読みやすく分かりやすく、とてもいい本です。

ウィキペディア(Wikipedia)より
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ヘンリー・スコット・ストークスHenry Scott Stokes1938年6月15日 - )は、イギリス出身のジャーナリスト。元ニューヨーク・タイムズ東京支局長。

妻は日本人で、息子はタレントハリー杉山

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seimeinojissoh at 10:55|PermalinkComments(0)憂国 

2020年05月11日

【ニコニコ動画】「龍宮住吉本宮」造成 記録映像

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seimeinojissoh at 23:19|PermalinkComments(0)谷口雅春先生 

《正師に巡り会い、導かれた幸せに感謝しつつ 》 北尾巳代次

引用元

《正師に巡り会い、導かれた幸せに感謝しつつ 》

            *『生長の家』(昭和56年11月号)より
             ~生長の家奈良県教化部長  北尾 巳代次


人の一生は正師に巡り会うか否かによって、その幸不幸が決まる、と謂われます。 

思えば、昭和15年、健康に自信を失い、家庭的にも、経済的にも、
悶々たる日々の中で、私は縁あって、奇しくも医師である 長井運男先生 の薦めにより、
不朽の名著 『生命の實相』 を拝読する機会を与えられたのであります。

それまでの私は、神とは如何なるものかを理解せずに理屈をこね、
神社仏閣を訪れることがありましても、只形式的に頭を下げるだけの
無神論者、御霊魂論者に過ぎなかったのであります。 

併し 『生命の實相』 を拝読するに従い、神は普遍的存在であるのみならず
吾が内に在り、自己の内なる生命が神であることを識らされ、
正しい信仰に目覚めさせて頂いたのであります。

 
尊師 谷口雅春先生は、 
『神の真義とその理解』 の中で、次のように教えて下さっています。

『「われに姿かたちあるようにいう者あれども、われは姿なきものである」 

と宣言し給える、絶対者としての神もあり、森羅万象の中に、
その姿をあらわしてい給う普遍的存在なる神もある。 

その普遍的存在たる実相を媒介して、人間は神と霊交し、森羅万象の生命と互に交通する、
その霊的交通によって、われわれは森羅万象に向って話しかけ、
意のままに楽園の天国を地上に建設することが出来るのである。 

絶対者としての神は無言でわれわれに話しかけ給う。 

しかし顕現者としての神は、聞える声で話しかけ給う。 
顕現者としての神と吾々は交通し得たとき、神は吾々の “天の父” ともなって
人格的な神との交通が得られるのである。 

その人格的な神との接触を、具体的に実現するために、神社や拝殿を造営して、
神との人格的接触の “場” とすることも出来る。 

その造営に必要な布施又は荘厳供養の実践によって、
人間は “愛” というものを生活の具体的営みの中に体験し霊魂が進歩し向上するのである』


神への正しい理解は、私の人生観に大きな革命をもたらしました。 
健康は日毎に回復し、事業の方も順調に延び始めました。 
愚痴や小言の多かった私の家庭に悦びが出てきたのです。

当時私の妹は開放性結核で寝込んでいました。 
幼児を抱えて、感染するかも知れぬという不安が、一家を暗くしていたのです。 
しかし私は、吾が家庭が、吾が家族の全てが愛に満たされるなら、
人間を傷つける黴菌もなければ病気も存在しないのであるという真理を、
素直に信じさせて頂いたのです。 

すると間もなく半年は保つまいといわれていた妹の病気は奇蹟的に回復したのでした。

私は谷口雅春先生の御講習会に参加させて頂き、秘かにこう誓いました。  
「先生、この御恩は必ずお返し致します。 
何時の日か、全ての仕事を棄てて、この偉大な真理の普及に、
光明化運動に、全身を捧げさせて頂きます」

妹はそれから約1年半、郡山町役場に勤めさせて頂いたのですが
残念ながら終戦の年の暮れ、再発し昇天しました。 
定められた寿命だったのでしょう。 

しかし、この貴重な体験を通して、私は結核は無いという信念に基い
て沢山の結核患者を導かせて頂く機会を得たのでした。

大東亜戦争に突入した昭和18年12月8日、
当時片桐村の村長代行を止めて、町内会のお世話をしていました父が、 
「大変なことになったぞ、しっかりせにゃいかん」 と言いながら、
町内の組長さんを一周して自宅に帰るや、
中風の発作を起して崩れるように倒れてしまいました。

開戦は余程のショックを父に与えたのでしょう。 
その後半身不随で約7ヶ月寝込むことになったのです。 

始めは懸命に続けさせて頂いた 神想観 も、次第におざなりになって、
父が畳や衣類を大便で汚す度に不足を並べる私になってきました。 

平野初造先生 に来て頂き個人指導も再三受けましたが、
病人に聞かせようという心ばかりで、 “衆生病むが故に吾れ病む” と説かれた
維摩の心は、私達の全てから失われていました。

そんな時、大きな鉄槌が下りました。 
2階で寝んでいた父の部屋で、突然大きな音がしたのです。 
驚いて駆け上ってみると、半身不随の父が、床の間の日本刀を握って、仰向けに倒れている。

「どうしたんです?」  咎めるような眼で父に向うと、

「巳代次、お前は薄情な奴やな」  と言って泣かれたのでした。

私は突然脳天を一撃せられたような感に襲われました。 
これが生長の家を信じている自分の姿であろうか。 
父のよくならないのは、私自身の薄情な心からではないのか。 

私の目から涙が迸り、私はその場にひれ伏してしましました。 

私は真剣に谷口先生の書物を読みかえしました。 
大便に汚れながら父の看病に専念させて頂きました。 
すると父の病気は目に見えて回復し、その後13年間、元気で長生きをしてくれました。 

もしこの尊い真理に触れていなければ私は日本一の親不孝者になっていたでしょう。 
私は懺悔の心で、このことを 『幸せは今ここに』 の中に書かせて頂いたのです。


この拙著を読まれた愛媛県の講師副会長の木下さんから、
次のような悦びのお手紙を頂きました。

『私も生長の家の講師をしながら、2度の脳血栓の発作で、全身不随となった家内を、
只薄情に見ていたのです。 ところが先般 「幸せは今ここに」 の御本を読ませて頂き、
先生のお父様のお話を読ませて頂き、私の家内の病気が治らないのは、
北尾先生のお父さんの心と同じなんだな。 

私が薄情なんだ。 
私の 「生命の實相」 の理解が足りないんだ、と感じさせて頂き、
改めて 「生命の實相」 を熟読、誠心をこめて看護につとめさせて頂いた結果、
植物人間とまでいわれた家内の全身不随が治ってしまいました』

 
生長の家の真理は到る処で光彩を放っています。 
誌友会も年毎に拡大し、多くの救われた人々の集いは悦びに満たされています。


尊師は古都奈良を限りなく愛して下さり、千人余りの小さな集会にも拘らず、
毎年御講習会にお顔を見せて下さいました。 

会場は何時も奈良公会堂で、中食の時は芝生の上に筵を敷き、
先生を中心として会食致しましたが、先生は幕の内のお弁当の中から、
お惣菜を一つ一つ撮んで、傍らの白鳩の皆様のお弁当の中に入れて下さるのでした。 
皆様は大悦びでしたが、お惣菜はみるみるうちに先生のお弁当の中から無くなって、
先生はお漬物だけでお召し上がりになることもあったのです。 

その賑やかさに、近県の招待者が羨ましがって  
「奈良はいいな!」  とよく仰言ったものです。 

宿舎をなるべく静かなところにと、公園内に選ばせて頂いたら、 
「夕べが鹿が鳴いて眠れなかったよ」  と話される言葉に、
冷汗を流してお詫びを申上げたこともありました。

確か昭和35年のことだった記憶しますが、初めて大和郡山市で御講習会が開かれ、
徳久先生にお願いして、厚顔しく私の茅家に宿泊して頂きましたが、
仕出し屋の食事より白鳩の皆様がお造りになった漬物の類を、
5種類も6種類もおいしい、おいしいと沢山召上って頂き、
接待に出た方が、涙をこぼして喜んでいたのが印象的でした。

その翌朝、私は大変な失敗を仕出かすはめとなりました。 
約束してあったタクシーが中々来ないのです。 
列車の時間が迫っている。 

やむなく誌友の警察署長さんにお願いし、
ジープを廻して下さったまではよかったのですが、
御乗車を頂いたそのジープの屋根に先生は頭を打ちつけられたのでした。

「あっ、申訳ないことをした」  と恐縮する私に、 

「ジープは乗りにくいね。 僕はジープはこれで2度目だよ」  と、
ニッコリお笑い下さった姿が、今も瞼の底に残って消えません。 

失敗をしても、咎めるコトバもお出しにならない深い愛に感動したことが忘れられません。

 
また、何時でしたか、私の家内が神経痛か何かで悩んでいた際、お帰りになる先生に  

「先生、私、胸が痛いのです。 掌を握らせて下さい」  と厚顔しく申上げたら、

先生は優しく家内の手を握って下さって、  

「病気は有りませんよ」  

と仰言って下さったのです。 

家内の神経痛はそれきり癒ってしましました。

 
これもいつのことでしたか、奈良の講習会で、尾道から受講された夫婦の方があって、
先生の宿まで押しかけてこられて、こう言われるのです。

「私、一度先生に脱疽を助けて頂いたんです。 今子宮癌で困っているのです。 
一目先生にお目に掛って教えて頂きたいのです」

1時間も廊下に坐って動きませんので、食事の時先生に申上げたら、
直ぐ連れていらっしゃい、と特別にお赦しを頂いて、お部屋に御案内を致しました。

その方は、くどくどと病気のことを説明していられましたが、暫くして、先生は優しく、

「病気は無いのですよ。 無いのものは切れませんね。 
でも貴女が切って貰いたいのなら、切ってもいいんですよ。 
これは貴女が決めることですよ」  とお諭しになりました。

この方は、御講習会の後、元気に、 
「昨夜は出血も腹痛も無くゆっくり寝ませて頂きました。 
これから、もう1度新婚旅行をやり直します。 先生に宜敷く御礼を申上げて下さい」  
と私に挨拶をして去っていかれました。


10年程前、谷口雅春先生から、 “観音さまを讃える講習会” と名付けられて、
御講習会が開かれたことがありました。 

私は 誌友の方々と偕々に、十一面観音さまを御本尊とする二月堂に参詣させて頂きました。 

その折り、大仏殿の裏から二月堂の方に先生を御案内申上げますと、
朽ちた土壁や池の畔で鹿が草を食む風景に、幾度か足を止められて

「北尾さん、此処に奈良があったね」

と暫く見とれておられました。 

私はこの道を選ばせて頂いたことを、とても嬉しく感じました。 

二月堂には約百段近い階段があります。 
先生は飄々と2段宛お上りになりましたが、当時は80歳近いお歳で尚、
おみ足は矍鑠としていらっしゃいました。


此処数年、先生のおみ脚は衰えをみせてこられましたが、
当時のあのお姿を憶い、感無量でございます。 人

類のため、時に日本国実相顕現のため両脚を捧げきって頂いたと思えば、
勿体なくも有難い極みであります。

「若い者はいいね」

と代表者会議で、しみじみと仰言いましたが、
あのお言葉の奥にある先生の御心境を想う時、

弱られた先生の御足となって、歩いて歩いて、日本はおろか、世界の隅々まで、
人類光明化、日本国実相顕現のために、全信徒総立ちとなって、
全身全霊を捧げさせて頂こうではありませんか。


seimeinojissoh at 22:43|PermalinkComments(0)谷口雅春先生 

【ニコニコ動画】谷口雅春先生にお仕(つか)えして 鎌田久子先生

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鎌田先生、4歳のころからお母さんのとっていた生長の家の6誌を読んでおられたそうです。いやあ、面白いお話が、、、、

【ニコニコ動画】生長の家 50年のあゆみ 後半

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