禊祓祝詞(みそぎはらいのりと)講義 ③「無限供給について」~小嶋博講師

二〇一二年一一月四日

禊祓祝詞(みそぎはらいのりと)講義 ④ (最終回)


第二十話(通算第428話) 




開祖・谷口雅春先生講義


禊祓祝詞(みそぎはらいのりと)講義 ④

(最終回)



「大海原(おおわだのはら)に持出(もちいで)なむ。如此持出往(かくもちいでいな)ば荒塩の塩の八百道(やおじ)の八塩道(やしおじ)の塩の八百会(やおあい)に坐(ま)す、速開津比咩(はやあきつひめ)と云神(いうかみ)」

此の「速開津比咩(はやあきつひめ)」という神様が、海の浄化の神様になっておるのです。どんなものでも、口を開いて呵々(かか)として呑んでしまうのです。だから、大祓祝詞には、

「速開津比咩(はやあきつひめ)」と云ふ神 持可々(もちかか)呑(のみ)てむ」

と、ぐーっとこう呑んでしまうと書かれているのであります。こうして大海が一切の不浄物を呑み込んでしまうと、どうなるかと言うと、大祓祝詞には、

「如此可々(かくかか)呑(のみ)ては気吹戸主(いぶきどぬし)と云う神 根之国底之国(ねのくにそこのくに)に気吹(いぶき)放てむ」

とあります。之(これ)は風の神の働きを言ったのであります。此の「気吹戸主神様(いぶきどぬしのかみさま)のおん働きが大切であります。大自然の力・台風みたいな働きを人格的に拝して「気吹戸主神様(いぶきどぬしのかみさま)」と申上げたのです。海上や山間にああいう台風のような風が吹かなんだら、地上の不浄物は一網打尽的に海へ流れないし、又いくら海へ流れ込んだとて、完全に浄化しないのであります。ああやって、ザーザーと、風の働きによって波を立てて吾々が地上でつくった汚(けが)れを浄化して下さるのであります。

そうするとどんな汚い物でもきれいなものに変化してしまう。その浄化するというのは、どこへその汚物をやるから浄化できるのであるかといいますと、「根の国底の国に気吹(いぶき)放(はなち)てむ」とあります。

「根の国、底の国」というのは、事物の生ずる「根底の国」即ち「實相の国」のことをいうのであります。「實相の国」にはどんな汚れもない、それは「光ばかりの国」でありますから、「光ばかりの国」へ、暗の「気枯(けがれ)」を追いやったら、暗は自然に消えてしまうのであります。


わたし達が春秋の大掃除の時に、畳を叩いてホコリを落とすと、濛々(もうもう)としてホコリが立ちのぼる。ところが、何時の間にか大気がきれいに澄み切ってその埃(ほこり)が無くなってしまっているのであります。あれは気吹戸主神(いぶきどぬしのかみ)のおん働きによって根の国底の国――實相世界――へ追いやられて浄化されてしまう。

科学的に言えば、いろいろな物理化学的現象によってそれが浄化されるのですが、その働きの根元は實相世界からきている。實相の世界にはどんな埃も無い。現象の世界には埃がある。そこで實相の世界へ気吹(いぶき)放ってしまうと、現象世界の汚れが浄化されるのであります。どうして浄化されるかというと、大祓祝詞には、

「根の国底の国に坐(ま)す速佐須良比咩(はやさすらひめ)と云(いう)神持(かみもち)佐須良比(さすらひ)失(うしなひ)てむ」

とあります。速佐須良比咩命(はやさすらひめのみこと)という。“霊的波動”のはたらきによるのであります。この速佐須良比咩神という神様のお働きを分かりやすく言うと、擦(さす)る神様です。大宇宙をマッサージする神様です。皆さんでも、肩が凝ったと言うときには、其処に心の埃(ほこり)が溜(たま)っている、換言すれば、其処に心の執着や焦(あせ)りのストレスが出来ているのであります。

その時に、按摩(あんま)をして貰(もら)うと、その凝(こ)りがとれて、気持がよくなる。気持がよくなるのは浄化されたのであります。按摩は擦る働き、即ち速佐須良比咩神様の一つのお働きで、それで気持が良くなるのであります。さすれば、實相の正しい血液循環のそのままの姿というものが、其処に現われて来て、凝りや病気が消えるという事になるのであります。

これは、人間界の出来事に喩え(たとえ)をもって来て分かりやすく云っているのでありますが、大自然界に於いても、ああいう具合に台風が吹くのも、或る意味から言うと宇宙浄化の働きであります。だから吾々の心が濁(にご)ると、それだけ余計浄化せねばならんから余計台風が吹くという事になるのであります。

あの台風に依って、人間のつくった心及び物の汚いものが皆浄化されて、清らかに澄み切った世界が出て来るので、吾々の心が、浄化を要しない位に浄まらないと、毎年一回や三回位は速佐須良比咩命(はやさすらひめのみこと)に台風を起して擦(さす)って貰わんと、一度に溜めておいて浄化するとなると、それこそ大変、地球の滅亡にもなりかねないのであります。



新派の柳英二郎という訳者がありましたでしょう。あの柳さんの奥さんが、何時も肩が凝るという持病があったというのです。その頃、今は福岡にいられる真澄静子さんが生長の家の誌友で東京におられた。

その人が指圧療法の先生でありまして、まだ生長の家の誌友になる前に、肩を凝らしている新派の俳優の所へ指圧の治療に行くようにしていられた。その真澄静子さんが毎月一、二回は柳英二郎さんの奥さんのところへ指圧治療に行くのでした。

何時も指圧しているとその人の肩が凝っているか凝っていないかという事は一寸(ちょっと)手を当てると、もうすぐに分かるのでした。ところが、或る日、真澄静子さんが行って、柳夫人の肩に手を当てると、何時も凝って固くなっている肩の筋肉が凝っていないで、柔らかなのです。

ハッと気付いた真澄静子さんが、「貴女、悟ったですねえ」とこう言われた。「貴女何か心に悟った事あるでしょう」。そうしたら柳夫人が、「実は生長の家の本を読んだのです」という。

「生長の家の本ってそんな好(よ)い本ですか」というわけで、それから真澄静子さんが生長の家に入って勉強し、地方講師になり、熱心に生長の家の教えを人々に伝えられるようになったのであります。

心が穏やかになり平静になって、實相に調和した心境になったら肩が凝らんのであります。地球だって本来生き物でありますから矢張り肩が凝るのですよ。地球には肩がないけれども、地殻の一部にストレスを生ずる、それは肩が凝るのと同じことだ。そうすると色々な現象が出て来る。たとえば噴火山が爆発するのは、あれは地殻の内部圧力が不平均だから爆発する処が出来るのでしょう。

また地震が起こるのは地殻内部の圧力の不平均を均(なら)す働きでありましょう。地球をとりまく雰囲気である大気中にも又気圧の不平均というものも起ってくる、これらは地球のストレス即ち肩が凝っているのであります。

その気圧の不平均というものを均(なら)す働きというものがさあっと起こって来るのが台風であります。普段にも少しづつ風も吹いているし、波も起っているのですが、あれは速佐須良比咩(はやさすらひめ)のサスル働きによって、地球のストレスが始終少しずつ浄化して行きつつあるのであります。

しかし徐々に浄化が行われるだけでは足らんものですから、時々、もっとひどい浄化作用がやってくる事があるわけです。地球だって人間だって生き物でありますから良く似ているのです。人間も夏になったら汗が出るでしょう、冬になったら皮膚が乾いてカサカサになる。地球だってそうなんです。夏近くなったらじめじめとした雨季が来、台風をともなう大雨が来て諸方に洪水が起って来たりします。

人間が夏季になると発汗作用が起るように、夏季には地球の水分が表面へ出て来るのです。処が冬になると、人間の皮膚の発汗作用が減退して来るのと同じように、地球も汗をかかんようになり渇水期というのを迎えます。汗をかくというのは生きている証拠でありますが、夏でも心境を涼しくしておったら、やっぱり涼しい感じがして汗をかかん人もあります。

ところで地球の生命と人間の生命とは互いに連関しておりますので地球上に住んでいる人類全体が、汗をかかんような焦(あせ)らない、静かな、平和な、心境になっておったら、そういう天災地変というものも減って来るという事になる。

天災地変と言うけれど、雨が降るのは瀬織津比咩命(せおりつひめのみこと)の御働きであり、地震や火山爆発は速佐須良比咩(はやさすらひめ)の御働きであって、宇宙を浄化し地球を浄化しているのであります。若し宇宙にこういう浄化の働きがなかったら、私たちがうんこでも流したのが、いつまでもその辺に浮いておって、もう汚くて汚くて、海水浴なんてできない事になるけれども、それをちゃんと速佐須良比咩命(はやさすらひめのみこと)が擦(さす)ってくれて波を起して、「可々(かか)呑(の)みてむ」というわけで不浄物を「無」の世界に皆呑み込んでくれるものですから、どんな不浄物を海に流しても浄化してしまうわけであります。

風呂へ入って皮膚の表面を擦(こす)ると垢(あか)がとれる。それと同じことが宇宙にもおこなわれる。此の宇宙浄化の働きを神格化して、祓戸四柱の神として、日本神道ではこれに礼拝し感謝するのであります。それで、


「祓戸(はらいど)の大神等(おおかみたち)諸々(もろもろ)の枉事(まがこと)罪穢れ(つみけがれ)を祓給(はらいたま)へ清給(きよめたま)へと申す事の由(よし)を、天津神(あまつかみ)国津神(くにつかみ)八百万(やおよろづ)の神等(かみたち)共に天班駒(あめのふちこま)の耳振立(ふりたて)て聞召(きこしめせ)と畏(かしこ)み畏(かしこ)みも白(まを)す」


天班駒(あめのふちこま)というのは、『古事記』に、須佐之男命(すさのおのみこと)が天班駒を逆剥(さかはぎ)に剥(は)いで、天照大神が機(はた)を織っておられた所へ投げ込んだという事が書かれているのであります。

此の天班駒(あめのふちこま)というのは、天之“まだらうま”ということで、これは“時間”の象徴であります。あのガソリンに「ペガサス・ガソリン」というのがあるでしょう。あのペガサスというのが天を翔(かけ)る馬であって、商標を見ると、馬に翼(つばさ)がついているでしょう。あれが天の班駒(あめのふちこま)です。

“班”(ふち)というのは、白と黒との“ぶち”のことで、これは、“昼”と“夜”とを表わしているわけです。“昼”と“夜”との交代によって幾日経過したかと分る時間の事なんです。「天馬空を翔る」とか「白駒(はくく)の隙(げき)を過ぎるが如し」――白い駒が隙間(すきま)を過ぎる様だ」――と言って時間を馬に譬(たと)える語句があります。

このように支那の喩(たとえ)にも、「時間」を「駒」に譬えているのであります。此の世界を浄化するためには或る時間が要る。あまり急いだらいかん。あまり急激に変革しようとして急いだらそれだけ余計激しい変動が起こらなければならないから、悲惨が一層拡大するのであります。だから徐々に時間の経過をとおして変化させて行く。これが「天の班駒(あめのふちこま)の耳振りたてて」であります。

病気でも早く癒(なお)る時には“ケミカライゼーション”即ち“迷いの自壊作用”というものが起って、今まで慢性の病気であったのが急激に急性の病気になったりして、一時的にはひどくなってそれで却(かえ)って快(よ)くなるということがある。或は此の社会でも良くしようと思ったら、革命というような、激しい事が起ってから、それで善くなるということがある。

中共みたいにわずか数年の間に社会革命を起して封建制度の世界から、共産制度の世界を造り上げたというような場合には、あのために一千万人程度の人が粛清されて殺されたということですね。あんな大きな問題は、それ程の大自壊作用を急激に起すことによってのみ、急速によくなるのであります。

だからどうしても此の世界を良くしようと思ったら、時間を経(へ)なければならない。それで「祓ひ給へ清め給へ」と御祈り申上げたならば、天の神、地の神、八百万の神様がみんな一緒になって時間をかけて天地の浄化を徐々にやって頂くように「天班駒(あめのふちこま)の耳振りたてて聞召(きこしめ)せ」と祈るのであります。

それは、時間の経過を経なければならないから、「天班駒の耳振りたてて」聞いて下さいという表面の意味で、「聞召せ」と書いてあるけれども、耳で聞くだけではないんです。大体この世界の一切のものは言葉で出来ておりますから、「物を動かす」ことをみんな「聞く」という語で表現することがあるのです。

たとえば、目で見るんだったら、あの人は「目きき」である、「目ききが鋭い」などと言います。此の世界は言葉で出来ているんですから、鼻でそれを知る場合にも、「あの人は鼻が良くきく」というのです。また「香をきく」とも言う。舌が物を言う場合には、「あの人は口ききじゃ」と言う。「味わう」ことを「味をきく」とも言いますね。また腕で実効するのに巧みな人を「あれは腕ききだ」と言う。「手はきかぬが、足はきく」ということばもある。兎も角みな実行する事を「きく」と言うのです。

是は此の世界の凡てのものはことばに依(よ)ってつくられているからそれに反応を示すことをすべて「聞く」というのであります。それで「天津神国津神八百万の神等共に天班駒の耳振りたてて聞召せ」と、私たちは、時間の経過をとおして、どうぞ徐々に、あまり激しい自壊作用なしに、此の世界を光明化して、浄化して下さいませ、とこういう風に祈り申上げる言葉が禊祓の祝詞なのであります。これで禊祓いの祝詞は終っているのであります。



平成24年5月27日発信



本当の「生長の家」を伝え遺す信徒連合・作成

seimeinojissoh at 00:36│Comments(0)谷口雅春先生 

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