2013年04月

2013年04月03日

カタコトン、カタコトン。
其の列車はさながら文明的な揺り籠の如く進む訳だが、辛うじて薄目を開ければ、扉の片隅に紺の風呂敷包みがアッタ。
どこから持ち主の手を離れ旅をしてきた物なのか、皆目見当がつかない。
いざ、届けなくては、と蒲公英の綿のごときちひさな正義感が芽生え、風呂敷に薄く墨で書かれた住所から、地図を須磨帆で検索しようとする。
「落とし主の在処は、網喫茶で見ようぞ。」
横から聞き慣れた声がした。丸い頭に田森のサングラス、楽隊仲間の樽兵衛でアル。彼は何故か、我をネットカフェに誘っている。恐らくは、目の悪い彼は、スマートフォンではなく、PC の大画面で地図を見たいのである。
落とし主の居場所を定める為だけに、駅で降りてわざわざ網喫茶に行く事に若干の疑問を覚えたものの、固より自らの沽券に関わることを除いては無頓着な性分、とりあえず頷き網喫茶に入りては、軟らかな椅子に仲好く二人並んで座る。

気が付くと二、三刻過ぎていたろうか、薄目を開ければ柔らかな椅子で、隣に座っていた樽は、いつの間にか黒髪のうつくしき女とかわりて、美術館の片隅で我が肩にしんなりともたれている。ここはネカフェではなかったか、かの包みは何処へなどと、ちらと脳裏をよぎったかも知れないが、もはやそんなことは枝葉末節で、目下のほんのり甘い空気に酔い痴れる。
「茶屋でも行くかい?」
女はゆっくり瞼を開けて、湿った瞳でこくりと頷く。程無くして見つけた小洒落たカフェに入り、粉雪に染まる小枝のやうな洋菓子を始め、紅茶の友として数個の菓子を注文する。すらり背の高い学生風の店員が口を開く。
「本日、当店自慢の具入りのおにぎりのサービスデイとなって居ますが、お付けしますか?」
お洒落カフェに握り飯、若干の疑念が灯ったものの、ミスマッチを楽しむ余裕を試されていると勝手読みして、
「左様ですか、誠に有難う御座いまする。」
ポンポンと十個もトレーにのせられ、これは有難いが食べきれなかったら持ち帰りかなどと考えていたら、なぜか爽やか店員、手を止めて混迷の表情を浮かべている。
「やはり、三個でいいでしょうか。」
申し訳なさそうに、其の青年は云った。
「何故?」
握り飯に執着は無いが、思わず反射的に聞き返す。
「普段やってないんで。」
理由になっているかは不明じゃが、なんだか今度は器を試されている気がして、
「そういうことなら構いませぬ。」
会計を済ませ席につき、漸く食べられると思ったら、件の店員が上目遣いで近付いてきて、言う。
「すみません、やはりおにぎりのサービスは一個でよろしいでしょうか。」
言い終わらぬ内に、二つの握り飯を別トレーに回収する。訳が解らぬ。流石に驚いて、反射的に聞き返す。
「何故?」
若者はキッとした表情で答えた。
「友達じゃないんで。」
緊張が走る。視線がぶつかる。彼は澄み切った眼をしていて、悪意が微塵も感じられない。
「知人限定の、サービスとなっております。」
淡々と、先の言葉に補足した。又も器を試されているのかもしれない。しかし、残念な事に其の器の水は、もはやドクドクと音を立てて、我が内奥に溢れていた。
「だったら最初から、言うなよ。いくら何でも、あんまりだ。」
微妙なタイミングで自軍の選手をタッチアウトにされた野球監督が審判に迫るかのやうに、手を拡げて大袈裟に抗議する自分がいた。
客観的には、本来貰えなかった筈の特製握りを一個貰えるだけでも儲かっている。麗人と半分個、其れで十二分な筈だ。しかし実際、人は心の生き物であり、実利は必ずしも幸せに直結しない。好況でも期待や尊厳が踏みにじられると、しばしば耐え難く感じる、其れが人間だ。
兎も角。店員は答えた。
「失礼しました。では、いくつをご希望ですか。」
「好きな数でいい。」
握り飯など目を向けずに、吐き捨てるように云った。
その後、途中壊れそうな吊り橋を渡ったりしながらも、どうにか車を走らせて帰城し、蒲団に吸い込まれるやうに寝た。

朝、起きたら九時半だった。奉公に遅刻だと焦る。
「昨日いろいろあって疲れたのでしょう。」
母が静かに言う。さういえば、色々あったなと振り返る。
また、襖の奥から師匠が着物姿で現れて、淡々と仰る。
「昨日あれだけの将棋を指せば疲れたでしょう。」
さういえば、昨日昼間、二百手越えの将棋を、鋼の精神を宿した翁と道場で指した気がする。
兎も角。目下の問題は遅刻であり、転勤したばかりの職場で重役出勤は大層気が引けるのだが、そんな中で胃が唸る。腹が減っては戦はできぬとばかり昨日持ち帰った手提げを覗けば、握り飯が沢山入っている。ひいふうみい、と数えたら十個あった。アノ店員、十個くれたのか。
「御飯ができたわよ。」
母が御盆に乗せてきたものを見て、目を見張る。握り飯のオンパレード。大名行列。リオのカーニバル。
余りの光景に目が眩み、意識が遠のいて目が覚めた。



seinosin1 at 23:45|PermalinkComments(0)TrackBack(0)
Archives