THE正論 ~「正論」編集部の彷徨記

日本を想い、日本を愛する―。オピニオン誌の最前線を彷徨する雑誌「正論」編集部員が本音を綴ります。

雑誌「正論」は1973年10月1日に誕生しました。雑誌「正論」は何を訴えているのか。その答えとなるのが、創刊第4号に文芸評論家の佐伯彰一氏が寄せた「国民とは何か―定義するための覚書」の一節です。「一体『国民』とは何か。/ぼくなりの定義としては、時間的なタテ軸を、歴史的、文化的な連続性をまず強調したい。・・・途切れざる連続性にこそ、日本の文化、文学の特質があり、日本人の精神生活の際立った特徴をなしている」。日本という国を拓き発展させてきた父祖に感謝し、敬い、その偉業を学んで子孫に責任を持って伝えていく役割を国民一人ひとりが意識すること。この「時間的なタテ軸と連続性」を意識することは、保守の根本的な立場です。弊誌は、この「時間的なタテ軸の連続性」を意識する立場を編集方針の「定義」として守り続け、これからも「国民」と共に、歴史をめぐる闘いの最前線に立ち続けたいと思います。

 別冊正論36号『尖閣絶体絶命』をつくるにあたって、何人か外せないキーマンがいた。特に登場願いたかったのが、2012年に沖合の船から未明に泳いで秘かに魚釣島へ上陸し、さらには崖の上に日の丸を掲げた元海自の特殊部隊員、伊藤祐靖氏だ。別冊には上陸時の手記と5年後の手記に加え、今回書き下ろし原稿の計3本を収録することとなった。

 このたび原稿をいただくにあたって、静岡県内某所(詳しくは別冊収録の「尖閣に日の丸を掲げてから5年…」参照)へ打ち合わせに行ってきた。伊藤氏といえば昨年、新潮社から小説『邦人奪還』を刊行している。これは文字通り、北朝鮮に拉致された日本人を奪還するという話なのだが、小説の第1章でなぜか海自の特殊部隊が尖魚釣島に上陸し、敵の部隊を海に追い落とすという戦いが描かれている。

 一体なぜ作中で特殊部隊を尖閣に上陸させたのかを知りたかったのだが「それはオフレコだ」とのこと。どうやら〝敵〟に手の内を見せるわけにはいかない、ということのようだ。改めて同書を読み返してみると、相手部隊が尖閣に上陸した目的を分析する場面など、いろいろと考えさせられることが多い。

 ところで伊藤氏は「尖閣を取るぞ」
とばかりに着々と手を打っているように見える中国の動きを「一種の陽動作戦ではないか」とみる。別冊の中では、楊海英先生も似たような見方を披露している。中国当局も当然、この別冊を入手して日本側の備えを分析し、新たな手を打ってくることだろう。油断もスキもない国家への備えに万全を期したい。(編集部・溝上健良)


フジサンケイグループは、正論大賞の選考委員会を開き、今年の正論大賞および各賞を以下の通りに決めました。正論大賞は、フジサンケイグループの基本理念「自由と民主主義のために闘う正論路線」を発展させた個人に贈られる年間賞です。正論新風賞は新進気鋭の言論人に、正論大賞特別賞は同グループの活動に顕著な貢献のあった個人や団体に贈られます。


第36回正論大賞
安全保障問題専門家 国連安保理北朝鮮制裁委員会専門家パネル元委員 古川勝久氏(54)


第21回正論新風賞
作家 竹田恒泰氏(45)


1、受賞理由
 古川氏は、北朝鮮によるミサイル開発や核関連物資密輸入の問題に警鐘を鳴らしてきた。特に、2013年にフジテレビの鴨下ひろみ北京支局長(当時)と撮影班がスクープした国連安保理制裁対象の北朝鮮の軍事関連企業を追跡。この企業が中国で活動を続け、北朝鮮の兵器関連非合法ネットワークの要に成長したことを突き止め、詳報した。  日本から北朝鮮へ、昨年だけでも3億円以上の現金が「合法的」に持ち出され、北朝鮮のミサイル開発を日本と中国が支えている実態を浮き彫りにした。一連の地道な報告は正論大賞にふさわしいとされた。  竹田氏は、明治天皇、北白川宮能久親王の玄孫にあたる特別な立場から安定的な皇位継承の重要性を解説。母方が天皇の血筋を引く「女系天皇」は2千年の歴史で一度もないと警鐘を鳴らし、皇統を未来へつなぐ諸提案が超党派の保守系議員の提言に盛り込まれるなど、論壇に新風を吹き込む姿勢が評価された。


2、贈賞

正論大賞正賞=ブロンズ彫刻「飛翔」(御正進氏制作)、副賞=賞金100万円

正論新風賞正賞=同「ソナチネ」(小堤良一氏制作)、副賞=同50万円

※令和3(2021)年3月、東京都内のホテルで贈呈式を開催予定



3、受賞者略歴

古川勝久〈ふるかわ・かつひさ〉 1966(昭和41)年、シンガポール生まれ。慶応義塾大学経済学部卒業後、米ハーバード大学ケネディ政治行政大学院修士号(国際関係論・安全保障政策)、政策研究大学院大学博士号(安全保障政策)。平成維新の会・大前研一事務所勤務。1998~99年、米アメリカンエンタープライズ研究所アジア研究部勤務を経て、2000年から米国外交問題評議会アジア安全保障部研究員、2001年よりモントレー国際問題研究所研究員。2004~2011年、科学技術振興機構社会技術研究開発センター主任研究員。2011~2016年、国連安全保障理事会・北朝鮮制裁委員会(1718委員会)専門家パネル委員を務める。産経新聞「正論」欄執筆メンバー。1999年、読売論壇新人賞優秀賞受賞、2000年に第16回佐藤栄作賞優秀賞受賞。2018年に『北朝鮮 核の資金源「国連捜査」秘録』(新潮社)で新潮ドキュメント賞を受賞した。54歳。


竹田恒泰〈たけだ・つねやす〉 1975(昭和50)年、東京生まれ。明治天皇の玄孫(やしゃご)。皇籍を離脱しIOC(国際オリンピック委員会)委員をつとめた旧皇族、竹田宮恒徳王の直孫、JOC前会長、竹田恒和氏の長男。慶応義塾大学法学部卒業後、同大大学院講師、皇學館大学非常勤講師など歴任。幕末、明治維新への激動の時代を生きた孝明天皇を研究。古来の伝統文化や安定的な皇位継承などについて、国内外のメディアや講演などで積極的に発言、全国各地で会員制の勉強会「竹田研究会」を主宰している。『語られなかった皇族たちの真実』で山本七平賞。『天皇の国史』『現代語古事記』『天皇は「元首」である』など著書多数。45歳。

井上ワッペンunnamed

去る10月18~20日、菅義偉首相は総理就任後初の訪問先としてベトナムを選んだ。こ れは、平成24年に発足した第二次安倍政権と同じであり、前政権の外交政策の忠実な踏襲を内外に知らしめることになった。グエン・スアン・フック首相との首脳会談では、経済協力をはじめ、新型コロナ疫禍をきっかけとしたサプライチェーンのベトナムへの展開、そして軍拡著しい中国を念頭に両国の安全保障上の連携について話し合われた。歴史上、日本が、かくも緊密な関係を築いた社会主義国は恐らくベトナムをおいてほかにない。

一方のベトナムも、自由主義国とこれほど強い関係を築いたのは、地理的にその必然性のあるASEAN諸国以外では日本だけではないだろうか。日本とベトナムが戦後外交関係を樹立したのは1973年(昭和48)になってからのことで、さらに日本の対ベトナム援助が再開されたのは1992年(平成4)だが、今では日本は、対ベトナムODAの最大の供与国となっている。事実、ベトナムのインフラ整備の現場には、その事業が日本からのODAであることを国民に知らしめるため、大きな日の丸が描かれた看板があちこちに掲げられている。これを見れば日越両国関係が良好であることは誰の目にも明らかだろう。

加えて、近年の日越両国の緊密化の背景には、安全保障上の利害の一致がある。両国は安全保障分野で急接近しており、これはアジアにおける安全保障枠組みのパラダイムシフトの象徴といえよう。ベトナムは、安倍前内閣が平和安全法制を閣議決定(平成27年5月)するや、ただちに支持を表明し、将来の日本の地域に対する平和への取り組みに期待を寄せた。そしてその安保法制の閣議決定後の平成27年11月には当時の中谷元防衛相がベトナムのフン・クアン・タイン国防相と会談を行い、日越防衛協力を強化してゆくことで一致したのである。このとき、海上訓練の実施をはじめ防衛装備・技術協力に関する協議、さらにはカムラン湾海軍基地多国籍港の完成後には海上自衛隊艦艇を寄港させることなどが話し合われ、日越の防衛協力が本格的に動き出したのだった。

しかもその2年後の平成29年(2017年)には、天皇皇后両陛下(現上皇上皇后両陛下)が行幸啓されるなど、日越両国の関係はさらに深まったのである。このとき両陛下の奉迎団としてベトナムに出向いた筆者の友人は、ベトナム国民の大歓迎ぶりを目の当たりにしていたく感動したという。ベトナムの人々は握りしめたベトナム国旗と日章旗を打ち振って笑顔で両陛下を大歓迎しており、中には、「天皇皇后両陛下 ベトナムにお越しくださり ありがとうございます」と日本語で書かれた横断幕を持った若者たちが現れるなど、その歓迎ぶりはたいへんなものであった。

こうしたベトナム人の親日ぶりは、歴史に因るところが大きい。実は、ベトナムが日本への憧憬を抱いたのは日露戦争に遡る。日露戦争での日本の勝利が、フランスの植民地支配に苦しむベトナム人を刺激し、独立の気運を生んだのだ。当時のベトナム独立運動家だったファン・ボイ・チャウ(潘佩珠)は、ベトナムの人々に「日本に行き、そして学べ」と呼びかけ、ベトナムで日本留学運動「東遊(ドンズー)運動」が始まった。まさに近年のマレーシアのマハティール首相(当時)が提唱した「ルック・イースト」の始祖のようなものだった。恐らくこのことがベトナム人の対日感情に与えた影響は小さくない

そして大東亜戦争後もベトナムに留まって、ベトナム軍育成に努め、彼らと一緒に戦った日本軍人の記憶は前号で紹介した通りである。余談だが前述平成29年の天皇皇后両陛下(現・上皇上皇后陛下)のベトナム行幸啓時に、両陛下は元残留日本兵の家族と接見されている。日本のメディアでもその様子が報じられたことで、この封印された歴史にようやく陽の光が当たり始めたが、これまで日本人はベトナムを色眼鏡で見てきたふしがある。それは、ベトナムが今もって社会主義国であり、日本の同盟国アメリカと「ベトナム戦争」(1960~1975)を戦った記憶が大きく影響していよう。

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新年1月9日の「土光杯(どこうはい)」へ、
たくさんのご応募ありがとうございました。

出場者(弁士)の発表は、12月の予定です。

また、観覧者募集の詳細が定まりましたら、
正論公式サイトや産経新聞紙上にてお知らせします。

引き続きよろしくお願いいたします。


土光杯2021実施要項


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アメリカの大統領選挙は、現時点(2020年11月8日)でバイデン候補の勝利はほぼ確定した。トランプ大統領は今後不正選挙を訴えて訴訟に持ち込む模様だが、私の判断ではそれはほぼ無効と思われるため、以上を前提として論を進めたい。

トランプ大統領個人の評価を越えて、現代のアメリカは、少なくとも60年代に始まる「文化運動」を抜きにしては語れない。1960年代のアメリカは、カウンターカルチャーの勃興期だった。性の解放、ドラッグとヒッピー運動、ベトナム反戦運動、公民権運動、黒人やマイノリティの権利獲得運動、そして学生運動など「文化運動」と「政治運動」が同時に発生したのだ。

しかし、政治運動は次第に過激化してゆく。キング牧師、そしてマルコムX暗殺後の黒人運動は、一部はブラック・パンサー党の武装化や暴動に至った。白人学生運動の中からも、ウエザーマン派のような爆弾闘争を決行したグループが生まれた。街頭や大学を「解放区」として占拠し自治を要求するバークレー大学の運動などは、今回のBLMやUNTIFAの中でも再現されている。しかし、運動の過激化は、一般市民からの孤立を生み、ニクソン政権によるベトナム撤兵以後、急速に政治革命は収束する。

だが「文化運動」は、アカデミズムやジャーナリズムの世界に定着した。マイノリティの価値観を認める文化相対主義が推奨され、差別反対運動はポリティカル・コレクトネスを生んでゆく。社会制度上は、歴史的に差別されて来た黒人には入学試験や就職面で一定の優遇措置を与えるアファーマティヴ・アクションの施行、貧困層のための福祉制度の強化などが行われた。一方で、勤勉、キリスト教信仰、家族意識、アメリカンドリーム、減税を原則とし国家や社会制度に頼らぬ自立精神などは、いずれも時代遅れで白人優位の価値観の押し付けとみなされた。

レーガン政権に代表されるアメリカの「保守革命」は、ある意味この文化運動への反抗だったともいえる。しかし、ソ連・東欧の共産主義体制を崩壊させたレーガン政権だったが、その後のアメリカもこの文化革命の進行は止まらなかった。グローバリズムの推進は、国内生産の低下、新たな富裕層・エリート層の形成と、本来アメリカを支えていたはずの農民や労働者階級の経済的没落を招いた。いわゆるアメリカ中西部の「ラストベルト化」である。

トランプ大統領は、60年代の文化運動、90年代のグローバル経済、いずれからも見捨てられ、時には時代についていけない遅れた存在として軽蔑された人々、しかし、生まれた地域で生涯勤勉に働き、福祉にも頼らず、信仰と共同体の価値を信ずる、アメリカの原点というべき精神を抱き続ける人々に呼びかけたのだ。「アメリカン・ファースト」という言葉は、少なくとも貧しい労働者にとって、福祉ではなく職業を、白人の伝統的価値観への回帰、他国への干渉よりも自国内の格差是正、不法移民とそれがもたらすドラッグの廃絶といった切実な要求を象徴していた。トランプ大統領が現実にどこまで成果を出せたのかは議論もあろうが、少なくとも、それまでの政治に絶望していた白人労働者に、希望を与えたことは確実である。これはもっと評価されるべきトランプ大統領の最大の功績だろう。

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