2017年03月19日

行き着いた果てのフィリピン

ノンフィクションの重みというのは、想像を打ち砕くだけのインパクトが存在する。


他国で騙されたりして、日本に帰るお金も無くなり、フィリピンの優しい人々の善意に縋って生きている日本人を追ったルポ。

そもそも、ノンフィクション作家というのは、現実に存在するコトを取材して、世間に公表するというのが仕事。

今、森友学園の問題で、菅野完さんが色々と悪く言われていたりするけれど、最近、そのツイッターを読んでいるとメチャメチャ面白い。

様々な対象に接近して、情報を貰ってこそのノンフィクション作家だというコトを理解せずに、罵倒する人々の多いコトにも、驚いてしまう。

少なくとも、フィリピンに逃げ出した男性を上記の本のノンフィクション作家も、共鳴しているワケでは全く無い。

それでも、こういう人物が現実に居るのですよというコトを我々に衆知してくれているから、我々はそうした現実を知るコトが可能になる。

菅野完さんも、全く同じコトを森友学園でしているダケなのに、情報を貰ったメディアが感謝するコト無く、怪しいジャーナリスト扱いしているのは、実に失礼な話。

料理が出されるコトが無ければ、我々は論評のしようがナイ。

自分達で、料理を作ろうと努力しないで、タダ他人を批判するのは簡単。

我々は料理を作ってくれた人にこそ感謝すべきであって、タダ評論ばかりして足で稼がない大マスコミなど、ジャーナリストの風上にも置けないと知るべきである。

上記の本の話が、おろそかになってしまったが、日本が失ってしまった人情というモノが、フィリピンには存在している。

だからこそ、悪いフィリピーナに騙された人々が、日本ではナク、フィリピンに居たいと望むのだろうが‥‥

自分が考えるコトだけが、正しい真実などと思う偏見を捨てて、多様な人生を見聞きするというコトが、人間の幅を広げるという意味で、良質のノンフィクションは何冊でも読むべきであると断言する。
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