「わたしたちは死んだらどうなるのだろうね」

はぁ? 麻子は箸を置いて彰美を見た。

ランチにふさわしい話題ではないだろう。

そういうところが彰美らしい。

 彰美は『花見弁当』の飾りのパセリまできれいに平らげていた。

「どういう意味?」

「麻子もわたしもおひとりさまでしょ。

死んだらわたしたちの家財道具は誰が片付けるの?」

 ううむ、ひときれ残った筍の木の芽和えを麻子はつかみそこねた。

「この前、テレビで『無縁死』の特集をやっててね。

あれを見て考えたのよ。身辺の整理をしておくことも必要だって。

いつかしなくちゃと思ってたけど、先延ばしにしてはいけないなと思って」

「わたしも見たけど、そこまでは考えなかった。

暇だからそんな事を考えるのじゃない?」

彰美は湯呑みを手にして、飴色のほうじ茶を覗き込んでいる。

まるで、そこに自分の未来が映っているように。

デザートのさくら餅を食べながらも、この話題は続いた。

「麻子のひとり息子はあてになる?」

ならない、と麻子はきっぱり答えた。

「今、どこにいるの」

「たぶん、インドだと思うけど…」

「連絡はないの?」

ない、と麻子は窓の外の葉桜に目をやった。

「だったら同じね」

 新庄彰美は独身で、二十年以上勤めていた小さな建築会社は、昨年倒産した。

定年まであと数カ月だった。

 西園寺麻子は十年前の離婚以来、ホームヘルパーをしている。

二人は高校の同級生だが、卒業後の交流はなかった。

再び付き合うようになったのは、五年前。

偶然、デパートの地下で弁当を買っていた時に目が合い、あっと声をあげた。

 それ以来、月に一度はランチを共にしている。

 麻子は、そういえばと話し出した。

「ヘルパーで通っているお宅でね、息子さんがお母さんの押入れの荷物を勝手に処分しちゃったのよ。

それ以来、そのお母さん、というか八十五歳のおばあちゃんなんだけれど、わたしたちが行っても、何か持って行かれやしないかと監視してるの。

いやになっちゃう」

「確かに、自分のモノを勝手に処分されたら、腹が立つし、疑心暗鬼になるわね」

「ガラクタでも?」

「そう、ガラクタでもね。

ところで、ここのさくら餅の塩加減は絶妙だわ」

 負けじとさくら餅を口に入れた麻子は、ああ、おいしいと目をつぶり、甘い幸福をかみしめた。

「ところで、彰美の家は片付いてるの?」

「ノー、片付いてないから、どうしようかと思ったのよ。

サンタは何もしてくれないし、働く女には洋服と食べることくらいしか楽しみがなかったもの。

バーゲンといえば、ボーナス払いのカードを握りしめて、突撃してた」

「そうねえ、わたしも離婚した時にかなり処分したけど、その後は、捨てるってことをほとんどしなかった」

「だから、もしポックリいったら、後にガラクタの山が残るでしょ。

昔の手紙なんかが出てきて、他人に読まれるのは嫌じゃない」

「えーっ、昔の手紙って、ひょっとしてラブレター?」

麻子が身を乗り出した。

「男からの手紙と写真は、別れた時に焼き捨てることにしているの」

あら、まあと、麻子は急須から彰美の湯飲みに茶を注いだ。

「そりゃ、ガラクタを見られるのは嫌だけど、その先はどうなるの?」

その先ってなによと言いながら、彰美は物欲しそうに空の菓子皿を見つめている。

「その先は、お墓でしょ」

ああ、その事といいながら、彰美はメニューを手にした。

「甘いものは、ぜんざいにわらび餅、花見団子におはぎね」

「どうして『花見弁当』のデザートに花見団子がついてないの?」

麻子の疑問に、えへんと、彰美は咳払いをした。

「決まってるじゃない、さくら餅なら一つで恰好がつくけど、花見団子が一本では貧弱でしょう。

二本つけると赤字になるのよ」

「なんだか違うような気がするけど…」

 追加注文した花見団子は二本ずつ皿に載っていた。

それを見て彰美は、ほらねという顔をした。

「お墓の問題はいいのよ」と彰美は話を蒸し返した。

「どう、いいの?」

「樹木葬にしてもらうの。だから、お墓はいらない」

「ジュモクソーって」

「木の下に埋めてもらって、土に返るの。お参りもお供えも要らないし、すっきりしていいじゃない。

麻子は息子がいるんだから、お墓でもなんでも作ってもらいなさい」

「いやよ。あのバカ息子が墓参りなんかする訳がない。

それより、あっちの方がどこかで野垂れ死んでるかもしれない」

とすると、あてにならないわねえと、彰美はさくら色の団子にかぶりついた。

「死ぬ話だとか、お墓だとか…もしかして、彰美、自殺しようと思ってるんじゃないでしょうね」

麻子は声を潜めた。

「会社が倒産して退職金ももらえず、老後の資金がなくなったから悲観のあまり…なーんて」

彰美はアハハと笑い、一蹴した。

「あのねえ、お金があっても無くても、総理大臣でも有名女優でも、みんないつかは死ぬの。

これだけは公平なのよね。だ、か、ら、神サマが決めた寿命をまっとうしなくちゃ」

 神様? 彰美は変な新興宗教にでもはまっているのではないか。

だから突然こんなことを言い出したのだ。

やばい! 麻子はさりげなく訊いた。

「神様って、どこの神様?」

「決まってるじゃない、わたしの神サマ」

ポカンとしている麻子に彰美は付け加えた。

 子供の頃に祖母から繰り返し聞かされた話について。

人間にはひとりひとりに神サマがついていて、見守ってくださっている。

八百万の神サマというのは、それくらいたくさんの神サマがいるということで、何があっても神サマがついているのだから、くよくよせずにしっかりやりなさい。

彰美はこれを幼心に刷り込まれた。

だから、自分の神サマを信じているのだと締め括った。

「神様がついているのに、退職金がもらえなかったのはどうして?」

麻子が矛盾を突くと、彰美はふふんと鼻で笑った。

「禍福は糾える縄の如しというでしょ。

山も谷もあるから人生で、神サマが何でもしてくれると思うのが間違いなのよ」

 それじゃあと言いかけて麻子は口をつぐんだ。

触らぬ神に祟りなしというではないか。

 二本目の団子を食べ終えた彰美が上目使いに言った。

「一緒に、団塊世代向けの片付け講座に行かない?」

 こうして、二人は『老前整理』の講座に参加した。

 講師の杉田照代は、テレビでよく見かける「片付けのカリスマ」と違い、普通のおばさんという感じだった。

自己紹介で、杉田は長年専業主婦をしていたけれど、片付けが苦手で、ゴミ屋敷寸前になったので、講座に参加し、半年かかって溜めこんだ物を処分したら、すっきりした。

モノが減ると、そうじも楽になり、気分が変わった。

ちょうど、夫も定年になり、家にいるので、今度は自分が外に出て働きたい。

そこで、声を潜めて、三度三度食事の支度をするのも面倒ですからねと笑い。

そんなことより、人の役に立ちたいと思い、講師養成の講座を受けて講師になったと締めくくった。 

受講者の多くが、杉田の家もゴミ屋敷寸前だったという話に親近感を持った。

講座は「ラクダで砂漠を旅するとしたら、リュックに何を詰めるか」という質問から始まった。

 リュック一つなら、貴重品と身の回りのものかしら、あと、水と食料少々、アルバムはかさばるから入れられないしと、あれこれ考えていた麻子は隣の彰美を見た。

 彰美はマンションの権利書と有り金全部、それに猫の餌と書いていた。

麻子が小声で、なんで猫の餌なのよと訊くと、自分の食べるものはどうにかなるけど、猫の餌は災害時には手に入らないからだそうだ。

「猫はトランクに入れないの?」

「もうひとつのリュックに入れて背負うから」

勝手にしなさいという言葉を麻子は呑み込んだ。

 次の質問は、「アラジンの魔法のランプで、三つの願いをかなえてもらえるとしたら、どんな願いをするか」だった。

 考え込んでいる麻子の手は止まったままだが、彰美のペンはするすると動いている。

「今度は何を書いたの?」

「サンタの寿命がわたしと同じになること。

懸賞で猫の餌が二十年分当たる事。

あと、執事のロボットが欲しい」

 猫の餌にロボット? と麻子は絶句した。

受講者の多くが、杉田の家もゴミ屋敷寸前だったという話に親近感を持った。

講座は「ラクダで砂漠を旅するとしたら、リュックに何を詰めるか」という質問から始まった。

 リュック一つなら、貴重品と身の回りのものかしら、あと、水と食料少々、アルバムはかさばるから入れられないしと、あれこれ考えていた麻子は隣の彰美を見た。

 彰美はマンションの権利書と有り金全部、それに猫の餌と書いていた。

麻子が小声で、なんで猫の餌なのよと訊くと、自分の食べるものはどうにかなるけど、猫の餌は災害時には手に入らないからだそうだ。

「猫はトランクに入れないの?」

「もうひとつのリュックに入れて背負うから」

勝手にしなさいという言葉を麻子は呑み込んだ。

 次の質問は、「アラジンの魔法のランプで、三つの願いをかなえてもらえるとしたら、どんな願いをするか」だった。

 考え込んでいる麻子の手は止まったままだが、彰美のペンはするすると動いている。

ロボットのほうはそう遠くない未来には可能かもしれない。

しかし、考えてみれば、どちらもお金があれば買えるのではないか。


「どうして、わざわざ懸賞に当たらなきゃならないの。

お金があれば、百年分の餌だって買えるわよ」

 彰美はダメダメと首を振った。

「持ち慣れないお金を持ったら、ろくなことにならないの。

そういうことが人生を誤る元なのよ。

会ったこともないイトコやハトコが現れるのもごめんだし、現物支給が一番確実。

ほら、お相撲さんだって、優勝したら牛一頭とかもらってるでしょ。

あれ、あれ」

 堅実なのか、バカなのか、麻子のものさしと彰美のものさしが違うことはよくわかった。

ちなみに、サンタというのは彰美の猫の通称で、正式にはサンタクロースというそうだ。

麻子にとってはサンタでもサタンでもかまわないのだが、彰美はかまうらしい。

 もうひとつ付け加えると、サンタクロースという名前はクリスマスに生まれたからでも、クリスマスに拾ったからでもない。

そんな風に思うのは彰美という人間を知らないからだ。

夏の夜に公園のベンチの下でみゃあみゃあ泣いていた子猫を拾い、家でミルクをやっている時に、ラジオでかかっていた曲が、なぜか『サンタが街にやってきた』だからである。

 杉田講師の次の質問は「今、一番大事なモノは何ですか」だった。

 麻子は始め、お金と書いたが、消して、命(健康)と書いた。彰美がサンタと書いているのは見なくてもわかった。(絵まで描いている)

 彰美も麻子も、いらないモノを片づけるのに、なんでこんなことを考えなければならないのか、訳がわからなかった。

受講者の気持ちを察したように、杉田は笑顔を浮かべた。

「サスペンスドラマで『片付ける』というのは、じゃまな者を取りのぞく。

つまり、殺すことですが。これはドラマの中の話ですね。

そこで、この講座の『片付ける』は、置かれている物や散乱している物を収納したり、捨てたりすることの他に、物事を処理・解決する。

つまり決着をつけるというのがあります。

この講座が団塊の世代向けだというのは、何十年という生活で溜まったモノに決着をつけないと片付かないからです。

決着をつけるためには、今、自分に何が必要か、これからどういう生活をしたいかを考えないと前には進めません」

「確かに、いいこと言うわねぇ、この先生。

片付けないといけない人間関係もあるしなぁ」

彰美の遠慮のない声にまわりでクスクス笑いが起こり、麻子が恐縮した。

「ちょっと、彰美、もう少し静かにしないと…」

「人の口に戸は立てられない」

それは違うでしょうとつぶやきながら、麻子はクククと笑った。

 杉田の話は続いている。

「もったいないというのが一番の大敵です。

もったいないと何十年もしまいこまれた食器や日用品が押入れに眠っていませんか。

婚礼の引き出物や祝い返しの毛布や花瓶が、のし紙のついたままではありませんか」

杉田は、手元のメモを見て続けた。

「わたしの場合は、娘が二人おりまして、嫁に行く時に持たせてやろうという親心で、それこそ、納戸いっぱいに貰いものを詰め込んでありました。

そして、いざ、娘が結婚という時になると、二人とも、こんなダサいものイラナイと、インターネットで好みの食器や日用品を夫のカードで注文し、さっさと出て行きました。

当座は、頭にきましたが、時間がたつと娘たちの言うことはもっともだと思いました。

だって、気にいったモノならわたしが使っていたはずですから。

それがきっかけで、不要なモノをなんとかしたいとこの講座に参加しました。

使わないモノを全部、町内のバザーに出してスッキリしたら、なんであんなにモノを抱え込んでいたのだろうと不思議に思いました。

皆さんに考えていただきたいのは『使う』と『使える』の違いです。

使えるけれど使わないのであれば、意味がありません。

例えば、花瓶は花を活けるためにつくられた。

それなのに、箱にしまったままでは、花瓶の生まれた使命は果たせないのです。

現代は環境やリサイクルが問題になっていますが、こういうしまいこまれたモノも使いたいという人のところへ回れば、使命が果たせるのではないでしょうか」

先生、質問があるのですが、と彰美が手を挙げた。

「花瓶に使命があるのなら、人間にも使命があるのでしょうか」

え、そんな難しいことを訊かれても…そんなことは習ってないので…わ、わかりませんと声を震わせ、杉田は両手で顔を覆って部屋を飛び出した。

あーあ、またやったと、麻子は頭を抱えた。

彰美はなんで? という顔をしている。

 アシスタントだと思っていた久留米和子が代わりに前に立った。

「申し訳ありません。

杉田先生は講師になられて今日が初めての講義で、予想外の質問にお答えできず取り乱してしまいました。

この後はわたくしが続けさせていただきますがよろしいでしょうか」

ほとんどが肯き、あえて反対する者はなかった。

どうやら、久留米は杉田のサポートをするために来ていたらしい。

「杉田先生は花瓶を活かすという意味で、使命という言葉を使われました。

しかし、人間の使命となると、わたくしも宗教学者にお尋ねしたいくらいです。

彰美さんはどうお考えですか」

えっ、わたし? と彰美は自分を指差した。

「わたしは花瓶に使命があるのなら、人間にも使命があるのかなあと、ふと思っただけで、深い意味はありません。

杉田先生をいじめるつもりはなかったのですが、すいません」

彰美はぺこりと頭を下げた。

「ある方が、『自分は何のために生れて来たのかを考えるために生きている』とおっしゃってましたが、これはおひとりおひとりに考えていただく問題のようですね」

 一番前に座っている土井好美が、後ろを振り向き、彰美の顔をじろりと見て、前に向き直り、発言した。

「そんなことを考える『変わり者』は少ないと思います。

それより、片付けの講義を続けてください」

変わり者だって、と彰美は肩をすくめ、麻子は、なかなか鋭いと思った。

「それでは、軌道修正しまして、講座を続けます。

『もったいない』の続きからですが、これはモノを取っておく魔法の呪文のようなものです。

それでは、食べ物はどうでしょう。

好美さん、冷蔵庫の隅でキュウリが腐っていればどうしますか」

当然のように、捨てますと好美は答え、久留米はうなずいた。

「では次に、冷蔵庫が壊れたら、恵さんはどうしますか、そのまま置いておきますか」

「買い替えますよ。

もうすぐ夏になるから冷蔵庫なしでは暮らせません」

これはみんなが納得する答えだ。

「ありがとうございます。このように捨てる時期がはっきりわかるものはいいのですが、そうでないものが溜まっていきます。

これを人生の垢とか余分な脂肪と例える方もあります」

 ちょっと、待って下さいと、また好美が口をはさんだ。

「垢とか脂肪というのは言い過ぎではないでしょうか。

それに、わたしは『捨てる』ということに抵抗があるし、『もったいない』と思うことが美徳として育てられたのです」

久留米は杉田と違って冷静だ。

「はい、捨てるという言葉に抵抗のある方もおられるようですが、その方は、処分する、手放す、別れを告げる、バイバイするなど、お好きな言葉を使ってください。

これは感情の問題です。

ただ、客観的にみると、どれも同じ作業なのです。

違いますか、好美さん」

有無を言わせぬ口調に、不承不承、わかりましたと好美は答えた。

 講義は進み、久留米はパワーポイントで写真を使って、具体的な片づけ方の手順を示した。
「最後に、これからどういう生き方をしたいか、そこが明確にならなければ、要不要の選択も、決断もできません。

それから『いつか』というのは、いつまでたっても『いつか』で、永遠にいつかです。

ただし、ここで、決断しなさいというのではなく、この講座はあくまで考える機会を提供しただけで、あとは皆さん次第です。

半年かかる方もあれば、一年かかる方もあるかもしれません。

なぜなら、人間には欲があるので、長年に亘って溜め込んだモノをそう簡単には手放せないからです。

この執着を引っぺがすのに時間がかかります。

つまり、モノの整理は頭の整理です。

そして、断言しますが、モノがすっきり片付いた時には、皆さんの人生にも新しい道が開けるでしょう」

 誰かが、占い師みたいとつぶやき、まばらな拍手と共に講座が終わった。

 駅への道で彰美と麻子は吸い込まれるように喫茶店に入り、ケーキセットを注文して、隅の席に腰を下ろした。

「あの、オバサン、帰りもわたしのことをにらんでたわ」

彰美がいうオバサンとは、彰美を「変わり者」と呼んだ土井好美のことである。

麻子には同年代に見えるが、彰美にとってはオバサンなのだ。

彰美はどうやら、見た目ではなく、その人の考え方でオバサンかそうでないかを決めているらしい。

「彰美が、人間には使命があるか、なんて変なことを訊くからよ」

「だって、ホントにそう思ったんだもの」

「それよりわたしは、古い洋服や、変な鍋や、おまけにもらったものを捨てようと思った」

「変な鍋ってどんな鍋?」

「ジンギスカン。

姪が北海道で式を挙げた時にもらったの。

重いのなんのって、これが金塊だったらと思ったけど…このあたりに羊はうろうろしてないから、一度も使ってないわ」

「ゴミを持って帰ったわけね。

よくあることだ。

それで、おまけは?」

「化粧品についてきたポーチとかスカーフとか、何かを買うとついてきたモノ」

「うちの引き出しにも詰まってる」

二人のなんとかしないといけない、という思いは、お待たせしましたという声と共に現れたチーズケーキにかき消された。

「前にね、宅急便の荷物を受け取ってる間に、サンタがドアから出て行ったことがあったの。

わたしは気がつかなかったんだけど、その宅急便の人と一緒にエレベーターに乗ってお出かけしちゃったのよ」

二ヶ月後、二人はいつもの店で待ち合わせた。

 ごめん、遅くなって、と息を切らせて彰美が現れた。

「紫陽花弁当を注文しといたから、それでいいよね」

いいよと、彰美もバッグを置いて定位置についた。

「なんだか、うれしそうねぇ。

次の仕事が決まったの?」

まあねと、彰美がにやりとした途端に、麻子の背中に悪寒が走った。

いやな予感がする。

「麻子、決めたわ」

「えっ、今、紫陽花弁当を注文したばかりじゃない」

「違うわよ。これからの仕事よ」

 はぁと生返事をした麻子にとって彰美の頭の中はブラックボックスだ。

もしかしたら、本人にとってもそうかもしれない。

「動物探偵をする」

もう一度言ってと、麻子はまじまじと彰美の顔を見た。

「だから、どうぶつたんてい」彰美はゆっくり繰り返した。

それはナニ? 

なぜ、そうなるの?
 
彰美はトントンと指の腹でテーブルを叩いて、顔を上げた。

「ほら、この前一緒に受けた『老前整理』の講座で、自分に大切なモノは何かを考えたでしょう。

そこでわたしはサンタだと思った」

確かに、大切なモノの項に猫の顔が描いてあった。

「それに、あのオバサンに睨まれた『人間の使命』の話」

なんと、彰美がまじめにそんなことを考えていたとは、お釈迦様でもご存じねぇーと、見得を切りたいところだ。

猫が逃げたのをお出かけというか?

「気がついて二時間ほど近所を必死で探しまわったら、マンションの裏の公園の茂みでメス猫といちゃついてたのよ。あいつ」

麻子の呆れた顔に、彰美はどんと拳でテーブルを叩いた。

「わたしは猫取りに取られて、三味線にされてるんじゃないかと気が気じゃなかったんだから」

確かに子供の頃にそんな話を聞いた記憶があるが、今どき「猫捨て」はあっても「猫取り」はないだろう。

だが、そんな事をいえば彰美はムキになって反論するに決まっている。

「大変だったわね」

「その時にね、自分の愛する動物が行方不明になった人の気持ちがよぉく、わかったの」

口ではなるほどねと言いながら、麻子は、この話はどこへ行くのだろう。

彰美の頭にカーナビならぬ、脳ナビをつけたら行き先が分かるのにと、ぼんやり考えていた。

「これって、サンタクロースのお告げだと思わない?」

猫のサンタクロース? サンタクロースの猫? ああ、ややこしい。

本物のサンタクロースは子供たちにプレゼントを配るのであって「お告げ」はしないだろう。

こういう発想をする人間に、ものの道理を説いてなんになる? 

熱を帯びた彰美の話はまだ続く。

「ほら、逃げてった杉田先生の、モノを整理するのに『使う』と『使える』は違うという話があったでしょう。

人間も同じだと思ったの。

わたしはまだ働ける。
「この前、ハローワークに行ったけど、若い子がうじゃうじゃいてね。

あの子たちに仕事がないのに、わたしに仕事がある訳ないでしょう」

そりゃあ、もっともだ。

今は能力よりもなによりも、まず年齢でシャットアウト。

だからわたしはヘルパーをしているのだ。

と、麻子は声を大にして言いたかった。

「隠居するには早いし、折角お金を払って講座に参加したのだから、部屋の片付けをしようと思ったの。

サイズの合わない洋服や、二度と履かないハイヒールを捨てたらすっきりしてね。

ゴミ袋を山ほど積み上げた。

そして、ゴミの日に一度に出すと、管理人がうるさいから、少しずつ出してようやく片付いたら、ひと部屋空になった。

すごいでしょ。

一部屋分ゴミだったなんて」

自慢することではないだろうと思いつつ、麻子はうなずいた。

「それでね、窓をぱーっと開けて、大の字になって寝たら気持ちがよくて、うとうとしたの。

すると、すると、すごい夢を見たのよ。

夢の中で、なんと、サンタクロースの格好をしたサンタが携帯電話で『こちら動物探偵事務所です』って応えてるのよ」

今年の猛暑は脳に影響するのかもしれないと思っている麻子に、彰美は自信たっぷりに訊いた。

つまり使える。

だけど、雇ってくれる会社がないから、使われない。

だから、自分で自分を使うことにしたの。

わかった?」

「それで、動物探偵か、仕事になるの?」

なるようにするのがわたしの腕よ、と彰美は右腕で力瘤を作る真似をした。

お金も無いのにという麻子のつぶやきに彰美は真顔で答えた。

「ゴミを処分して空いた部屋を『A&A動物探偵事務所』にするの。

資本はこのたくましい、か、ら、だ、よ」

彰美はブラウスの上から薄い胸を叩いた。

今日はいつもより気合が入っているからパフォーマンスが多いのねと感心しつつ、麻子はフーンと、気のない返事をした。

「そこで、麻子を副所長に任命します」

「は? わ、わたしを」

はい、そうです。

だから彰美と麻子でA&Aでしょと、彰美はすましている。

「わたしのお給料は?」

「もちろん、行方不明のプードルやダックスフンドを探して、たっぷり稼いでもらいます」

「い、や、だ」

あ、お弁当が来た、この話は食べてからねと彰美はウインクした。
 

三ヶ月後。

夜明け前の神社に怪しい人影。

落ち葉をかきわけながら、黒装束の女は虫取り網と懐中電灯を右手に握り、「ヘラクレス」と呼ばれているカブトムシの写真を左手に、御神木の周りをうろついている。

 近所の人の通報を受け、現場で職務質問をした警官にこの女は、西園寺麻子と名乗った。