「私、カミングアウトします」
講座のはじめの自己紹介で、宮崎なつきは宣言した。
このひとことに、なごやかな会場の空気が一変した。
半数の胸中には、きれいな人だけど、この人男性なのかしら? という疑問と、「カミングアウト」という言葉がわからない者はポカンとしていた。
「実は、私は精神科医なのですが、ADDです」
下を向いて、こぶしを握りしめていたなつきは、歯を食いしばった。
ADDといっても多くの方が、ご存知ないでしょうけど、注意欠陥障害という神経系の障害なんです。
とはいっても眼には見えませんから、知らない人も多いと思います。
症状は人によっていろいろですが、わたしの問題は、片付けられないということなんです。
ずっとこのことを隠してきました。
自分がただ、だらしないだけで、性格の問題だと思っていました。
精神科医を選んだのも自分のそういうところを知りたかったからです。
そしてアメリカに留学し、学ぶうちにADDという障害があること、そして自分がそのADDだとわかりました。
障害というと誤解されそうですが、これはある分野に関して、苦手な分野があるということです。
うまくできないのは片付けられないことで、精神科医としては、自分で言うのもなんですが優秀です」
「仕事ができるからよけいに理解してもらえないのかもしれません。そして、そのギャップを埋めるためにどれほどエネルギーを費やしたか。
両親は眼科の医師なのですが、わたしがADDだと話すと、ADDは子供の病気だ。おまえはだらしがないだけだと言われました。
たぶん自分の娘がADDだなんて認めたくないのでしょう。
そのことが原因で今では絶縁状態です。
親にもわかってもらえなくて、もう、ほとほと疲れ果てました。
そんな時にこの講座を知って、片付けられないと困っている方たちなら、わたしの気持も少しは理解してもらえるかもしれないと思いました。
わたしにとって、暮らしをすっきりするということは、まず、カミングアウトすることだったのです。
長々としゃべってしまいましたが、これですっきりしました。ありがとうございました」
会場はしんとしていた。
話を聞いていた受講者が、自分もADDではないかと考えたからだった。
くら子にもADDについて、本で読んだ程度の知識はあったが、参加者の不安を解消しなければと思った。
「なつきさん、ADDについてもう少し質問してもよろしいですか」
興奮で頬を紅潮させたなつきはうなずいた。
「ADDというのはどういう症状でしょうか」
「原因はまだ分かっていませんが、脳内の神経伝達物質の不足によって、集中力がなかったり、物忘れが激しかったりします。
といっても何もできない訳ではなく、仕事はできても家事ができないとか、ある事はちゃんとできるのに、別の事は全くできないというアンバランスが生じるのですが、これは周囲の人にとっては理解が難しいようです。
これは心の病気ではありませんし、性格に問題がある訳でもありません」
「それでは、片付けられないと思っている人の多くがADDの可能性はあるのでしょうか」
「そうとは言えません。ADDは遺伝子の問題だといわれていますし、症状が慢性的で子供の頃からずっとその状態が続いていることや、生活に支障が出るくらいひどいことがあげられています。
しかし、この診断は非常に難しく、素人判断は危険です。
また、日本にはADDを診断できる専門家も少ないのです。
ADDについてお知りになりたいのなら、サリ・デルソンの『片付けられない女たち』をお読みになることをおすすめします」
くら子がホワイトボードに書名を書いた。
おそるおそる手が挙がった。
「あの…、なつきさんに、わたしがADDかどうか診察してもらえないでしょうか」
「残念ながらわたしはADDの専門家ではありませんので、診断はできません。
ただ、物が多くて片付かないのと、片付けられないのは根本的に違います。
どうしてもご心配であれば、診断をうけられても良いですが…」
「いえ、もうひとがんばりしてみます」
鈴子が手を挙げた。
「ワイドショーで取り上げられているようなゴミ屋敷の人はADDなのでしょうか」
なつきは辛抱強く答えた。
「診断を受けない事には何とも言えません。わたしの個人的な意見としては…ここだけの話ですが」
ここだけの話がここだけにならないのが女性の世界であるが、なつきは素直にそう考えていた。
「粗大ゴミの中から、壊れた電気製品やガラクタを拾って来て、家の周りやご近所に迷惑になるほど道路にまで高々と積み上げている方々は、統合失調症や認知症の可能性があるのではないかと思っています。
何度も申しますが、これは診断を受けていただかなければわからないことです。
ところが、こういう方たちに診断を受けていただくのは、トラックに何トンものガラクタを片付ける以上に大変です。
ただ、ひとつはっきりしているのは、ゴミ屋敷の主は『わくわく片付け講座』に参加されることはないと思います」
安堵と笑いが広がった。
鈴子が、ありがとうございますと礼を述べた。
「皆さんと共に、ADDの“わたしなりの片づけ方”を見つけて、すっきりした暮らしをしたいと思っておりますので、よろしくお願いします」
なつきが頭を下げると、大きな拍手が起こった。
6章終了
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
[用語について]補足
ADD…Attention Deficit Disorder
注意欠陥障害…神経化学的な障害であり、心の病気ではない。行動を統御する力のうちで、「注意力」「活動性」「衝動性」のレベルで影響が出る。
ADHD…Attention Deficit Hyperactivity Disorder
注意欠陥多動性障害…[注意力」「活動性」「衝動性」「多動性」に影響。
ADDは動きの少ない寡動性、ADHDは多動性との違いのようである。
★素人判断は禁物らしい。
参考:桜井公子+袋井司『お片付けセラピー』宝島社、サリ・デルソン『片付けられない女たち』WAVE出版、榊原洋一『最新「ADHD」対処法」講談社 他
講座のはじめの自己紹介で、宮崎なつきは宣言した。
このひとことに、なごやかな会場の空気が一変した。
半数の胸中には、きれいな人だけど、この人男性なのかしら? という疑問と、「カミングアウト」という言葉がわからない者はポカンとしていた。
「実は、私は精神科医なのですが、ADDです」
下を向いて、こぶしを握りしめていたなつきは、歯を食いしばった。
ADDといっても多くの方が、ご存知ないでしょうけど、注意欠陥障害という神経系の障害なんです。
とはいっても眼には見えませんから、知らない人も多いと思います。
症状は人によっていろいろですが、わたしの問題は、片付けられないということなんです。
ずっとこのことを隠してきました。
自分がただ、だらしないだけで、性格の問題だと思っていました。
精神科医を選んだのも自分のそういうところを知りたかったからです。
そしてアメリカに留学し、学ぶうちにADDという障害があること、そして自分がそのADDだとわかりました。
障害というと誤解されそうですが、これはある分野に関して、苦手な分野があるということです。
うまくできないのは片付けられないことで、精神科医としては、自分で言うのもなんですが優秀です」
「仕事ができるからよけいに理解してもらえないのかもしれません。そして、そのギャップを埋めるためにどれほどエネルギーを費やしたか。
両親は眼科の医師なのですが、わたしがADDだと話すと、ADDは子供の病気だ。おまえはだらしがないだけだと言われました。
たぶん自分の娘がADDだなんて認めたくないのでしょう。
そのことが原因で今では絶縁状態です。
親にもわかってもらえなくて、もう、ほとほと疲れ果てました。
そんな時にこの講座を知って、片付けられないと困っている方たちなら、わたしの気持も少しは理解してもらえるかもしれないと思いました。
わたしにとって、暮らしをすっきりするということは、まず、カミングアウトすることだったのです。
長々としゃべってしまいましたが、これですっきりしました。ありがとうございました」
会場はしんとしていた。
話を聞いていた受講者が、自分もADDではないかと考えたからだった。
くら子にもADDについて、本で読んだ程度の知識はあったが、参加者の不安を解消しなければと思った。
「なつきさん、ADDについてもう少し質問してもよろしいですか」
興奮で頬を紅潮させたなつきはうなずいた。
「ADDというのはどういう症状でしょうか」
「原因はまだ分かっていませんが、脳内の神経伝達物質の不足によって、集中力がなかったり、物忘れが激しかったりします。
といっても何もできない訳ではなく、仕事はできても家事ができないとか、ある事はちゃんとできるのに、別の事は全くできないというアンバランスが生じるのですが、これは周囲の人にとっては理解が難しいようです。
これは心の病気ではありませんし、性格に問題がある訳でもありません」
「それでは、片付けられないと思っている人の多くがADDの可能性はあるのでしょうか」
「そうとは言えません。ADDは遺伝子の問題だといわれていますし、症状が慢性的で子供の頃からずっとその状態が続いていることや、生活に支障が出るくらいひどいことがあげられています。
しかし、この診断は非常に難しく、素人判断は危険です。
また、日本にはADDを診断できる専門家も少ないのです。
ADDについてお知りになりたいのなら、サリ・デルソンの『片付けられない女たち』をお読みになることをおすすめします」
くら子がホワイトボードに書名を書いた。
おそるおそる手が挙がった。
「あの…、なつきさんに、わたしがADDかどうか診察してもらえないでしょうか」
「残念ながらわたしはADDの専門家ではありませんので、診断はできません。
ただ、物が多くて片付かないのと、片付けられないのは根本的に違います。
どうしてもご心配であれば、診断をうけられても良いですが…」
「いえ、もうひとがんばりしてみます」
鈴子が手を挙げた。
「ワイドショーで取り上げられているようなゴミ屋敷の人はADDなのでしょうか」
なつきは辛抱強く答えた。
「診断を受けない事には何とも言えません。わたしの個人的な意見としては…ここだけの話ですが」
ここだけの話がここだけにならないのが女性の世界であるが、なつきは素直にそう考えていた。
「粗大ゴミの中から、壊れた電気製品やガラクタを拾って来て、家の周りやご近所に迷惑になるほど道路にまで高々と積み上げている方々は、統合失調症や認知症の可能性があるのではないかと思っています。
何度も申しますが、これは診断を受けていただかなければわからないことです。
ところが、こういう方たちに診断を受けていただくのは、トラックに何トンものガラクタを片付ける以上に大変です。
ただ、ひとつはっきりしているのは、ゴミ屋敷の主は『わくわく片付け講座』に参加されることはないと思います」
安堵と笑いが広がった。
鈴子が、ありがとうございますと礼を述べた。
「皆さんと共に、ADDの“わたしなりの片づけ方”を見つけて、すっきりした暮らしをしたいと思っておりますので、よろしくお願いします」
なつきが頭を下げると、大きな拍手が起こった。
6章終了
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[用語について]補足
ADD…Attention Deficit Disorder
注意欠陥障害…神経化学的な障害であり、心の病気ではない。行動を統御する力のうちで、「注意力」「活動性」「衝動性」のレベルで影響が出る。
ADHD…Attention Deficit Hyperactivity Disorder
注意欠陥多動性障害…[注意力」「活動性」「衝動性」「多動性」に影響。
ADDは動きの少ない寡動性、ADHDは多動性との違いのようである。
★素人判断は禁物らしい。
参考:桜井公子+袋井司『お片付けセラピー』宝島社、サリ・デルソン『片付けられない女たち』WAVE出版、榊原洋一『最新「ADHD」対処法」講談社 他