受講申込書を片手に、まろみが頭を抱えていた。

「まろみちゃん、どうしたの?」

「鮒瀬芳美さんって、62歳の男の人でした。どうしましょう?」

「受講の案内には女性限定とは書いてないから、別にいいんじゃない? 志望の動機にはなんて書いてあるの」

「それが、妻が出て行って困っていますとしか」

「熟年離婚かしらねえ、でも、男の人が女性に交じってこういう講座に参加しようと思うのはよほどの事だしねえ」

「でも、パーソナルカラーやメイクはどうします?」

「カラーの方はいいんじゃないの。メイクの時だけ、個人面談にしましょうか」

 こうして、くら子は鮒瀬芳美と話をすることになった。

 鮒瀬芳美は名札に鉄男と書いていた。

「鉄男さんと呼んで欲しいということでしたが、このお名前は、最近話題になった鉄道マニアということでしょうか」

「はい、鉄男にもいろいろあるのですが、わたしは模型を集めるのが好きでして」

 くら子とまろみは顔を見合わせた。

鉄男は饒舌だった。

高校大学時代からの鉄道マニアで、写真を撮りにあちこちへ行っていたが、就職し、仕事に追われる生活になるとそれもできなくなり、次第に遠ざかった。

 子供はなく、二年前に退職し、家でじっとテレビを見てるより、何か趣味を持てと妻に言われ、昔の鉄道の夢が甦った。

 そんな時、たまたま同窓会で会った友人が模型を集めているというのを聞いて、競争心が湧いた。

インターネットで次から次へと買い漁り、毎日のように荷物が届いた。

そして、妻は妹夫婦のところへ身を寄せ、離婚届けを送ってきた。

「それで、家の整理をしたいと思ってこの講座に来られたのでしょうか」

「はあ、どうすればよいのかわからなくて…」

「わたしは鉄道模型の事はよく知らないのですが、線路を作って走らせたりなさるのですか」

「いや、そんなことはしません。

そんなことをしたら塗装がはがれるし、車体に傷がつきます。

パッケージは開けないんです」

やはりというように、くら子とまろみはめくばせをした。

「では、何のために買われるのでしょうか。後々高く売ろうと思っておられるとか」

「とんでもない。ネットオークションでせり落とした時に、やったーって気がして、楽しいんです。

それにシリーズものは全部そろえないと…」

「奥さまはなんとおっしゃったのでしょうか」

「模型だらけで足の踏み場もないような家にはいられないから出ていくと…」

「やめられませんか?」

「はい」

「模型はパッケージのまま箱に入れてあるんですよね。出してみたりなさるのですか」

目を見開いて、とんでもないというように、鉄男は手を振った。

「出しません。ただ持っているというのがいいんです。

ちゃんとパソコンでリストを作ってチェックしていますから」

「それでは近くにトランクルームをお借りになって、そこに置かれてはいかがでしょうか。

そうすれば部屋の中もすっきりしますが」

「なるほど、そういう手があったか。そうすれば妻も帰ってくるでしょうか」

 鉄男は妻のことをまったく理解していないようだ。

「さあ、それは…たぶん奥さまは部屋のスペースのことだけをおっしゃっているのではないと思います」

「そうでしょうか」

「トランクルームの事も含めて、奥様とお話をなさった方が良いかと思いますが」

 鉄男はそうでしょうかと、うなだれて帰って行った。

 鉄男が帰ると、まろみがためいきをついた。

「あれじゃあまるで、おもちゃを欲しがる子供ですね。

奥さんが出ていくのも無理ないです」

「本当のところは奥さんに聞いてみないとわからないし、これは整理の問題というよりは夫婦の問題のようね」

 鉄男はその後の講座も元気に出席し、熟女に囲まれて饒舌だった。

 しかし、五年後、十年後の自分や、暮らしを考えるという課題が出てから無口になった。

「今日の鉄男さんはおとなしかったですね。

年金や、今後の生活設計のことだったから、いろいろ考えたんですかねえ」

「そうかもしれない」

「子供はいないそうだから、病気になったら奥さんしかいないということに気づいたのかも? 

模型は介護をしてくれませんからね」

「介護をするために奥さんがいるのじゃないわよ」

「そりゃあそうですけど、鉄男さんは模型と奥さんと、どっちが大事なんでしょ」

「本当は、比べる次元の話ではないと思うけど、それを考え始めてから無口になったのかもしれない」

「なーるほど」

 講座が終わって二週間後、上品なクリーム色のスーツを着た女性が事務所を訪れた。


「突然おじゃまして申し訳ありません。わたくし鮒瀬芳美の妻の加奈子です」

「鮒瀬さん?」

 加奈子はにこにこしながら言った。

「鉄男の妻です」

「まあ、鉄男さんのおつれあいですか。失礼いたしました。まあ、どうぞ」

 風呂敷から手土産の菓子折を出して、つまらないものですけどと、くら子に渡した。

「この度は鮒瀬がお世話になりまして、ありがとうございました。

お陰で鉄男は消えました」

「鉄男さんが消えた?まさか、失踪なさったとか」

「あの人にそんな度胸はありませんよ。模型を全部売り払ったんです」

「そうですか、それは良かった。と申し上げてよいのでしょうか」

「それはもう、わたしが何を言ってもうるさい! といって耳を貸さなかったのですから。

 こちらの講座でいろいろ考えたようです。

 模型を売り払ったら、憑きモノが落ちたみたいに、本人もさっぱりしたようです。 

 本来なら、鮒瀬がお礼に伺うのが筋なのですが、どうも照れくさいようで、わたくしがまいりました」

「あの、ひとつお尋ねしてよろしいですか」

 加奈子はハイとうなずいた。

「ほんとに離婚なさるおつもりでしたか」

「いいえ、おどかしただけです。長年連れ添った夫婦ですもの。

会社から解放されてようやく夫婦の時間が持てるようになりましたから、一緒に年をとっていきたいと思っています」

「そうでしたか、わたしもほっとしました」

「そこでご相談がありまして」

「何でしょう」

「わたしも『わくわく片付け講座』を受講させてもらえるでしょうか。

鮒瀬がこちらに参加した皆さんはいきいきして、どんどんきれいになっていくから、お前も行って来いって」

「ごちそうさまです」

 加奈子はジャスミンのコロンの香りを残して帰っていった。

「あんないい奥さんがいるのに、なんで鉄男さんはわからなかったのでしょうかねえ」

「本当に大切なものは失ってみてはじめてわかるものかもしれないね」

「実体験ですか」

「ノーコメント」


7章終了